文字数 2,579文字

 シギが一方的にフユトを呼び出すのは、仕事を除けば月に一度、良くても二度だ。その他の時間は当たり前に、フユト以外に注がれている。そこでシギが誰と何をしていようと口を出すつもりはなくても、おもしろくない。柄にもなく愛を囁いているのだとしたら、虫唾が走る。心から愛しい目をするのだろうシギに、ではなく、それらが向けられているであろう相手に、だ。
 この子犬も、シギの傍らで満たされたように笑うのだろうか。思って、フユトは純度の高いアルコールを飲み下す。
 あの執拗なサディストが、丁寧で苦痛のないセックスをするのだとしたら、それはそれで気味が悪い。人に興味や関心がある素振りは見せつつ、それでいて弱み以外には目を向けない、根っからの観察者に慈愛があるとは思えない。追い詰めて、追い込んで、喰われてしまいたいと希うよう仕向けて意のままに絡め取る、蜘蛛のような男の性癖が、本当はどうなのかなんて知りもしないけれど。
 知らないからこそ、掻き乱される。
 カウンター席の他の客とやり取りする、あどけない横顔を盗み見る。フユトと違って素直で、従順で、欲しいものを欲しいと言えそうな、真っ直ぐな性格だろうことは推測できる。くりっとした目を潤ませて頬を赤らめ、とろんと眦を下げて、彼はきっと、シギが望むことを言える。どれだけ羨んでもフユトは超えられない。十代後半だろう子どもには、面子も体裁も必要ないに違いないから、あの男がどちらを優先して選ぶかなんて、考えるまでもない。
 グラスの中に揺れる琥珀色を見る。顎の痛みで、ぎっ、と奥歯を噛み締めていたことに気づく。急に馬鹿馬鹿しくなって、嘆息した。
 あんな男が隣に誰を連れていようと、どうだっていいじゃないか。派手な女でも、子犬のような少年でも、好きにすればいい。フユトは気まぐれに飼い慣らされているだけで、シギの恋人だとか、特別な枠に収まっているわけじゃない。抗っても無駄だから従っているだけで、フユトにだってシギへの好意なんか微塵もない。
 スツールを僅かに空けて左側に座る、シギの癖を思い出して、去来する複雑な感情に心臓がざわつく。カウンターに右肘をつき、掌に預けた髪の生え際を、ぐしゃりと乱す。
 支配されていたい──詰まるところ、それは執着で、一方的な偏執で、好き嫌いとは別次元の特別な感情で、自身の生殺与奪を預けるから、シギの生殺与奪も握っていたいと望む、傲慢なのだ。あんな身勝手な男に翻弄されるのは癪だけれど、子犬バーテンを見ていて、急速に自覚させられる。
 そうだ。ずっと支配されたいと思っていた。支配なんて言葉じゃなく、所有でもいい。孤独に待ち続けた永遠のような夜の中、そっと背中から掻き抱いて、ずっと傍にいると目隠ししながら嘯いてくれたら、それだけでいい。
 フユトが欲しいものはそれだった。安心でも充足でも愛でもない。お前だけだと騙し続ける、巧妙な嘘さえあればいい。嘘以上を望んだら、あの悪魔はきっと、フユトを簡単に手放すだろう。シギにとっては下らないゲームだ。全てを手にした男の暇つぶしに決まっている。それ以上を求めた瞬間、フユトは負ける。全てを永遠に失う。
 黙々と飲み続けて、普段の倍はアルコールを摂っただろうか。それなりに強いと自負するフユトでさえ、酔っていると感じる程度には、酒が回っている。
 全てをアルコールのせいにして、フユトはシギの居城に向かった。いつものようにフロントへ立ち寄ると、馴染みのフロントマンは畏まった表情を変えないまま、シギが在室していることを告げた。
 在室していても、通せと指示があるときは、何も言われずにスペアキーを渡される。勢い任せに、さっき会う約束を取り付けたばかりだと嘘を()いた。
 確認します、とフロントマンが内線に手を伸ばす。その杓子定規な対応に苛立つ。さすがに富裕層相手のホテルのフロントだから、荒っぽい行動はギリギリで思いとどまったものの、分別がつかないほどに酔っていたら、足癖の悪さの一つは出ていたかも知れない。
「……珍しいな」
 仕事以外で、フユトからシギに会うことは稀だから、リビングで出迎えた彼の一声は、素直な感想だった。それは、目に見えて酔っていることへの感想でもある。
 フロントで足止めされたから、誰か連れ込んでいるのかと予想したフユトに反して、部屋にはシギ一人だけだった。だから余計に、この男の中で自分の存在はその程度なのだと知らされたようで、おもしろくない。
 深夜が未明に向かう時間帯だ。外は闇に閉ざされている。高層階の部屋を覗くような不届き者はいないし、元よりそこまで高い建物もない。箱庭だ。この部屋は、二人だけの密室で、二人だけが息づく箱庭なのだ。
 出迎えたシギの唇を、一も二もなく噛んだ。薄皮が破れて血の味がする。味わうように舌を這わせる。シギが緩やかに口角を上げて嗤い、拙い技巧の舌に舌を絡めて、フユトの呼吸を貪るように唇を奪い返される。
 余裕なんてなかった。そんなものは常にない。アルコールの味がするだろう唾液を舌ごと啜られて、戦慄く腰を抱かれる。体内の奥が熱を持ち始め、明確な意志を持って切なく疼くから、
「シたい……」
 濃厚な交歓の合間を縫って、酔いのままに告げた。シギがどんな顔をしたかなんて、見られなかった。
 寄せて返す漣は小波になり、やがて大波へと変わって、フユトの意識を根こそぎ浚おうとした。焦らしも戒めもなく、延々と、絶頂付近を揺蕩う。
 事前処理を済ませたあとは、前戯から恙無く事が進んだ。機嫌がいいと見えるシギは、フユトに何を強制することもなかったし、酔いを言い訳にしたフユトは声を抑えなかった。気持ちいい、と言えば、フユトが飽きるまで同じ場所を攻めてくれる。シーツを掴んでピローを噛んで感覚を逃がそうとするのに、ドライで達するたびに逃げ場がなくなる。
 これが普通のセックスかと問われたら、シギにとっては普通だろうとしか言えない。フユトにとっての普通のセックスは、シギと比べたら、ガサツで性急なものになってしまう。
 とことん極まって、落ちるように眠って、目が覚めたのは午後だった。下肢の違和感と痛みを引きずりながら、昨夜の記憶は酔っていたのに鮮明で、羞恥と後悔に襲われる。これで起きしなにシギの顔を見ていたら、立ち直れなかったかも知れない。
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