文字数 2,260文字

 この男は、そういう男だ。自分に、或いは組織に、利潤を齎す人間は重宝するが、そうでなければ敵と見なして始末する。今はこうして何かを買われ、隣に侍ることを許されているフユトでさえ、実のところ、シギの何かを損ねれば、惨たらしく殺されるに違いない。それが機嫌でないということは、やはり損益だろう。若しくは気まぐれか、戯れかも知れないが。
 命を取ることはないまでも、大多数の組織にとって、シギの考え方は理にかなった選択だ。歯車を回せる人間は引く手数多だが、そうでない人間は厄介者でしかない。使う側も使われる側も同じ生き物だから、面と向かって役立ずとは言わないし、命をどうこうすることもない。それを温情と呼ぶなら、なるほど、確かにシギは冷血だ。但し、どんな役立ずも臓器さえ売り飛ばせば貢献できると考えるのは、適材適所という意味では、シギらしい温情だろう。死ぬときも役に立たない人間を文字通り粉砕することについては、これ以上、何も言わないことにした。仕事で四肢を切断するのは平気でも、現場で挽肉(ミンチ)にされる人間を見たくはない。
「それで、どういう経緯の依頼だったんだ」
 高い酒を奢ってもらっているのに、すっかり飲む気をなくしたフユトに、シギが話題をすり替えるようにして尋ねた。
「……孕ませた愛人殺した男を殺してくれっつう、捨てられた愛人の知り合いからの依頼でさ」
 先の話でげんなりしながらも、フユトは気を取り直すように、個人名は出さずに経緯を掻い摘んで聞かせた。個人で請け負う依頼にシギが興味を持つなんて、珍しいことだと思いながら。
 あらましを聞いたシギは少し沈黙したあと、
「裏取りしたのか」
 と聞くから、
「こういう仕事で裏取りなんかするかよ、動機なんざ何でもいいんだ」
 ぶっきらぼうに答えて、フユトもようやくグラスを干す。
「俺が知る話とは違うな」
 カウンターに頬杖をつく、なんて彼にしては行儀の悪い姿勢で、シギが口を開いた。
 クラブNにAという、経歴は長いが鳴かず飛ばずのホステスがいる。禁じ手である枕営業をしてでも客を抱え込もうとする貪欲さがあるものの、ある男だけは本気で好きになってしまった。しかし、Aに目をつけられた男はAの客にも恋人にもならず、新人のホステスを気に入ってしまった。頻回に指名して同伴アフターをする様子が気に入らなかったところに、新人ホステスに恋人がいて、その子どもを身ごもったのも、Aにはおもしろくなかったらしい。繋がりのある俗悪な人間に小金を払い、新人ホステスを暴行させて、外傷性ショックで死なせたのだそうだ。
 固有の名前は出さなかったのに、クラブの名前も依頼者の名前も的確に当てるシギを見て、フユトは重い溜息をついた。
「……道理で綺麗すぎる話だと思ったんだよな」
 性を売り物にする世界では、同業者は総じてライバルだから、仇討ちするほどの友情なんて珍しい、とは思った。思ったものの、そこに含まれる真意が何であれ、金と理由さえあれば、殺人者としてのフユトには関係がない。本当の仇討ちだろうと、身勝手な逆恨みだろうと、他者を害しようとする感情は利己的で、とうてい美談になり得ないのだから。
 私欲に生きているのは自分だけじゃない。フユトは安堵するために、安価な仕事の安定剤を欲し続ける。
「大義名分のない殺しでもいいんだよ」
 開き直るフユトに、
「お前はそれでいいが、あの女が間接的に殺したのは二人か……」
 シギは意味深に呟いて、考え込むように口を噤んだ。
 その日はそれで解散した。
 そんなこともあったとフユトが思い返すようになる頃──およそ三週間後、Nという名前のクラブから、Aという名前のホステスが失踪するように消えたことを、フユトは風の噂で知った。カウンターで横並びに座っていた男が、あの日、何を考え込んでいたのか。消えた女がどんな末路を辿ったのか。想像するだに恐ろしい。
 蒸し返すことではないと思いつつ、シギと久しぶりに顔を合わせたフユトは、
「あれ、お前だろ」
 ホステス失踪の件を単刀直入に尋ねる。
 フユトの言う『あれ』が何を指すのか、僅かに逡巡したシギは例の件かと思い至ったようで、
「気になるか」
 不遜に口角を持ち上げた。
 通い慣れたインペリアルスイートに持ち主が戻ってきたのは、実に一ヶ月ぶりのことだ。執務机で残務処理をしながら、シャワーを済ませたフユトの雑談に付き合ってくれる。
 二人で同じ空間にいるのに、何の手出しもされない夜が、時たまある。翌日の疲労や痛みがないのは快適だが、試されているようで、どうにも落ち着かない。だから自然と口数が増えてしまうフユトを、シギは何と思っているのだろう。そんな風に考える瞬間が増えて、少しだけ、自分が嫌になる。
 ともあれ、実際のところが知りたいのは事実だ。
「少しは気にするだろ」
 意味深な呟きの意図がわからぬまま、その日は別れて、あとから失踪したらしいと聞けば、気にならないほうがおかしい。
 不貞腐れたようなフユトの口調に、シギは電子端末の画面を見つめながら、
「歯を抜いて、達磨にして売り払った」
 何でもないことのように答える。
 シギには闇医者の従兄がいるから、人体改造に困ることはない。シギも闇医者も、人の心というものに疎いようだから、きっと、四肢は関節から綺麗に落としたのだろうし、抜歯に至ってはゆっくりと麻酔なしで進めたに違いない。肉体的に自由を奪われ、文字通り、生活の全てに介助を要する絶望の中、犠牲者がそれでも生きていたいと自ずから望むよう、仕向けたはずだ。
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