文字数 2,091文字

 追い上げられる。待ち望んだ頂の気配に、吐息する。
「して欲しいことは言えよ、フユト」
 解放の予感に体を強ばらせるフユトを、幼い子どもにするようにあやしながら、
「今日は全部、叶えてやる」
 不遜な言い回しをするシギの声が甘く聞こえて、昇っているのに、墜ちる、と思った。
「もう、出したい、から」
「うん」
「全部、出すまで、扱いて……ッ」
 ちゅ、と、愛しげなリップ音が耳朶から聞こえると同時、竿に戻った手が、フユトの一番好きな強さを加えながら、追い立てる。擦れる布の刺激で痛みと紙一重の愉悦に、ここがエレベーターホールに接する玄関口なのも忘れて、声も殺さずに極まった。
「ッ、ぁ、はっ……」
 強請った通り、シギの手は吐精しても止まらない。幹の脈動が収まるまで、竿から敏感な先端を扱き続け、精嚢で作られた白濁を搾り取ろうとする。この、ピリピリとするような、くすぐったいような感覚に呻きながら、下肢をグジュグジュと揉み込まれる瞬間が癖になる。一人では手を緩めて立ち入れない領域を、シギは飴の要領で与えるから、やめられない。
 ひとまず、煮え立つ衝動と共に渦巻いていた欲情は、少し収まった。射精後の疲労と、副交感神経優位の状態で何も考えられないながらも、能動的に求めてしまった自己嫌悪と羞恥が燻る。
 銃把で殴って昏倒させたら、シギはこのことを、綺麗さっぱり忘れてくれるだろうか。
 などと、酸欠に似た状態の頭でぼんやり思っていると、
「浴びてこい」
 シギが自ら弱さを教えた耳朶をなぞって言うから、重い愉悦の余韻を引きずったまま、力なく頷いて返した。
 酷い有様になってしまった下着や、使う機会が限られる作業着は捨てるとして。
 茫洋としたままの意識で、フユトは考える。
 平時に戻ったら、シギとはどんな顔をして会えばいいのだろう。血に酔いやすいのは昔からとはいえ、今回は我ながら酷すぎた。酔っていたどころではない、完全な酩酊だ。スピリタスや薬物を摂取していたほうがマシだと言えるくらいの。
 あの男のことだから、フユトが気にするよりあっさりと、今夜のことを忘れてしまうに違いない。但し、被害者に馬乗りになって滅多刺しするような仕事は、回さなくなるだろう。狙撃だけしていろと言って、暗殺の仕事だけに絞るはずだ。それはそれで様々な手間が省けるが、フユトは権力者同士の策謀の張り合いが最も嫌いだから、手放しに喜べもしない。
 悶々としながらシャワーを出る。裸にバスタオルを巻いた状態で脱衣場を出ると、通路の先のリビングがまだ明るくて、そちらのほうへ足を向ける。
 黒檀の机の上の電子端末を立ち上げたまま、携帯端末を耳に当てるシギがフユトに気づき、寝室で待っていろと目線で促す。
 どうせ、すぐには終わらないんだろう。未明の連絡はほぼ、国外からのものだと知っている。電信で済むような内容じゃないのだから、トップの判断を必要とするトラブルだ。もしかしたら、現地へ呼び出されるかも知れない。
 ぼんやり立ち尽くしたまま、そんなことをつらつらと考えて、何となく、胸の奥がぎゅっとした。それがどんな名前の感情かなんて、細かいことはどうでもいい。とにかく、今は、シギは俺だけのものだと、奥歯を噛む。嫉妬や独占欲なんて生温い感情とは違うし、そうであるとも認めたくはないけれど。
 聞き慣れない言語で通話を中断させたシギが、立ち尽くすフユトを見据える。
「すぐに終わらせるから寝室(へや)で待ってろ」
 そこにいられたら集中できなくなる、と言外に告げられて、尚更、イラッとした。体内に燻る余熱が加熱する。
 仕事なんか全て放っぽってしまえ。自ら檻に閉じ込められた獲物だけを見つめて、散々に嬲ればいい。
 動かないフユトを見て、表の仕事用の無表情が、仕方ない、というふうに緩んだ。
「五分で終わらせる」
 こうして、ふとした瞬間、フユトにだけ向けられる表情があることを知ったのは、最近だ。獲物を飼い慣らすための計算でも、特別な関係を演出する腹積もりでも、単なる勘違いでも何でもいい。溺れてしまえるなら、何だって良かった。
 キングサイズのベッドの中央に横臥し、サイドボード側に背を向けたまま、シギの気配が訪れるのを待った。
 五分で済む話なら連絡もして来ないだろう、と内心で毒づいているのを察したように、シギはきっかり五分後、携帯端末を片手に寝室へと姿を見せた。どうやら通話ではなく、電信に切り替えたようだ。
 情事の片手間に仕事かよ、と鼻白むフユトの視線を受け、シギは手早く返信を終えると、端末の画面を伏せてサイドボードの天板に置く。
 いい歳をした男が気にすることでもないと思いつつ、シギの注意を逸らす仕事にさえ苛立ってしまうのだから、その女々しさには怖気がする。けれど、それも今だけだ。夜が明けたら、フユトは普段を取り戻す。素直に甘えることも、些事に苛立つこともなくなる。
 だから今だけは、特別でいたい。
 待たせて悪かったと言う代わりに、背中に寄り添う体温に顔を覗き込まれる。ささくれ立った感情も表情もそのままに視線をやれば、薄い唇が近づくから、口付けられるに任せた。
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