第20話

文字数 2,700文字

 見渡す限りの砂の大地を、二頭の馬は並んで駆けていた。
 来た時と同じようにアイルはダグを後ろに乗せていたが、馬の足取りはずっと軽やかに感じられる。
「わたしは、これから都に行く」
 ロドラーンが言った。
「王に会って、砂竜がこの世界から消え去ったことを知らせてやる」
 ダグに目を向け、
「おまえも来い、ダグ。砂竜を倒した、まぎれもない世界の守り手、王の射手だ。一生困らない富と名誉を得るだろう」
「冗談じゃない!」
 驚いたようにダグは叫んだ。
「そんなことをしたら、二度と弓が引けなくなるよ」
「なぜ?」
「あんたがたの知っての通り、わたしは伝説にも名誉にもほど遠い臆病者さ。あの場から逃げようとしたんだぞ」
 ダグは、自分自身に怒っていた。
「高潔で腕のたつ弓引きは大勢いる。このわたしが、どんな顔して王の射手になれると言うんだ」 
「いかなる名人でも、あの状況では外したかもしれない」
 ロドラーンは真顔で言った。
「ロドルーンの矢尻はおまえを選らび、おまえはそれに答えた。十分な栄誉だ」
「いや」
 ダグは頑固に首を振った。
「こんな中途半端な腕のまま、都に行ってたまもんか。わたしには、まだまだ修練が必要だ」
「ふん、まあいいさ」
 ロドラーンは、肩をすくめた。
「好きにしろ」
 ダグが彼の言うような臆病者でないことは、アイルがよく知っている。もしそうだったなら、アイルもロドラーンもとっくに砂になっていたはずだ。
 ダグはアイルたちを見つけ、救ってくれた。
 その前に何を考えていたにせよ、ためらうことなく弓を引き、龍の星に命中させたのだ。
 だが、ダグの気持ちもわかるような気がした。
 彼は、まだ終わりにしたくないのだ。
 父親の死以来、ずっとやめていた弓を、もう一度始めなおしたばかりではないか。いま王の射手にされてしまったら、弓引きとしての最終目標を失ってしまう。
 太陽は、だいぶ西に傾いていた。砂丘地帯を抜けた頃、はるか前方にアイルのよく知っている岩影がぽつりと現れた。
 星降岩だ。岩の三角形が大きくなるにつれ、オラフル山脈の美しい山並もはっきりと見えてきた。
「馬は、二頭ともおまえにやるよ」
 ロドラーンがアイルに言った。
「こっちの馬も、用がすんだらおまえの所に戻すようにする。かわいがってくれ」
 アイルは、きょとんとして尋ねた。
「でも、あなたは?」
「だいぶ力を使ったからな。しばらく眠らなければならない。こいつらの面倒をみてやれないんだよ」
「じゃあ、あなたが起きれるようになったら返しに行くよ。いつごろ?」
 ロドラーンは軽い笑い声をたてた。
「次に目覚めるのは、たぶんおまえたちの孫の代になっているだろうよ。かまわない。もらってくれ」
 あっけにとられているアイルにはかまわず、ロドラーンは言った。
「わたしはこのまま、魔法の地下路を使ってアスファに行く。途中まで、乗せて行ってやろうか、ダグ」
「いや。せっかくここまで来たんだ。故郷に寄って墓参りでもしていくよ」
「そうか。それもいいだろう」
 アイルは、今さらながらにはっとした。
 砂竜は消え、ロドラーンは目的を果たした。
 アイルも記憶を取り戻し、砂漠に帰ってきた。
 もうダグがアイルといっしょにいる理由はないのだ。
 ロドラーンが別れを告げようとしているのと同様に、自分もダグと別れなければならないのか。
「会ってから、まる一日とたっていないのに」
 ダグがため息まじりに言った。
「あんたとは、ずいぶん長いつきあいだったような気がするよ、ロドラーン」
「ふふん」
 ロドラーンは鼻をならした。
「わたしもだ」
 三人は、星降岩の側までやってきた。
 ロドラーンが目を凝らし、山並みの下を指さした。
「あれは、おまえの仲間じゃないか」
 たしかに、こちらに向かってくる隊列が見えた。アイルの部族に違いない。
 砂嵐が止んだので、族長は砂竜が首尾よく消え去ったことを悟ったのだろう。住み慣れたオアシスに、意気揚々と戻ろうとしている。
「族長には、おまえがよく説明してやってくれ」
 ロドラーンは言った。
「じゃあな、わたしは行く」
「ロドラーン」
 アイルは呼びかけたが、何を言っていいのかわからなかった。
 ロドラーンは二人を見て満足げにふふんと笑い、すぐに馬を走らせた。
 馬は目に見えない地下路にすべり込んだ。
 ロドラーンの外套と髪がひるがえり、たちまち消えてしまった。
「まったく」
 ダグがつぶやいた。
「嵐のような魔法使いだったな」
「うん」
「わたしもここで降りるよ、アイル。いろいろありがとう」
「ダグさん」
 アイルは驚いて振り返った。
「どうして。あなたの故郷の近くまで、送って行くよ」
「いや、大丈夫だ。ゆっくり歩いていくことにするよ」
 ダグは馬から滑り降りた。
「きみは早く家族のところに行って、安心させた方がいい」
「こんなにあわただしく別れるなんて」
 アイルは訴えた。
「母さんや姉さんたちに、ちゃんと紹介もしていない。ぼくの恩人なのに」
「きみがわたしの恩人さ。きみの姿を見なければ・・きみが矢を持って砂竜に立ち向かう姿を見なければ、わたしはあのまま逃げ出していた。きみのおかげで本当の卑怯者にならずにすんだ」
「そんなこと。ダグさんは、この世界を救ったんだよ」
 今のダグにとって、賞賛は後ろめたいだけなのだ。自分が成し遂げたことを、一番信じられない思いでいる。
 しかし、アイルは言わずにはいられなかった。
「もっと胸を張るべきだよ。みんなと会ってよ」
 ダグは首を振った。
「今はやめておこう。もう少し、自分に自信が持てるようになるまで」
「ダグさん」
「わたしはこれまで、いろいろなものから逃げてきた。でも、逃げるのはこれで最後にしようと思う。だから、許してくれるね」
「行ってしまうの。どうしても?」
「また会えるさ」
 ダグは微笑んだ。
「そうだな、こんどの射手祭は無理だが、その次に。きみに恥ずかしくない弓引きになって、都に行くよ」
 アイルは馬から降り、ダグの手をとった。
「約束だよね。ぼくも都で待っているから」
「ああ」
 ダグはアイルの手を握り返した。そしてそっと手をほどいた。
 西の砂漠は、夕日を受けて金色に染まっている。
 ダグは背を向け、まだ明るいオラフル山脈を目指して歩き始めた。
 アイルは弓を持った彼のひょろりとした姿が小さくなり、遠い岩影に隠れてしまうまでいつまでも見送っていた。

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