第5話

文字数 3,457文字

 ブルクの宿屋はどこも一杯だった。
 街の中での野宿は禁止されている。このまま街の外に出てしまおうかとあきらめかけた時、一部屋だけ空いている宿を見つけた。
 路地裏の古びた宿屋だった。食堂はなく、素泊まりだけ。しかも、通されたのは屋根裏を改造した狭い部屋だ。ベット二つがきちきちに置かれている。
 昔はひとつづきだったに違いない隣の部屋とは、薄い板壁で仕切られており、板と板の隙間からは隣をのぞくこともできそうだった。
「野宿よりは、ましってわけかな」
 ダグが苦笑いして天井を眺めた。
「もっとも、雨だったら盛大に雨もりしそうだが」
 夕食をとるために、二人は近くの食堂に行くことにした。
 ダグは、弓を部屋に置いていた。
「今日は弓を弾かないの? ダグさん」
 アイルは、思わずたずねた。
「やめとくよ。弓引きが多すぎる」
 ダグは、アイルがはっとするほどの真顔で言った。
「弓というのは、神聖なものなんだ。それを弾いて恋歌なんて歌っているわたしは、邪道中の邪道というところかな。本当の弓引きが見たらいい気持ちはしないと思うよ」
 ダグが、他の弓引きと同じくらいか、それ以上に弓を愛していることはアイルにもわかった。
 しかし、弓を弾くということは、そんなに後ろめたいことなのだろうか。
 あんなにもみごとに、弾きこなせるというのに。
 もっと誇りを持ってもいいはずなのに。
 入った食堂は、テーブルが十以上もある広い店だったが、だいぶ混雑していた。
 煙草の煙や食べ物の湯気がたちこめて、奥まで見渡せないほど。
 いそがしく飛びまわっていた給仕の少年がようやく二人の所にやって来て、相席でもいいかとたずねた。
「向こうがいいなら、かまわないよ」
 入り口近くの丸テーブルに、小柄な人が座ってビールを飲んでいた。
 近づくと、それがまだ若い女性であることがわかった。
 ズボンに、ぴったりとしたシャツ、革チョッキという男装。黒い髪を無造作に一つに束ねている。そばかすの目立つ顔は健康的で、化粧気がなくとも十分に美しかった。
「かまわないわよ」
 彼女は言った。
「どうせ相席になるなら、むさい男よりもかわいい坊やの方がいいもの」
「わたしもいるんだが、よろしく」
 彼女はダグに笑いかけた。アイルとダグを見比べ、
「親子? にしては似ていないわね」
「ちがうさ。それに、わたしはまだ若い」
 ダグは冗談めかして言った。
「この子の名はアイル、わたしはダグ。旅の道づれだ」
「わたしはリー。北方のセガスの生まれ」
「あなたも、明日の大会にでるんだね」
「わかる?」
「うん。その左手」
「ああ」
 リーは、くすりと笑って自分の左手を広げた。
「大きな弓ダコでしょ。ほんとの名人はタコなんてつくらないってお師匠さまが言ってた」
「女の人でも弓を引くの?」
 アイルは、きょとんとしてたずねた。
「あたりまえじゃない」
 背筋を伸ばしてリーは言った。
「女でも男でも、子供でも年寄りでも弓は引けるの。自分に合った弓さえあればね」
 給仕がリーの前に食事を運んできた。深皿にたっぷり入った鶏肉シチューと焼きたてのパンだ。
 ダグとアイルが同じものを注文していると、どかどかと新しい客が入ってきた。
「なんだ、また会ったな。セガスのおじょうさん」
 リーに気づくなり、彼は言った。
 アイルにも見覚えのある顔だった。市の弓具屋の前にいた、黒ひげの大男だ。
「ちょうどいい。おれに付き合わないか。明日の前祝いでさ」
「おあいにくさま」
 リーは、ぴしゃりと言った。
「わたしは、この人たちといっしょに楽しく食事中なの」
「まだ負けたことを根に持っているのか? あんただって準優勝だ。女にしてはよくやったよ」
「根に持つですって・・」
 リーはつぶやき、きっと男をにらんだ。その目の鋭さに、男もたじろいだようだった。
「あなたに、わたしのことをとやかく言って欲しくないわね。この店はいっぱいよ。さっさと出ていったら」
 給仕も、ぺこぺこと頭を下げて、
「ごらんの通りです。もう少し待っていただければ・・」
「はん」
 大男は鼻を鳴らした。
「もっといい店を探すとしよう。それから、もっとかわいい姉ちゃんもな」
 男はからからと笑い、それから肩をいからせて出ていった。
「いやなやつ」
 はきだすようにリーは言った。
「ビールがまずくなったわ」
「彼は?」
「ナズルのカズ。明日の大会の前祝いですってさ。すっかり優勝するつもりよ」
「わたしたちも、市で会った」
 ダグは、首をかしげた。
「すごい自信家のようだが、いい弓を引くようには見えないな」
「でしょ。腕はぜい肉。射形だってひどいものよ。前のハズサの大会でもいっしょだったの」
「へえ」
 ダグは、まぶしげにリーを見やった。
「で、あなたが準優勝で・・」
「そう」
 リーは、ぐいと一口ビールを飲んだ。
「信じられる? あの男、優勝したのよ。他の弓引きの話では、あと二三カ所でも優勝しているみたい。あんな男がよ」
 リーの怒りは、ますます大きくなってきた。
「弓の神さまは、どうかしている」
「でも、公式戦なら射形も減点対象だろ」
 なだめるようにダグが言った。
「形が悪ければ優勝できないさ」
「まあね」
 リーは、肩をそびやかした。
「あいつ、公式戦には出るつもりないみたい。早い話が賞金かせぎよ」
「なるほど」
「そりゃあ、わたしだって地方の大会を渡り歩いている。王の射手祭まで場数を踏みたいし、旅をしていくには賞金も欲しいわ。だけど、あの男は金のためにだけ弓を引いているの。弓よりも、お金が好きなのよ」
 リーは、最後のビールを飲み干した。
「あんなやつ、許せない。明日こそ鼻をあかしてやる」
「がんばってくれ」
「人ごとみたいに、何よ。あなたも弓引でしょう」
「いや」
 ダグは、笑って首を振った。
「ちがうよ」
 リーは意外そうな顔をした。
「あら、ごめんなさい。弓にくわしかったから、わたし、てっきり・・」
「父親が、弓引きだったからね」
「じゃあ、習ったりはしたのね」
「うん」
 ダグは小さくうなずいた。
「でも、子供に教えることよりも、自分の練習を大事にする人だった。いつもほったらかしにされてたな。そのうち父が死に、わたしもいやになって止めてしまった」
「そう、残念ね」
 リーは、首をかしげてダグの顔をのぞき込んだ。
「だけど、また引きたいと思ったことはないの?」
 ダグは、ちょっと眉を上げた。
「ああ、ない」
 じきにアイルたちの食事もやってきた。肉も野菜も見た目通りに柔らかく、まずまずの味だった。
 ダグが弓引きたちに感じている後ろめたさは、彼の父親に対するものでもあったのか。
 シチューをかきまぜながら、アイルはひとり考えた。
 ダグの父親がどんな人だったのか、もちろんアイルは知らない。だがきっと、弓を愛し、弓引きであることに誇りを持った人。弦を弾いて歌を歌うなんて、許せるはずのない人だったのだろう。
 それだからダグは、まだ弓弾きであることに胸をはれないのだ。
 弓引きのことを語る時、ふと悲しい目になってしまうのだ。
 先に食べ終わったリーは、二人に別れを告げて立ち上がった。
「気が向いたら、応援に来てちょうだい。大会は明日の正午からよ」
 二人は笑顔で答えたが、ダグはたぶん行くつもりはないだろうとアイルは思った。
 それでいい。弓引きたちが大勢集うこのブルクに長居して、ザダにつらい思いをさせたくはなかった。
 
 ランプを消しても、部屋の中は薄明るかった。
 隣の客は夜更かしらしい。アイルたちがベットに入ってからも、壁板の隙間から細い明かりがもれているのだ。
 二人組の男だった。ずいぶん長い間、話し声がしていた。
 板壁の方に足を向けているので、枕に頭を付けている限り、はっきりとした声は聞こえない。しかし、何を言っているのかわからないひそひそ声の方が気になるものだ。
 アイルは寝つかれず、何度も寝返りを打った。
 そのうちに、まっすぐ射さしこんでいるはずの板間の明かりが、奇妙にぼやけてきたことに気がついた。黄色っぽい、煙のようなものが立ちこめてくる。
 ダグに声をかけようとしたが、声が出なかった。体が重く、それ以上にまぶたが重くなった。
 目を閉じたとたん、
 アイルは、たちまち深い眠りに落ちていた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み