第1話
文字数 1,942文字
鳥たちが、頭上でかしましく鳴きかわしていた。
アイルは、うっすらと目を開いた。
背中が痛い。
痛いはずだ。アイルが横たわっていたのは小石や木の根っこがごろごろしている地面の上だった。
身体を起こし、きょとんとまわりを見まわした。
あたりいちめん、背の高い木々が生いしげっていた。
重なりあう木の葉の間から、日の光が、いく筋にもなってふりそそいでいる。
あざやかな緑の濃淡が目にしみた。空気までもが青くさく、しめっているようだった。
森。
という言葉がアイルの頭に浮かんだ。こんなにも木があるんだもの。
だけど、どこの森?
自分は、なぜこんなところにいるのだろう。
アイルは、ふらりと立ち上がった。
ひだの多い服の間から、ぱらぱらと何かがこぼれ落ちた。白くて目の細かい砂の粒だ。明らかに、この森のものではなかった。
砂をよく見ようとして、アイルは握りしめたままの右手に気がついた。手を開くと、親指の先ぐらいの黒いものがあった。
とがった二等辺三角形の、金属か石のかけら?
三角の底に出っぱりのようなものがついていて、取れた矢尻のようにも見える。
手のひらに血がにじんでいた。自分は、これをずっとにぎりしめていたのだ。
アイルは、それを腰帯の間に押しこんだ。
まだぼんやりとした頭をかかえたまま、しかたなく歩き出した。
おだやかな風が、木の葉をざわめかせ、明るい木もれ日をちらちらさせた。
少し行くと木々がひらけて、小さな湖が現れた。
アイルはたまらない喉のかわきをおぼえて、澄んだ水辺にかけよった。両手で一心にすくい飲み、深々と息をついた。
静まった水面が、アイルの姿を映し出していた。褐色の肌、黒い瞳。白いターバンの中から金色の髪をたらした十二三の少年。
アイルは、まじまじと自分の顔を見つめた。
「アイル」
自分の名前をつぶやいた。
水面は、鏡のように動かない。
そして、アイルの記憶もまた、自分の名を映しているだけで、さざ波立ちもしなかった。
自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか。
そもそもこんな森の中でひとり、倒れていたのはなぜなのか。
アイルは、ぎょっとした。
頭をかかえ、必死で目ざめる前のことを考えた。
あせりが、息苦しいほどの恐怖に変わった。
思い出せなかった。
自分の名前のほかは、なにもかも。
突然、過去から引きはがされて、ひとりあの森に倒れていたのだ。
アイルは立ち上がり、やみくもにかけ出した。木々の枝葉を散らし、わけのわからない叫び声を上げながら。
声がかれ、足がもつれて走れなくなっても、思い出せる事は何もなかった。
アイルはただ、森の中をさまよい歩いた。
顔や手は、雑木の枝で引っかき傷だらけになっていた。ターバンも、どこかに落として来たらしい。もっとも、森の中で、それは邪魔になるばかりだったけれど。
いつのまにか、あたりは夕闇につつまれていた。
このまま夜になってしまったら。
アイルは、心細さで胸がしめつけられそうだった。夜のけものや魔物のたぐいが、闇とともに押しよせて来るような気がした。
夜を追いはらうように、アイルは歩き続けた。しかし、疲れと空腹は歩みをのろくし、とうとうその場にうずくまった。
ちょっとの間、眠ってしまったらしい。目を開けると、闇の中にぼっと光るものがあった。
アイルは目をこすった。間違いない。木々の向こうで、火が燃えている。
炎は小さかったが、力強かった。
誰かが火をたいているのだ。
力をふりしぼって、アイルは炎に歩み寄った。
焚き火の主 は、一人だった。
太い木の根を椅子代わりにして座り、のんびり煙管 をくわえていた。
頭巾つきの外套 をまとった、長身の男。
彼は驚いたように眉を上げ、
「幽霊?」
まじまじとアイルを見つめた。
「じゃないようだな」
煙草の煙とともに、彼はつぶやいた。
アイルは、夢中で首を振った。
「ちがう」
アイルは、たき火の前にがくりと座り込んだ。
「お願い、助けてください」
男は煙管を口から離し、ちょっと考るようにして長い前髪をかき上げた。
癖のあるその髪の毛は、たき火の炎に照り映えて、みごとなほど赤かった。
二十代の後半ぐらい。やせて、いかつい顔をしていたが、大きめの鼻と口はどことなく愛嬌があった。灰色の目も穏やかで優しげだ。
もう一度アイルを眺めまわした後、彼は火の側の小鍋を指さして言った。
「夕食の残りの野菜スープがあるがね。食べるかい」
アイルは、うっすらと目を開いた。
背中が痛い。
痛いはずだ。アイルが横たわっていたのは小石や木の根っこがごろごろしている地面の上だった。
身体を起こし、きょとんとまわりを見まわした。
あたりいちめん、背の高い木々が生いしげっていた。
重なりあう木の葉の間から、日の光が、いく筋にもなってふりそそいでいる。
あざやかな緑の濃淡が目にしみた。空気までもが青くさく、しめっているようだった。
森。
という言葉がアイルの頭に浮かんだ。こんなにも木があるんだもの。
だけど、どこの森?
自分は、なぜこんなところにいるのだろう。
アイルは、ふらりと立ち上がった。
ひだの多い服の間から、ぱらぱらと何かがこぼれ落ちた。白くて目の細かい砂の粒だ。明らかに、この森のものではなかった。
砂をよく見ようとして、アイルは握りしめたままの右手に気がついた。手を開くと、親指の先ぐらいの黒いものがあった。
とがった二等辺三角形の、金属か石のかけら?
三角の底に出っぱりのようなものがついていて、取れた矢尻のようにも見える。
手のひらに血がにじんでいた。自分は、これをずっとにぎりしめていたのだ。
アイルは、それを腰帯の間に押しこんだ。
まだぼんやりとした頭をかかえたまま、しかたなく歩き出した。
おだやかな風が、木の葉をざわめかせ、明るい木もれ日をちらちらさせた。
少し行くと木々がひらけて、小さな湖が現れた。
アイルはたまらない喉のかわきをおぼえて、澄んだ水辺にかけよった。両手で一心にすくい飲み、深々と息をついた。
静まった水面が、アイルの姿を映し出していた。褐色の肌、黒い瞳。白いターバンの中から金色の髪をたらした十二三の少年。
アイルは、まじまじと自分の顔を見つめた。
「アイル」
自分の名前をつぶやいた。
水面は、鏡のように動かない。
そして、アイルの記憶もまた、自分の名を映しているだけで、さざ波立ちもしなかった。
自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか。
そもそもこんな森の中でひとり、倒れていたのはなぜなのか。
アイルは、ぎょっとした。
頭をかかえ、必死で目ざめる前のことを考えた。
あせりが、息苦しいほどの恐怖に変わった。
思い出せなかった。
自分の名前のほかは、なにもかも。
突然、過去から引きはがされて、ひとりあの森に倒れていたのだ。
アイルは立ち上がり、やみくもにかけ出した。木々の枝葉を散らし、わけのわからない叫び声を上げながら。
声がかれ、足がもつれて走れなくなっても、思い出せる事は何もなかった。
アイルはただ、森の中をさまよい歩いた。
顔や手は、雑木の枝で引っかき傷だらけになっていた。ターバンも、どこかに落として来たらしい。もっとも、森の中で、それは邪魔になるばかりだったけれど。
いつのまにか、あたりは夕闇につつまれていた。
このまま夜になってしまったら。
アイルは、心細さで胸がしめつけられそうだった。夜のけものや魔物のたぐいが、闇とともに押しよせて来るような気がした。
夜を追いはらうように、アイルは歩き続けた。しかし、疲れと空腹は歩みをのろくし、とうとうその場にうずくまった。
ちょっとの間、眠ってしまったらしい。目を開けると、闇の中にぼっと光るものがあった。
アイルは目をこすった。間違いない。木々の向こうで、火が燃えている。
炎は小さかったが、力強かった。
誰かが火をたいているのだ。
力をふりしぼって、アイルは炎に歩み寄った。
焚き火の
太い木の根を椅子代わりにして座り、のんびり
頭巾つきの
彼は驚いたように眉を上げ、
「幽霊?」
まじまじとアイルを見つめた。
「じゃないようだな」
煙草の煙とともに、彼はつぶやいた。
アイルは、夢中で首を振った。
「ちがう」
アイルは、たき火の前にがくりと座り込んだ。
「お願い、助けてください」
男は煙管を口から離し、ちょっと考るようにして長い前髪をかき上げた。
癖のあるその髪の毛は、たき火の炎に照り映えて、みごとなほど赤かった。
二十代の後半ぐらい。やせて、いかつい顔をしていたが、大きめの鼻と口はどことなく愛嬌があった。灰色の目も穏やかで優しげだ。
もう一度アイルを眺めまわした後、彼は火の側の小鍋を指さして言った。
「夕食の残りの野菜スープがあるがね。食べるかい」