第3話

文字数 3,232文字

 森をぬけた道は、なだらかな丘陵ぞいに続いていた。
 丘の下には耕作地が広がり、村の家々がちらばっている。
 自分の歩調に合わせてくれるダグのかたわらで、アイルはどこまで行っても変わりばえのしないのどかな光景を見まわした。
 出会うものといったら、鍬をかついだ近くのお百姓や荷車ばかりの田舎道。
 記憶に残っている場所は、どこもなかった。はたして自分が、この道を通ったのかどうかも疑わしい。
 しかし、ダグが側にいてくれるだけで心強かった。
 彼に出会えなかったら、と思うとぞっとする。自分は、とほうにくれたまま、まだ森の中をさまよっていたかもしれない。
 同じような村をいくつか後にして、その日の夕方近く、二人はいくぶん大きな村にたどり着いた。
 道路ぞいに一軒、看板をかけた店もある。アイルに看板の字は読めなかったが、描いてある絵はジョッキとベット。どうやら宿屋をかねた居酒屋のようだ。
「よかったな」
 ダグがアイルに笑いかけた。
「今夜は野宿しないですみそうだ」
 カウンターとテーブルが二つだけの狭い店だった。客はまだおらず、太った主人が厨房で一人、せっせと仕込みをしている。
 泊まれるかどうかダグがたずねると、主人は愛想よくうなずいた。
「かまいませんぜ。今日はまだ泊まり客がいないんでね。二階のお好きな部屋を」
 ダグを上から下まで眺めまわし、
「お客さんもブルクへ行きなさるのかい?」
「ブルク?」
「三日後に弓術大会があるよ。そろそろ弓引きたちが集まってるころだが、お客さんは違うのかい」
「違うよ」
 ダグは笑って首を振った。
あの時と同じだ。
 ふとアイルは思った。アイルがダグに矢を持たないのかときいた時と。
 ちょっと眉をひそめた、苦っぽい笑い。
「わたしは弓弾きだ。こんばん、店を借りてもいいかな?」
 日がすっかり暮れたころから、店には常連らしい客がちらほら集まりだした。
 ダグは布をほどいて弓を出し、(つる)を張った。古びてはいたが、よく手入れされた褐色の弓だった。
 アイルは部屋にのぼる階段に座って、ダグを眺めた。
 ダグは店の隅の椅子に腰を下ろし、弓を両膝で抱えるようにして弦を弾いた。意外に澄んだ、深みのある音が響いた。
 弦の音にあわせて、ザダは低い声で歌い出した。
 昔の恋歌のようだった。アイルには聞きおぼえなかったが、広く知られている歌らしく、何人かの客がいっしょに口づさんだ。
 客たちにせがまれるまま、ダグはそれから何曲か歌った。客の歌に伴奏をつけもした。
 陽気な曲、静かな曲。一本の弦なのに、弓はダグの指先かげんで様々な音を出した。
 ダグは、弓引きならぬ弓弾きだったのだ。
 アイルは納得した。弓は武器だけではなく、すばらしい楽器にもなる。
 矢を射るダグよりも、弦の音を自在に操って歌うダグの方が、確かにずっと似合うと思った。
 
 翌日、宿屋の主人は上機嫌で部屋代を安くしてくれた。
「商売させてもらったうえに、悪いな、おやじさん」
「いいってことよ。あんたの歌のおかげで、昨日は客の入りがよかった。酒もはかどったことだしな」
「じゃあ、ご好意に甘えるとして」
 ダグは、人なつっこい笑みを浮かべた。
「それから、たずねたいんだがおやじさん。このあたりに、まじない師は住んでいないかな」
「まじない師?」
 主人はきょとんとして、聞きかえした。
「何かこまりごとかい」
「うん。ちょっと教えてもらいたいことがあるんだ」
「まじない師ねえ。このへんにゃあ住んでいないが・・」
 主人は、ふうんと鼻先にしわを寄せ、それからひとつうなずいた。
「そりゃあやっぱり、ブルクに行ってみた方がいいな。弓術大会があると言ったろ。今年は町長の娘の結婚祝いもかねて、いつもより盛大なんだ。大きな(いち)が立つし、人も集まる。旅のまじない師なんぞも来て、商売するかもしれないよ」
「なるほど」
 アイルの足でも、今日中にはブルクに着けるだろうと主人は教えてくれた。親切な主人に何度も礼を言い、ダグとアイルは宿屋を後にした。
村を出てほどなく、道は大きな街道と合流した。行きかう者たちの数も多くなった。
 このあたりの者ばかりではなくて、徒歩の旅人、騎馬の旅人、大きな荷車をかこんだ芸人の一座らしき面々もいる。
 弓矢を持った人たちの姿もよく目についた。
「みんなブルクに向かっているのかな」
 アイルは、ダグを見上げて言った。
「今年の大会は盛大だっておじさんが言っていたけど、本当にずいぶん弓を持った人たちが向かっているね」
「うん」
 ダグは軽く息をはきだし、空をあおいだ。
「来年は、王の射手(しゃしゅ)祭もあるからな。早い領地では、そろそろ代表選びの公式戦を始めるころだ。弓術大会と聞けば、みんな腕だめしに集まってくる」
「射手祭って?」
「四年に一度、王国一の弓引きを決めるんだ。伝説の弓引き、ザンを記念してね。優勝者はザンにたとえられ、王の射手とも、世界の守り手とも言われる。弓引きにとっては、最高の称号さ。これは、砂漠にも伝わっている有名な話なんだが」
 ダグは立ち止まり、様子をうかがうようにアイルを見下ろした。
 アイルは、だまって首を振った。伝説の弓引きの話なんて、もちろんおぼえていなかった。
 ダグはちょっとうなずき、再び歩き出した。
「千年ぐらい昔のことだそうだ」
 アイルの記憶を呼びさまそうとでもするかのように、ダグはゆっくりと語り出した。
「この大陸インファーレンに、砂漠は存在しなかった。どこもかしこも、緑あふれる豊かな大地だった。砂の竜がやってくるまでは」
「砂の竜?」
「ああ。そいつがどこから現れたか、誰もわからない。時空を越えて出現したと言う者もいれば、遠い宇宙(そら)から降りてきたのだと言う者もいる。とにかく、そいつはインファーレンにやって来た。その巨大な翼は、木々や建物を吹き飛ばした。そいつに息をかけられたものは、生きものであれ何であれ、みな、砂と化した。人々は戦ったが、そいつの体は砂と同じだった。剣や矢が突き刺っても、すぐに押し戻されて傷つけることはできなかった。インファーレンの三分の一は砂漠へと変わり、王都までもが砂に沈んだ。
 王は、魔法使いたちに助けを求めた。当時は、今よりも大勢の魔法使いが生きていたんだが、彼らの多くが砂竜との戦いで命を落としたわけさ。しかし、もっとも力ある魔法使いロドルーンが、ついに砂竜の弱点を見つけだした。両目の間のわずかなくぼみ。それが砂竜の急所なんだ。ロドルーンは、魔力をこめた矢尻を作り、友人の弓引きザンに渡した。砂竜は不死。だから、砂竜の魂を魔法の矢尻で封じ込めるしかなかったんだ。ザンの射た矢はみごとに砂竜の急所を貫いた。竜は倒れ、今も砂漠に眠っている」
 ダグは口をつぐみ、アイルと顔を見合わせた。
 アイルは、思わず腰帯に手をやった。
「矢はどうなったの?」
 アイルは、ささやいた。
「まだ竜の額に刺さっているはずだよ。さもなければ、竜は再びよみがえる」
「・・」
 古代文字が彫られた矢尻。
 砂漠の砂。
 考え合わせると、ひどく嫌な感じがした。しかし、まさかそんなことがあるわけがない。
「まさか」
 ダグは、アイルの不安を笑い飛ばすような声を上げた。
「その矢尻は別物だよ。そうだな、早く気がつけばよかった。ロドルーンの他にも弓矢を使った魔法使いはいただろう。彼らのものが砂に埋もれて残っていても不思議はない。それを拾った砂漠の民がいても。きみが持っていても、あたりまえのものだったんだ」
 アイルは、こくりとうなずいた。ダグの言うとおりに違いない。
「ただ、きみのなくした記憶と、どんな関わりがあるかが問題だな。きみを見てくれるまじない師を、早いとこみつけるとしよう」


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