第10話

文字数 2,186文字

 アイルは、目を見ひらいてダグの話を聞いた。
 ダグは、偉大なる弓引きザンの子孫だったわけなのか。
「偉大なご先祖を持つと、後々の者が苦労する」
 ダグは、言った。
「わたしの父親は、ザンに恥じない弓引きにならなければいけないと、とにかく稽古に明け暮れていたよ。
 王の射手祭は四年に一度。わたしの父は生涯で二回出場した。一度目は、予選で落ちた。試合の途中で、妻が、つまりわたしの母親が病死したと知らせを受けてね、そのせいかどうかは分からないが。
 二回目は、決勝まで進んだ。そりゃあそうさ、母の死以来、父の頭の中には次の射手祭のことしかなかった。毎日毎日、弓を引くために生きているようなものだった」
 ダグは、膝の上で両手を組み合わせ、小さくため息をついた。
「射手祭に集まるのは、それぞれの領地の公式戦で勝ち残った者や、領主の推薦状を持った者、都の大会の入賞者。全部で百人近くかな。予選は、竜の星的ひとつで進められる。選手たちは、的に向かって順番に弓を引く。的中した者は次の回に残れるし、矢が外れた者は、もちろんそれでおしまいさ。
 国中から集まった名手たちだ。技に大差はない。だが、あの射手祭特有の張りつめた空気。何千人もの観衆が、自分だけを見つめている。弓引きの緊張と重圧といったら、言葉では言いあらわせないだろうな。集中力・・精神力が強い者だけが勝ち残る。
 一人、また一人と的を外していった。二巡目には半分、三巡目には二十人足らずの弓引きしか残らなかった。観衆は、もう声一つ上げなかった。空気がちょっとでも動けば矢筋が乱れるとばかりに、みな身を固くして、息を詰めて見守っていた。それぞれの矢の行く先を見定めるたび、大きな拍手か、さざ波のようなため息が広がった。
 わたしの父を含めて、七巡目まで残った三人が決勝を迎えた。三人でいっせいに弓を引いて、的の中心に一番近い矢の持ち主が王の射手になるはずだった。
 だが父は真っ青な顔で、精魂尽き果てていた。
 もう限界だった。最後の矢を射ることなく射場に倒れ、その夜のうちに死んでしまったよ。すごい量の血を吐いてね。だいぶ前から体を悪くしていたらしい。無理しすぎたんだ、心も身体も」
 ダグは、辛そうに顔をゆがめた。
「父は、弓にとりつかれていた。そして、命をすり減らした。わたしは、父のようにはなりたくなかった。だから、弓をやめたんだ。さすがに、形見の弓は手放せなかったけれど」
「それで、弓を弾くことにしたの?」
「そうだよ。面白おかしく歌いかなでて、笑い飛ばしたかった。そんなに、一途に弓を引いたところでどうなるってね」
 笑い飛ばすだなんて。
 アイルは、どんなにダグが他の弓引きたちをうらやんでいたか知っている。彼だって、ずっと弓を引きたかったのだ。それだから、水を得た魚のように弓術大会にのぞんだ。何を後悔することがあるだろう。
「リーさんが言っていたよ。弓引きは一度やったらやめられないって」
「確かにな」
 ダグは、つぶやいた。
「わたしは父のように名人でもないし、簡単にあきらめはつくと思っていた。だが、こればっかりは腕の良し悪しに関わらないらしい。引けば引くほど、どうしようもない深みにはまってしまうんだ。私は、それが怖い」
「ダグさん」
「父のような名手ならいい。弓を引き続けて死んだ、それはそれなりの美しい物語だよ。しかし、わたしのような腕前では、引けば引くほどみじめになるだけなんだ。竜の星には決してとどかない。悪あがきをして何になる」
「悪あがきなんかじゃないよ。みじめでもない」
 アイルは、きっぱりと言った。
「弓を引いている時のダグさんは、とてもきれいだったよ。そうやってくよくよしているダグさんより、ずっと」
 ダグは、驚いたように顔を上げた。
「ダグさんは、弓が好きなんでしょ」
「・・」
「好きなことに一生懸命になるのは、名人だってそうじゃなくたって関係ないと思う。好きなものに取りつかれるなら、それはそれで本望じゃない」
 ダグは、アイルをまじまじと見つめていた。
 言いすぎかと思ったが、アイルは目をそらすことなく彼を見返した。
「ダグさんは、弓を引かなくても苦しんでいる。どうせ苦しむのなら、好きなことをして苦しむ方がずっといいよ」
 ダグは、自分の左手に視線を移し、しばらく身動きしなかった。
 やがて、木の幹にたてかけてある弓に目をやり、ひとつ大きく息を吐き出した。
「そうだな、わたしは弓が好きだ」
 ささやくようにダグは言った。
「昔も今も。あの的の前に立った時の感じは言い表せない。この間、はっきりわかったよ。自分が一番いたい場所だって」
「だったら!」
 ダグは両手で顔をこすった。
 その唇に、ほんの少し笑みが浮かんだ。
「きみ会わなかったら、一生思い悩んでいたかもしれないな」
「弓を引く?」
 ダグはうなずき、アイルの両肩に手を置いた。
「すまない。本当なら自分のことを考えるだけで精一杯だろうに、よけいな心配をかけてしまって」
「そんなことないよ」
「きみの記憶は、この私がどんなことをしても取り戻す。約束するよ」
「その前に矢を買おうよ、ダグさん」
 アイルは、ダグを見上げてほほえんだ。
「街に出れば、どこで弓術大会があるかわかるしね」


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