第4話

文字数 3,080文字

 
 夕方近く、二人はブルクの町に入った。
 街道ぞいにあるだけあって、宿屋の多い、にぎやかな町だった。
 二台の馬車が充分にすれ違うことのできる大通りには石が敷き詰められ、町の中央広場に続いていた。
 アイルはダグに連れられて、市の立つ中央広場に行ってみた。
 地面には、白墨でいくつもの四角い仕切が描かれている。その一つ一つが、二十ほどの店に割り当てられていた。
 町に税金を納めれば、市の間は誰でも店をひらくことができる。簡単な柱に屋根をつけた店もあれば、棚のような陳列台を作っている店、地面の敷物の上にじかに商品を広げている店。売っている物も、小間物や食品のたぐい、陶器や刃物類、衣料品などなど種種雑多。
 店主の多くは町の人や近くの農家の人々だが、各地の市を渡り歩く旅商人も混じっていて、他の地方の珍しい特産品や装飾品を置いていたりもする。
 もちろん弓具専門の店もあり、弓引きらしい人々が、矢羽や弦を熱心に見くらべていた。
「気に入った」
 突然、野太い声が聞こえてきた。
 振り向くと、弓具屋の前に一人の男が立っていた。
 眉とひげの濃い、黒髪の大男だ。でっぷりとした体格で、両腕はことに太い。売り物らしい弓を手にして、彼は店主に言っているところだった。
「この弓は取っていてくれよ、親父。明日の大会で優勝したら、賞金ですぐに買ってやる」
「すごい自信だね」
 アイルは、ダグにささやいた。
「うん」
 ダグは、眉をひそめた。
「ああいう弓引きもめずらしい」
 ダグはやがて古着屋を見つけ、アイルにちょうどいい服を買ってくれた。
 それからもう一度市を見まわし、広場の一番奥、屋根からすすけた灰色の(とばり)を下ろして中をおおっている、あやしげな店に目を止めた。中に入ろうとする者はおらず、客引きの声も聞こえない。
「小さな看板がかけてあるだろ」
 ダグは、言った。
「”まじない師。よろず相談ひきうけます”って書いてあるんだ」
「お客は、誰もいないようだけど」
 二人を眺めていた古着屋の女主人が、大きな胸をそりかえして教えてくれた。
「ああいった所には、日が暮れるとこっそりやって来る連中が多いのさ」
「腕のほどはどうなのかな」
「二三日いただけじゃ何とも言えないね。まあ、気をつけなよ。あんなのは、いかさまが多いんだから」
「そんなもんかね」
「そんなもんさ」
 ダグは肩をすくめたが、女主人に礼を言うと、まじない師の方に足を向けた。とにかく、行くだけ行ってみるつもりらしい。
 アイルも彼の後に続き、灰色の帳の前に足を止めた。
 二人の気配を感じたらしく、中からこれみよがしの咳払いが聞こえた。
 ダグは、意を決したように帳を押し上げた。
 中は、天井や帳のすきまからもれる光で、ぼんやりと明るかった。薬草や香が混ざり合ったにおいがたちこめ、アイルは、くしゃみしそうになった。
 狭い床いっぱいに、ござが二枚敷かれていた。その一枚に、小柄な中年男がちょこんと座っている。黒っぽい頭巾付きの衣をまとっていたが、普通の格好をしていれば、どこかの領地の小作人といっても通用しそうな貧相な感じの男だった。
「これは、ようこそ」
 男は二人を見上げ、向かいに座るようにうながした。
「用向きは何かな。弓引きとお見受けしたが、筋の痛みには貼り薬、かすみ目には煎じ薬。どちらもよく効くまじない付きじゃ。本番で平常心を保つ護符や、前日眠れん時の眠り粉もある。どれもみな銀粒三つ。良心的な値段じゃが」
「いや、わたしは弓引きではないし」
 ダグが呪い師をさえぎった。
「それに、わたしじゃない。この子を見て欲しいんだ」
 まじない師は小さな目を見開いて、まじまじとアイルを見た。
「砂漠の民か」
「ああ」
「この子の何を?」
「かわいそうに、二日前からの記憶がないんだ。あんた、取り戻してやれるかい?」
 まじない師は腕組みをし、やがてすっと右手を差し出した。
「銀貨一枚」
「へ?」
「なかなか難しい仕事らしい。前金で頂くことにしている」
「だが、もし思い出せなかったら?」
「思い出すにしろ出さないにしろ、わしは力を使うことになる。わしの力はただではない。だから、銀貨一枚。嫌なら帰ってもらおうか」
 アイルはダグと顔を見合わせた。いかさまには気をつけな、と古着屋の主人は言っていたっけ。ここにいるのはいかさま師なのだろうか。それとも、本当に自分の記憶を取り戻してくれるのか。
 アイル同様、ダグも一瞬迷ったようだった。しかし、すぐに肩をすくめ、ごそごそと荷物の中から財布を取りだした。
「わかったよ。銀貨一枚」
 まじない師はおもむろに銀貨を受け取り、懐にしまいこんだ。
「どれ」
 まじない師は、アイルの方に身を乗り出した。
「動くんじゃない、坊や」
 呪い師の、生ぬるい小さな手がアイルの額に触れた。呪い師は、もう片方の手でアイルの後頭部を押さえ、両手に力を込めた。
 アイルは、思わず目を閉じた。まじない師の触れている場所がじんわりと熱く、ついでぴりぴりとした痛みを感じた。
 アイルは首を振ろうとしが、まじない師の力は意外に強く、それを許さなかった。熱さと痛みはしだいに激しくなり、アイルは大きくあえいだ。
 悲鳴を上げそうになったその時、まじない師は、突然手を離した。
 ダグは、アイルをしっかりと支えた。
 まじない師は、尻餅でもつくようにしてその場にへたりこんでいた。
「アイル?」
 アイルは、両手で頭をこすった。まじない師の手があった場所はまだ熱かった。
 しかし、アイルの中に変化はなかった。
 何一つ、思い出していない。
 アイルはダグを見、首を振った。
「なかなか頑固な記憶よのう」
 まじない師が、言った。
「だが、わしにできるのは、これまでじゃ。もちろん、金は帰さぬよ」
「わかったよ」
 ダグは、うなずいた。
「あんたは、いかさま師ではなさそうだ。そうだろう、アイル」
アイルはうなずいた。
 まじない師からは、確かに力を感じた。肉体的なものではなく、アイルの記憶をこじ開けようとした不可思議な力。側で見ていたダグも、それを感じたのだろう。
「でも、ついでにもう一つ見てくれないか」
ダグは、アイルから古代文字が刻まれた矢尻を受け取った。
「この子が持っていたんだ。これに何て書いてあるか、わかるかい」
 まじない師は矢尻をのぞき込み、すぐに首を振った。
「わしは、古代文字など読めないよ。だが、これは・・」
「これは?」
「大昔のものに違いないが、まだ魔力が感じられる。おそらく、一流の魔法使いが作ったもの。あの砂竜との戦いの時かな」
「うん。この子はこれを握りしめたまま記憶を無くしていた。何かを思い出す手がかりにでもなればと思ったんだが」
 まじない師は、大げさなため息をつくと両手を高く上げた。
「言ったじゃろ。わしにはもう、お手上げだ。銀貨一枚分の務めはこれまでじゃ」
 二人は、とぼとぼとまじない師の帳を出た。
 いつの間にか、夕日が空を染めていた。市場も人気が少なくなり、後片づけをしている店が目立つ。
「こんどは、もっと力のあるまじない師を探さないとな」
 ダグが言った。
「ごめんね、ダグさん」
 アイルはうなだれた。
「無駄なお金を使わせてしまって」
「そんなこと、気にするなよ」
 ダグは明るく笑ってみせた。
「だいじょうぶ。二人で旅して行ける金ぐらい、なんとでもなるさ」

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