第17話
文字数 3,195文字
魔法の通路は、アイルたちを砂漠に導いてくれたのだ。
馬が抜け出して来た通路の出口は、もうどこにも見あたらなかった。ただ、一足先に着いていたロドラーンが、強い風に顔をしかめながら、あたりを見まわしていた。
夜が明けたばかりで、空気はまだひんやり冷たい。
朝焼けの赤みがかった空の下、東の地平に縁どりのようなオラフル山脈の連なりがある。そして荒涼とした大地の真ん中に、三角形の尖った岩がぽつりと見えた。
あの形は憶えていた。近づけば小山ほどもある巨大な岩で、星降 岩と呼ばれている。遠く離れた場所からもよく見えるため、砂漠の移動の目印となっていた。
アイルの部族のオアシスは、あのすぐ向こうにあるはずだ。
しかし、オアシスの方、西の方角はいやに暗い。
東の空がだんだんと明るさを増してきているというのに、空と大地のつなぎ目は灰色に溶け合ったまま、夜の影から逃れられないかのようだ。
風が、三人の外套の裾をはためかした。
土埃が、ようしゃなく顔にぶつかってくる。
「砂が渦巻いているな」
頭巾をすっぽりとかぶりながら、ロドラーンがつぶやいた。
「ぼくの家に急いでいいですか」
震える声でアイルは言った。
影は、まぎれもなく砂竜のいる場所から広がってきているのだ。
「そうだな、われわれが向かうのと同じ方角だ」
アイルの後ろで、ダグが大きく息を吸い込んだ。ダグの言葉も待たず、ロドラーンは再び馬を走らせた。
星降岩に近づくにつれ、太陽は強く大地を照らし始めた。
記憶を取り戻したアイルにとっては、なじみ深い砂漠の日ざしだ。しかし、この吹きすさぶ風だけは異様だった。天候が荒れやすいのは砂漠の奥の砂丘地帯だけで、アイルの部族の住む土地はもともと暮らしやすい場所なのだ。
「アイル」
後ろからダグが思いつめたように声をかけた。
「きみの部族で、弓を引ける者はいないのか?」
アイルは首をふった。
「ぼくたちは遊牧民で、もともと弓を使いません。弓術大会みたいなものもないし。だから、誰も」
ロドラーンが前方を指さした。
遠くに、こちらに向かってやってくる隊列が見えた。
その数は百人ほど。人間よりも多くの動物を引き連れている。大きな荷物を背負わされた馬や荷車を引く驢馬、追い立てられて悲しげな鳴き声を上げている羊たち。
たがいの距離が縮まって、だんだん様子がはっきりしてきた。馬上の者、徒歩の者、みな不安げに身をすくめているようだった。
知っている顔を見つけてアイルは声をあげた。
あれは、アイルの部族の人々だ。
アイルは彼らの前まで行くと、馬を飛び降りた。
と同時に、隊列の中から忘れようもない人たちが駆け寄ってきた。アイルと同じ金色の髪に黒い目、それぞれがよく似た、美しい顔立ち。
姉たちだ。
三人の姉は、泣きながらてんでにアイルを抱きしめた。
「この子ったら。何か月も、いったいどこに行っていたのよ、アイル」
すぐ上の姉、エメルが叫ぶように言った。
「砂嵐に巻き込まれて、死んだとばかり思ってたわ」
「あなたのお友達が、王都の遺跡へ行ったと教えてくれたの。探しに行ったけど、ひどい砂嵐で近づけなかった」
長姉のルラアが付け足した。
「ごめん、姉さんたち」
「わたしたちより、まずお母さんにあやまりなさい」
二番目の姉のメラが、アイルの背中を押しやった。
母が祖母を連れ、ゆっくりとこちらに近づいて来た。アイルの前に立ちつくし、目を潤ませて息子を見つめる。
若いころは、姉たち以上にきれいだったに違いないと、いつもアイルが思っていたその顔は、やつれ、ひとまわり小さく見えた。
自分のせいなのだ。
アイルは母に飛びついた。
何度もあやまりながら、泣きじゃくった。
「もういいわ」
母は、優しくアイルを抱きしめた。
「あなたは生きていた。帰ってきてくれた」
一人の老人が馬を進め、ロドラーンのところにやって来た。
ターバンの下の日焼けした顔はかなりの高齢だったが、まだ足腰はしゃんとし、目にも強い光がある。アイルたちの族長だ。
「あなたは、どなたですかな」
族長は言った。
「ただの子供ではないとお見受けするが」
「むろん」
胸をそらして魔法使いは答えた。
「わたしはロドルーンの息子ロドラーンだ」
「ロドルーンの・・。では、この砂漠の異変に気づかれましたな」
族長は西の方を見やった。
まぶしく晴れわたった空の下、西の地平だけが暗く、黒い雲のようなものがわだかまっている。雲は生きているもののように伸び縮みし、しだいしだいに大きくなっているようなのだ。
「ちょうどアイルがいなくなった時から砂嵐が起こり、止むこともなく広がってきているのです。あれは、砂竜が封印されていたあたり。新たな災いのはじまりと、砂漠の多くの部族は移動をはじめております。都にも急使を出しました」
族長は一呼吸おき、低い声で付け足した。
「やはり、砂竜は目覚めたのですな」
ロドラーンは、しぶい顔でうなずいた。
「そういうことだ。わたしたちは、これから王都跡に行く」
「そちらの方は」
族長は、ダグをしめした。ダグは、居心地悪そうに馬にまたがったままだった。
「弓引きのダグ。ザンの子孫だ」
「おお」
「ぼくを助けてくれた人です」
アイルの言葉に、族長は深々と頭を下げた。
ダグは困ったように顔をそむけた。
「ロドルーンの息子とザンの子孫。伝説がそろったわけですな」
「一応はな」
ロドラーンは、鼻をならした。
「われわれに、お手伝いできることはありましょうか」
「いや。何が起こるかわからない。あなたがたはこのまま砂漠を離れた方が賢明だろう。都で王に従ってくれ」
ロドラーンはアイルに目を向け、
「おまえも仲間たちと一緒に行くんだ。ダグはわたしの馬に乗せる」
「いやだ」
アイルは、あわてて叫んだ。
「ぼくも行きます。ぼくがしてしまったことなんだから、最後までついて行きます」
「危険だぞ」
「そんなこと、わかっている」
アイルは母に向き直った。
「ごめん、母さん。もう一度行かせて」
「あなたに何があったのか、今までどうしていたのか、わたしたちは何も知らないのよ」
母は、アイルを見つめたまま静かに言った。
「それなのに、また消えてしまうの」
「こんど帰ったら、もうどこにも行かないから。何もかも話すから。今はぼくの頼みをきいて」
アイルは必死で母に言った。
「このままだと、ぼくは一生後悔してしまうんだ」
いくら時が来たからだとはいえ、砂竜が目覚めるきっかけを作ったのはまぎれもなく自分だし、ダグが苦しむことになったのも自分のせいだ。
ここで、彼らと別れるわけにはいかなかった。
最後まで、何が起きるか見届けなければ。
「約束ね」
「母さん!」
姉たちが、母をとがめるような声を上げた。母は首をふった。
「止めてもアイルは聞かないでしょう。だったら、まっすぐ送り出すしかないじゃない」
「ありがとう」
アイルはもう一度母を抱きしめた。そして、くるりと背を向けて、馬に飛び乗った。
「母さんたちと行った方がよくはないか」
後ろでダグが言った。
アイルは黙ってかぶりを振った。
ロドラーンが族長に片手を上げて馬を走らせた。支え合うようにしてかたまっている母や姉たちに頭を下げて、アイルも後に続いた。
アイルを王都跡に向かわせた友人たちが、追いかけてきて叫んでいた。
わびの言葉がとぎれとぎれに聞こえた。
「連中の気持ちは、わからないでもない」
ロドラーンが言った。
「きれいな姉さんたちにかこまれているおまえが、うらやましかったんだろ、つまり」
アイルは肩をすくめるしかなかった。
馬が抜け出して来た通路の出口は、もうどこにも見あたらなかった。ただ、一足先に着いていたロドラーンが、強い風に顔をしかめながら、あたりを見まわしていた。
夜が明けたばかりで、空気はまだひんやり冷たい。
朝焼けの赤みがかった空の下、東の地平に縁どりのようなオラフル山脈の連なりがある。そして荒涼とした大地の真ん中に、三角形の尖った岩がぽつりと見えた。
あの形は憶えていた。近づけば小山ほどもある巨大な岩で、
アイルの部族のオアシスは、あのすぐ向こうにあるはずだ。
しかし、オアシスの方、西の方角はいやに暗い。
東の空がだんだんと明るさを増してきているというのに、空と大地のつなぎ目は灰色に溶け合ったまま、夜の影から逃れられないかのようだ。
風が、三人の外套の裾をはためかした。
土埃が、ようしゃなく顔にぶつかってくる。
「砂が渦巻いているな」
頭巾をすっぽりとかぶりながら、ロドラーンがつぶやいた。
「ぼくの家に急いでいいですか」
震える声でアイルは言った。
影は、まぎれもなく砂竜のいる場所から広がってきているのだ。
「そうだな、われわれが向かうのと同じ方角だ」
アイルの後ろで、ダグが大きく息を吸い込んだ。ダグの言葉も待たず、ロドラーンは再び馬を走らせた。
星降岩に近づくにつれ、太陽は強く大地を照らし始めた。
記憶を取り戻したアイルにとっては、なじみ深い砂漠の日ざしだ。しかし、この吹きすさぶ風だけは異様だった。天候が荒れやすいのは砂漠の奥の砂丘地帯だけで、アイルの部族の住む土地はもともと暮らしやすい場所なのだ。
「アイル」
後ろからダグが思いつめたように声をかけた。
「きみの部族で、弓を引ける者はいないのか?」
アイルは首をふった。
「ぼくたちは遊牧民で、もともと弓を使いません。弓術大会みたいなものもないし。だから、誰も」
ロドラーンが前方を指さした。
遠くに、こちらに向かってやってくる隊列が見えた。
その数は百人ほど。人間よりも多くの動物を引き連れている。大きな荷物を背負わされた馬や荷車を引く驢馬、追い立てられて悲しげな鳴き声を上げている羊たち。
たがいの距離が縮まって、だんだん様子がはっきりしてきた。馬上の者、徒歩の者、みな不安げに身をすくめているようだった。
知っている顔を見つけてアイルは声をあげた。
あれは、アイルの部族の人々だ。
アイルは彼らの前まで行くと、馬を飛び降りた。
と同時に、隊列の中から忘れようもない人たちが駆け寄ってきた。アイルと同じ金色の髪に黒い目、それぞれがよく似た、美しい顔立ち。
姉たちだ。
三人の姉は、泣きながらてんでにアイルを抱きしめた。
「この子ったら。何か月も、いったいどこに行っていたのよ、アイル」
すぐ上の姉、エメルが叫ぶように言った。
「砂嵐に巻き込まれて、死んだとばかり思ってたわ」
「あなたのお友達が、王都の遺跡へ行ったと教えてくれたの。探しに行ったけど、ひどい砂嵐で近づけなかった」
長姉のルラアが付け足した。
「ごめん、姉さんたち」
「わたしたちより、まずお母さんにあやまりなさい」
二番目の姉のメラが、アイルの背中を押しやった。
母が祖母を連れ、ゆっくりとこちらに近づいて来た。アイルの前に立ちつくし、目を潤ませて息子を見つめる。
若いころは、姉たち以上にきれいだったに違いないと、いつもアイルが思っていたその顔は、やつれ、ひとまわり小さく見えた。
自分のせいなのだ。
アイルは母に飛びついた。
何度もあやまりながら、泣きじゃくった。
「もういいわ」
母は、優しくアイルを抱きしめた。
「あなたは生きていた。帰ってきてくれた」
一人の老人が馬を進め、ロドラーンのところにやって来た。
ターバンの下の日焼けした顔はかなりの高齢だったが、まだ足腰はしゃんとし、目にも強い光がある。アイルたちの族長だ。
「あなたは、どなたですかな」
族長は言った。
「ただの子供ではないとお見受けするが」
「むろん」
胸をそらして魔法使いは答えた。
「わたしはロドルーンの息子ロドラーンだ」
「ロドルーンの・・。では、この砂漠の異変に気づかれましたな」
族長は西の方を見やった。
まぶしく晴れわたった空の下、西の地平だけが暗く、黒い雲のようなものがわだかまっている。雲は生きているもののように伸び縮みし、しだいしだいに大きくなっているようなのだ。
「ちょうどアイルがいなくなった時から砂嵐が起こり、止むこともなく広がってきているのです。あれは、砂竜が封印されていたあたり。新たな災いのはじまりと、砂漠の多くの部族は移動をはじめております。都にも急使を出しました」
族長は一呼吸おき、低い声で付け足した。
「やはり、砂竜は目覚めたのですな」
ロドラーンは、しぶい顔でうなずいた。
「そういうことだ。わたしたちは、これから王都跡に行く」
「そちらの方は」
族長は、ダグをしめした。ダグは、居心地悪そうに馬にまたがったままだった。
「弓引きのダグ。ザンの子孫だ」
「おお」
「ぼくを助けてくれた人です」
アイルの言葉に、族長は深々と頭を下げた。
ダグは困ったように顔をそむけた。
「ロドルーンの息子とザンの子孫。伝説がそろったわけですな」
「一応はな」
ロドラーンは、鼻をならした。
「われわれに、お手伝いできることはありましょうか」
「いや。何が起こるかわからない。あなたがたはこのまま砂漠を離れた方が賢明だろう。都で王に従ってくれ」
ロドラーンはアイルに目を向け、
「おまえも仲間たちと一緒に行くんだ。ダグはわたしの馬に乗せる」
「いやだ」
アイルは、あわてて叫んだ。
「ぼくも行きます。ぼくがしてしまったことなんだから、最後までついて行きます」
「危険だぞ」
「そんなこと、わかっている」
アイルは母に向き直った。
「ごめん、母さん。もう一度行かせて」
「あなたに何があったのか、今までどうしていたのか、わたしたちは何も知らないのよ」
母は、アイルを見つめたまま静かに言った。
「それなのに、また消えてしまうの」
「こんど帰ったら、もうどこにも行かないから。何もかも話すから。今はぼくの頼みをきいて」
アイルは必死で母に言った。
「このままだと、ぼくは一生後悔してしまうんだ」
いくら時が来たからだとはいえ、砂竜が目覚めるきっかけを作ったのはまぎれもなく自分だし、ダグが苦しむことになったのも自分のせいだ。
ここで、彼らと別れるわけにはいかなかった。
最後まで、何が起きるか見届けなければ。
「約束ね」
「母さん!」
姉たちが、母をとがめるような声を上げた。母は首をふった。
「止めてもアイルは聞かないでしょう。だったら、まっすぐ送り出すしかないじゃない」
「ありがとう」
アイルはもう一度母を抱きしめた。そして、くるりと背を向けて、馬に飛び乗った。
「母さんたちと行った方がよくはないか」
後ろでダグが言った。
アイルは黙ってかぶりを振った。
ロドラーンが族長に片手を上げて馬を走らせた。支え合うようにしてかたまっている母や姉たちに頭を下げて、アイルも後に続いた。
アイルを王都跡に向かわせた友人たちが、追いかけてきて叫んでいた。
わびの言葉がとぎれとぎれに聞こえた。
「連中の気持ちは、わからないでもない」
ロドラーンが言った。
「きれいな姉さんたちにかこまれているおまえが、うらやましかったんだろ、つまり」
アイルは肩をすくめるしかなかった。