第6話

文字数 2,333文字


  目を覚ますと、頭ががんがんした。
 ベットの脇では、ダグが呆然と立ちつくしていた。
「ダグさん?」
 二人は顔を見合わせた。
 小さな窓からは、明るい日が射しこんでいた。もう朝なのだ。
 昨夜、いったい何が起こったのか・・。
「眠り粉をまかれたらしい」
 ダグは言った。
「わたしも、いま起きたところだ」
「なぜ・・」
「泥棒だよ」
 内鍵がこじ開けられていた。
 賊は眠り粉で二人を眠らせたあと、鍵を壊して部屋に入り、ダグの財布を盗んでいったのだ。
ダグはすぐに宿屋の主人の所に行った。
 隣の客は、今朝早くに立っていた。追いかけるには遅すぎた。それにだいたい、ダグもアイルも隣の男たちの顔を知らなかった。
「やれやれ」
 主人は、壊された鍵を見て、薄い頭をぼりぼりとかいた。肌の黄色っぽい、痩せた男だ。
「いくら盗られたね」
「小銭ばかりだが、合わせれば銀貨十枚分にはなった。全財産だったんだ」
「まあ、とにかく、この修理代は、あんたからもらうよ。付け替えたばかりなのにな、まったく」
「なんで」
 ダグは、あきれかえって言った。
「わたしは、被害者だぞ」
「泥棒が入るのは、そっちの不注意。何事も用心しないといけない」
「そうしよう。こんなすきまだらけの、やわな宿に泊まるときは、特にな」
 主人は、ダグの皮肉も聞こえない様子だった。
「だいたい、わたしはもう一文なしだ。払いたくても払えないよ」
「金になりそうなものは残っていないかね」
 主人は、抜け目なさそうに部屋の中を見まわした。
「こっちだって、商売なんだよ、お客さん。昨日の宿代だって、ただにはできない」
 主人は、ダグの弓に目を止め、すばやく布をひきはがした。ダグはあわててとりかえし、
「なにをするんだ!」
「なかなかよさそうな弓じゃないか。盗人が置いていったのは幸いだった」
 ダグの抗議をみごとに無視して、主人はひとりうなずいた。
「銀貨二枚にはなるかな。それを売って宿代を払うってのはどうだい。残った金でもっと安い弓を買えばいい」
「冗談じゃない」
ダグは声を荒げた。
「これは大事なものなんだ。手放せない」
「気の毒だとは思うよ、あたしとしても」
 主人は、腕組みして、もう一度うなずいた。
「だったら特別、今日の夕方まで待ってやるよ。あんた、大会に出るんだろ。今年は十位まで賞金がつくそうだから、運が良ければうちの宿代も稼げるかもしれない」
「いや、わたしは・・」
「入賞できなかったら、あきらめることだな。この弓は売ってもらう」
「勝手に決めないでくれ。わたしは、弓引きじゃない」
 主人は、信じられないといったふうに目を丸くした。
「では、なぜブルクに来たんだね。こんな弓を持って」
 ダグは、どっかりとベットの上に座りこんだ。
 両手で顔をおおい、考え込むようにして、
「賞金って、どのくらい?」
「娘の結婚祝いだから、今年の町長は太っ腹だ。優勝は金貨一枚、十位まででも銀貨一枚は出るらしい」
 ダグは、ため息をついた。
「ここの宿代と、旅の資金にはなるわけだ」
「そういうことだな。子連れで文なしはつらかろう」
「だが、わたしは矢を持っていない」
「前に客が忘れていったのが一本あった。貸して欲しいかね」
 主人はいそいそと階下に降りていった。
 ダグは、うなだれたまま床を見つめていた。
「ダグさん」
 アイルはそっと声をかけた。
「無理しないで。お金がなくたって、大丈夫だよ。ぼくにできることなら、何でも手伝う。どこかで働いてもかまわないよ」
「ありがとう」
 ダグは顔を上げ、アイルに微笑みかけた。
「心配しなくてもいい。やってみるさ。十位以内なら、わたしにだって・・」
 主人が、矢を持って戻って来た。
 どこかにしまい込んでいたのか、よれよれに羽根がつぶれた、ほこりまみれのしろものだ。忘れ物というより、捨てられたという方が正しいかもしれない。
 ダグは、矢を受け取ってつぶやいた。
「少し短いな。でも、引けないことはないだろう」
 ダグは、矢の汚れをていねいにふき取った。それから主人にことわって、台所に向かった。
 かまどでは、ちょうどお湯が湯気をたてていた。湯気の上に矢羽をかざすと、蒸気をふくんで、羽根はしだいにまっすぐ伸びた。
 最後に指先で羽を整える。ぬけ落ちている所はしかたがないが、はじめよりははるかにりっぱな矢羽になった。
 ダグは弓の弦も張りかえた。荷物の中に新しい弦を入れていたのだ。矢筈(やはず)を何度も合わせて、弦の太さを調節した。
 アイルは、一連の作業をするダグの表情が、しだいに生き生きとしたものになっていくのに気がついた。
 夕べ、ダグは弓が嫌になったからやめたと言っていたはずだ。
 引きたいと思ったことはないとも。
 しかし、少しもそんなふうには見えなかった。
 賞金を得るために仕方なく、といった感じでもなかった。
 新しい弦になった弓で、何度も素引きを繰り返しているダグは、むしろ、喜んでいるようでもあった。
 ひょっとするとダグは、ずっと弓を引きたかったのかもしれない。
 アイルは、はっとした。
 昨日リーに話していたことは、本心ではなかったのだ。
 何かが彼を押さえつけていた。
 しかしきっかけさえあればいつだって、ダグは的に向かいたかったのではないか。
 ダグが今まで矢を持たなかった理由は、何なのだろう。
 リーのような弓引きたちを寂しげな目で眺めながら弓弾きに甘んじていたのはなぜなのだろう。
 ダグのことをもっと知りたいとアイルは思った。
 自分の失ってしまった記憶と同じくらいに。

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