第19話

文字数 2,349文字

 砂竜はアイルに気づき、一瞬動きを止めた。
 遠い昔、自分を封じ込めた人間への怒りがよみがえってきたかのようだった。
 砂竜は一声吠え、すさまじい勢いで羽ばたいた。
 風圧で、アイルは砂地にたたき付けられた。もっと近くにいれば、吹き飛ばされてしまったにちがいない。いや、それよりも早く砂にされているかも。
 砂に這いつくばりながら、アイルは灰色の視界の中で、砂竜の背後に駆け寄るロドラーンの姿をとらえた。
 砂龍は人間への怒りと、飛び上がれないもどかしさで、狂ったように翼を動かしている。ロドラーンにはまだ気づかない。
 ロドラーンが砂竜の背中に駆け上った。上下する翼の間を身軽によじ登り、首の付け根までたどりついた。
 砂竜はようやくロドラーンに気づいて、首を振り上げた。息をかけようとするが、その首をロドラーンのいるところまで回すことはできなかった。
 ロドラーンは矢を口にくわえて必死に砂竜の首筋にしがみつき、じわじわと頭に向かってよじ登っていく。
 砂竜の怒りは頂点に達した。身をよじり、翼をばたつかせてロドラーンを振り落とそうとした。荒れ狂う馬のように前足で空を蹴り、ぐいと首をそらした。
 ロドラーンは両腕をつかって、かろうじて砂竜にぶらさがっていた。首の皺に足をかけて体勢を立て直そうとしたその時、砂竜はもう一度大きく羽ばたいた。
 アイルは息をのんだ。
 砂竜の身体が浮き上がったのだ。
 ついに石化が解けてしまった。
 砂竜は喜びの声を上げ、頭を空に向けて一気に飛び立った。自由になった長い尾を首に向かって一振りし、ロドラーンを叩き落とした。
 ロドラーンはアイルの近くに落下した。
「ロドラーン!」
 アイルは叫んだ。
 ロドラーンは仰向けに倒れたまま砂に埋もれ、ぴくりともしない。
 目的を果たせなかった矢が、彼のかたわらに落ちていた。
 砂竜は今や、高々と飛んでいた。千年ぶりの飛行を満喫するかのように、ゆっくりと上空に輪を描いて。
 アイルは唇をかんだ。
 間に合わなかった。
 砂竜が遠ざかったせいで、その場の砂嵐は静まりつつあった。
 しかし、これからは全世界が永遠の砂嵐に見まわれることになるだろう。まず手始めに砂にされるのは、自分と魔法使いというわけか。
 砂竜は、急降下していた。
 アイルとロドラーンの存在を思い出したのだ。口を開き、まっしぐらに向かってくる。
 せめて最後の悪あがきとばかり、アイルは矢に手を伸ばした。この矢を、砂竜に投げつけてやろう。
 その時、砂を蹴散らして、誰かが駆け寄ってきた。
 アイルは、はっとした。
 ダグだ。
 何も言えなかった。アイルはただ、手にした矢を彼に渡した。
 ダグは、弓にロドラーンの矢をつがえた。その顔は蒼白だったが、弓を引く腕は伸びやかで力強かった。
 砂竜は、ぐんぐん近づいてきた。
 三十間。アイルは心の中でつぶやいた。
 ダグは砂龍の息のかからないぎりぎりのところまで引きつけて矢を射るつもりなのだ。
 ダグの目は、まっすぐ砂竜に向けられていた。
 風が真っ向から吹き付けたが、ダグはひるみもしなかった。
 アイルにとっては息もできないような一瞬が過ぎ、弓が鋭い弦音をたてた。
 矢が空を切った。
 砂竜は、悲鳴のような咆吼を上げた。
 それが最後の声だった。
 ダグの射た矢は、砂龍の目と目の間に命中していた。
 砂竜は、羽ばたきを止めた。
 ロドラーンの矢尻が深々と食い込んでいくにつれ、矢尻の中に砂龍の身体が吸い込まれていった。頭から首、胴体と翼、そして残った尾の先とともに、矢は中空でかき消えた。
 砂嵐が止んだ。
 弓を手にしたまま、ダグは肩で大きく息をしていた。そして、崩れるようにその場に座り込んだ。
 アイルも、がっくりと膝をついた。
「まったく、いいところで現れたもんだな、馬鹿やろう」
 横たわったまま、ロドラーンが口を開いた。アイルは彼に這い寄った。
「だいじょうぶ? ロドラーン」
「ふん。ちょっと気が抜けただけだ。じきに動けるようになる」
「砂竜は?」
「あの矢とともに、違う時空に消えた。宇宙の虚空だ。もう戻らない」
「やったんだね。ダグさん」
「悪かった」
 ダグはうつむいたまま、大きくかぶりを振った。
「途中できみたちとはぐれて、このまま逃げてしまおうと思った。砂竜に命中させるなんて、できるわけがないと」
「でも来てくれた」
「夢中だった。どこを歩いているかわからなかったが、砂竜が飛び立つのが見えた。その下にきみたちがいた。わたしは」
 ダグは深いため息をついた。
「本当に夢中だった。何も考えなかった。ただ弓を引いた」
「ぐたぐた言うんじゃない。矢は命中した。それで十分だ」
 ロドラーンは、砂の上で大の字になったまま言った。
「よくやったよ」
「大まぐれだ」
「まぐれはまぐれでも、世界を救った。りっぱなものだ」
 ダグは、弱々しい笑みを見せた。
「ほめられているようには、とても聞こえないな」
  空は、まぶしく澄み渡ってきた。
 いましがたまで砂嵐に覆われていたのが嘘のようだ。
 強い太陽の光が、ようしゃなく砂地に降りそそぐ。
 砂竜のいた場所だけが、巨大なすり鉢のようにくぼみ、影をつくっていた。しかしじきにそこも、風に流れる砂で埋まり、日の光にさらされることになるだろう。
 白い波頭のような砂丘をぬって、こちらに駆けてくる二頭の馬が見えた。
 砂竜の脅威がなくなったことを知ったロドラーンの馬が、迎えに来てくれたのだ。
「ともあれ、ここを離れるとしよう」
 ロドラーンは、むくりと起きあがった。
「こんなところで日干しになるのは、ごめんだからな」

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