第18話

文字数 2,683文字

 
 褐色の大地は、しだいに灰色の砂丘へと変わっていた。
 それと同時に、あたりは薄暗くなった。風に高く舞い上がる砂が、太陽の光をさえぎっているのだ。
 遠くから見た、黒雲の縁の部分に入ったらしい。砂龍がいる中心に向かうにつれ、風はますます強まってくる。
 果敢に駆け続けていた二頭の馬も、やがて歩むような速さとなり、ついには悲しげな声を上げて立ち止まった。
「おびえているんだ」
 アイルは、励ますように首筋を撫でてやった。が、馬は弱々しくまばたきを繰り返すばかり。
「ふん。ここから先は歩くしかないな」
 ロドラーンは馬から下りた。
「こいつらには、無理だ」
 アイルとダグも彼にならうと、二頭の馬はすまなそうに低くいなないて、来た方に駆け去った。
 馬から下りた分だけ視界は低くなり、薄暗さも増した気がした。あたりは風と砂の乱舞、方角すら見失ってしまいそうだ。
「この砂と風」
 アイルは、叫ぶように尋ねた。
「あなたの魔法でなんとかならないの」
「魔法?」
 ロドラーンは、すごみのある笑みを浮かべた。
「言っただろ、わたしはロドルーンの矢尻を再生するのにあらかたの魔力を使ってしまった。いまはせいぜい、砂竜の居場所を見極めるぐらいのことしかできないさ」
「それじゃあ」
 ダグが、すがるような口調で言った。
「あんたの力で、その矢を砂竜に命中させることは?」
 ロドラーンは、きっぱりと首をふった。
「それができるなら、弓引きをこんなところに連れてこないさ」
 ダグはがくりと肩を落とした。
「あの魔女から、呪薬をもらってくればよかったんだ」
「魔女の呪薬ごときが、砂竜に通用するとは思えないがな」
 ロドラーンは、さっさと先に進んだ。アイルは、彼の姿を見失わないように、後を追いかけるしかなかった。
 視界はますます悪くなった。
 風は強まり、息をするのもやっとのほどだ。すっぽりと頭巾をかぶっていても、砂がようしゃなく鼻や口に入り込んでくる。
 くるぶしまで砂に埋もれ、前屈みになって歩いていたアイルは、はっと気がついた。
 かたわらを歩いていたはずのダグが消えている。
「ロドラーン!」
 アイルは叫んだ。
「ダグさんがいない」
 ロドラーンは振り返り、舌打ちした。
「あいつめ、逃げたな」
「まさか、そんな・・」
 アイルは絶句した。
「ダグさんは砂漠に慣れていない。はぐれたんだよ、この砂嵐で」
「ふん、どうだか。よほど砂竜が恐ろしいと見える」
「ダグさんは、そんな人じゃないよ」
 言ったものの、最後の声は自分でも分かるほど弱々しかった。
 ダグを信じたい。しかし、たとえロドラーンの言う通りだったとしても、どうしてダグを責めることができるだろう。
 ダグが恐れているのは、砂竜ではなく弓を引くことなのだ。この世界の運命が、自分の引く矢一本にかかっているとすれば、アイルだってその重圧に逃げ出したくなるにちがいない。
 ましてダグは、竜の星に一度も命中したことがないと言っていた。
「どうする。探さなくちゃ」
「もういい、臆病者をあてにしたわたしが馬鹿だった」
 ロドラーンは、すっかり癇癪を起こしていた。
「あいつを探している時間などない。わたしがやる」
「弓もないのに?」
「矢を急所に突き刺しさえすればいいんだ。今のところ砂竜は、石化が解けずに砂漠につなぎ止められている。近くに寄ることさえできれば、なんとかなるかもしれない」
「ぼくが砂竜の注意をそらすよ」
「あいつの吐く息に触れたものは、みんな砂になってしまうんだぞ」
 ロドラーンは驚いたようにアイルを見つめた。
「やめとけ。危険すぎる」
「ここで砂竜をなんとかしなければ、どっちにしろぼくたちは砂にされてしまうんでしょう」
 アイルは言った。
「だったらいま、自分にできることをやるしかない」
「よし」
 ロドラーンは鼻をならした。
「では、急いでついてこい。砂竜が飛び立ったらおしまいだ」
 アイルは再びロドラーンの後につづいた。
 あいかわらず風は猛り狂い、砂を舞い上げていた。
 流砂に足をとられて、何度か転びかけた。両手両足を使い、ほとんど這うようにして先に進まなければならなかった。
 ロドラーンが突然立ち止まり、無言で前方を指さした。
 アイルは目をこらした。
 波打つような砂丘の向こうに、黒々とした影があった。影は大きく伸び縮みし、さかんにうごめいていた。
 それが砂竜だということは、はっきりとわかった。
 太い首を振り上げて、空に向かって咆吼していた。身体の割に小さな前足を突っ張り、コウモリにも似た翼を上下させている。
 しかし、砂竜がいかにあがこうと、後ろ足と尾はまだ石のまま、砂の中にめりこんでいた。砂竜を倒すのは、確かに今しかなさそうだ。
「ぼくは、前の方にまわる」
 アイルはロドラーンにささやいた。
「あなたは、後ろから近づいて」
「いいか、くれぐれも無理はするなよ」
 ロドラーンは言った。
「あいつの息は三十間とどく。そこまで行くんじゃないぞ」
「的までの距離だね」
「そういうことだ」
 アイルとロドラーンはうなずきあい、二手に分かれた。
 アイルは砂竜の正面に向かった。
 砂竜は絶えず羽ばたいているわけではなく、時おり疲れたように翼を休めた。そんな時は風も一時おさまり、見通しがきくようになる。
 砂竜との間が縮まると、翼を持つ巨大で異様な姿が、ますますはっきりしてきた。
なめした革のような翼は鋼色で、薄く丈夫そうだった。広げると身体の数倍はあり、羽ばたくたび砂が恐ろしい勢いで舞い上がるのだ。
 翼と同じ色の身体には毛も鱗もなく、たるんだ皺だらけの皮膚がはりついていた。太く短い首の先に、異様に小さな逆三角形の頭。
 二つの赤い目は、身動きとれない苛立ちで煮えたぎっているようだった。大きく裂けた口が開くたび、しゅうしゅうと息を吐き出す音がはっきりと聞こえた。
 目と目の間のくぼみなんて、アイルのいる場所から探すことなどできなかった。砂竜の急所は、その巨体と比べたらあまりにも小さかった。
 冷たい恐怖がアイルをとらえた。
 ロドラーンは首尾よく砂竜に矢を突き刺すことができるのか。
 しかし、それができなければ、世界の破滅は目に見えている。母や姉やアイルが愛してきた様々なもの、それどころかアイル自身も砂と化し、消えてしまう。
 どんなことをしても、砂竜の注意をこちらにむけさせなければ。
 アイルは砂竜の前に飛び出した。

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