第15話

文字数 2,958文字

 アイルは思い出した。
 砂漠での日々。
 オアシスに天幕をはり、部族の人々といっしょに羊を追って生活していた。
 父は早くに亡くなったが、母と祖母と、三人の姉がいた。母や姉たちは羊の毛の織物を上手に織った。おかげで、暮らしには困らなかった。
 部族には同じ年頃の友人もいた。だが、彼らはことあるごとにアイルをからかった。女に囲まれて育った女々しいやつと。
 決してそうではないことを、アイルは証明したかった。
 くやしかったら、砂漠の向こうにある都の跡に一人で行ってみろと友人たちは言ったのだ。
 大昔、砂竜に襲われて砂に沈んだ王宮の遺跡。そこにあるものをしるしとして持ってきたら、一人前の仲間として認めてやろう。
 心配するだろう母たちには告げず、その朝早く、アイルは一人馬に乗って砂漠の中の遺跡に向かった。まる一日あれば、行って帰って来られるはずだった。
 昼過ぎには砂丘の間に突き出ている尖塔の先や、崩れた石塀を見つけた。照りつける太陽のもと、アイルはターバンですっぽりと顔をおおって、いにしえの王宮に来たしるしを探した。
 砂の中にきらりと光るものがあって、アイルを引き寄せた。
 銀色の細い棒が砂に半ば埋もれていた。
 アイルは何気なく引き抜き、その先についた矢尻を眺めた。
 矢尻を右手に持ち替えた時、足下の砂が突然音をたてて動き出した。盛り上がる砂の間から、赤い二つのかがやきが見えた。
 驚いて声を上げようとした瞬間、すさまじい衝撃に襲われたのだ。
 まるで、雷に打たれたようだった。
 自分の身体が、宙に浮くのを感じた。身も心も散り散りに吹き飛んでいきそうだった。叫び声を上げるひまもなく意識は遠のき、
 気がついた時、森の中で記憶を無くして倒れていた。
「ぼくのせいなんだ」
 アイルはぼんやりとつぶやいた。
「やっぱりぼくのせいなんだ。ぼくが砂竜をよみがえらせてしまった」
「それは違うな、馬鹿らしい」
 ぞんざいな口調でロドラーンが言った。
「時が来ただけだ。ロドルーンの力をもってしても、砂竜を永遠に封じ込めて置くことは不可能だった。おまえがいなくとも、矢尻は遠からず抜け落ちて、砂竜は目覚めた」
「だけど・・」
「おまえはそれなりの役目をはたした。その矢尻を、ザンの子孫に届けたんだから」
「わたしの?」
 ダグが目を見開いた。
「そうだ。砂竜が目覚めた衝撃で、この子は空間を越えて吹き飛ばされた。まあそこが、ロドルーンの矢尻がひきつけられた場所、ザンの血を引くおまえの近くだったわけだ。この子を連れておまえは魔女を訪ね、魔女はかねての約束通り、おまえたちをわしのもとに案内した。こうなったのも、ロドルーンの魔法の一部なのさ」
「なぜ、わたしなんだ」
 ダグは当惑したように首を振った。
「はじめっから抜けた矢尻はあなたのところに届くようにすればよかったじゃないか。なんで、そんなまわりくどいことを」
「未来には幾通りもの可能性がある。過去からただ一つだけを確定することは不可能だ。ロドルーンは砂龍が目覚めた時、その時点で最もうまくいきそうな選択を矢尻にゆだねることにしたんだよ」
「これが一番の選択だって?」
「らしいな」
 ロドラーンは、半信半疑のダグにうなずきかけた。
 しかし、自分が矢を抜いてしまったことに代わりはないのだ。
 アイルは魔法使いにすがりつくようにして言った。
「今、砂漠はどうなっているの」
「砂竜は目覚めたが、完全によみがえったわけではない。身体の半分はまだ石化したままだ。だがそれでも、あいつの周りではすさまじい砂嵐が起こりはじめたし、石化が解けるのも時間の問題だ」
「そうなったら?」
「砂竜は自在に飛び回る。世界は砂と化すだろう」
「こうしちゃいられない」
 アイルは、叫ぶように言った。
「ぼく、砂漠に帰らなくちゃ。家族のところへ」
 母たちは、どんなに心配しているだろう。
 アイルが突然いなくなったうえ、原因不明の砂嵐まで起こっている。とにかく顔を見せて安心させ、側にいてあげなければ。自分は家族でただ一人の男なのだから。
「わかっている」
 ロドラーンは、うるさそうに髪の毛を払いのけ、アイルに手を伸ばした。
「それなら、さっさと矢尻をよこせ」
 アイルははっと気がつき、あわてて矢尻を取り出してロドラーンに渡した。
 ロドラーンはしげしげと矢尻に彫り込まれた古代文字を眺めた。
「どうするの?」
「作り直すのさ。こんどは、もっと強力なものになる」
 ロドラーンは暖炉の鉄鍋に矢尻を放り込んだ。
 矢尻は音をたてて熔け、先に鉄鍋に入っていた銀色の物体に混じり合った。
 ロドラーンは、じっとしているのも惜しいとばかり、こんどはテーブルの覆いをはぎ取った。
 部屋の中と同様に乱雑なテーブルの上には、コルクの蓋がついた大きなガラス瓶がでんと置かれてあった。瓶の半分近くまで、色とりどりの宝石めいた粒が入れられている。薄紅や水色、萌葱色など、それらひとつひとつが微妙に違った色の輝きを帯びている。
「それは?」
「魔女たちの精気だ。弟子にしてやるかわりに、もらったものさ。一人あたり五六年分の若さだな。長年かけてここまで集めた」
「あの魔女のも入っているんだな」
 ダグがつぶやいた。
「ふん。さぞ悪口を言っていたろうな」
 ロドラーンは肩をすくめた。
「十代の娘のころは喜んで若さを差し出したくせに、年をとるにつれ、だんだん渡したものが惜しくなる。魔女どもは、どいつもこいつもわしを恨んでいるんだ」
 ロドラーンはガラス瓶を抱え、暖炉の前に持ってきた。腕まくりをし、テーブルの覆いを丸めて、それで鉄鍋の取っ手をつかんだ。
「瓶の蓋を開けてくれないか」
 ロドラーンはアイルに言った。
「開けたらすぐに瓶から離れろ。できるだけ、すばやくな」
 アイルは言われた通りにし、ダグの方に飛び退いた。
 ロドラーンは鉄鍋の中味、ロドルーンの矢尻だったものをガラス瓶の中にそそぎ込んだ。
 何とも言えない耳障りな金属音がして、銀色の炎が瓶いっぱいに立ち上った。
 瓶は割れ、かけらが飛び散った。
 ロドラーンは、長い髪や髭にもふりかかったガラスのかけらを払い落とした。
 砕けたガラスの中に、真新しい銀色の矢尻がひとつ落ちていた。
「できたの?」
 アイルとダグは、伏せていた頭を上げた。
「まだだ、最後の仕上げがある」
ロドラーンは矢尻を拾い上げ、その出来映えをすかし見た。そして、大きく息を吐き出すと、両手で握りしめた。
 矢尻を胸元に押しつけたまま、ロドラーンは身体を丸めた。
 ぼんやりとした不思議な白い光が、彼のまわりからにじみ出てきた。
 光はしだいに強くなり、大きく膨れ上がって魔法使いを押し包んだ。獣めいた低いうめき声が、光の中から聞こえた。
「ロドラーン!」
 アイルが叫ぶのと同時に、光の強さは急速に衰えた。
 ロドラーンはその場に、小さくうずくまっていた。
 ロドラーンは、疲れたように顔を上げた。
 そう、確かに彼は小さくなっていた。
 長身の白髪頭の老人は消え、そこにいたのは黒い髪の、アイルとそう年の違わない少年だった。
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