第11話
文字数 2,357文字
山地帯を越え、最初の村に着くとすぐ、ダグはまじない師のことを人にたずねた。
ナズルではかなり有名な人物らしい。すぐさま答えが返ってきた。
暗森 の魔女。
そうまじない師は呼ばれていた。女まじない師だったのだ。
そして誰もが口をそろえて、その強欲さと恐ろしさを並べ立てた。
まじない薬を作ってもらったばかりに、全財産を奪われた男の話や、奉公の約束を破ってヒキガエルに変えられてしまった娘の話。魔女の家の中は全部金で出来ているとか、魔女は永遠の命を手に入れるために毎日一つづつ赤ん坊の心臓を食べるとか。
本当か嘘かわからない話を、ダグとアイルはいやと言うほど聞かされた。
村のはずれの土手に座って、やれやれとダグは煙草をふかした。
「とにかく、魔女は北の暗森という所に住んでいることは分かったな。うわさ話から推測するに、だいぶ気むずかしいらしい」
「とんでもない人のようだけど」
「大丈夫。取って喰いはしないさ。力のあるまじない師には、いろんな尾ひれがついたうわさ話がつきものなんだ。現にカズは彼女からまじない薬を手に入れている」
「カズがああなることを、魔女は知っていたんじゃないのかな」
ダグはちょっと眉を上げた。
「カズが矢を落とすことも、まじないの中におりこみずみっていうわけか」
「そんな気がする。すごく意地悪な人なんだ」
「まあ、会ってみればわかるさ」
とはいえ、二人はすぐに暗森へむかえなかった。魔女の報酬が高いことははっきりしていたし、ダグにはまとまった金がなかったからだ。
幸い、今は農家の刈り入れが一段落した秋祭りの時期だった。祭りにあわせて、弓術大会を行う所も多い。ダグは遠まわりでもそういった街や村を巡って、大会に出場し、賞金を手に入れるつもりだった。
翌日着いたロカという小さな街で、ダグはようやく矢を手に入れた。
街に一軒しかない弓具屋の、片隅にあった中古品だ。黒っぽい灰色の羽が少し欠けていたが、長さはダグにぴったりだった。
「矢筒はどうだい、兄さん。やっぱり中古だが、いいのがあるよ」
たまの客とばかりに、店の主人は愛想がよかった。
「いや、今回はがまんしとくよ」
ダグは店の前に並べられた矢筒を眺め、首を振った。
「砂ぼこりぐらい払ってやれよ、おやじさん。道具が可哀想だ」
「毎日払ってんだぜ」
主人は肩をすくめた。
「このところ雨が降らないんで、ほこりっぽいのさ。ただでさえ、山の向こうから砂が飛んで来るし」
「砂漠の砂?」
アイルは、驚いてたずねた。
「ああ。だが、今の季節ではめずらしいよ。たいていは、春先の風の強い日だけなんだがね」
アイルは、思わず西の山を降り仰いだ。
はじめて砂漠に近づいているという実感がした。
自分は砂漠にたどり着く前に記憶を取り戻せるのだろうか。
まだ見ない暗森の魔女へ期待と不安がふくれ上がってきた。
不安の方が大きかった。
なくした記憶は、必ずしも思い出したいものばかりではないような気がするのだ。
暗森に着くまで、ダグは大小あわせて四つの試合に出場することができた。
最高は三位、四位が二回、五位が一回だ。それなりの賞金が手に入ったが、ダグは自分の弓にまだまだ不満らしい。
ダグの矢は的の真ん中、銀色の竜の星を一度も射ぬくことはなく、引き終わるたびに気むずかしい顔をした。アイルに対してはすぐに表情を和らげたけれど。
ダグはもう弓を弾き語らなかった。試合のない村や町では、ちょっとした日やといの仕事を見つけて小銭を手に入れた。
節約したかいもあって、ダグの財布はブルクで泥棒に盗まれた時よりもふくらんでいた。
「これでも足りないと言われたら、あとは魔女のところで下働きでもするさ」
ダグは明るく言ってのけた。
笑い返しはしたものの、暗森に近づくにつれ、アイルの胸さわぎは、ますます強くなっていた。
どういうわけだろう。過去を知ることが、しだいに怖くなっている。
魔女の所になど行くのは止めてしまいたい。このままずっとダグと旅をして行けたらいいのに。
しかし、そんな心の一方で、自分の記憶と向き合わなければならないことは、アイルにもはっきりと分かっていた。自分が何者で、何を恐れているのか、知ることが先決なのだ。この恐怖の源をつかまなければ、それから逃れる術もないのだから。
暗森は、一番近い村里からも歩いて半日の距離にあった。
まさに暗森としか名付けようのない森だ。背後には切り立った山がそびえており、一日の大半は影につつまれているようだった。木々も高く太く枝を張り、日の光の届かない地面は黒くじめついている。もう夕方近くだったので、森の中はいっそう薄暗かった。
森を前にして、アイルは思わず身ぶるいした。
おそらく、真っ青な顔をしていたにちがいない。ダグが心配そうにその顔をのぞき込んだ。
「だいじょうぶかい? 少し休んでから行こうか」
アイルは首を振った。
「そんなことをしていたら、夜になってしまうよ、ダグさん」
二人は森の中に足を踏み入れた。たしかに訪れる者もいるらしくて、木々の間に細い道が出来ている。黒っぽい木の根元に、奇妙な形をした茸が群生していた。カラスの鳴き声が頭上でとぎれとぎれに聞こえ、いっそう不気味な思いにさせた。
道の先で木々がとぎれ、ぽっかりと空いた空き地に小さな木の家が建っていた。黒っぽいスレートの屋根から突き出した煙突から、灰色の煙が立ち上っている。
魔女の家にまちがいなさそうだ。
玄関の扉も家の壁も、くすんだ枯れ葉色をしていた。しかも、どこにも窓がない。
ザダは意を決したように玄関の扉を叩いた。
ナズルではかなり有名な人物らしい。すぐさま答えが返ってきた。
そうまじない師は呼ばれていた。女まじない師だったのだ。
そして誰もが口をそろえて、その強欲さと恐ろしさを並べ立てた。
まじない薬を作ってもらったばかりに、全財産を奪われた男の話や、奉公の約束を破ってヒキガエルに変えられてしまった娘の話。魔女の家の中は全部金で出来ているとか、魔女は永遠の命を手に入れるために毎日一つづつ赤ん坊の心臓を食べるとか。
本当か嘘かわからない話を、ダグとアイルはいやと言うほど聞かされた。
村のはずれの土手に座って、やれやれとダグは煙草をふかした。
「とにかく、魔女は北の暗森という所に住んでいることは分かったな。うわさ話から推測するに、だいぶ気むずかしいらしい」
「とんでもない人のようだけど」
「大丈夫。取って喰いはしないさ。力のあるまじない師には、いろんな尾ひれがついたうわさ話がつきものなんだ。現にカズは彼女からまじない薬を手に入れている」
「カズがああなることを、魔女は知っていたんじゃないのかな」
ダグはちょっと眉を上げた。
「カズが矢を落とすことも、まじないの中におりこみずみっていうわけか」
「そんな気がする。すごく意地悪な人なんだ」
「まあ、会ってみればわかるさ」
とはいえ、二人はすぐに暗森へむかえなかった。魔女の報酬が高いことははっきりしていたし、ダグにはまとまった金がなかったからだ。
幸い、今は農家の刈り入れが一段落した秋祭りの時期だった。祭りにあわせて、弓術大会を行う所も多い。ダグは遠まわりでもそういった街や村を巡って、大会に出場し、賞金を手に入れるつもりだった。
翌日着いたロカという小さな街で、ダグはようやく矢を手に入れた。
街に一軒しかない弓具屋の、片隅にあった中古品だ。黒っぽい灰色の羽が少し欠けていたが、長さはダグにぴったりだった。
「矢筒はどうだい、兄さん。やっぱり中古だが、いいのがあるよ」
たまの客とばかりに、店の主人は愛想がよかった。
「いや、今回はがまんしとくよ」
ダグは店の前に並べられた矢筒を眺め、首を振った。
「砂ぼこりぐらい払ってやれよ、おやじさん。道具が可哀想だ」
「毎日払ってんだぜ」
主人は肩をすくめた。
「このところ雨が降らないんで、ほこりっぽいのさ。ただでさえ、山の向こうから砂が飛んで来るし」
「砂漠の砂?」
アイルは、驚いてたずねた。
「ああ。だが、今の季節ではめずらしいよ。たいていは、春先の風の強い日だけなんだがね」
アイルは、思わず西の山を降り仰いだ。
はじめて砂漠に近づいているという実感がした。
自分は砂漠にたどり着く前に記憶を取り戻せるのだろうか。
まだ見ない暗森の魔女へ期待と不安がふくれ上がってきた。
不安の方が大きかった。
なくした記憶は、必ずしも思い出したいものばかりではないような気がするのだ。
暗森に着くまで、ダグは大小あわせて四つの試合に出場することができた。
最高は三位、四位が二回、五位が一回だ。それなりの賞金が手に入ったが、ダグは自分の弓にまだまだ不満らしい。
ダグの矢は的の真ん中、銀色の竜の星を一度も射ぬくことはなく、引き終わるたびに気むずかしい顔をした。アイルに対してはすぐに表情を和らげたけれど。
ダグはもう弓を弾き語らなかった。試合のない村や町では、ちょっとした日やといの仕事を見つけて小銭を手に入れた。
節約したかいもあって、ダグの財布はブルクで泥棒に盗まれた時よりもふくらんでいた。
「これでも足りないと言われたら、あとは魔女のところで下働きでもするさ」
ダグは明るく言ってのけた。
笑い返しはしたものの、暗森に近づくにつれ、アイルの胸さわぎは、ますます強くなっていた。
どういうわけだろう。過去を知ることが、しだいに怖くなっている。
魔女の所になど行くのは止めてしまいたい。このままずっとダグと旅をして行けたらいいのに。
しかし、そんな心の一方で、自分の記憶と向き合わなければならないことは、アイルにもはっきりと分かっていた。自分が何者で、何を恐れているのか、知ることが先決なのだ。この恐怖の源をつかまなければ、それから逃れる術もないのだから。
暗森は、一番近い村里からも歩いて半日の距離にあった。
まさに暗森としか名付けようのない森だ。背後には切り立った山がそびえており、一日の大半は影につつまれているようだった。木々も高く太く枝を張り、日の光の届かない地面は黒くじめついている。もう夕方近くだったので、森の中はいっそう薄暗かった。
森を前にして、アイルは思わず身ぶるいした。
おそらく、真っ青な顔をしていたにちがいない。ダグが心配そうにその顔をのぞき込んだ。
「だいじょうぶかい? 少し休んでから行こうか」
アイルは首を振った。
「そんなことをしていたら、夜になってしまうよ、ダグさん」
二人は森の中に足を踏み入れた。たしかに訪れる者もいるらしくて、木々の間に細い道が出来ている。黒っぽい木の根元に、奇妙な形をした茸が群生していた。カラスの鳴き声が頭上でとぎれとぎれに聞こえ、いっそう不気味な思いにさせた。
道の先で木々がとぎれ、ぽっかりと空いた空き地に小さな木の家が建っていた。黒っぽいスレートの屋根から突き出した煙突から、灰色の煙が立ち上っている。
魔女の家にまちがいなさそうだ。
玄関の扉も家の壁も、くすんだ枯れ葉色をしていた。しかも、どこにも窓がない。
ザダは意を決したように玄関の扉を叩いた。