第12話

文字数 2,820文字

 家は、しんと静まりかえったままだ。
 もう一度叩こうとした時、扉が内側に大きく開いた。
 アイルは、おそるおそる内をのぞき込んだ。
 窓のない家の内はもちろん真っ暗で、人の気配はしなかった。薬草か何かのいがらっぽい匂いがたちこめている。
 ダグが、思いきったように内へ入った。アイルも後に続いた。
 その時、音を立てて扉が閉まった。
 二人は真の闇の中に立ちつくしていた。
 アイルはダグにしがみついた。ダグは大きく息をして呼ばわった。
「暗森の魔女。あなたを訪ねてきたんだ。いるんだろ、出てきてくれ」
 答えはなかった。
 ダグは、もう一度声を出そうとした。
 と、前の方に細長く光が射した。
 光は大きくなった。
 向こうがわに、もう一つ扉があったのだ。まだ若い、ぽっちゃりとした女性がそこから顔を出した。濃い緑色の上着とスカートに、洗いざらしの清潔なエプロンをつけている。
「あなたが魔女?」
 アイルは思わずたずねた。
「とんでもない」
 彼女はぶるんと首を振った。
「こちらへどうぞ」
 通されたのは、明るい大きな部屋だった。
 アイルは、あっけにとられてあたりを見まわした。
 高い天井からガラス細工がほどこされたランプがいくつもつり下げられ、やわらかな光を放っていた。大きな窓には、ひだのたっぷりとした厚いカーテン。床には手織りの絨毯が惜しげもなく敷かれている。テーブルや椅子、壁際に置かれた数々の調度類もみな手のこんだ豪華なもので、細かな模様のレース編みや刺繍に飾られている。
 外から見た不気味な魔女の家とは、まったく様子が違っていた。広さだって、倍以上はあるに違いない。
 あれは目くらましだったのか。確かに、魔女といえばあんな暗い家が似合うかもしれないが。
 ダグが、部屋の奥に目を向けた。
 燃える暖炉のかたわらに、詰め物入りの大きな椅子が置かれていた。
 いかにも気の強そうな老婆が一人、そこにしゃんと背筋を伸ばして座り、お茶を飲んでいた。
 若い頃はさぞかし美しかったにちがいない。やせたその顔は、整いすぎているだけにいっそうとげとげした印象を与えた。濃い緑色の衣をまとい、白い髪を後ろにきっちりと結い上げている。大きな髪止めからはじまって、首飾りや腕輪、指輪。身につけている装身具はみな小さな宝石があしらわれた品のいい細工物だ。
 みんなまじないの報酬で手に入れたものなのだろうか。
 ちらりとアイルは考えた。
 それとも、こっちの方がめくらまし?
「ぽかんとしてないで、挨拶ぐらいしたらどうなんだい」
 あまり上品とはいえない口調で魔女は言った。
「どうせまた、ろくでもない頼み事を持って来たんだろ。ことわっておくが、死んだ人間は生き返らないよ。殺しの片棒もお断りだ。火あぶりにはなりたくないからね。それ以外なら交渉次第。もっとも、知っての通り報酬は高いよ」
 魔女は手元の鈴をちりりと鳴らした。二人を案内してきた人とは違う女性がそそくさと現れて、空になった茶碗を下げていった。
「ああ」
 われに返って、ダグはうなずいた。
「突然おしかけて申し訳ない。わたしはダグ。この子はアイルだ。この子は、どういうわけだか、記憶をなくしているんだよ。あなたなら、取り戻してやれると思ってね」
「なくくしものの相場は金貨一枚だよ」
 魔女はアイルに目もくれず言った。
「人の記憶なら、その五倍といったところかね」
 ダグはたじろいだ。
「それはちょっと高くないかい」
「安いくらいさ」
「今はそんなに持ち合わせていないんだ」
 魔女はふふんと鼻で笑った。
「甘かったね。出直しておいで」
「足りない分は何年かかっても必ず払う。約束するよ」
「あてにならないね」
「ここで働かせてもらってもいい。男手だって必要だろう」
「あいにく、奉公人はありあまっていてね。弓引きも来たことはあるよ」
「カズって名の?」
「名前なんか忘れたね。図体ばかり大きくて、なんの役にもたたないやつだった。二三ヶ月働かして、そうそうに追い返したよ」
「途中でばれるまじない薬を持たして?」
「中途半端な働きには相応のものだよ。でも、少しはいい思いもしたはずだ」
「彼よりは働けると思う」
「じゃあ、順番待ちしておくんだね。一年ぐらい先になるかもしれない。金もないのに望みばかりがある連中が多すぎるよ、まったく」
「何年でも待つし、いっしょうけんめい働くよ。だが、この子の記憶を戻すのは、今にして欲しい」
「むしのいいことを言うんじゃないよ。あたしの商売は、先払いって決まってるんだ」
「一日でも早く、思い出させてやりたいんだ」
 ダグは頼み込んだ。
「あなただけが頼りなんだ」
「泣き落としも聞き飽きてるよ。情に流されてちゃ、この仕事はやってけないんでね。あたしはこの力を得るためにそれなりの代償を払った。依頼人も覚悟して来るべきだろ」
「覚悟してるさ。わたしにできることなら、なんでもする」
「人間にできることなんて、たかが知れてるね」
「あなただって人間だろ」
 くやしまぎれにダグは言った。
「ほんとにこの子の記憶を戻せるだけの力があるのか?」
「馬鹿におしでないよ。あたしを誰だと思っているんだい」
 魔女は肩を怒らせた。
「魔法使いの直弟子になれるのは、せいぜい十年に一人ぐらいなんだよ。あたしは選ばれた者なんだ」
「魔法使いは、まだ生きているの?」
 魔女は、じろりとアイルをにらんだ。
「いるさ。最後の一人、あのいまいましいあたしの師匠・・」
 魔女は口をつぐみ、ふと眉を上げた。
 首をかしげ、もう一度アイルをまじまじと見つめた。
「お待ちよ。おまえ、何か持っているね」
「何か?」
「いやな気配だ。あたしのだいっきらいなやつの感じがしてきたよ」
 魔女は、ぶるっと身ぶるいして立ち上がった。
「魔法がしみついているもの、あいつが待っていたものかもしれないね」
 ぐいと手を差し出して、
「お見せ、早くこっちへ」
 魔女のただならぬ様子に、アイルは驚いて後ずさりした。
 ダグがかばうようにアイルの肩を引き寄せ、ささやいた。
「あの矢尻のことじゃないか」
 アイルはうなずき、腰帯に挟んでいた矢尻を取り出した。
 魔女はそれをひったくり、顔を近づけて眺めまわした。そして、短い笑い声をあげた。
「やっぱりだ。まちがいないね。これであいつとの縁も切れる」
「どういうことなんだ」
 ダグがたずねた。
「その矢尻の古代文字、読めるんだな」
「こんなにすりへってるんじゃ、読めるわけないだろ。ただ、わかるんだ。これには、こう彫り込まれているはずだよ」
 魔女は、目を閉じてささやいた。
「ロドルーンの名において、なんじを封印せり 」
「ロドルーン・・」
「まぎれもなく、これは魔法使いロドルーンが砂竜のを封じ込めた矢尻だね」


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