Phase_005_「第一関門」
文字数 5,926文字
悪夢ではない妙な夢だった。
諒世は目を覚ます。
何故だか、涼しげな風が吹き抜けていた。
異常にはすぐに気付くことができた。
視界の端には、ゲームなどの中によく見られるような緑色の体力ゲージのようなものや、いわゆる魔法力、MP、PPのような青いゲージがある。そして右下に固定されているウィンドウには「0」という数字に加え、「脱落者」という不可解な三文字の並びが表示されていた。
目が覚めたばかりで、また悪夢でもみているのかとも疑ったが、今は二〇三八年の現代魔法社会だ。VR技術が確立したのは十年以上も前の話で、諒世にとっては物心がついた頃からある技術なので、夢とは見まごうことはない。
四肢がしっかり動き、違和感はほとんどない。科学技術のみならず、魔術との混成である魔法科学の産物故のリアリティだ。
「夢……じゃないな……ここは……?」
目の前に広がるだだっ広い草原。記憶が混濁している。思考が周り始めてもなお、何故自分がこんな場所にいるのかが理解出来ない。
「ったく、ようやく起きたか。全く……これだから」
やれやれという口調で諒世の視界に入ってきたのは、左隣に座っていた吊目の少年だ。他人を見下すような言い方に、苛立ちを感じないでもないが、そこに悪意があるようにも思えなかった。
「遅い! 諒世やっと起きたの?」
「
知らない場所に、親しくない人物、一抹の不安があったが、景火と楫次の姿を見て、諒世は安心した。そう言えば、景火の苗字は羽生だったなと、言われて初めて思い出す。
景火は、こちらのことはお構いなしに、近くにいたカエルを突いては屈託無い笑みを浮かべている。楫次は、子供に付き添う親のように景火に注意している。
そこから少し離れた場所に、声の少女が真っ白な髪を靡かせて佇んでいた。
彼女の目は何を写しているのだろうか。草原を見つめているはずなのに、彼女はその先にある何かを見つめているようにも感じられる。
「さて、どこから説明したらいいものか……」
諒世が、声の少女に見惚れていると、咳払いと共に、吊目の少年が訊いてもない説明をし始めた。
「ここは、仮想世界『アタラクシア・フィールド』だ。魔法士には馴染みのある場所だな」
『アタラクシア・フィールド』というと、裕兄――神庭裕紀が携わっている仕事にそういったものがあるという認識が、諒世にはあった。
魔術を行使するには、様々なデメリットが付き物だ。例えば、魔術による誤射。演習で死んでしまうようなことは極力避けねばならない。
また、魔術を使用する際に、必ず生じる魔術汚染――魔術の反動で生じる疲れや損傷は決して侮ることは出来ない。魔力量というのは、汚染に対する身体の抵抗力のようなものだ。
このアタラクシア・フィールドでは、法も無ければ、痛みも魔術汚染も無い。演習施設としては、これ以上に都合の良いものはない。
「ここで最終選考試験なるものを行うらしい。内容は、五人一組になり、一番に地図の赤い点まで到達すること。制限時間三十二時間の中で、合格者五人が出るまで競い合う……そんなところか」
諒世は、なるほどと冷静に言葉を返すが、内心動揺している。
状況を飲み切れないまま、視界に表示された画面を指で摘んだりして操作すると、すぐに地図が表示された。
大きな円形都市の中央にそびえる塔。その頂上にゴール地点と思しき赤い点が表示されている。
「そういえば自己紹介は……」
「そんなものはとっくに済んでいる。が、チーム戦に支障を来すのも癪だから、名乗っておこう。
吊目の少年、秀策は面倒な性格をしている。捻くれというのか、ただどうしても自ら距離感を作ってしまっている。
ただ、礼儀は差し置いて、最低限の団体行動は意識しているらしい。
「扇谷諒世だ。名前、噛まないでくれよ」
「使える魔術は?」
「……防御魔術だけだ」
「俺は発電魔術と他にもいくつか魔術が使える」
そう言って、秀策は掌と掌を合わせて、小さな稲妻を作り出して、これが五パーセント出力だと自慢げに語った。
その二十倍ともなれば、人一人を感電死させる程度は容易だろう。確かに優秀な発電魔術の使い手だ。
しかし、自分の魔術ばかり自慢しておいて、諒世の防御魔術に関しては全く興味を示さない。
壱岐秀策への第一印象としては陰険であった。
「にしても、試験か……」
「試験?」
倍率数百倍のところから、さらに選考となると、恐ろしい数値になることは目に見えている。これ以上、試験で何を試そうというのか。
景火に至っては、諒世が寝ていたのを煽っておきながら、現状の理解に至っていないようだ。楫次が親切にも説明し始めるが、首を傾げてばかりだ。傾げ過ぎて、もげたりしないかが心配である。
「つまり? 進めばいいってわけでしょ?」
「この壁を前にしてもか?」
辺りは草原ではあるが、もう片方の景色を埋め尽くすのは高さ数十メートルの大きな壁だ
「地図にある通り、門は四つある。その内の一つをお前が寝ている間に見てきたが、……アレは捨て問だ」
「魔術霊魔のダイオウヤマカガシっていう、でっかい蛇がさ、もうてんこ盛りで……」
捨て問という表現が喉に引っかかったが、楫次が補足して何となくその意味を飲み込む。
「強引に、壁をぶち破っちゃう?」
「……一応策はあるけど、行けるかな?」
景火が魔術武装のクラゼヴォ・モルを取り出すと、楫次さえもそれに乗じて武器を構える。
策というのは、恐らく、楫次の扱う戦鎚型魔術武装による崩壊魔術だ。
楫次の背丈程ある巨大なハンマーは見るからに破壊力がありそうで、名前も仰々しい魔術だが、機能はとても地味なものだ。
ひびや欠損箇所を探し、それを押し拡げるというもので、これがなかなか難しい。出来るものと出来ないものが曖昧なのだ。
傷がほとんどなければ、効果はほとんどない。景火の魔術の破壊力があれば、ハンマーに対する大きな杭に成り得るので、不可能ではなさそうだ。楫次の勝算はそこにあるのだろう。
魔力の消耗が気になるところではあるが、獰猛でタフなことで有名な魔術霊魔ダイオウヤマカガシを相手にするよりかは幾分コストは低く済むはずだ。
策としては悪くない。諒世も同意しようと声を発しようとした時だった。
「……それは不可能」
ずっと離れた位置で口を閉ざしていた白髪の少女が、沈黙を破った。
その言葉だけでは、納得し難かったが、彼女が足元にある石を壁に投げつけたのを見て、何か違和感のようなものが浮上した。
「急がば回れ! 強行突破! ヘビを倒す!」
景火は意を決して、門のある方へと走り出した。
急がば回れという言葉の意味が違うが、彼女としては誤用したつもりはないのだろうか。
「……そういうことじゃないっ」
「景火! って決めてからの行動が速いな」
白髪の少女は、一瞬だが、初めて、感情的な口ぶりを見せた。
諒世は違和感の正体が何か、明確な解を導き出せていなかったので、景火の独断を止め切ることが出来なかった。
なら、もう一度試してみるに限る。
諒世は足元の石ころを拾い、彼女がしたように壁に投げつける。
今度もその石は弾かれることなく、当たった瞬間垂直に落下するだけだった。
違和感の正体はこれだ。
「ふむ、この壁……魔術か」
「防御魔術と似た性質だ。これ、神庭ゼミでやったやつだ!」
秀策の一言により、諒世は確信を得る。
防御魔術を教わるついでに、そのコツとして裕紀から教わっていたものの一つに『ヌリカベ装甲壁』という技術があった。
魔法科学の産物であり、主に堤防や建材などに用いられる『ヌリカベ装甲壁』は、名前の通り妖怪ヌリカベが由来である。
どこまでも人々の行く先を阻む妖怪として伝えられているヌリカベを魔術で再現し、その構成式を科学で紐解き、強固な物質を作り出した。あらゆる衝撃に対して無類の頑丈さを誇り、外部からのエネルギーを全て遮断するといった優れものなのだが、未だに研究段階の代物だ。
アタラクシア・フィールドは、こういった魔法科学の実証試験を行う場としても重宝されており、ここがその場所かどうかは計り兼ねるが、ここまでの異常な防御性能を諒世は知らない。
「神庭ゼミ?」
「いや、気にしないでくれ」
楫次が首を傾げて、訊いてくるが論旨はそこではない。
「ヌリカベ装甲壁か……すると尚更、門を選んだ方が良さそうだな」
「これは試験だろ? 門は捨て問に変わりない。景火もその内戻ってくるだろ……」
試験には必ず模範解答というものがある。
そして、それを導くためのヒントは必ずどこかにある。常識を問い正せ。
「毒蛇がいるわけだし、その毒でヌリカベをどうにか出来るんじゃないかと思う」
「そしたら、本末転倒だと思うけど……うーん何か手段は……ヘビ、他には……カエル?」
ヌリカベ装甲壁は、妖怪の細胞を用いて構成されている。どんなに頑丈な盾でも弱点は存在するのだ。
確信こそ無いが、もし弱点が存在するなら、ヌリカベもまた生き物であるということだ。もしそうなら、毒は有効な手段である。
楫次がカエルという言葉を発した直後、秀策が口を開く。
「――ヤマカガシの奥歯の根元辺りだ」
「は?」
「そこから出る毒は、主食であるヒキガエルのブフォトキシンという毒素を貯蓄して再利用している、という話がある」
急に何を言い出すかと思えば、秀策は専門用語を並び立て始める。
「ダイオウヤマカガシが立派な魔術霊魔なら、生態系に組み込まれているヒキガエルの方の毒性も特殊で強力だと思わないか?」
「ヒキガエルを捕まえて、毒を採集してくるってことか……」
多少必要のない情報があったにせよ、彼の知識は信用に足る。
変化球だが、もし仮にこれが模範解答なら出題者は相当な難問を用意してきたものだと感じた。
だが、試してみる価値はありそうだ。
「まずは、ヒキガエル集めからか――」
魔法士になるための第一関門――ヒキガエルを集めること。
遠回りだが、急がば回れだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一度分散して、各人でカエルを集めてくる方が効率的だという話になった。
三十分程経過したところで、一度壁の前で合流したが、それぞれ表情が芳しくない。
「で――何故誰一人として一匹も捕って来てないんだ?」
顔面を引きつらせている秀策のその手にもヒキガエルの姿はなかった。
「ごめん、けっこうすばしっこくて……」
楫次は軽く頭を下げて、苦笑いしている。
「ところで、それは?」
「ん? これか?」
諒世の掌に纏わりつく白濁液を見て、秀策は恐る恐る尋ねる。
「いやな……、こうした方がカエル達も苦しまないし、最も効率的だと思うんだ」
「そういう問題ではなくて、お前……それ早く手を洗わないとまずいぞ……」
「そういうことなら、問題はない。こう見えて、俺は毒に対する免疫が強いんだ。インフルエンザとかもかからないし」
防御魔術しか使えなくなった反面、諒世の身長は著しく伸び、同時に抵抗力も人並み外れたものになっていた。
あの日以来自身の体質で得をしたことはなかったが、ここに来て役立ったのが、諒世を複雑な気持ちにさせる。
「ま、体力ゲージみたいなやつが減ってないから、大丈夫だろ?」
視界の先に表示されている緑色のゲージは、試験開始から変化は無い。それは、諒世から見える他四人の頭上に表示されているものにも同様の事が言える。
「そうだな……、見た限り減っていない。……だが、即効性の無い毒だと考えれば、ダメージ換算されていないとも考えられる。そもそも、毒に対してはどうダメージが推移するのか見当がつかん。これだと、お前が実際、毒に対して効力があるとは俄かに確信は出来ない。だから、ここを抜けたら何処かで手を洗えよ、念のためにな」
どうやら、壱岐秀策という人物は根っからの心配性らしい。妙に捻くれた性格も、それが起因なのだろう。人は第一印象が全てではないようだ。
諒世は、わかったよ、と面倒臭さそうに呟いた後、『ヌリカベ式装甲壁』の壁面に毒液を塗りたくった。
結果として、諒世達の出した答えは正解と呼べるに相応しいものだった。
ヌリカベ装甲壁が不完全な技術である所以は、優秀過ぎるために、毒を盛られた箇所を一度削ぎ落とし、再生することだ。
その一瞬の綻びに、楫次が魔術武装のヘッドを叩きつける。
すると、再生が止まり、それまでドロリと溶けだしていた外壁が一度固まり、砂糖菓子のように簡単に砕けていった。
その隙間を掻き分けながら、街の中へと足を踏み入れる。
未だ粘性を持った箇所は、泥団子のように手で握って固めるとゴムボールのような弾性を持ち始め安定したので、崩壊した部分は完全に死んでいるわけではないようだった。
諒世の防御魔術とは、少し異なるが、相性は悪くない。どこかで役に立つこともあるだろうと思い、諒世はそのゴムボール状のヌリカベを制服の右ポケットにしまい込んだ。
辺りを見渡して現在地を確認している楫次と秀策とは別に、諒世は白い髪の少女と壁の近くで二人きりになった。
「そういえば、名前……聞いてなかったよな」
一度振られた身だが、このチーム戦という状況を口実に、諒世は思い切って、話を持ち出した。
「――
「もしかして、さふじって
彼女は一瞬少しだけ、一ミリもないくらい口元が動いたが、結局何も言わずに黙って頷いた。
「サトウカエデ? メープルの原料か……何か甘そうな名前だな」
諒世は冗談を言ったつもりだが、彼女はまた不機嫌そうにそっぽを向いて歩きだした。
失言だったと後悔していると、取り残された諒世の肩を突く者がいた。
「あれ? 景火?」
「ふふん~」
何故だか自慢げな表情で、それでいて特に何を言うわけでもなく「察してオーラ」を出している。
彼女のアホ毛が、まるで尻尾のように動き回っている。
「まさか、ヤマカガシを倒してきたのか……?」
「当然! この羽生景火に出来ないことはないのです!」
何で急に敬語になったのか。彼女としては目いっぱい偉そうに見せたいのだろうが、偏見からかやはりアホの子にしか見えない。
それに、予感があった。
突如、ドドドドという音が何処からともなく響く。
「景火、これ倒しきれてないよな?」
「あ、ごっめんー」
景火は片目を閉じて、舌を出して茶目っ気全開で誤魔化そうとするが、諒世には効かない。
「何やっちゃってくれてんだよ!! 逃げるぞ!」
先行している三人を追う形で、諒世は走り出した。