Prologue_001_『切り隔つ』
文字数 4,532文字
――全て魔の理は魔法に律せらるべし。
『最高位魔法十七条』第一条序文より抜粋。
西暦二〇三七年――十年前に起きた隕石の衝突の規模は、恐竜絶滅時の隕石以来もしくはそれ以上の崩壊をもたらすとされ、地球に住む生物の多くが絶滅すると言われていた。
無論、ヒトという種も例外なく該当項目に浮上した。
しかし、ヒトは既にヒトではなく、人となっていた――。
彼らは、抗う事に長けた種族であり、その危機をも乗り越えることに成功した。
『魔術』。
超自然現象を自発的に引き起こす力のことを指す。今までの物理法則や歴史のほとんどが水の泡となるような大きな力。
人の歴史を覆す新たな文明が始まりを遂げた。
大きな崩壊の後には、必ず秩序がもたらされる。
人類存亡の危機から生き延びた全人類、この魔法社会を統べているのは魔法という存在だ。
十一年前より以前は強すぎる力を隠すための禁則事項のようなものだった魔法だが、現代ではその力を抑える法律としての面が大きくなっている。
魔術は人類に、進化を与えた反面、暴走も与えた。現代魔法社会といっても、人々の多くはその飛躍的な進化に適応出来ていない。
そんな社会を先導し、制御する魔術師達を人々はこう言った。
「魔法士」
そう――
しかし、願望は明確だが、辺りが真っ暗だ。
周りが見えない程ではない。この先の未来が全く見えていないわけでもない。
日がほとんど沈んだこの時間帯は、利用者が少ない。
公共のグラウンドといっても、市の申請を通した貸し切りが無い限りは、少人数での利用は自由だ。
日が沈むのが少し早くなった気がする。
それに対して、グラウンドの照明は点灯しない。季節の変わり目はこんなものだろうと割り切り、諒世は暗闇に目を慣らす。
「今日、お前に教えるのは防御魔術だ」
「
「いや、お前はダメだ。ダメダメだな、防御魔術に関してだけはレベル0だ! あと、裕兄って呼ぶのやめてくれ……」
十二歳にしては高めの身長の諒世よりもさらに一回り以上身長の高い青年が声を張り上げる。
「って言われても、フツー防御魔術だけにこんな時間かけっかな……」
「諒世……お前は何も分かってないな」
諒世が「裕兄」と呼ぶその青年は、右の掌を前に突き出して、数回指の関節を曲げた。
すると、まるで魔法のように、その掌にテニスボール程の火の球が現れる。
魔法ではなく、人々はこの不思議な現象を魔術と呼んでいる。
青年はいとも簡単に熟してみせるが、諒世には到底理解できない。
こんなに単純な動作だけで魔術が使えるということ自体が、この青年の魔術師としての才覚を示すものだった。
だから、まるで魔法のような――魔術のさらにその先のような存在なのだ。
憧れるが、届きそうな気はしない。
何より彼は国内屈指の魔術師名家『
そんな彼に魔術の手解きを受けているのだから、きっと世の中の魔術師見習いは諒世を羨むだろう。
「普通なんてありはしない。常識を問いただせ、な?」
「そう言われても……」
確かに普通ではない。魔術そのものだって、まだ世の中に普及したのもつい最近で、しっかりと「異能」とまで呼ばれている。
「構えろ。逃げるなよ? しっかり受け止めろ!」
「え、ちょ……待っ――!」
青年はある程度距離を取った後、掌の火球を放った。火球は、まるで自我があるかのように独りでに諒世へと向かう。
その姿は次第に大きくなり、人を丸々飲み込める程の炎となった。
諒世は右手を身体の前にかざす。
「《
炎は一瞬だけ諒世を包み込んだが、青年が指を鳴らすと四方に散って消えた。
季節としては、ようやく猛暑日も少なくなってきたところなのに、それを蒸し返すような暑さだ。むしろ、熱い。
加減してくれたのか、火傷したり、服が焦げたりはしなかったが、一瞬の熱さからか諒世は少し涙目になる。
「まぁ今日はここまでか」
「え、もう終わり?」
ようやくグラウンドの照明が点く。一瞬、眩しくて、眼を閉じてしまう。
「用事があってな。新幹線に乗って京都に行く」
「へぇ、もしかして裕兄の……魔法士の仕事関連?」
「いや、家のことだな。あと裕兄言うな。お前の兄は一人だけだろ」
言われてみればそうだが、物心ついた頃から知り合いであるため、どうしてもこの呼び方が定着してしまった。
それ以外の呼び方など思いつかない。
「そういうわけで、しばらく
そう言って、諒世を残して、彼はその場を去った。
「……もう少し練習してから帰るか……」
強くならなければならない。裕兄ではなく、自分の本当の兄に認めてもらうために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小学生最後の夏が終わろうとしていた。
魔術の鍛錬に勤しんでいたところに、大粒の雨。
日中から日本列島には、台風が上陸していて、気象庁から大雨暴風警報が出ていた。
そのことをすっかり忘れていたのだ。
深夜になっても、窓を揺らすほどの暴風雨が外気を満たしていた。
関東圏ではこの雨が朝方近くまで続くらしいが、朝にはすっかり止んでいるらしい。
諒世の気は沈んでいた。
腕っぷしにはそこそこ自信があっても、何かが足りない気がする。強そうな容姿、積み重ねられた経験。思い当たるものは多い。
――と、そんな分かりきったものではなく、もっと根幹にあって、ややこしい話が彼を悩ませていた。
日付が変わろうとしていた。いつもはもう寝ている時間なのに、諒世は居間の椅子に腰掛けて、テーブルに顔を伏せていた。
「
姉の声が聞こえた。長女の架夜は、母親の声にそっくりだが、何となく声のイントネーションで聞き分けられる。
それに諒世の母親は家を長期間空けていることが多く、今この家にはいない。
「わっかんねぇ……」
「裕兄」、神庭裕紀が言ったように、魔術については、まだまだ分からないことだらけだ。しかし、諒世にはもっと分からないことがある。
諒世は、顔を上げずに、自らの赤みががった髪をぐしゃぐしゃと粗雑にかき回す。
「
「いや、取り合いとかしないって! 俺どんだけちくわ好きなんだよ……。いや、好きだけどさ……」
「じゃあ……どうして?」
諒世の好物がちくわだというのは別として、架夜は事の重大さに気付き、改めてもう一度訊き直した。
諒世は自分が悪いのだということは分かっていた。だから、彼女のその態度には少しだけ驚いた。
そして、分からないでもいた。兄の
「分からないんだよ、
顔を持ち上げると、やはりそこにいたのは姉の架夜だった。淡い茶色の長髪で、瞳は赤い。母親曰く、若い頃の自分にそっくりだという。若い頃は、こんなにスタイルが良くて、モデルのような体格だったのだと、噓のように思えてならなかった。
こうして大事な時には、いつも母親はいなくて、代わりに架夜がすぐ傍にいてくれる。
彼女の方が、よっぽど母親らしいのかもしれない。歳が一回り離れているせいもあって、彼女には噓が吐けないようにも思えた。
架夜には言っても良いだろうと、諒世は意を決して話を切り出した。
「何で俺だけが灯兄に避けられてるんだって問い詰めた」
「それで?」
「返答なし。黙って出てったよ」
「うーん……」
諒世の反応を見て、架夜はどうしたかものかと腕を組む。
そして、何かを決したように、彼女は再び口を開き始めた――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
諒世は走って、走って、走っていた。
夜闇の中、ひたすらに走る。雨風を切る度、息が切れそうになる。
でも、立ち止まってはいけない。
断ち切ってはならないものがあった。
何故気付けてやれなかったのかと後悔する。
口論といっても、一方的に諒世が責め立てて、灯世は家から出て行った。
何も反論を言わないのは、彼が人一倍、人の気持ちがわかるからだったなんて、思いもしなかった。
「人の心が読める」なんて、現実離れしている。
所謂、特異体質というものだろう。いつからか、諒世が彼に避けられるようになったのは、強い憧れがプレッシャーになってしまっていたのかもしれない。
好意は時に相手を苦しめる。架夜はそう言った。
そんな経験したことのない感情を言われても、ピンとこない。
でも、人の心が読めるということは、知らず知らずに灯世は傷を負っていたに違いない。
必ずしも諒世だけの責任ではない。でも、引き金を引いてしまったのは諒世だった。
口論の中、一瞬だけ、灯世なんか嫌いだと思った自分を恨んだ。
一晩中、灯世を探しに街を駆け巡った。
雨で、服はびしょびしょに濡れて、スニーカーは水分を含み重い。
一度諦めて、家に戻ろうとした時、自宅のあるアパートの屋上に、薄っすらと人影があるのを見つける。
本来は立ち入りの出来ないスペースなので、わざわざ夜明け近くに、そんな場所にいる人間など限られている。
息が切れ切れだった。
どうしてこんなにも不安なのか分からなかった。
こういう予想は、いつもなら思い過ごしで終わるのだが、今日ばかりは違うと心が叫んでいた。
嘘だと信じたい。これは夢だと、起きたら、いつかの平凡な朝が訪れているものだと思いたい。
雨で濡れた階段をこの日程恨んだことは無い。一度大きく足を踏み外してしまって、身体を強く打ち付ける。
全身至るところを打撲してしまい、痛みが涙を誘う。
このぐらいの痛みではなかったはずだ。諒世の想像以上に、灯世は自分の、呪いのような力に苦しめられていたはずだ。
「
返答が無かった。それは嘘だ。灯世は口論の末に一言だけ「ごめん」と言った。そんな兄を、諒世は拒絶してしまった。それが、彼をあの場所に立たせているのなら、その誤解を解かなければならない。
人の考えていることがわかるのなら、この気持ちも届くはずなのに、なんで応えてくれないのだろう。
本当のことを言ってしまったら、幻滅させてしまう。そんな小さなことを考える人間だと思われたくなかったのか。
物心がつき始めてから、兄の存在はずっと憧れだった。いつでも先を走る灯世に、ずっと憧れていた。
きっとその憧憬が、灯世を追いつめて、心を開いてくれなかった要因なのだ。
ようやく屋上へと駆け上がった頃には、灯世は今にも身を投げ出そうとしていた。
ここからの記憶は無い。
ただただ、走って、一緒に落ちて、叫んだ。
死なないために、あるいはこの気持ちを守り、意地でも突き通すためにか。
「《
もし、この先に未来なんてものがあるなら、それはきっと絶望だ――。