Phase_007_「ゲームなんかじゃない」
文字数 10,618文字
来晴の発火魔術によって生じた霧の中、景火の五感を頼りに歩みを進める諒世達。
しかし、諒世はここで重大なミスに気付いてしまった。
「そういえば、景火極度の方向音痴だったよな……」
「ぅ……そんなことなくもないわけないし……」
否定に否定を重ねてお茶を濁そうとするが、地図を確認すると、街の中央から徐々に離れていってることが分かる。
事実が何よりもの証拠だ。
「ん? 何かある……建物じゃない?」
「真っ黒だな……何か怪しくないか……」
霧の中に現れたのは、窓一つ無い大小様々な真っ黒な立方体。それらが重なり合い、接合する事によって、一つの建造物を作り出している。
しかし、先程からプラナリアハイエナが吠える声も聞こえ始め、一旦身を隠す場所が欲しいという気持ちもあった。
「とりあえず、入るか……」
怪しい上に、嫌な予感もしたが、このまま進んでもプラナリアハイエナの餌食になるだけだ。
自動ドアが開き、その先へと進む。
最上階まで吹き抜けになっている空間に出ると、一面真っ白な内装が広がっていた。
彫像や絵画があることから、美術館だということが容易に想像できた。
美術館のフロントホールらしき場所の中央には半壊状態の大きな柱のオブジェがある。誰かに壊されたというよりも、元々こうであったかのような造りをしている。
欠けている故に、それが本来どういう形であるべきなのか、気になる。諒世はこういった類の美術作品に疎いが、何となく惹かれるものがあった。
辺りを調べていると、背後から何かが軋む音が響く。
「な――――ッ!?」
振り向いた時には、爆音と共に入口付近の壁が瓦解していた。
「――罠か!!」
爆発の範囲外にいた諒世達にはその衝撃が及ばなかったが、自動ドアは波打ったように形を変え、開閉の機能を失っていた。
「閉じ込められたのか……?」
「そうみたいだね……」
楫次も秀策も動揺して、事実を有りのままにしか捉えられていないでいる。
犬型の魔術霊魔から逃走する点では、この上無い成功であると考えて良いだろう。しかし、これは彼らの意志の範疇で起きたものではない。何者かの作為によって、“引き返す”という選択肢を搾取されてしまったという事実がそこにはあった。
いずれにせよ、この蛇足のバリケードは諒世達にとって、デメリットである疑念は振り払えない。
ならばと、拉げた透明色の壁に打ち付けようと、諒世は散乱した瓦礫の内で手頃なものを選び取る。
「無駄だよ――――」
フロントホールに声が響いた。声変わりを迎えていない良く通る中性的な少年の声。
音源である階上の吹き抜けに目をやると、そこには同じく受験者であろう小柄な少年が立っていた。その少年の赤みを帯びた瞳が、長い前髪の間から階下を見下ろし、告げた。
「その扉、結構頑丈みたいだしね」
少年のポケットから何かが外れる音と共に、外された円筒状且つ重厚な何かが投擲される。
「――――ッ!?」
扉付近へと放物線を描き、落下運動を始めるであろう
「――間に合えッ!」
今にも等加速運動を始めんとする手榴弾。その脇に現れた円形の術式が閃光を散らした。
二度目の爆音は、より強く、激しく、――そして、フロントホールのサイドの片壁面を大きく抉り削った。出入口付近には依然として、扇谷諒世が立っていた。手榴弾の軌道が何かしらの術式で大きく逸れたのだ。
「磁力操作か……」
金髪赤眼の少年は舌打ちするも、表情には未だ余裕がある。
対して、秀策の額には脂汗が滴っていた。爆発が起きた箇所にはナイフが落ちていて、周囲には魔術符の残骸が散らばっている。
ナイフに括り付けた魔術符を投擲して、磁力を操る術式を壁際で作動させたのだろう。
「せっかく扉の強度を証明してあげようとしたのに」
「中々余裕そうだな、この……」
「余裕じゃないけど、まぁゲームみたいなものだからね。楽しませてもらうよ」
秀策は魔力消費が限界に近いのか、口から血を吐き出して跪いた。
少年の余裕に対して、秀策は今にも倒れてしまいそうだ。
「こんなところで倒れてたまるか……」
心配になった諒世が手を貸そうとしたが、秀策はそれを拒絶して、一人で何とか立ち上がる。
これはゲームではない。秀策の頑なな意志が、それをひしひしと伝えている。
そんな秀策の姿を見て、諒世もようやく覚悟が出来た。
「何がそんなに楽しいんだよ?」
「んー……まぁ燃える展開? そんな感じかな」
少年は他意があるわけでもなく、諒世の問いに対して、純粋にそう応えた。
「じゃあ、
来晴の発火魔術によって生じた霧の中、景火の五感を頼りに歩みを進める諒世達。
しかし、諒世はここで重大なミスに気付いてしまった。
「そういえば、景火極度の方向音痴だったよな……」
「ぅ……そんなことなくもないわけないし……」
否定に否定を重ねてお茶を濁そうとするが、地図を確認すると、街の中央から徐々に離れていってることが分かる。
事実が何よりもの証拠だ。
「ん? 何かある……建物じゃない?」
「真っ黒だな……何か怪しくないか……」
霧の中に現れたのは、窓一つ無い大小様々な真っ黒な立方体。それらが重なり合い、接合する事によって、一つの建造物を作り出している。
しかし、先程からプラナリアハイエナが吠える声も聞こえ始め、一旦身を隠す場所が欲しいという気持ちもあった。
「とりあえず、入るか……」
怪しい上に、嫌な予感もしたが、このまま進んでもプラナリアハイエナの餌食になるだけだ。
自動ドアが開き、その先へと進む。
最上階まで吹き抜けになっている空間に出ると、一面真っ白な内装が広がっていた。
彫像や絵画があることから、美術館だということが容易に想像できた。
美術館のフロントホールらしき場所の中央には半壊状態の大きな柱のオブジェがある。誰かに壊されたというよりも、元々こうであったかのような造りをしている。
欠けている故に、それが本来どういう形であるべきなのか、気になる。諒世はこういった類の美術作品に疎いが、何となく惹かれるものがあった。
辺りを調べていると、背後から何かが軋む音が響く。
「な――――ッ!?」
振り向いた時には、爆音と共に入口付近の壁が瓦解していた。
「――罠か!!」
爆発の範囲外にいた諒世達にはその衝撃が及ばなかったが、自動ドアは波打ったように形を変え、開閉の機能を失っていた。
「閉じ込められたのか……?」
「そうみたいだね……」
楫次も秀策も動揺して、事実を有りのままにしか捉えられていないでいる。
犬型の魔術霊魔から逃走する点では、この上無い成功であると考えて良いだろう。しかし、これは彼らの意志の範疇で起きたものではない。何者かの作為によって、“引き返す”という選択肢を搾取されてしまったという事実がそこにはあった。
いずれにせよ、この蛇足のバリケードは諒世達にとって、デメリットである疑念は振り払えない。
ならばと、拉げた透明色の壁に打ち付けようと、諒世は散乱した瓦礫の内で手頃なものを選び取る。
「無駄だよ――――」
フロントホールに声が響いた。声変わりを迎えていない良く通る中性的な少年の声。
音源である階上の吹き抜けに目をやると、そこには同じく受験者であろう小柄な少年が立っていた。その少年の赤みを帯びた瞳が、長い前髪の間から階下を見下ろし、告げた。
「その扉、結構頑丈みたいだしね」
少年のポケットから何かが外れる音と共に、外された円筒状且つ重厚な何かが投擲される。
「――――ッ!?」
扉付近へと放物線を描き、落下運動を始めるであろう
「――間に合えッ!」
今にも等加速運動を始めんとする手榴弾。その脇に現れた円形の術式が閃光を散らした。
二度目の爆音は、より強く、激しく、――そして、フロントホールのサイドの片壁面を大きく抉り削った。出入口付近には依然として、扇谷諒世が立っていた。手榴弾の軌道が何かしらの術式で大きく逸れたのだ。
「磁力操作か……」
金髪赤眼の少年は舌打ちするも、表情には未だ余裕がある。
対して、秀策の額には脂汗が滴っていた。爆発が起きた箇所にはナイフが落ちていて、周囲には魔術符の残骸が散らばっている。
ナイフに括り付けた魔術符を投擲して、磁力を操る術式を壁際で作動させたのだろう。
「せっかく扉の強度を証明してあげようとしたのに」
「中々余裕そうだな、この……」
「余裕じゃないけど、まぁゲームみたいなものだからね。楽しませてもらうよ」
秀策は魔力消費が限界に近いのか、口から血を吐き出して跪いた。
少年の余裕に対して、秀策は今にも倒れてしまいそうだ。
「こんなところで倒れてたまるか……」
心配になった諒世が手を貸そうとしたが、秀策はそれを拒絶して、一人で何とか立ち上がる。
これはゲームではない。秀策の頑なな意志が、それをひしひしと伝えている。
そんな秀策の姿を見て、諒世もようやく覚悟が出来た。
「何がそんなに楽しいんだよ?」
「んー……まぁ燃える展開? そんな感じかな」
少年は他意があるわけでもなく、諒世の問いに対して、純粋にそう応えた。
「じゃあ、
来晴の発火魔術によって生じた霧の中、景火の五感を頼りに歩みを進める諒世達。
しかし、諒世はここで重大なミスに気付いてしまった。
「そういえば、景火極度の方向音痴だったよな……」
「ぅ……そんなことなくもないわけないし……」
否定に否定を重ねてお茶を濁そうとするが、地図を確認すると、街の中央から徐々に離れていってることが分かる。
事実が何よりもの証拠だ。
「ん? 何かある……建物じゃない?」
「真っ黒だな……何か怪しくないか……」
霧の中に現れたのは、窓一つ無い大小様々な真っ黒な立方体。それらが重なり合い、接合する事によって、一つの建造物を作り出している。
しかし、先程からプラナリアハイエナが吠える声も聞こえ始め、一旦身を隠す場所が欲しいという気持ちもあった。
「とりあえず、入るか……」
怪しい上に、嫌な予感もしたが、このまま進んでもプラナリアハイエナの餌食になるだけだ。
自動ドアが開き、その先へと進む。
最上階まで吹き抜けになっている空間に出ると、一面真っ白な内装が広がっていた。
彫像や絵画があることから、美術館だということが容易に想像できた。
美術館のフロントホールらしき場所の中央には半壊状態の大きな柱のオブジェがある。誰かに壊されたというよりも、元々こうであったかのような造りをしている。
欠けている故に、それが本来どういう形であるべきなのか、気になる。諒世はこういった類の美術作品に疎いが、何となく惹かれるものがあった。
辺りを調べていると、背後から何かが軋む音が響く。
「な――――ッ!?」
振り向いた時には、爆音と共に入口付近の壁が瓦解していた。
「――罠か!!」
爆発の範囲外にいた諒世達にはその衝撃が及ばなかったが、自動ドアは波打ったように形を変え、開閉の機能を失っていた。
「閉じ込められたのか……?」
「そうみたいだね……」
楫次も秀策も動揺して、事実を有りのままにしか捉えられていないでいる。
犬型の魔術霊魔から逃走する点では、この上無い成功であると考えて良いだろう。しかし、これは彼らの意志の範疇で起きたものではない。何者かの作為によって、“引き返す”という選択肢を搾取されてしまったという事実がそこにはあった。
いずれにせよ、この蛇足のバリケードは諒世達にとって、デメリットである疑念は振り払えない。
ならばと、拉げた透明色の壁に打ち付けようと、諒世は散乱した瓦礫の内で手頃なものを選び取る。
「無駄だよ――――」
フロントホールに声が響いた。声変わりを迎えていない良く通る中性的な少年の声。
音源である階上の吹き抜けに目をやると、そこには同じく受験者であろう小柄な少年が立っていた。その少年の赤みを帯びた瞳が、長い前髪の間から階下を見下ろし、告げた。
「その扉、結構頑丈みたいだしね」
少年のポケットから何かが外れる音と共に、外された円筒状且つ重厚な何かが投擲される。
「――――ッ!?」
扉付近へと放物線を描き、落下運動を始めるであろう
「――間に合えッ!」
今にも等加速運動を始めんとする手榴弾。その脇に現れた円形の術式が閃光を散らした。
二度目の爆音は、より強く、激しく、――そして、フロントホールのサイドの片壁面を大きく抉り削った。出入口付近には依然として、扇谷諒世が立っていた。手榴弾の軌道が何かしらの術式で大きく逸れたのだ。
「磁力操作か……」
金髪赤眼の少年は舌打ちするも、表情には未だ余裕がある。
対して、秀策の額には脂汗が滴っていた。爆発が起きた箇所にはナイフが落ちていて、周囲には魔術符の残骸が散らばっている。
ナイフに括り付けた魔術符を投擲して、磁力を操る術式を壁際で作動させたのだろう。
「せっかく扉の強度を証明してあげようとしたのに」
「中々余裕そうだな、この……」
「余裕じゃないけど、まぁゲームみたいなものだからね。楽しませてもらうよ」
秀策は魔力消費が限界に近いのか、口から血を吐き出して跪いた。
少年の余裕に対して、秀策は今にも倒れてしまいそうだ。
「こんなところで倒れてたまるか……」
心配になった諒世が手を貸そうとしたが、秀策はそれを拒絶して、一人で何とか立ち上がる。
これはゲームではない。秀策の頑なな意志が、それをひしひしと伝えている。
そんな秀策の姿を見て、諒世もようやく覚悟が出来た。
「何がそんなに楽しいんだよ?」
「んー……まぁ燃える展開? そんな感じかな」
少年は他意があるわけでもなく、諒世の問いに対して、純粋にそう応えた。
「じゃあ、
そう言って少年は笑みを溢し、再び手榴弾を投げるかと思ったら、奥の通路へと姿を消した。
そして、そのまま交戦状態になるわけでもなく、その場はすぐに静かになった。
いつ誰が襲撃してくるか分からない状況でも、一番気にしなければならないのは秀策の容態だった。
秀策は、歩くことくらいは出来るが、しばらく魔術の使用は出来ないと説明した。
「俺は……魔法士にならなければならないんだ……」
「何でそうまでして……」
「俺には……妹がいる」
魔術は、強い認識を動力源とする。魔術を使用すれば、身体が壊れていくのはもちろんのこと、使用者によっては、その源である『
秀策もまた、その『
「あれは霧の日だったな……。妹とプラナリアハイエナに囲まれて、俺は妹ごと発電魔術を使ってしまった……」
霧がかかってから、秀策の表情が曇り始めたのは、彼の過去に障ってしまったからなのだろう。
秀策は話しを続ける。
「下半身付随だ。今では一人でトイレに行くことすらも出来ない。全部俺の力不足が原因だ……」
「そんなことは……」
諒世は言いかけて、途中で否定仕切れなくなった。
その時、秀策に、繊細な魔術の操作が出来ていれば、そんなことにはならなかったことは確かだ。
秀策だけの責任ではない。しかし、無責任に彼を慰める行為は、返って秀策を蔑むことになる。
「でも、だから治癒魔術を使えるようにしたんだろ……」
「そうだ。もう誰も自分の目の前で傷ついてほしくないから、こうして俺は魔法士を目指している……」
諒世は確かに感じていた。秀策が治癒魔術を使った時に、その手には温もりがあった。
それは、誰かのために在りたいという強い意志によるものに他ならない。
「出口を探してくる。これだけ広いんだ。ここ以外にも出入り口の一つや二つあるだろ」
「待て、俺も行く……ッ――」
「少しはこっちにも仕事を分けてくれ。それまで何か策でも練ってくれてればいいよ」
痛みこそないが、身体が言うことを聞かずに、秀策は苛立つ。
諒世は、単純に身体を休めろとは言わない。きっと秀策にとって、何もしないということが、最も苦痛なのだろうと思ったからだ。
「諒世一人で?」
「全員で行ったら相手の思うツボかもしれない」
景火がまだ戦い足りないとでも言うように剣を担ぐが、屋内で大振りな武器は扱いづらいに違いない。
楫次の武器も同様に、大きすぎるどころか、ひびでもあったら、壁を壊しかねない。
「そうか、楫次は自動ドアを壊せないか試しておいてくれないか?」
「なるほど、確かに歪んでいるから、もしかしたら壊せるかもしれない」
「俺は、あいつの様子を見てくる」
限度はあるものの、楫次の魔術があれば、ドアを壊すことも不可能ではないかもしれない。
諒世が、その場を自分以外に任せようと、近くの階段から階上へと上がろうとした時だった。
「……わたしも行く――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
展示フロアについても内装は白に統一されていた。
そして、諒世の後ろについてきている少女、佐藤かえでの髪もまた、それに引けを取らない白さだ。
敵がどこに潜んでいるかもわからない状況で、話すことは出来ない。
が、どうしても諒世は彼女の表情が気になってならなかった。
ここに来て諒世は残り時間を確認する。
視界の端に映る残り時間と表示されたウィンドウから、試験終了まで残り二十七時間だと分かる。
もしかすると、好戦的な態度を取って、あえて警戒させることで、この美術館に押し留め、時間を稼ごうという魂胆なのかもしれない。
そうなると、やはり警戒して動かないよりは、相手の動向を探るために、まず動かなけらばならない。
綺麗に磨かれた白い床を忍び足で進む中、時折展示作品を目にする。
左目だけ無い女性の絵、鎖に縛られた幽霊の彫刻、六時の次にニ時を指す懐中時計。
どれも、何かが欠けていたり、歪んでいる。本来あるべき姿を、必ずといって想像させられる。
そういった現代アートをテーマにした企画展のようなものなのだろう。
アタラクシア・フィールドにまで著作権があるかどうかは定かではないが、許可をとっているものだろうと思って、諒世は、それらの作品を見ていた。
しばらく進むと、別の建物へと繋がる細い通路へと出る。
その奥に赤い瞳が光っていた。
「よく来たね」
彼はそう告げると背に隠した右腕を前に突き出す。その手には刀身八十センチ程の太刀が握られている。華奢な腕でよく持てるものだと、諒世は半ば感心する。
「いきなりで悪いけど、ここで終わりにさせてもらうよ」
それだけ言った少年は、一歩踏み出したと思えば、全速力で諒世達に向かってきた。
諒世は、懐からナイフを取り出し右手に構える。
その
詰め将棋のように、次の一手を想定する諒世。
リーチが長くナイフに比べて有利であっても、無計画であれば、この通路の狭さを前に、それは諸刃と化す。
その点を踏まえれば、横薙ぎに振るわれる可能性は低い。
諒世は、敵対者を上回る機動力で、その脇に接近しようと試みる。
大振りの武器の弱点は、肉弾戦だ。近接格闘に持ち込んでしまえば、その武器は本来の力を発揮出来ない。
――しかし、実際に振るわれたのは中段からの横薙ぎであった。
腹部に迫り来る想定外の攻撃がこの時は何故かスローモーションに見えた。後ろにいるかえでが何かをしたのか、しかしこんな魔術を諒世は知らない。
とにかく、何とか魔力壁を左手に展開した諒世は、その攻撃を弾くことに成功する。
思いの外、その斬撃は重くなく、むしろ軽すぎる程だった。
何かが違う――。
この違和感の所以をどう説明出来ようか。
諒世は、そこで攻めには転じようとしなかった。そして、その選択は、幸いなのかそうでないのか、必然的に彼を守りの体勢に立たせた。
二間の距離が
ナイフと太刀、二つの刃が接触し、
「何だ、これは……」
違和感ではない、明らかな違和がそこにある。
太刀の挙動速度が尋常を超えてしまっているのだ。
元より分かっている事だった。最初から、少年は太刀を片手で持っていた。何らかの魔術的補助を施しているとも考えられたが、それとは異なる。
妙に軽い。まるで、同じ刀身の武器で鎬を削っているようだ。
それに加え、時折、時間が止まったような錯覚に陥る。
諒世はとにかく、鍔迫り合いになっているこの状況どうにかしようと、ナイフに渾身の力を込めて相手を押し返した。
予想以上に、その均衡は呆気無く壊れ、反動を受けた少年は、手持ちの武器と共に数歩後退する。
「参った……これはちょっとマズそうだ……そんな魔術ってあり? ヤバいな、これはさすがに逃げる一択だね」
「それってどういう意味だよ……ちょ待て!」
少年はそう言って、背を向けて逃げ去っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうも腑に落ちない戦闘だったが、諒世は敵を深追いすることはしなかった。
――正確には出来なかった。従業員用の出入り口でもあればと思ったが、いくら先に進もうと、同じ絵があるホールへと出てしまう。
まるで同じところを行ったり来たりしているような、そんな感覚に陥って、とにかく戻ることを優先したのだった。
「大事には至らなかったようで何よりだ」
「ああ、何とかな……。でもこれはちょっと異常だ……」
秀策が一番に諒世を迎えてくれたのが、意外というか驚きだったが、相変わらずの仏頂面に変わりはない。
自動ドアには変化は見られず、担当していた楫次は一言謝るだけだった。
諒世は、他の建物へと向かった先に脱出経路が確保出来なかったことや、その理由として何らかの魔術が施されていることを秀策達に説明した。
「いや……魔術、か」
魔術にしても現実味がない。
金髪赤眼の少年が言ったようにゲームのような違和感がある。
「……ゲームなんかじゃない」
傍でかえでがそう言ったように聞こえた。
実際には、言っていないのかもしれないが、諒世はそこでようやくここもまた一つの現実であることを確信する。
アタラクシア・フィールドという仮想現実であっても、現実の上で成り立っているのだ。
であれば、この状況を作り出している不可解な魔術にも糸口は存在するはずだ。
「あれ……景火は……?」
景火が近くにいないことに気付いた諒世は辺りを探す。
すぐ見つけたは良いが、景火はぐっすりお休み中だった。
その寝顔は、まるで何も考えていない子供のようで、何となく起こすのには勿体ないとも思えた。
諒世はそこで、ふと顔を見上げた。景火が背にもたれているそれはフロントホール中央にある柱状のオブジェだ。
しかし、どこか違う。明確に異なっている。
半壊だったはずのオブジェが、どこも壊れていない状態で立っている。
それは、同じ場所を何度も行き来してしまうのと同じくらい異様な光景だった。
同時に、それは諒世が想像した“本来あるべき柱”の状態そのものだった。
しかし、どんな完璧な幻想であろうと、それを作り出す現実というものは必ず存在する。
常識を問い正せ。
諒世は、その違和感を口に出して詠唱した。
「《何で、半壊のはずの柱が完全な状態になってるんだ……》」
疑問。それを口に出して、言葉にするだけで、魔術に対する魔術となる。
送り犬ゴーレムの時と同様で、本来は全く意味のない言葉が、言霊を持つ。
柱状のオブジェは、諒世自身の想像で作り出されてしまった幻影に過ぎず、その形は元の半壊状態へと戻る。
「これが認識魔術ってやつか……」
「ん~むにゃむにゃ……あれ諒世おかえりー」
ようやく目を覚ました景火は放っておくことにして、諒世にかけられた認識魔術は解けた。
恐らく、金髪赤眼の少年の武器も、ループする部屋も、何もかもが認識魔術による幻影だったのだ。
認識魔術は高等な魔術故に、発動条件は限られているが、幸いなことに、この美術館の作品には、“ありもしない幻想”を思い浮かばせる作用があった。
それを認識魔術に落とし込んだのだろう。
「もしかすると、あの自動ドアも……」
楫次の魔術で開けられないというのも、少し疑問ではあった。
あれだけ損傷していれば、楫次のひびや欠損を拡大させる魔術も効果を発揮しやすい。
それなのにも関わらず、ビクともしないのは、恐らく全く壊れていなかったからだ。
金髪赤眼の少年は、扉を頑丈だと言った。
壊れたものを頑丈だとは言わないだろう。
諒世が実際に自動ドアを確認すると、確かに傷一つなかった。
歪んで見えたのも認識魔術の範疇だったのだ。
「楫次、これにはひびも何もない。これは認識魔術だ」
「え、そんなまさか……」
一度生じた疑問でも、この認識魔術は容易に砕ける。術者もそこまでの手練れではないようだ。
楫次は驚いて、秀策にも説明し始める。
諒世は、自動ドアに近付き、開かない理由をようやく理解した。自動ドア付近の天井に備え付けられているセンサーのライトが点灯していない。
どこかで、敵のもう一人が、ブレーカーでも落としたのだろう。
「魔術ってのは、ほんとに単純だな……」
これで脱出経路は確保できた。
しかし、ただ一点疑問が残る。
認識魔術の少年と戦った際に、時折感じた時間が止まるような感覚。
それも認識魔術による何かだったとは考えにくい。
なら、一緒にいたかえでが使ったのか。それも違うだろう。
何より、時間を操る魔術などこの世に存在しないのだから。
それこそ、まるでゲームの中にしか登場しないのではないだろうか――。