Phase_008_「拒絶逃避」
文字数 7,279文字
試験開始からおよそ八時間が経過しようとしていた。失格者の表示はその数を増やしている。焦燥は拭えない。
諒世達は、幻覚を見せる魔術を解き、自動ドアのブレーカーを起動させて、何とか脱出することが出来た。
霧も晴れ、自然公園の端まで来て、ようやくビルの姿が見えてくる。
そこまでは良かったのだが、外はプラナリアハイエナだらけで、消耗を余儀なくされた。
加えて、広場に出た先で、群れに囲われて、これまでにない窮地に立たされていた。
「誰かが考えなしに殺しまくったせいで増えたんじゃないか、これ!」
「――まだ十頭くらいしか切ってないわよ!」
景火は指を折って確認し出すが、諒世の知る限りではその倍はプラナリアハイエナに斬撃を浴びせていた。
指の本数しか数が数えられないとか、そこまで馬鹿ではないだろうと思ったが、足元と武器を見て二十一と言い切られると、不安になる。
「しかし、このままではマズイな……」
秀策も出来る限りの魔術を使うが、プラナリアハイエナの行動を止めるには至らない。
諒世はというと、迫る来るプラナリアハイエナを魔力壁で押し返す事しか出来ず、防戦一方にしかならない。
「景火、発火魔術で退路を!」
「言われなくても! 《オン・マリシ・エイ・ソワカ》!」
景火は詠唱をしたかと思えば、剣を振り下ろす。
すると、戦車の砲撃のような爆音と共に、数十メートル先まで火炎が巻き起こった。
「……うっわ……何だそのデタラメな魔術……」
「ごめん……しばらく魔術無理そう……目が回って」
火力もそうだが、出力に対しての反動もその程度と考えると、景火の魔術のポテンシャルは異常だ。
だが、そんな異常なものに頼りでもしない限り、プラナリアハイエナの群れを突破することは出来ない。
「うわっ――ぁ」
「楫次――!?」
景火の最大火力で出来た僅かな道に向かって走る中、一番後ろの楫次にプラナリアハイエナが襲い掛かる。
急所を守ろうと、楫次は右腕で庇う。鋭い牙が楫次の細い腕の皮膚を貫き、骨を砕こうとしたその時だった。
茂みから景火の爆炎とも異なる高密度の光の束のような火炎がプラナリアハイエナの首から下を吹き飛ばした。
楫次は浅く噛み付かれたままの頭部を右腕から引き離し、その場はとにかく全力で走った。
しばらく走ると、不思議とプラナリアハイエナの追跡は止んだ。
「ごめん、足引っ張っちゃって……」
走っていた足が止まると、楫次は負傷した右腕を気にしながら、申し訳なさそうに言った。
「怪我……治すから見せろ」
秀策は眉間にしわを寄せながらも、楫次の右腕を強引に引っ張る。
「包帯……?」
武器を持ったままの楫次は、強く拒むことが出来ない。
秀策が、ボロボロになった楫次の制服の袖を捲ると、解けかけの包帯が現れた。
その勢いで結びが解け、包帯の中身が露わになる。
「火傷か? さっき負ったわけではなさそうだな……」
「あ、これは……」
包帯が全て解け、地面に落ちる。
楫次の肘から指先にかけては赤く焼けただれている痛々しいものだった。
諒世は、この火傷を知っている。彼の右腕は、昔からずっと
「楫次、その火傷まだ治してなかったのか……」
「ごめん、これは、あの子に会うまでは治せない……」
楫次は右腕の火傷の話をする度に、ある少女の話をする。
彼女の魔術の暴走によって負わされた火傷を、その少女に会って謝るまでは決して治そうとはしない。
「こちらとしても試験に支障が出るのは困る。だから無理やりでも治す――!?」
秀策が治癒魔術を使ったが、その火傷には何も変化が現れない。
この火傷は治すことの出来ない特殊な魔術による火傷だ。プロの魔法士、それも魔法医術士という分類の魔法士の手がないと治せない程のものだ。
治そうと思えば、治せなくもないが、楫次はそれを頑なに拒み続けて、アタラクシア・フィールド上のアバターにも表れてしまうほど離そうとはしない。
「さっきの炎まさか、助けてくれた? ……でもそんなことって……来晴ちゃんがここにいるわけないのに……」
諒世や秀策に聞こえない程小さな声で、楫次は自分の右腕の痛みを堪えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
プラナリアハイエナの群れから抜けてしばらく進むと、ようやく目的地の塔に到着する。
塔というよりは、超高層ビルと表現した方が正しい。
上空には薄く霧が立ち込めていて、頂上の高さがはっきりと見えない。
芯となる円筒状のビルの周りには螺旋状に取り巻くフロアがある。所々に窓がある事から、そこを伝っても頂上に到達出来るような構造だと考えられる。
地図を見る限り、周囲の建造物と比較すると、群を抜いた高さであることが一目瞭然である。
「ほぇ~でっかい……」
「見上げてないで、中に入るぞー」
景火が顔を見上げすぎて、後ろに倒れそうになっている。
諒世達は、既に塔の最下階への自動ドアに向かっていた。
景火の無垢な表情一つ一つは、どれも見ていて飽きないが、何となく心配になってしまう。
もし、景火がふとした拍子にいなくなってしまったら。そんな疑問が過る。
景火に限ったことではない。
諒世は身近にいる人間が、自分の手の届かない場所に行ってしまうことを恐れている。
それは単純な死だけではない。たとえ死ななくとも、取り返しのつかない距離まで離れてしまった人間を諒世は知っている。
兄との隔絶は、諒世について離れない問題なのだ。
「何か、聞こえる……?」
諒世が聞こえるなら、景火にも聞こえているはずである。
なら、何故景火は動かないのか。
それは、単純な問題で、いつものようなマイペースがここに来て仇になってしまったのだ。
このタイミング、景火は後ろに倒れていたのだ。
そして、音は視覚となって現れる。
景火のさらに向こうから低空を飛行する物体。巨大な鶏の姿に、尾羽の代わりに生えた八つの尻尾はまるで生き物のように蠢いている。
その物体――怪物から発せられる鳴き声が次第に大きくなり、極限まで近付いたかと思えば、再び遠ざかっていった。
そして、景火の姿も、その声と共に消えていった。
声がする上空を見上げると、巨大鶏に咥えられながら霧の中に消えていく景火の姿があった。
「景火ああああああああ!!!!」
しかし、その叫びは届かない。
「くそ……っ」
「まだ、やられたわけじゃない。上に向かえば、もしかしたら」
諒世は目に見えて、焦りを露わにする。
対して秀策は諒世を落ち着かせようとするが、それでも胸の奥にある辛い記憶が込み上げてくる。
「もしかしたらじゃダメだ……絶対に救い出さないと!」
秀策の言葉も聞かずに、諒世は息を荒げて、建物の中へと入る。
諒世の後を追って、楫次、秀策、かえでが足を踏み入れると、静かな吹き抜けの広間に無数の光が生じる。
「魔法陣!?」
秀策が嫌でも忘れられない魔法陣だ。
自身が最も苦しめられた魔術霊魔だからこそ――その魔術霊魔プラナリアハイエナを喚起する術を秀策は熟知している。
だからこそ、その数に驚く。十、百、千、数えきれない程の円形術式が浮かび上がる。
そして、黒煙が立ち込め、それが一つの形を形成し始める。
この場から、すぐに移動しなければならない。一旦退いて、様子を窺うのが上策だが、状況はそう上手くはいかない。
天井が見えない程高い位置にある一階部分には二つの階段がある。エレベーターは、先に進んだ受験者がいたり、試験のために用意された罠が設置されている可能性が高い。
秀策は手近な階段を選び、進もうとしたが、一人だけもう一方の、恐らく螺旋状のフロアに続くであろう階段へと向かっていた。
「かえで……!」
何も言わずに走り出したかえでを諒世が追う。
取り残された秀策と楫次は、急に進路を変えた二人を追うことが出来ず、プラナリアハイエナに阻まれる。
振り返った諒世は、ここでようやく自分が正気を失いかけていたことに気が付く。
「秀策。悪い。完全に取り乱してた……!」
「それはいい。今はとにかく逃げろ。上で必ず合流するぞ!」
誰一人として欠けてはならない。
景火もかえでも、楫次も秀策も。
諒世がそう思っているように、秀策もまた諒世達の身を案じていた。
必ず合流する。そう約束を交わして、五人は散り散りになっていった――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然走り出したかえでを追って、どれくらい走っただろうか。
塔の周りに、とぐろを巻くようにして伸びる螺旋状のフロアは、緩やかな階段が永遠と続くような錯覚さえ抱かせた。
「かえで!」
普段、異性を名前で呼ぶことは無いが、いつの間にか、諒世は、かえでのことを下の名前で呼んでいた。
彼女のことは何も知らない。でも、彼女は自分のことを知っているような気がする。
そんな違和感をずっと抱えていた。
同時に、協力的なのに協調性がないという矛盾じみた違和感もあった。
その違和感を払拭するには、やはり彼女自身に訊かねばならない。
「一人で勝手に行かないでくれ! ……仲間なんだからさ……」
諒世の剛腕をいとも簡単に振り払い、かえでは一切の気を逸らさない。
それは、ほぼ間違いなく否定の意だ。諒世は、それが認められない。離れるのが怖くて、認めたくないのだ。
諒世は他者に拒絶される。ただ、それが認められない。だからこそ、確信を得なければならない。
「俺達は仲間じゃないのか……?」
だから、再び訊く。どうして、何故と。
諒世は初めにあった時から感じていた。
彼女は、兄の灯世と同じ目をして、諒世を見ていた。
他者から遠ざかろうと、他者を拒絶し、他者への感情を喪失した、そんな目。
いつからか拒絶されるようになったその人物の面影を無意識に重ねていた。
自身の
再び握りば、振り払われる手。だが、言葉で言わなければ、届かない。
今度は、歩き続けるかえでの前に立ち塞がるようにして訊く。
「もう一度聞く。お前にとって俺達は仲間じゃないのか?」
かえでの足が止まる。諒世は半ば彼女の口から出る答えに察しは着いていた。
試験への覚悟は出来ていた。でも、この返答への覚悟は、半年前からずっと目を背けていて、覚悟も何もなかった。
「……仲間なんていない」
短く、諒世の全てが拒絶される。
綺麗事に甘んじているという自覚はある。自分の臨んだ距離感を他者に押し付けることは、それもまた相手の気持ちを拒絶することに他ならない。
元より、分かっていたことだが、一度突き放されてしまえば、嫌でも痛感させられる。
景火が巨大鶏に連れ去られてから、胸に突き刺さるような苦しみがある。
「どいて、後ろ……」
言葉を発することも出来ず、動く事も出来ず、諒世は、顔だけ彼女の視線の先に向ける。
その先に人影が一つ。そこには、諒世達と同じ制服を着た。どこか西洋の騎士を彷彿とさせるような風貌の少年が立っていた。
肩まで伸びる亜麻色の髪は、僅かに波打ってる。腰には、柄に派手な装飾が施されたレイピアが携えられている。
「
「名前を聞いたつもりはない……ここを通して」
少年は軽く頭を下げると、そう名乗る。
魔術師同士の争いが生じた場合、伝統のある名家では、こうして名乗ることがある。
対して、かえでは名乗り返すことなく、冷たく突き放すような声色で言った。
「……ここは通さない!」
諒世は、彼の手がレイピアを抜こうとするのを見逃さなかった。
彼の敵意は、完全に、挑発しているかえでにある。かえでは武器も出さず素手。
対して導影は、決闘用の
かえでは、諒世の
抜刀前に先手を打つため、諒世は右手に力を集中させる。
強みである運動神経を、全て足に集中させ、さらに間合いを詰める。
「甘いッ!」
導影は何らかの魔術的動作で諒世の想像以上の速さで抜刀する。
突然の事態に、諒世の足は無意識に逆方向へと力の方向を変換した。
が、間に合わない。咄嗟の判断で身体を僅かに後ろに反らす。
「何とか避けましたか……」
導影の言う通り、諒世は間一髪回避に成功した。
しかし、第二手が諒世に迫る。
レイピアの鋭利で細身の刀身を活かした単純な刺突。狂いの無い正直な動作。
故に、諒世は先読みし、すれすれで回避する。そのまま、前傾姿勢で拳の届く距離まで間合いを詰め、牽制に左手に持ったナイフを振る。
その距離が限界に達したと思うと、妙な接触音が諒世の耳に違和感として残る。少なくとも肉体では無い。
ナイフに拮抗したのは、同程度の長さの短剣。導影の左手から放たれたものだった。
何かに挟まっているような感触が持ち手から伝わる。
直後、左手の運動エネルギーが分散する。すっぽ抜けたような感覚。見ると、ナイフの先から半分が綺麗に折れていた。
今更異変に気付いて、視線を移すと、そこには櫛のような刀身を持つ短剣、ソードブレイカーがあった。
レイピアとの併用は珍しくない
特殊な加工が施され、壊れにくいと有名なソルトフォース社製のナイフすら折る力には、おそらく魔術的な要因がある。
魔術武装だ。それが、想定外となってしまったのを悔やむ事も出来ないまま、第三手が迫る。
諒世の左の空間へと外れたレイピアの刺突が、斬撃へと変わる。
幸い、ナイフの刃が折られた反動で身体が翻り、上手い具合に右手に展開した防御魔術で刃の軌道を反らすことに成功する。
だが、第四手への対処は皆無だった。
ソードブレイカーは
ただ、剣を折る武器ではない。ここに来て、肝心の防御魔術が間に合わない。
守ることが出来ず、何が防御魔術なのか――。
諒世は、崩れた体勢で、胸元に迫る剣先すら目視出来なかった――。
「《
螺旋状のフロアに何かが響く。
そして、全てが静止した。
諒世の心臓に到達するはずの剣先、それを振るう導影、体勢を崩したままの諒世。
まるで、世界全てが一時停止したのではないかと疑う。そんな中で、唯一かえでだけが歩みをとっていた。
かえでは、導影の前まで来ると、その手にあるレイピアを強引に剥がし、そのままレイピアの先端を導影の心臓に刺し、抜いた。
細身の剣による外傷の出血は微量だが、それはこの世界での彼の死を意味した。それが再生のスイッチだったのか、世界は再び動き始める。
導影は何も言わず、その場に倒れ、諒世の心臓には結局何も到達しなかった。
「――かえで……これは一体?」
「好きな食べ物はある?」
自己紹介の定番。それが今なぜ聞かれるのだろう。
「……ちくわ……だけど」
疑問に思いつつも、諒世は率直に答える。
「そう……私には好きな物がない……」
それだけ行って彼女は先へと進む。それが何を意図して言われたのか分からず、呆然と立ち尽くす諒世。
「――まだ……終わっ……て……ないッ」
足元に倒れている導影が左手のソードブレイカーを背を向けたかえでに投擲する。
しかし、その軌道は大きく逸れ、かえでの数メートル前方の床に突き刺さった。
的を外したとも思われたが、その瞬間、ソードブレイカーの刺さった周囲の床が歪み始める。
「壊すことに特化した魔術武装……これで引き分けですよ……」
そう言って、導影の身体は目視出来ない程の粒子に分散し消滅した。
歪みが極限に達し、音を立てて床が外れる。それはちょうどかえでを飲み込むように。建物の構造上、階下は数十メートル以上ある。
「……届けぇッ!」
今度こそ、その身体能力の全てで走る。
――間に合った。
落ちていくかえでの手をしっかりと掴んだ。そのまま、全力で引き上げる。
「……っはあぁ……」
安堵と疲労が全身に染み渡り、二つが混ざった何とも言えない声を出す諒世。
「……仲間なんていないと言ったはずなのに……」
そう、彼女は確かにそう言った。
それでも諒世は、かえでを守ろうとした。
決して、ただの逃避という生半可な感情では不可能なことである。
そう、これは彼の『
扇谷諒世は、他人からの拒絶から目を背けたい。それが、たとえ相手に拒絶を押し付けてしまう程矛盾したものであっても、壊れた歯車のように動き続ける。
「……ヌリカベの時も、霧の中でも、いつでもそうだった。お前は、俺達を助けてくれたことに変わりはない。それは紛いも無い、ただ仲間だと思ってるからじゃないのか?」
「……それは違う」
「……だとしてもだ。少なくとも、俺はお前の事を仲間だと思ってる。お前が俺を拒絶しようとも……俺は諦めない、絶対に――」
「……、」
かえでは否定せず、黙った。これが認めているのか、相手にしようとしていないのか、諒世には分からない。
床が十メートル程先まで陥落してしまっては、これ以上先には進めない。
かえでは口を閉ざしたまま下に向かって歩き出す。諒世も黙って、その後ろについて行く。
分からないことばかりだ。きっとそれが分かれば、彼女のことを理解する時が来れば、この距離を詰めることは出来る。
諒世が、自分らしくあるため、魔術を揮う理由、それは他者からの拒絶により衝動的に為し得る。
彼女は、諒世がこれまで出来なかったことを映し出す鏡のような存在だ。
魔法士になる以上の目標。それは、これ以上誰も自分の前から離れないようにすることだ。
そのために諒世は魔術を使い続ける。