Pause_001_『リプレイ』
文字数 3,380文字
時刻は明け方近い。空はほんのりと柔らかな
彼女は気付けば、そこにいた。
初めて来る場所ではないが、
まだ、十二歳なのにも関わらず、髪は
少女の小さな体躯を覆うのは一枚の布切れのみで。辛うじて全身を覆えるほどの大きさがあるだけだ。
平城京跡地の地下に位置する洞穴は、隣接する古宿の一室から続く隠し通路から繋がる。坑道のように支柱が洞穴の至るところに打ち付けられていることから、これが人工的に作られ、そして隠し続けられていたものだと断定出来る。
かつての都であるこの地は、歴史の真相を求め、多くの人々が古墳やら遺跡やらを掘り返したことにより、過去のものとして扱われる。
しかし、このひんやりとして薄暗い道の先には、少なくとも一世紀以上、二〇三七年現在に至るまで続く儀式が行われている。
少し肌寒い。九月の下旬だが、何故かこの場所は熱が篭らず、外気とは異なる肌に貼りつくような刺激的な冷たさがあるように思えた。
それは、きっとこの場所がある種の異世界へと続く道だからだろう。
吐く息が白い。進むに連れて肌寒いどころではなくなってくる。
この先にある過去の産物が、今もなお一般社会から気づかれることなく、何者の干渉を受け付けようとしないのは、この寒さによって不変の形を維持できているからだろう。
何度も訪れたはずの異界への門。旅路の終点。彼女の旅はいつもこの先で、凍えるようにして終わる。そして繰り返す。
最初は黒かった髪も気付けば、浮世離れした白さを帯びていって、心も身体もそれに従ってボロボロになっていった。
途方も無い旅を続けて少女は、疲れ切っていた。
意識が朦朧としている。
あぁきっとこれが最後の
始まりの地には程遠い。諦めるか。
躊躇いはない。
もう、歩きたくない。
この先にあるのは変わらない世界だ。
何度繰り返そうとも運命は変わらない。
とうとう立ち止まってしまった。出口に引き返すという選択肢すらなかった。このぐらいになると、洞穴内の気温は痛いとも言える程の極寒であった。
しかし、もはや、その痛さすら気にならない程、少女は憔悴して、その場に跪く。
――とけていく。
道の先から、あたたかい風が吹き抜けた。
錆びついた鋼に打ちつけるような炎。
この地下には無いはずの陽の光。
見上げると、扉がすぐ目の前にあったことに気付く。跪いた時には遥か闇の先にあるものだと思っていたのに。
もしかしたら、この先に絶望が待ち受けようとも、まだ諦めようとしていなかったのか。まだ、進もうという一縷の望みにかけたのか。知らず知らずに、身体が動き出していた。自分では分からなかったが、泣いていたはずだ。感情を悪魔に捧げたはずなのに、こんな非現実的な矛盾があるものか。
青白い線が見える。ここに来て、幻覚でも見えたのかと、頭を横に振り、正気に戻ろうとするが、どうも手遅れのようだった。
身体が熱い。
やっぱり、恋だなと少女は確信した。
彼は覚えてくれているだろうか。
忘れているだろうな。何せ、まだ会ってもいないのだから。
それにしても不思議だ。
このあたたかさは、彼に似ている。
錆びた扉には、窪みがあり、本来はそこに聖剣をはめ込まなけば固く閉ざされたままなのだが、この時は少し触れただけで一人でに開いた。
青白く光り、もやもやと漂う線が窪みを中心にさらに煌めく。
覚束ない足取りで、少女はその部屋に足を踏み入れる。
円形の空間には段差があり、それを下っていくと、中央には開けた空間が広がっている。そこにポツリと小さな祠があり、その手前には一人の少女が倒れていた。
ピンク色の長い髪が無造作に乱れている。その瞳は固く閉ざされていた。
間違いない。
このあたたかさは彼女からくるものだ。
よく見ると、辺りには年老いた人影らしき姿がいくつもあった。そのどれもが朧げというか、きっと掴もうとしたら掴めないような霊体の如き姿だった。
何やら驚いたり、焦ったりしているように見えるが、発せられる言葉はどれも酷くノイズがかっていて聞き取れない。
ただ、一つだけ、その中にはっきりと聞こえる声があった。
「そこに誰かいるのか?」
老いた霊体の中に一人、実体のある人物が立っている。人相が少しばかり悪いことを除けば、特に代わり映えのない人物だ。黒髪で背丈も平均ほど。ここが異界でなくとも、どこにでもいそうな
青年には自分の姿が見えないものだと少女は思ったが、どうやら気配だけは感じるらしい。
「ここは神庭の者が管理する不可侵の聖地だ。この場に踏み込むということは、五山の血を引く者かあるいは神眼を持つ者のはずだろうが、……お前は違うな」
青年は見えないと分かって、諦めたのか、目蓋を閉じ、会話を試みようとする。恐らく、死霊とも会話出来るような類の魔術師なのだろう。ならば、この言葉を向けられた白髪の少女は死んでいるのか。
確かに幾度となく死んでいるのかもしれない。あるいは今この場自体が少女の走馬灯の一つで、死は避けられぬ運命なのかもしれない。
そういう意味では少女は自身もまた死霊の一つなのだろうと思った。
言葉を発することが出来ないのも、恐らく死んでいるからだろう。あるいは、これは夢という可能性もある。悪夢だ。とても
「
青年は目を瞑りながら、段差を降りて、祠とその側に倒れているピンク髪の少女に近づいて行く。
まるで、自分は人ではないような口ぶりで、青年は一人言のように話を進める。
気付けば、彼は祠を見つめていた。今まで閉ざされていた目蓋の先の瞳は、左右異なった色合いで宝石のように光り、同時に油のようにドロドロと瞳孔がうねっていた。紛いの無い、異形の瞳。この世のものでもなく、あの世のものとも信じ難い、それを彼は神の眼と言う。
見えないはずなのに、青年は白髪の少女を見て、思いついたように一つ提案をする。
「――では、一つ問題を出そう。俺は、そうだな……それを採点しよう」
その瞳には既に先程までの神性は帯びていなかった。彼は人なのだろうか。いや、間違いなく人だろう。死霊である少女が疑うのも何処か笑えるような話だが。
何が彼女をそう思わせたのか。
なぜなら、青年の頰には朝露のように涙が伝っていたからだ。
神にも泣き虫はいる。スサノオという武神も若き頃はそうだったようにだ。
でも、ここまで無表情に泣ける神がどこにいるだろうか。人でも神でもない。その考えはナンセンスだ。
きっとこれは鏡か何かなのだろうかと思った。白髪の少女も先程まで泣いていた。それを写し出しているかのような、幻想的な光景だ。自分が人間であるならば、彼は人間であり、自分が悪魔であるならば、彼は悪魔だろう。
白髪の少女は半人半魔である。でも、まだ人間であろうと思った。
「定められた運命は変えられるか?」
定められているのだから、変える事など出来るわけがない。
でも――、とまた逆説。
「なるほど、“
言葉にせずとも、この青年には分かるというのか。
きっとどこかで諦めきれていないから、ここにいるのかもしれない。
「名前? あぁ死霊だからか。冥土の土産に名乗ろうか。俺はこの悲劇に関しては部外者だ。何も変えることは出来ないだろう。だから『
眩い光が辺りを包み込む。
「さぁ悲劇のヒロインは決まった。夜明けの時間だ。これにて
本当に夢のような時間だった。
こうして、白い髪の少女、佐藤かえでの最後のリプレイが始まる。