Phase_012_「藁の盾(つるぎ)」
文字数 6,443文字
転移魔術の先で、景火は一人の少年と対峙していた。
「めんどいわ、さっさと終わらせるかー」
試験の仕様である転移魔術の先で現れた薄茶色の髪の少年が面倒くさそうに言った。整髪料で簡易的に髪を整え、流行りの髪型にしていたり、耳のピアスや制服の着崩し加減が俗っぽい。しかし、魔術師として有名な家の出なのか、礼式を重んじる部分があり、名を海浦山弘康と名乗った。それ以外は雑な言動だが、器用な魔術を使う事にも着眼しておく必要があった。
同時に二つの魔術霊魔を従え、その手には日本刀を携えている。
円形の街の一角を成す広場。そこには大きな噴水があり、そこから沸き立つ水を媒体として喚起を行う。一つは実体を見せずすぐに水に溶け、辺りを白く濁った液体で浸水させた。
もう一体は魔術霊魔のケルピー。手綱を付けた灰色の馬の姿をしており、体躯はそこまで大きくはない小型のポニーほどである。
「恭弥!! 準備オーケー!! こっちはもう片付くわー!」
弘康は近くにいるであろう仲間に何かしらの合図をする。粘度を持つこの液体と関わりがあるものだろう。そして、景火はその一声で、扇谷諒世が近くにいるだろうと思った。
景火が諒世のアバターで持っている武器、戦える手段は限られている。
ふと、もし自分に防御魔術が使えたならという考えが生じる。イメージがあって、使い方も知っているのに、それが形にならない。
逃れようのない力量差がある。ならば、使えるものを使うのみだった。経験と努力と、諒世のアバターの身体能力。そしてもう一つ、この状況を打破するためには欠かせないものがあった。
「諦めるな、諒世!!」
彼を支えられる存在はきっとこの場においてほとんどいない。今朝の騒動で送り犬と対峙した時、彼の姿はとても勇敢で眩しかった。
たった一人でも色んな状況を乗り越えられる人間だろう。
しかし、一度絶望した諒世の弱さを見てしまったら、とてもそうは思えなかった。
彼は決して強くはない。だが、己の弱さを知った上で全力を尽くすのが上手い。
記憶の中の扇谷諒世には、自分に無い弱さと強さがあった。そこには、嫉妬も憧憬もある。何より自分の姿で絶望を語られるのが、景火のプライドを傷つける。
一人で出来る時もあるが、それは彼が全力以上の無理を通しているからだ。それはきっと感情の破綻へと至る。
どうしても他人事のようには思えなかった。自分を見失った上で、入れ替わっている。不安や焦燥は拭えないことだろう。
逆境に強くもある人間だ。扇谷諒世は一つの危機を好機に翻すほどの力がある。その手に魔術という力が無くても、それを証明してくれる。
変わらない諒世を見て、景火もまた柄にもなく考えすぎている自分を叱咤する。
ただ前に進む。景火のやるべきことは変わらない。
「ふーん、何やったかわからんけど。もう間に合わなくね?」
弘康は右耳の青く光るピアスを弄りながら気怠げに言う。
「……時間稼ぎくらいなら出来る」
「恭弥はめっちゃ強いからな無理無理。あっちでくたばってるだろ」
弘康の声に呼応するようにケルピーが突進してくる。白い液体に足元を固められ身動きが出来ず直にその攻撃を受けることになる。
だが、そこで諦められるほどの景火ではなかった。身体を捩じるようにして直撃を回避する。多少掠り、打撲したが、角が発達していない分切り傷は無かった。そしてケルピーが通り過ぎる前に折れたナイフで切り付ける。
「ふん、どうよ」
強がって見せるが、この先の策を景火は用意していない。それは弘康も分かっているため、彼の表情から余裕は消えない。
「いや、もう終わりだ。《
急に身体が重くなる。元の身体では体感し得なかった程の重みである。足だけでは立てなくなり、やがて地面に手を着けてしまう。加えて、息が苦しくなり、過呼吸になる。
「あれ、おっかしーなー。まだ意識があんのか? ケルピーに触れたら最後、溺死までもってけるんだけどなぁ。耐魔術か何かか?」
この類の魔術には景火は滅法弱い。しかし、防御魔術と相性が良い、諒世の身体だからか、その効力が薄まっている。
まだ身体は動く。
しかし、弘康は同じ土俵には立っていなかった。水面に立ち、ゆっくりと迫る様は余裕の表情だった。一歩一歩と着実に近づく彼と、第二手の突進を準備するケルピー。
勝敗は決した――。
「《オン・マリシ・エイ・ソワカ》!!」
景火が最も使う魔術、
前方から向かってくる弘康を遮るように爆発が起こる。同時に背後のケルピーが力無く鳴き、宙を舞って地に伏せた。
爆発の衝撃で周囲の液体が霧散して、拘束が外れる。同時に呼吸も元に戻る。
「ごめん遅くなった、景火」
後ろを振り向くと、そこには剣を携え、凛々しく立っている景火のアバター――扇谷諒世がいた。
「遅い! 結構怪我したんだど!」
「ごめんごめん。ってそれって何気に俺の身体に気遣ってる?」
諒世は冗談が言える程に立ち直っている様子だった。これで自信が確信へと決まる。
「っうるさい! 調子乗んな!」
諒世の声で突き放すような言い方をする景火。景火の顔で笑みを浮かべる諒世。普段自分のしない表情をお互いが目にすることで違和感を抱くものの、中身の人間を想像すると、必ずしもそうではなかった。
「くっそー、マジか恭弥が負けるかー。やっぱすげぇわ魔法士学校」
爆風と水しぶきが一頻り収まると、数十メートル先から海浦山弘康の声が聞こえる。
「《魔石開放》」
握り拳を突き立てて、間髪入れず短く唱えた。魔石という言葉を耳にして、来晴の能力を思い出さずにはいられなかった。
魔石は魔力を蓄積させることが主な役割である。通常、魔石に蓄積出来る魔力の許容量は多くはない。来晴の場合は
今回の彼もまた魔石の使い手である。ここに至るまで伏せておいたのは切り札として使うためだろう。
「やばい景火!」
足元は再び白い液体で覆われ、敏速な身動きが取れない。景火には間違いなく直撃する。諒世は移動速度こそ速くなったが、防御魔術の無い今、魔術が直撃すれば間違いなく死に至る。
「大丈夫。私はしっかり立っている」
ゆらゆらと浮足立っているのはこれで終わりだ。今はしっかりと地に足が着いている。
景火の動じない表情を見て諒世も彼女の奮起を悟った。
噴水の水や辺りの白い液体も含め、彼の拳に大きな水球となって集まる。それが一瞬の閃光によって放たれた。
煉瓦造りの路面を大きく抉りながら迫る水球に景火は怯まない。
「《
景火は右手を突き出した。
水圧と別の力が拮抗し、爆ぜる。霧状になった水飛沫が辺りを覆う。
諒世はその一瞬を逃さなかった。
水飛沫の中を泳ぐようにして、弘康との距離を詰め切りかかった。何らかの防御魔術を使うが間に合わない。中途半端な魔力壁が砕け散った時には、彼の胴体に決定的な斬撃が行われた。
ダイラタントスライムによる白い液体も辺りから消え、霧がかかる中、街の反対側から爆発音が聞こえる。
「急ごう!」
視界が悪い中でも、景火のアバターの五感は、音だけである程度の地形が把握出来る。諒世は、景火の手を掴み、音源へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「にしても、防御魔術使えたな」
道中、話を切り出したのは諒世だった。
「ん、まぁ当然でしょ。それよりアンタもタイ
景火の口から出てきたものは聞きなれない単語だったが、
「あー……あの“体”が軽くなったアレかぁ」
「無意識でやってたの!?」
最初は景火のアバターの力に委ねていた部分が強かったが、考えを体本意ではなく、諒世自身の考えに主体を置いた時その性能は格段に上がった。
他には、
「体を捨てずにとどまる、心を以て剣を為すタイ
「軽くなる……いや、軽くする能力か」
その名を改めて耳にすると、その剣術について思い出すことがあった。昔からある剣術は精神統一の手法としても有力で、ものによっては習得者に神仏の加護を得るに至るものもある。
彼女は
その構造が分かったとして、諒世が攻撃魔術を使えていたことが、まるで奇跡のようにしか感じられなかった。それは景火にも言えることだ。
そうこうしている内に反対側に位置する広場に到着した。
爆発があって内心間に合わないだろうとも思ったが、状況は良い意味で事後だった。
かえでと来晴が肩を並べて立っている。その後ろの方で楫次が伸びていたが、意識は辛うじてあるようだった。
かえでがこちらに気付き、駆け寄ってくる。
「……ふ」
この場にいる五人の誰のものでもない切れ切れの吐息が聞こえる。
その方向にいたのは、金髪赤眼の少年。諒世にとってはこれで三度目の邂逅となる因縁の相手だ。だが、彼も満身創痍のようで、身体を横たえている。勝負は決しているはずなのに、彼は笑っていた。現実相反するその表情に違和感を抱き、彼の企みを見抜くために、辺りを見回した。
「……手榴弾!」
かえでの足元に投げ込まれた手榴弾。諒世、景火のアバターにある超視力でそれを確認した。
「景火、ちょっとじっとしててくれ」
「え、何?」
諒世は、第一関門で手に入れたぬりかべ式装甲壁の欠片が自身のアバターのポケットに入っていることを思い出していた。
景火は変に股間近くを
ゴムボールのような形状の塊。時間的猶予は残されていない。一刻を争う状況に、諒世はぬりかべ式装甲壁の欠片を手榴弾へと投擲した。
当たるかどうかではない。必ず当てるという気持ちが、しっかりと命中した。
爆発寸前の手榴弾に命中したぬりかべ式装甲壁の欠片は、それを覆うようにして包み込む。
直後、大きな音と共に手榴弾が爆発するが、ゴム状の膜がその衝撃を中身だけで抑える。ヌリカベ式装甲壁の衝撃緩和能力である。
「良かった……」
何事も無かったようにその残骸は消え、金髪赤眼の少年も傷が深かったのかその場で灰となって脱落した。
秀策達と突破したぬりかべがここに来て役に立った。彼らは脱落してしまったが、その奇縁が因縁に一矢報いることが出来たのなら、諒世としてこれ程までの及第点は無かった。
「諒世……後ろ!」
しかし、かえでの脚は状況に動じず止まることはなかった。
言われてようやく気付く。足元にないはずの白い液体。ダイラタントスライムによる拘束だ。
今まで来た道を振り返ると、そこには血だらけになりながらも、拳を天に突き立てている海浦山弘康がいた。
「ッ!?」
雲の上で雨は降らない。頭上から滴る水に不穏を悟り、見上げると、広場を影で覆い尽くすほどの大きな水の球体が浮かんでいた。
「《魔石開放》」
「……まさか、あれだけの傷で死なないなんて! それにこの水の加護は……」
来晴は詠唱を始めようとするが、魔術汚染の進行が激しいのか、立ち眩みで体のバランスを崩し、その場で跪く。
魔術師としての才能は水を司る五山、
「……《悪魔との契約よ、魔術の如く顕現せよ。代価は時、時は止まる》」
聞きなれない詠唱がかえでから聞こえる。
「《
白馬鑓導影と戦った時に感じた、まるで時間が止まっているかのような感覚に陥る。が、今回は状況が違った。頭上の水は降り注ぐことなくその場に留まっている。
刀を抜いて迫らんとする弘康はその場で彫像のように固まっている。同様にして来晴や楫次も微動だにしていない。
あの時とは人数と規模が異なる。
かえでのみが止まった時間の中で、人間離れした凄まじい速度で液体の上を移動していた。
「訂正、好きなもの一つだけある……」
すれ違いざまに彼女が向けた言葉。あれから彼女の中で何かが変わっていた。それが良い方向性かどうかは諒世には分からなかった。ただ、佐藤かえでのその姿を見て感じることがあった。
かえでは携帯魔術か何かで取り出した武器を右手に駆ける。一見古びた杖にも見えるが、先端にある水晶から鎌のような刀身が伸びている。
固まって動かない弘康をその刀身部分で斬った後、かえでは水の塊へ向かって大きく跳躍する。
彼女の後姿には翼を模した文様が光っていた。この手の魔術は飛行魔術と呼ばれる特殊な魔術だ。
魔術武装を大きく振り、これも同様に切れ込みを入れ、飛行魔術の滞空能力を維持し、かえではゆっくりと着地した。
現実離れしている。まるで悪魔のようだと思った。
何かが外れるような感覚と共に、時が動きだす。弘康はいつの間に傷つけられたかも分からない状況のまま塵灰となって消えた。術者を失った球体状の水の塊は、かえでによって両断された切り口を境に二手に霧散し、細かい飛沫となって潰えた。
「一体何が……」
跪いていた来晴はようやく立ち上がり言った。どうやら彼女には状況が見えていなかったようである。息絶え絶えの楫次も、同様の反応を示していた。
「諒世……今の見た? 時間が止まってた……」
諒世の隣で、景火は唖然としていた。
舞い降りた悪魔のような彼女の姿か、もしくは一連の流れ全てだろうか。どちらにせよ、来晴や楫次と違ってその疑問には具体性が帯びていた。
「時間を止める魔術……?」
諒世の解はそうだった。
そんなものは聞いたことも無い。しかし、そうでなければ状況を説明することが出来なかった。
しっかりとした答えを出す前に、武器や術式を解除したかえで諒世に向けて一言放った。
「あなたのことが――」
ただ、ここに来てやはり、その言葉は遮られる。彼女の身体が傾いて、その瞳が閉ざされたからだ。
もし時間を止める魔術があったとして、そのための代価となる魔力や汚染は計り知れない。
何が彼女をそこまでして必死にさせたのかは諒世には分からない。
ただ、その気持ちを全力で受け止めるだけの覚悟が今はある。それが拒絶だとしても好意だとしても、逃げるかどうか考えるのは気持ちを知ってからで良い。
諒世は景火のアバターの機動力を生かして、彼女が地に着くまでに両手でしっかりと受け止める。
「かえで……お前は何なんだ。教えてくれよ……」
どうしても彼女に執着してしまう気持ちをどう説明すれば正しいのか分からない。
これは灯世とも違う何か運命的なものだ。
ここまで来て諒世は一つだけ気付くことがあった。
「もしかして……何処かで会ってる――?」