最終話「不完全なまま世界を歩く。」

文字数 1,188文字

 同棲を始めてから1年の時が流れた。僕らは彼女のお母さんが働いている動物保護施設から猫を一匹引き取り、元々飼っていた柴犬と合わせて4人暮らしを始めた。


 2月になり、ある休日の昼間。我々はいつも通り公園のベンチに座って世界を眺めていた。すると彼女が突然、自分の鍵から猫のキーホルダーを外して僕に手渡した。

はい。これあげる。
ありがとう。でも急にどうしたの?
私はこれと犬のキーホルダーを1つずつ鍵に付けていたでしょう?


私が飼っていたのは犬、あなたは猫。だから猫の方をあなたにあげる。

そっか。大事にするよ。
 しばらく受け取った猫のキーホルダーを眺めていると、彼女は僕の目を見つめた。
結婚しましょう。
 僕も彼女の目を見て答えた。
うん。

結婚しよう。

 僕らは人目も気にせず公園のベンチに座ったまま口づけした。
頼りないと思うけど、君を幸せにできるように頑張るよ。
何言ってるの。あなたは世界で一番頼りになる人よ。


それに、私はあなたと一緒にいるだけで幸せなの。

 そう言って頬を小突く。

 それから川沿いの道を並んで歩いていると、彼女は鍵に付いている犬のキーホルダーを眺めながら言った。

結婚指輪の代わりが犬と猫のキーホルダーって変かな?
いいんじゃないかな。心で繋がっていれば。
ロマンチストなのね。
 いつも通り、からかうようにこちらの顔を覗き込む。僕もいつも通り顔が熱くなって下を向く。
人は不完全だからこそ美しい。
 彼女は言葉を空中に置いた。
“普通”の結婚指輪より、こっちの方が私達には合ってる気がするわ。
 彼女はそう言って犬のキーホルダーに付いている鈴を2回鳴らした。
ねえ、新婚旅行に連れて行ってよ。
いいよ。いつにしようか。
今から。
今から?どこに行きたいの?
あなたの実家。
それは構わないけど、ただ猫カフェで遊ぶだけになっちゃうよ。
“普通”の新婚旅行より、そっちの方が私達には合ってる気がしない?
それもそうだね。

 歩いている僕らの足元で、人知れず綺麗な白い色の椿が咲いているのを見つけた。僕らは歩くのを止めてしゃがみながらその花を眺めた。

道端に椿が咲いてるなんて珍しいわね。
確かに、なかなか見かけないな。
椿の花言葉って、「控えめな素晴らしさ」だったかしら?
そんな感じだったと思うよ。
 本当は知っていた。それは代表的な赤い椿の方で、白い椿の花言葉は「完全なる美しさ」だ。なぜ僕がそれを知っているかと言うと、彼女にプレゼントするため色んな花について調べていたからだ。


 でも彼女に花をあげる必要はないような気もしている。不完全な彼女は、すでに“完全なる美しさ”を身に着けているからだ。そもそも彼女より綺麗な花なんてどれだけ探しても見つけられない。


 この世で生きる意味はあるか。世界に色はあるか。彼女と出会ってからそんなことは考えなくなっていた。僕らは不完全なまま、互いの手の温もりを確かめながら歩き続ける。

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登場人物紹介

“不完全”な僕。世界から色が消え、ただ時が過ぎるのを待っている。

”完全”なクラスメイトの女の子。僕とは真逆の存在。

僕の母。父と2人で猫カフェを経営している。

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