第22話「大学受験」

文字数 1,861文字

 2月になった。月末には大学の試験がある。僕はとりあえず学校で言われた通りの対策はしてきたし、あとは本番を迎えるだけだ。

 受験の前日、彼女からメッセージが届いていた。

明日はお互い頑張ろうね。
 振り返ってみると7ヶ月ぶりのメッセージだった。前回のやり取りはデート(?)の待ち合わせについてだった。僕は少しだけその日のことを思い出した。
頑張ろう。きっと大丈夫だよ。

 受験当日になり、僕は2つ隣の駅にある大学に向かった。指定された席について試験が始まる前までは緊張したが、初めて彼女と話した時の緊張に比べれば大したことはない。心理学部のため試験内容は小論文のみだった。

 僕は人の気持ちには共感できないが、教科書的に心の仕組みを理解することは得意なので、"いいこと"を上手に書き連ねた。


 試験が終わり、答案用紙を教授が回収し終えると解散になった。

 帰りに大学のキャンパスを見回しながら歩いていると、中庭の陰に隠れている寂れたベンチの上で、野良猫がぼんやり座っているのを見つけた。なぜか僕は彼女のことを考えながら帰宅した。

 試験の後、僕と彼女はお互いメッセージを送らなかった。2週間後の合格発表までは学校に行く必要もなかったため、僕はいつものように日常を過ごした。

 そして2週間後、合格発表の日。10時に大学のホームページで結果が出されるのだが、両親は1時間前から猫カフェで使っているパソコンを開いて待機していた。インターネットで合格発表というのも不思議なものだが、世の中が便利になるというのはそういうことなのだろう。当の本人よりも緊張した両親は、部屋を歩き回ったり店の猫を撫でたりしてその時を待っていた。


 10時、合格発表の時間。母は目を瞑って祈るように手を合わせ、父がIDとパスワードを入力して合格発表のページを開いた。結果は合格だった。

 両親は抱き合って喜び、僕の頭を撫でた。母の目には涙が浮かんでいた。騒ぐ両親を見た店の猫達は鳴いたり、歩きまわったり、野次馬のようにこちらを眺めたり、それぞれの反応を示していた。


 母はハンカチで涙を拭いてから僕に言った。

あなたが笑っているのを久しぶりに見た気がするわ。

 母は僕の頬を小突いた。この癖は彼女と母の共通点らしい。それにしても、僕は“久しぶりに笑っていた”らしい。


 ひと通り両親から合格を称えられると、僕は結果を報告するため学校に向かった。

 教室に着くと、彼女は先に来て席に座っていた。いつも通り周りを囲まれ、同級生の合格を一緒に喜んだり、落ちた人を慰めたりしていた。既に僕らは卒業しており授業があるわけでもないので、皆それぞれ自由に過ごしていた。


 僕は職員室に行き、担任の教師に合格したことを報告した。また教室に戻ると、彼女の人だかりは消えていた。僕に気づいた彼女は小さく手を振りながらこちらに近づき、恐る恐る僕の顔を覗き込んだ。

どうだった?
合格だったよ。
 彼女は安心したように小さくため息をついた。
おめでとう。私も合格だったわ。
 満面の笑みだった。
ねえ、一緒に帰らない?
そうしよう。
 僕らは自動販売機でお決まりの飲み物を買って、あの公園に行った。ベンチに並んで座り、いつものようにぼんやりと世界を眺めた。
この公園にも来なくなっちゃうのかな。
 彼女は儚げな表情で言った。
そうなってしまうね。特に君は家が離れるから。
なんだか寂しくなるわ。
落ち着いたら、またこうやって公園に来たりしようよ。
そうね。楽しみにしておくわ。
 彼女はカバンを持って、ゆっくりと立ち上がった。
そろそろ帰りましょうか。
 もう少し一緒にいたかったが、やはり言えなかった。あの日と同じだ。
そうだね、帰ろうか。
 始まりと終わり。出会いと別れ。僕はそんなことを考えながら彼女の隣を歩いた。

 僕は彼女に何かを言わなければいけない気がしたが、結局何を言えばいいか分からずにバス停に着いてしまった。お互い黙ったまま立っていると、バスがやって来た。

 彼女はゆっくりと道路の方に近づいた。何かを言わなければ。

大学でもお互い頑張ろうね。
そうだね。
 もうすぐ彼女はバスに乗る。
向こうでのこととか、また連絡するわ。
僕もそうするよ。
 ドアが開く。もう彼女はバスに乗る。
それじゃ、またね。
元気でね。
 彼女はバスに乗り一番後ろの席に座った。いつもの笑顔で小さく手を振っていた。遠ざかるバスの背中を僕はいつまでも見つめた。気が付くと、バスはもう見えなくなっていた。

"二度と彼女に会えないかもしれない"

そんな考えが頭に浮かび、胸が苦しくなった。

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登場人物紹介

“不完全”な僕。世界から色が消え、ただ時が過ぎるのを待っている。

”完全”なクラスメイトの女の子。僕とは真逆の存在。

僕の母。父と2人で猫カフェを経営している。

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