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文字数 2,271文字
時間どおりに迎えの馬車が来て、フィオナは乗り込んだ。今回もグレンは迎えに来ておらず少し不安に思ったものの、いつもの御者だったので安心して乗ることができた。
王宮に向かう馬車に揺られながら、フィオナは必死に自分に言い聞かせた。
求婚を断ることがグレンのためにもなるのだと。
けれど、心が引き裂かれそうなくらいに痛い。どうして、こんなにも痛いのだろう。
最初から嫌われようとしていたし、断ろうとしていた。それを行動に移すだけなのに、どうしてこんなに胸が痛いのか。
――ごめんなさい……
あの人を傷付けるかもしれない。
ただ、それだけが怖かった。
王宮に着くと、馬車のドアを開けて出迎えてくれたのはグレンだった。
満面の笑みを浮かべている姿を見ると、心がちくりと痛む。今から自分は、この笑顔を曇らせてしまうのだ。
「フィオナ嬢、やっとお会いできました。迎えに行くことができず、申し訳ありません」
「いえ……、大丈夫です」
いつもどおりに笑って答えたつもりだったが、声が僅かに震えているのが自分でもわかった。
グレンもそれに気づいたらしく、「どうしたのですか?」と心配そうに訊ねてくる。
それにドキリとし、目を逸らしながらグレンの手を借りて馬車を降りると、右頬に手を添えられて上を向かされる。
真正面から顔を覗き込まれる。端正な顔が気遣わしげに歪んでいるのを見て、罪悪感で心が痛くて息をすることすら忘れてしまいそうになる。
「私は――――」
言わなくては。
そう思っているのに、言葉が出てこない。
心のどこかにある躊躇いが、喉まで出てきている言葉を押し込めてしまう。
その時、視界の端で先ほど別れたはずの姿を捉える。
視線を向けると、そこにはダリモア公爵の姿があった。こちらをじっと見つめ、それがフィオナには圧力をかけられているように感じた。
――言わなくちゃ……
最初から、こうするつもりだったのだ。
変わり者の自分を受け入れてくれた心地よさに浸って、ずっと返事を先延ばしにしていた自分が悪い。だから、これは自分が撒いた種。
「――ごめんなさい」
するり、と言葉が口から漏れた。
あとはあふれ出すかのようだった。
「私……、グレン様の求婚をお断りするためにここに来ました……」
グレンが大きく目を見開いた。驚いているのがわかる。
「ごめんなさい……」
涙があふれそうになった時、グレンの手が頬から離れたので俯く。
「ごめんなさい――……」
「それが、あなたの出した答えですか?」
いつもの柔らかい声とは違って、硬質で感情を感じさせない抑揚のない声だった。
その声を聞いた瞬間、心臓が締め付けられたかと思った。彼を傷付けてしまったのがわかったからだ。
胸の前で両手をギュッと握り締める。
顔を見ることはできなかった。見てしまったら絶対に泣いてしまうし、涙を流す顔を見られたくはなかった。
家族のためにグレンを切り捨てると決めたのに、泣いてしまってはいけない。
そう思って、必死に涙を堪える。
「……はい」
小さく答える声は、自分でもわかるくらいに震えていた。
彼にこれ以上の迷惑をかけることはできない。迷惑をかける前に、離れたほうがいい。
「誰かに強要されたわけではなく?」
その言葉に、びくりと肩が震えた。
ダリモア公爵の視線を感じる。グレンは彼の存在に気づいているのだろうか。
顔を上げることなく、フィオナは何も言わずにこくりとうなずいた。
「俺は……あなたから嫌われていないと思っていました。もしかしたら、俺の求婚を受け入れてくれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのですが……」
落胆しているような声音に、心臓が大きく跳ねた。
「最近のあなたは、俺のことを好いてくれていると思っていたのですが……、勘違いだったのかもしれませんね」
「……」
――私が、この人のことを好き……?
彼にはそんな風に見えていたのだろうか。
誰かを愛する感情なんて知らない。家族以外を愛する感情なんて。
「ごめんなさい」
とうとう堪えていた涙があふれた。次から次へと頬を流れる。
「ごめんなさい……」
気づいてしまった。
こんなに胸が痛い理由に。あの時、月明かりを浴びた横顔を綺麗だと思った理由に。剣を振る姿を憧れた騎士に重ねてしまった理由に。求婚を断らなければならないことがつらい理由に。
……気づいてしまった。
そうか。
これが好きになるという感情か。
これが誰かを愛するという感情か。
いつの間にか、自分はグレンのことをこんなにも好きになってしまっていたのだ。
しかし、この気持ちを告げることは許されない。
フィオナは家族のためにグレンを切り捨てることを選んだのだから。
グレンはしばらく涙を流すフィオナを見ていたが、そのうち背中を向けて歩き出した。
その後ろ姿にフィオナは反射的に手を伸ばそうとして、ハッとして引っ込める。
引き止めてどうするというのだ。
ここで引き止めてしまったら、すべてが無駄になる。
その時、グレンが足を止めて少しだけ振り返った。
「最後に一つだけ、いいですか?」
「……はい」
「二日後の舞踏会には必ず参加してください。それが最後です」
「……わかりました」
フィオナの返事を聞き、グレンは去って行った。
その背中が消えた方向を見つめたまま、フィオナはその場に頽れる。
涙が落ち着くまで、しばらくかかった。
王宮に向かう馬車に揺られながら、フィオナは必死に自分に言い聞かせた。
求婚を断ることがグレンのためにもなるのだと。
けれど、心が引き裂かれそうなくらいに痛い。どうして、こんなにも痛いのだろう。
最初から嫌われようとしていたし、断ろうとしていた。それを行動に移すだけなのに、どうしてこんなに胸が痛いのか。
――ごめんなさい……
あの人を傷付けるかもしれない。
ただ、それだけが怖かった。
王宮に着くと、馬車のドアを開けて出迎えてくれたのはグレンだった。
満面の笑みを浮かべている姿を見ると、心がちくりと痛む。今から自分は、この笑顔を曇らせてしまうのだ。
「フィオナ嬢、やっとお会いできました。迎えに行くことができず、申し訳ありません」
「いえ……、大丈夫です」
いつもどおりに笑って答えたつもりだったが、声が僅かに震えているのが自分でもわかった。
グレンもそれに気づいたらしく、「どうしたのですか?」と心配そうに訊ねてくる。
それにドキリとし、目を逸らしながらグレンの手を借りて馬車を降りると、右頬に手を添えられて上を向かされる。
真正面から顔を覗き込まれる。端正な顔が気遣わしげに歪んでいるのを見て、罪悪感で心が痛くて息をすることすら忘れてしまいそうになる。
「私は――――」
言わなくては。
そう思っているのに、言葉が出てこない。
心のどこかにある躊躇いが、喉まで出てきている言葉を押し込めてしまう。
その時、視界の端で先ほど別れたはずの姿を捉える。
視線を向けると、そこにはダリモア公爵の姿があった。こちらをじっと見つめ、それがフィオナには圧力をかけられているように感じた。
――言わなくちゃ……
最初から、こうするつもりだったのだ。
変わり者の自分を受け入れてくれた心地よさに浸って、ずっと返事を先延ばしにしていた自分が悪い。だから、これは自分が撒いた種。
「――ごめんなさい」
するり、と言葉が口から漏れた。
あとはあふれ出すかのようだった。
「私……、グレン様の求婚をお断りするためにここに来ました……」
グレンが大きく目を見開いた。驚いているのがわかる。
「ごめんなさい……」
涙があふれそうになった時、グレンの手が頬から離れたので俯く。
「ごめんなさい――……」
「それが、あなたの出した答えですか?」
いつもの柔らかい声とは違って、硬質で感情を感じさせない抑揚のない声だった。
その声を聞いた瞬間、心臓が締め付けられたかと思った。彼を傷付けてしまったのがわかったからだ。
胸の前で両手をギュッと握り締める。
顔を見ることはできなかった。見てしまったら絶対に泣いてしまうし、涙を流す顔を見られたくはなかった。
家族のためにグレンを切り捨てると決めたのに、泣いてしまってはいけない。
そう思って、必死に涙を堪える。
「……はい」
小さく答える声は、自分でもわかるくらいに震えていた。
彼にこれ以上の迷惑をかけることはできない。迷惑をかける前に、離れたほうがいい。
「誰かに強要されたわけではなく?」
その言葉に、びくりと肩が震えた。
ダリモア公爵の視線を感じる。グレンは彼の存在に気づいているのだろうか。
顔を上げることなく、フィオナは何も言わずにこくりとうなずいた。
「俺は……あなたから嫌われていないと思っていました。もしかしたら、俺の求婚を受け入れてくれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのですが……」
落胆しているような声音に、心臓が大きく跳ねた。
「最近のあなたは、俺のことを好いてくれていると思っていたのですが……、勘違いだったのかもしれませんね」
「……」
――私が、この人のことを好き……?
彼にはそんな風に見えていたのだろうか。
誰かを愛する感情なんて知らない。家族以外を愛する感情なんて。
「ごめんなさい」
とうとう堪えていた涙があふれた。次から次へと頬を流れる。
「ごめんなさい……」
気づいてしまった。
こんなに胸が痛い理由に。あの時、月明かりを浴びた横顔を綺麗だと思った理由に。剣を振る姿を憧れた騎士に重ねてしまった理由に。求婚を断らなければならないことがつらい理由に。
……気づいてしまった。
そうか。
これが好きになるという感情か。
これが誰かを愛するという感情か。
いつの間にか、自分はグレンのことをこんなにも好きになってしまっていたのだ。
しかし、この気持ちを告げることは許されない。
フィオナは家族のためにグレンを切り捨てることを選んだのだから。
グレンはしばらく涙を流すフィオナを見ていたが、そのうち背中を向けて歩き出した。
その後ろ姿にフィオナは反射的に手を伸ばそうとして、ハッとして引っ込める。
引き止めてどうするというのだ。
ここで引き止めてしまったら、すべてが無駄になる。
その時、グレンが足を止めて少しだけ振り返った。
「最後に一つだけ、いいですか?」
「……はい」
「二日後の舞踏会には必ず参加してください。それが最後です」
「……わかりました」
フィオナの返事を聞き、グレンは去って行った。
その背中が消えた方向を見つめたまま、フィオナはその場に頽れる。
涙が落ち着くまで、しばらくかかった。