エピソード文字数 4,236文字

 傷は少し引き攣るような違和感があるものの痛みはなく、順調に回復していると思われる。
 怪我をしたのが利き腕じゃなかったのが幸いして、誰もフィオナの怪我に気づいていないようだ。
 最初はみんなが驚いていたグレンの笑顔も、一週間ほど経つと日常の一部と化したらしく、戸惑いの声は少なくなった。
 ただ最近気になることは、同期達の態度がなんだかぎこちない気がするのだ。
 近づいて声をかけるとこちらから逃げるように後ろへ下がって一定距離を保つのだが、それが何故なのか不思議でならない。何か変なことでもやらかしてしまっただろうか。
「すみません」
 用事があって一人の先輩に声をかけると、彼の態度はいつもと変わらないものだった。
 ――あいつらにだけ女だってバレたのかな……?
 あちらも確信を持っているわけではないらしく、疑っているだけのようだ。態度がおかしくなったのは彼らだけで、その彼らが他の人達に自分達の疑いを言って回っている様子もない。
 言いふらさないでくれるのは助かるが、どこで女だと疑いを持たれてしまったのかがわからない。そんなボロを出した記憶はないのだが。
 視界の隅で、同期達がちらちらとこちらを窺っているのがわかる。しかし、フィオナはそれに気づかないふりをして先輩と言葉を交わす。
「どうしてもダメなのか?」
 先輩の言葉に、フィオナはうなずいた。
「申し訳ありません。どうしても家の事情で舞踏会の警備の仕事はできそうにないんです。団長には僕からも言いますけど、とりあえずみなさんの耳にも入れておいたほうがいいかと思いまして」
「家の事情なら仕方ないな。去年もそう言って休んでいるやつがいたし。……わかった。俺からみんなに言っておくよ。お前は家の事情での外出が多いみたいだが、大変そうだな」
「……本当に大変ですよ」
 最初の時よりグレンの求婚に抵抗がなくなってしまっているのだから、かなり危ない状況だ。
 エリオットのことがなければ、出会うことすらなかった人なのに。
 フィオナは伯爵家の令嬢だが、変わり者と呼ばれて他の貴族との交流をあまりしてこなかった。アリソン伯爵家は歴史はあるものの、ダリモア家のような貴族と比べると王族との関わりはあまり深くなく、本当にグレンは通常なら出会うことすらなかったはずなのだ。
 そしたら、こんなに誰かに強く想われるということすら知らずにいたかもしれない。
 ――エリオット、戻ってきて……
 そしたら、彼のことを前向きに考えられるかもしれないのに――――
「……え?」
 そこで、ハッとなる。
 ――私、今……、何を考えてた……?
 グレンの求婚を前向きに考えたいと思っている自分に気づいて、驚いてしまった。自分の中でグレンに対する気持ちが変化してきていることには気づいていたが、求婚を前向きに考えたいと思っているほどに変わっているとは思わなかった。
「どうしたんだ?」
 先輩が少し気遣わしげな声音で訊ねてきて、それに笑顔で「なんでもありません」と答えてから、「失礼します」と頭を下げて急いでその場を立ち去る。
 早足に自分の部屋へ戻り、ドアに背中を預けて、少し赤くなった両頬に手を当てる。
「まさか、ね……」
 この自分が団長に惹かれている?
 変わり者と呼ばれ、一族の中でも腫れ物扱いされてきて、それでも自分の考えを変えることができなかった自分を、抵抗もなく受け入れてくれた団長に惹かれている?
 まさか。そんなはずはない。
 あの人に、こんな自分はふさわしくないのだから。あんな人には、もっと美しくて教養があって、公私ともに支えられるような人がふさわしいのだ。
 あの人の隣りに立つべきなのはそんな人で、決して自分のような人間ではないはず。
「気のせいだよ……」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「団長に惹かれているなんて、そんなわけない」
 気のせいだ。
 騎士団を退団すれば、関わることもなくなるのだから。顔を合わせることも、言葉を交わすこともない。そのうち、彼も諦めてくれるはず。
 関わりがなければ、彼もすぐに自分の存在など忘れてしまうだろう。
 そしたら、前のような日常が戻ってくるはずだ。



 グレンから呼び出しがあったのは、それから四日後のことだった。
 腕の傷もだいぶよくなり、引き攣ることもなくなった。一人での処置も手慣れてきた頃、部屋を訪れたグレンからフィオナのほうへ連絡してほしいと頼まれたのだ。
 なんでも、仕立て屋が二日後に控えた舞踏会でフィオナが着る予定になっているドレスの最終調整をしたいと言っているらしく、王宮へ来てもらえないだろうか、という話だった。
 フィオナはそれを引き受け、外出届を出してすぐにアリソン邸へと戻った。
 準備をしてグレンの馬車を待っていると、執事が来客が来たことを告げてきた。
 当主である父親ではなく、フィオナに対しての来客は珍しいので不思議に思いつつ、客間へ赴くと、そこには予想していなかった人物の姿があって大きく目を見開く。
「……ダリモア公爵様……」
 前に父親に詐欺容疑がかけられた時、一方的に弾劾しようとしていた人物の姿に、フィオナは驚きを隠すことができなかった。
 フィオナの戸惑いを感じた執事が、「旦那様を呼んで参りましょうか?」と訊ねてきたが、それを聞いてダリモア公爵は、「人払いを頼めるか? そちらにとっては、あまり聞かれたくない話のはずだ」と言うので、嫌な予感を覚える。
 少し迷ったものの、執事に呼ぶまで誰も近づけないように言って下がらせ、相手にソファを勧めて自分はその向かいに腰掛ける。
「この後、王宮へ出向く用事があるので手短にお願いします」
 そう言うと、ダリモア公爵は眉を寄せた。
「グレン殿下の元へ行くのか?」
「ええ」
「ならちょうどいい。グレン殿下のことで来たからな」
 そして、ダリモア公爵ははっきりと告げた。

「グレン殿下には、我が娘こそふさわしい。だから、貴様は手を引け」

「……」
 自分でもふさわしくないと思っているが、他人の口から言われると傷付くものがある。
「……そんなこと、言われなくてもわかっています」
「なら、話は早い。今から殿下の元へ行くのだろう? そこで、殿下の求婚を断れ」
「あなたに指図される覚えはありません。私は私の意志で求婚を断るつもりでいます」
「では、何故すぐに断らない」
「タイミングを窺っているだけです」
 それを聞いて、ダリモア公爵はため息をついた。
「そう言いながら、ずるずると返事を先延ばしにしているだけではないか。返事を待つ殿下が気の毒だとは思わないのか?」
「……」
 確かに、そうかもしれない。お断りされると決まっている返事を待ち続けるのだから。
「受け入れるつもりがないのなら、先延ばしにせずに断れ。そもそも、アリソン伯爵家の変わり者がグレン殿下から求婚されるなどありえん話だ」
「……私のこと、調べたんですか?」
 今までダリモア公爵家とは接点がなかった。フィオナが変わり者であることは、隠していたから一族の中でも限られた人間しか知らないことなので、調べなければわからないことだ。
「そうだな。色々と調べさせてもらった。弟のことでは、大変な目に遭っているようだな」
「……」
 かわいそうなものを見るかのような目で見られて、フィオナは唇を引き結んだ。
 それと同時に、確信した。
 エリオットとして騎士団に在籍していることがバレている。屋敷の者でもごく一部しか知らないはずなのに、どこから漏れてしまったのか。背中に冷たい汗が流れる。
 相手は確信しているから、とぼけるのは逆効果だ。どうすればいいかわからなくて、呆れたようなため息をつく相手を見つめることしかできない。
「変わり者だと言われているらしいが、そんな大それたことまでするとは驚きだ。本当に変わり者のようだな」
 何をしているのかはっきりとは言わないが、何を指しているのかははっきりとわかる。
 そのカードをちらつかせて、自分の要求を呑ませようとしているのが明確に伝わってきた。
 フィオナは、両手を膝の上でギュッと握り締めた。
「こちらの頼みを聞いていただければ、この話は内密にしよう。しかし断った場合は、しかるべき場所でしかるべき裁きを受けてもらおう。私の言葉の意味がわかるな?」
 グレンを選んで家名を失うか、家名を選んでグレンを切り捨てるか。
 その選択を迫られ、胸が痛くなって呼吸するのも難しくなってくる。
「自分は殿下にふさわしくないと思っているのだろう? だったら、自分が何を選ぶべきかは決まっているはずだ」
「……」
「何よりも家族が大事な貴様のことだ。弟が戻ってこられるように、彼の居場所を守るためにそこまでしたのだろう? 意地を張ってそれを失えば、貴様はきっと一生自分を責めるかもしれない。そして、家族からも責められるのは確実だ」
 第一、とダリモア公爵は言葉を続ける。
「私はグレン殿下を王にしたいと思っている。その隣りに立つのが、変わり者の娘では殿下の肩身が狭くなる。その点、私の娘は容姿端麗な上に深い教養がある。グレン殿下を立派に支えることができるだろう。妃にふさわしいのは、私の娘以外にいない。お前もそう思わないか?」
 そう。言われなくてもわかっている。
 グレンの隣りにふさわしいのはそういう女性で、自分のような人間ではない。それはわかっている。わかっているのに、心のどこかでそれを認めたくない自分がいる。
「こんなことをやっている娘を殿下が娶ったとして、このことを誰かに知られれば殿下の名に傷を付けることになるはず。……もしや、貴様はそれを望んでいるのか?」
「――違います!」
 そんなこと、望んでない。望むはずがない。
 だったら、選ばなければ。どちらかを選んで、どちらかを切り捨てなければ。
 フィオナは目を瞑り、ごちゃごちゃしている頭の中を整理する。簡単な話だ。自分は最初からそれを望んでいたではないか。答えは決まり切っている。
 大きく一回だけ深呼吸し、瞼を上げる。決意を込めた瞳で、相手を見つめる。
「そちらの言うとおりにすれば、黙っていただけるんですね?」
 フィオナが出した答えに、ダリモア公爵は満足したのか唇の端をつり上げてうなずいた。
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