文字数 5,543文字

「あぁ、お会いしたかったです、フィオナ嬢。今日も一段と麗しいですね」
「……」
 アリソン伯爵家に王家の紋章が描かれていない私用の黒い馬車でやってきたグレンは、フィオナを見て開口一番そう言った。
 数時間前に見かけた無表情が噓だったかのように、今のグレンは心底嬉しそうな笑みを浮かべている。まるで、ずっと恋い焦がれていた相手にやっと会えたかのようだ。
 本当に、王宮で見ているグレンと同一人物なのか疑いたくなる。この人、双子の弟とかなんじゃ……? きっと、この光景を仲間達に言っても信じてもらえないだろうな。
「これほどまでに誰かに会いたいと思ったことはありません。あなたと別れた途端に、あなたに会いたくてたまらなくなってしまいます」
 ――私は会いたくなくてたまらなかったけど……
 そう思ったが口に出すことはなく、とりあえず笑っておく。しかし、少し頬が引きつった不自然な笑みになったかもしれない。
 グレンはトレードマークのノーブル騎士団長の証である黒い軍服を着ている。さすがに腰に剣は下がっていないが、開かれた馬車の扉の向こうで座席に立てかけられているのが見えた。
 対してフィオナは、いつも屋敷で着ていた下町の娘であるかのような庶民服姿だ。街を歩けば、誰もが貴族の娘であるとは思わないような格好で、実際、この格好のまま街を一人で出歩いて買い物をしたりしている。今まで、貴族の娘だとバレたことはない。
 この姿を見て渋い顔をするかと思ったが、フィオナの全身を眺めたグレンはにこりと微笑む。
「俺に対して着飾ることなく出迎えてくれるなんて、少しは心を許してくれたということでしょうか?」
「……」
 再び、引きつった笑みを浮かべてしまう。
 貴族の娘らしい格好をしないところを見せつけて幻滅させようと思ったのだが、逆効果だったらしい。グレンはフィオナの姿を前向きに受け取ったようだ。
 今さら、違います、とは言えない。はっきりとは返答せずにごまかし、フィオナはグレンのエスコートで馬車へ乗り込む。
「今日はあなたがどんな方なのかを知りたいと思いまして、エリオットから聞いているとは思いますが、あなたが普段どういうところに行くのか、どういったことをなさるのかを知りたいです」
「ええ、聞いています。でも、私には楽しい場所でもグレン様には楽しくない場所かもしれませんよ?」
 そう言うと、グレンは目元を緩めて、柔らかく笑った。その微笑に目が引きつけられ、心臓が大きく高鳴る。顔が整っている上に、普段笑わないような人が笑うと、破壊力は抜群だ。
「あなたが一緒なら、どんな場所でも俺は楽しいですよ。実際、あなたと一緒にいるだけで心が躍ってしまいます」
「……そうですか」
 グレンはなまじ顔が綺麗な分、微笑むと万人を引きつけるくらいに魅力が増してしまう。
 ――これは危ない……
 そんなのを間近でずっと見せられ続けると心臓に悪いのは確実だ。早く嫌われてお断りしてもらわなくては。
 だから、女性なら絶対に行かないようなところに行こう。そうしよう。そう思って、意を決して口を開く。
「ランスロット様にお会いしたいのでしたよね? 道場のほうへ行ってみますか?」
 フィオナの言葉に、グレンは少しだけきょとんとした表情を見せる。普通に驚いているらしい。本当に、今のグレンは表情豊かだ。王宮の時と今ではどちらが本来の性格なのか、疑問を覚えてしまう。
「エリオットから聞いたのですか?」
「――え、ええ。弟からそう言っていたと聞きましたので」
 しまった。エリオットから聞いたのですが、と言うのを忘れていた。
 自分の凡ミスに冷や汗が流れたが、グレンは特に不審に思っている様子はないみたいなので安心する。
 グレンは少し考えてから口を開いた。
「そうですね。俺も久しぶりにランスロットに会いたいですし。ランスロットは俺の剣の師匠でもあるんですよ。あなたと共通点があって、とても嬉しいです」
「……」
 剣を習う女性はこの国では男性から嫌悪される対象なのだが、グレンは特に何も思わないらしい。それどころか、同じ師匠から教わっていた共通点があったことのほうが嬉しいようだ。
「剣を習うなんて、まるで建国の女王のようですね」
 シンクレア王国には、建国の女王として語り継がれている女性がいる。その女性は当時はただの新興貴族だった現在の王族の始祖と協力してシンクレア王国を作り上げたと伝えられている。そして二人は結婚し、その子孫がこの王国の王族として脈々とその血を受け継いできた。
 建国の女王は今でも国中で語り継がれるような偉大な女性で、建国後に国王となった夫をずっと陰から支え続けていたとされている。そのためにシンクレア王国では、女性は夫を陰ながら支え、決して出しゃばらず、おしとやかにしなければならないことが美徳とされてきた。
 なので、女性が男性のように剣を振るうなど許されざることで、剣を習うフィオナに対して周りの視線は冷たかった。だからこそ、弟のふりをして習っていたのだ。両親も最初はやめさせようとしたのだが、それでもフィオナがやめなかったために弟のふりをすることで、諦めて黙認してくれた。
 だからこそ、剣術を習っていたと知ったら絶対に嫌がるかと思ったのだが、グレンはまったくそんなことは感じないらしい。
 ――ちょっと手強いかも……
 普通の男性なら、ここで眉をひそめるところだ。フィオナも変わった娘だと言われてきたが、グレンもそれなりに変わった感性の持ち主であるらしい。
 だとしたら、求婚をお断りの方向へ持っていくのはかなり難しくなってくる。
 少しだけ心の中に焦りが生まれた時に、グレンが優しく笑って訊ねてきた。
「ランスロットの道場は、どこにあるのですか?」
 そう訊ねられて大体の場所を告げると、グレンは御者にそれを伝え、馬車がゆっくりと動き出す。
 さすがは、グレンの私用とはいえ王族が使っている馬車だ。伝わってくる振動が小さい。アリソン家で使われている馬車よりも上等な造りであるのがよくわかる。
「フィオナ嬢は、いつから剣術を?」
 唐突な質問に虚を突かれ、フィオナは一瞬何を言われたのかがわからなかった。すぐに我に返る。
「いつから? えっと……、六歳か七歳くらいの時だったかと思います」
「あぁ、俺が始めた頃と同じですね」
 また共通点があって嬉しいらしく、グレンの眼差しに甘いものが混ざる。それを真正面から見てしまって、ドキッとしたフィオナはさりげなさを装って視線を逸らす。
「この国で剣術を習う女性はとても珍しいと思うのですが、差し支えなければどうして習い始めたのか理由を教えてもらってもいいですか?」
「別に構いませんが……。大したことではないですよ。弟と一緒に読んだ絵本に登場した騎士に憧れたってだけですから」
「絵本?」
「騎士が悪者に攫われたお姫様を助けるっていう、よくある絵本です。それを読んで、私はあろうことか騎士のほうに憧れを持ってしまったんです。それで両親に内緒でランスロット様の道場に出入りするようになって……。でも、やっぱり周りの目は冷たいし、それを知った両親が慌ててやめるように言ってきました」
 当時のフィオナには、どうして剣を習うことがダメなのかがわからなかった。
「やりたいことをやるのがどうしてダメなのか。ちゃんと説明されることなく、女の子だからやめなさいと言われました。それに反発して、意地になった私がいくら注意してもやめようとしないのを見て、両親は諦めたのか、せめてエリオットのふりをして行ってくれ、って言われて、私はずっと弟のふりをして道場に通い続けました」
 女性だから剣術を習ってはいけないというのは、フィオナからしたらおかしな考え方であるような気がしてならない。一般的には、女性が剣を習うのがおかしいのかもしれないが、やりたいことをやるのがどうしていけないことなのか、それが不思議でならなかった。
「やりたいことに性別は関係ないはずなんです。女性だからやってはいけないということは絶対にないはず。確かに、女性の男性に守られて夫を陰から支える役目も大事なことはわかっています。でも私はただ守られるだけ、ただ陰から支えるだけでは嫌だった。建国の女王みたいに、普段は夫を陰から支え、時には剣を持って夫と共に戦うような、そんな女性になりたいと剣術を習うようになってから思うようになりました」
 ここまで語って、ちらりとグレンを見る。ずっとフィオナの話を黙って聞いていたグレンは、先ほどまでの微笑みが噓だったかのように真剣な表情でこちらを見ていた。その顔からは、何を考えているのか読み取ることはできない。
 ――嫌になったよね……
 女性は守るものだと教えられてきた男性であるグレンにとって、その男性を守ろうという考えを持つフィオナに対して嫌悪感を抱かないはずがない。今までフィオナにはいくつもの縁談話があったが、この考え方を知った相手はみんなフィオナを嫌悪して向こうから断ってきた。
 だから、こういった考え方は受け入れてもらえないものだと思って生きてきた。きっと、グレンも呆れたはず。こんな女性は嫌だと思っただろう。
 ――これでいいのよ……
 なんとしてでも、グレンからの求婚はなかったことにしなければならないのだから。
 フィオナが黙ってグレンの言葉を待っていると、少し間を置いてから彼が口を開いた。

「――それは素晴らしい考え方ですね」

「……え?」
 一瞬、自分の耳を疑った。驚きのあまり呆然とするフィオナがグレンを見つめていると、彼は優しく顔をほころばせた。その表情からは、一切の悪い感情を読み取ることができない。
「俺は素晴らしい考え方だと思います」
「こ……、こんな考え方をする私が嫌いにはならないんですか?」
 確認するように訊ねると、グレンはフィオナの言葉が意外だったらしく、わずかに首を傾げながら見返してくる。
「嫌いになる? 不思議なことを訊ねるんですね。そんなことはありませんよ。あなたが素晴らしい考え方の持ち主であることを知ることができて、とても嬉しく思います」
「男性を侮辱しているとは思われないんですか?」
「元々、俺も美徳とされている今の女性のあり方に疑問を持っていました。女性として生まれただけで、色々なことを制限される生き方はさぞ窮屈でつらいだろうと。生まれたら親に従い、結婚したら夫に従い、子供が生まれたら子供に従う。そんな生き方を、女性として生まれただけで強いられる。だから俺は、そんな女性の生き方をずっと疑問に思っていました」
 フィオナも男性に生まれたかったと心底思ったことがある。弟と性別が逆だったらこんな思いはしないですんだかもしれないのに、と女の子なのに剣術を習うなんて非常識だと怒った両親を見てそう思った。男に生まれながら何事にも消極的な弟を羨んで責めたこともある。責めたってどうにもならないとはわかっていたが、やるせない気持ちはどうしようもなかった。
「そういう生き方を、この国の女性達は疑問を持つことなく受け入れている。それが俺には不可思議でならなかった。でも、あなたのような方もいるのだと知って安心しました。性別は関係なくやりたいことがやりたいようにできる、それも国のあり方の一つかもしれませんね」
「……」
「女性は守られるだけの存在ではない。夫が危機に陥った時、一緒に剣を持って共に戦うような、そんな女性がいてもいいでしょう。それこそ、建国の女王のように」
 あぁ、そうか。
 グレンはそう言って、甘い笑みをフィオナへと向けた。空色の瞳が熱に浮かされているように潤んでいる。
「王族の始祖がそんな建国の女王に心惹かれたように、その子孫でもある俺が彼女と同じ考え方を持つあなたに一目でこんなにも心惹かれた理由がわかりました」
 ……おかしい。
 嫌われるつもりで話したのに、何故か好感度が上がっている気がする。
 しかし、自分の考えが初めて認められたのが嬉しくて、気分が高揚してしまうのも事実だ。頬が僅かに上気し、口元が緩むのを止められない。
 この考えに賛同してくれる人が現れたことに、思わず微笑んで「ありがとうございます」と礼を言うと、グレンは少しだけ目を瞠って、それから目元を緩ませる。
「あなたのことがますます好きになりました。あなたこそ、俺が求めていた女性です。ぜひとも、俺の求婚を受け入れてほしいと思います」
「そ、それは……」
 言葉に迷って視線を彷徨わせると、「すみません」と謝られた。
「性急でしたね。あなたにも俺のことをもっともっと知ってほしいです。返事はそれまでお待ちします。でも、ぜひ俺とのことを前向きに考えてはくれませんか?」
「……わかりました。保証はできませんが……」
 面と向かって男性から「好きです」と言われたのは初めてのことなので、恥ずかしくて心臓の高鳴りを止めることができない。
 ドキドキと鳴っている鼓動をどうにか落ち着けようとするのだが、グレンからの熱い視線を向けられているせいもあって止めることは難しい。
 元々、フィオナが暮らすアリソン伯爵家の屋敷からランスロットの剣術道場までそんなに距離はない。
 話している間に着いてしまったらしく、ゆっくりと馬車が止まり、御者が目的地に着いたことを教えてくれた。
「では、行きましょうか」
 そう言ったグレンが先に馬車を降りたので、甘い視線から解放されてフィオナはほっと息を吐いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み