文字数 5,130文字

「おー、フィオナじゃねぇか。久しぶりだな。二年ぶりくらいか?」
「お久しぶりです、師匠」
「そんな呼び方すんなよ。いつもどおり、おじさんって呼んでくれ」
「それがそうもいかないというか……」
 ちらり、と隣りにを見ると、ランスロットはやっとその存在に気づいたかのような表情でグレンに目を向ける。
「お? どっかで見たことある顔だな」
「久しぶりだな、ランスロット。グレンだ。覚えているか?」
 先ほどの甘い表情が噓であるかのように、グレンの顔は王宮で見かけるものに戻っていた。それにぎょっとしたフィオナだが、ランスロットは特にそれを気にする様子はなく、「おー、覚えてるぞ。いつの間にか、こんなに大きくなったのか。今年で二十か二十一くらいか?」と快活に笑った。
「二十一だ」
「本当に久しぶりだな。オレが退役してから会っていなかったから、かれこれ十年ぶりくらいか?」
「ああ。それくらいだ」
「あいかわらず、何考えているかわかんない無表情だな。もっと笑えよ。男前が台無しだぞ」
 ランスロットは世界一の大国の王子の頭をぐりぐりと撫で回す。
 それを見て、ランスロットらしいけれどそんなことをしていいのか、止めたほうがいいのではないかと迷うフィオナだが、されているグレンは特に嫌がる素振りを見せない。王宮で会っていた時はこういうコミュニケーションが当たり前だったのだろう。
「お前もあいかわらずだな。元気そうで何よりだ。聞いた話では、子供相手に剣術を教えているらしいな?」
 その言葉に、ランスロットはグレンの頭を撫でる手を離した。
 さりげなく、グレンが乱れた髪を整える。
「おう。退役してからは子供相手に剣術を教えながら、楽しい日々を送っているさ」
「外見に似合わず子供好きだからな、お前は」
「覚えてもらっていて光栄だ。だからこそ、お前の剣術指南役に選ばれたんだろうけどな」
 ランスロットは王子であるグレンに対しても、いつも子供達に接する時と同じ様子で話している。不敬に思われるのではないかと思ってグレンをうかがうように見ると、彼はいつもと変わらずの無表情で何を考えているかわからない。でも、特にそれを咎めようとする雰囲気ではない。
 この二人にとっては、これが普通だと思ったほうがいいのかもしれない。王宮にいる頃は、それまでに近しい関係だったのだろう。
「しかし、不思議な組み合わせだな。フィオナがグレンを連れてくるような日が来るとは思わなかった」
 心底そう思っている声音だった。それにはフィオナも同感だ。アリソン伯爵家は建国当時から存在していると言われるくらいの古い家柄だが、王族とそれほど深いつながりがあるわけではない。グレンとの縁談が持ち上がっているダリモア公爵家のように、議会で強い発言力を持っているわけでもなく、本当に歴史が古いだけの家系なのだ。
 それを知っているからこそ、ランスロットはフィオナがグレンを連れてきたことが不思議でならないらしい。
「まぁ……色々あって……」
「俺がフィオナ嬢に結婚を申し込んだのだが、返事は互いのことをよく知り合ってからしたいと言われた。俺は一目惚れだったからフィオナ嬢のことをよく知らないし、フィオナ嬢も俺のことはよく知らないからな。何度かお会いして、お互いのことを知り合おうと思っているところだ」
「……」
 フィオナは言いにくくて言葉を濁したのに、グレンはきっぱりと言いきった。
 思わず、端整な横顔をまじまじと見つめてしまう。
 グレンの言葉を聞いて、ランスロットは一瞬だけ驚きに目を見開いた後、すぐに豪快に笑い出す。
「こんな男勝りのフィオナを受け入れるのはどんなやつだろうかと思っていたが、まさかグレンだとは思わなんだ」
「……笑いすぎなんだけど」
 あまりにもランスロットが笑うので、つい文句が出てしまう。抗議するようににらみつけると、それを見たランスロットは目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。一応、豪快に笑うのはやめてくれたが、顔はまだニヤニヤしている。
「一目惚れか。それもいいんじゃないか? フィオナは黙っていれば可愛いからな。口を開いて動き出せば、その姿に幻滅する男も多かったが」
「ちょっと……っ!」
 慌ててランスロットの口を塞ごうとしたが、それよりも早くグレンが反応した。
「どういう意味だ?」
「簡単な話だ。フィオナには今まで何度か縁談話が持ち上がったが、相手の男が全員、フィオナの見かけにだまされて本来の性格を知った途端にお断りしてきたんだよ」
 グレンは少しだけ目を瞠って、フィオナを見た。女性が縁談をお断りされるというのは、とても恥ずかしいことなのだ。そんな羞恥の過去が何度もあったことをバラされたフィオナが目を合わせることができずに顔を赤くして視線を逸らしていると、グレンはふっと優しく笑ったのが視界の端に映った。
「今までの男達は見る目がなかったんですね。あなたはこれほどまでに可憐で美しいというのに。俺はあなたの素晴らしい考え方に賛同こそすれ、否定する気持ちは微塵もありませんよ」
 頭をそっと撫でられ、その感触にびくっと身体が震えた。驚いて、グレンを見る。思ったよりも近くにあった顔から逃れるように、少しだけ後ろに下がる。
 再びランスロットが豪快に笑ったので、フィオナは赤い顔のまま鋭い眼差しを向ける。しかし、ランスロットは笑うことをやめない。
「まさか、王族の中にフィオナの考えに賛同する者がいるとは思わなかった。俺もフィオナの考え方は好きだ。だから、グレンのように認めてくれる者がいるのは喜ばしいことだな。しかも、実は動く人形なんじゃないかって噂されているグレンを笑わせるんだから、恋というものはすごいものだと思わざるをえない」
 それで、とランスロットが言葉を切る。
「せっかくだから、稽古をつけてやろうか? 着替えてこいよ」
 その言葉に、恨みがましくにらみつけていたフィオナの瞳が輝く。
「えっ、ホントにっ?」
 ランスロットの剣術道場は門下生の上限年齢はないが、ほとんどの者が成人になるまでに辞めてしまう。フィオナは十四歳の頃に、もう弟のふりは難しいかもしれないと判断して自主的に辞めたのだ。
 それ以来、ランスロットから稽古はつけてもらっていないし、この道場に出入りすらしていなかった。
 だからこそ、ランスロットの申し出はかなり嬉しかった。
「噓は言わねぇよ。お前、ここ数年は来てなかっただろ? せっかく何年もかけて鍛えた腕が鈍るともったいねぇからな。今日はチビ達がいないし、特別に稽古をつけてやる」
「わぁ、久しぶり! ちょっと待ってて、着替えてくる!」
 嬉々として着替えるための部屋に向かうと、自分が使っていた稽古着がそのまま残っていた。フィオナが来なくなってからは誰も使わなかったのだろう。二年ぶりに袖を通すと、サイズは少し小さかったものの着られないことはなかった。
 急いで戻ると、視界にグレンの姿が飛び込んでくる。
「……あ」
 反射的に急ぎ足だった歩みが止まる。
 しまった。忘れてた。
 ランスロットに直々に稽古をつけてもらえる喜びで、グレンの存在をすっかり忘れてしまっていた。
 なのに、グレンは戻ってきたフィオナを見てふわりと笑う。
「そういう格好もお似合いですね」
「あ……、ありがとうございます……」
 フィオナの稽古着は、ランスロットが近くの仕立て屋に特注で作らせたものだ。ランスロットは六、七歳だった女の子のフィオナが剣を習いたいと言うと、面白そうだと言って笑いながら迎えてくれた。だから、自分も変わり者だとフィオナは自覚しているが、そんなランスロットも相当な変わり者だと思っている。
 フィオナの考えに賛同するグレンも変わり者だし、この場には三人も変わり者が揃ってることになる。なかなかに珍しい光景だ。
 とぼとぼと歩いて近づいてきたフィオナに、ランスロットが模造剣を投げて寄越してきたので、手を伸ばしてそれを受け止める。
「お前はあっち行ってろ」
 ランスロットにそう言われたグレンは、何も言わずに少し離れた場所に立った。興味深そうな目でこちらを見ている。
 その姿をちらりと見て、ここで思いっきり稽古に打ち込む姿を見せれば、少しは幻滅してくれるのではないか、という考えが脳裡をよぎった。
 しかし、それはすぐに自分で否定する。
 稽古をつけてもらおうとするフィオナを止めようともしないのだ。ここで稽古に打ち込んだところで、幻滅してくれる可能性は限りなく低いと思っていいだろう。
 ――団長、かなり手強いかも……
 類は友を呼ぶのか。変わり者の周囲には、変わり者が集まるらしい。
「いくぞ、フィオナ」
 フィオナはそのまま、ランスロットとの稽古を始めた。



 ずっと黙って様子を見ていたグレンは、稽古が終わって荒い呼吸を繰り返しているフィオナに近づいてきた。
「少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 そう声をかけられたことで初めてグレンが近くにいることに気づいたフィオナは、目を丸くして相手を見る。
「な、なんですか……?」
 ランスロットから受け取った吸水性の高い布で額に滲んだ汗を拭いながら訊ねると、グレンは神妙な顔で問いかけてくる。
「フィオナ嬢は双子の姉弟でランスロットに師事を?」
「……」
 どう答えようか迷っていると、模造剣で肩を叩きながらやってきたランスロットが今の会話が聞こえたらしく、少しだけ首を傾げながら口を開く。
「何言ってんだ? 俺が教えていたのはフィオナだけだぞ。エリオットはフィオナみたいに活動的じゃなかったからな。オレ自身もほとんど会ったことがない」
「……?」
 エリオットから聞いている話と違う、と思ったかもしれない。ランスロットはフィオナが置かれている状況を知らないから、事実を口にしただけだ。
 しかし、フィオナにとっては色々と危ない発言だ。一歩間違えれば、弟の代わりに騎士団に入ったのがバレてしまうかもしれない。
 どうにかして辻褄を合わせなくては、と必死で頭を働かせる。
「た、たぶん、私がエリオットのふりをしてここに通っていたから、そのつもりでグレン様に話をしたかもしれません」
「……そうですか。では、俺の勘違いですね」
 グレンはにっこりと笑ってそう言った。不審に思われなかったことに、フィオナはほっと息を吐く。
 しかし、不安が拭い去れなくて手に持った模造剣を握り締めていると、ランスロットに「着替えてこい」と言われて着替えに行くことにする。
 自分がいない間にランスロットが余計なことを話してしまわないか心配だったが、この格好で出歩くわけにもいかないし、素直に着替えに行かないのも不審に思われるかもしれない。
 後ろ髪引かれる思いで何度もグレンを振り返りながら着替えに向かう。
 素早く元の服に着替えて戻るとランスロットの姿はなく、グレンしかいなかった。
 どこに行ったのだろう、ときょろきょろと辺りを見回して姿を探していると、それでグレンは察したらしく、「ランスロットなら、急用ができたらしくて出かけましたよ」と言われた。
「急用……?」
「近くのお店で喧嘩が起きたらしくて、先ほど人が駆け込んできました」
「あぁ……」
 ランスロットは軍の要職に就くくらいに腕が立つ上に、あの人柄だ。それを慕う周辺住民からは頼りにされ、何か揉めごとが起こると駆け込まれることがよくある。特に用心棒のような頼み事をされることが多いのだ。
 フィオナが剣を習っている間もよくそんなことがあったので、特にグレンの言葉に疑いは抱かなかった。
「あなたに、また来いよ、待ってるからな、と言ってました」
「そうですか……」
 次はいつ会えるかわからないから、どうせならちゃんと挨拶して別れたかったのだが仕方ない。いつ戻ってくるかわからないから待っているわけにもいかないし、グレンもそのことを考えていたらしい。戻りましょう、と言われたので、道場を後にすることにした。
 ランスロットの道場で剣術を習っていたことを教えて幻滅させようとしたのだが、作戦は失敗した。本来の性格を見せることで今までの男性はお断りしてきたのだが、さすがは死神団長。一筋縄ではいかない手強い相手だ。
 ――どうやったら、嫌われることができるんだろう……?
 馬車の中で少し俯いてそんなことを考えていたフィオナは、馬車の窓に顔を向けて外を見るふりをしてこちらを盗み見ているグレンの視線に気づくことはなかった。
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