文字数 3,362文字

「これ以上は無理。死ぬわ……」
 副団長による剣術の訓練が終了し、身体中を泥だらけにしてよろよろと自分の部屋に戻る途中、フィオナの後ろで同期の一人がそうつぶやいた。
 団長も副団長も、団員に対するしごきが容赦ない。こちらがボロボロになっているのに、向こうは息一つ乱していないのだから人間離れしすぎている。
「同感だよ」
 フィオナは同意しながらもみんなが入っていく更衣室の前を通り過ぎようとすると、ドアをくぐろうとしていた先輩が不思議そうな表情で立ち止まってこちらを見て、「お前、本当に人前で着替えないんだな」と言ってくれるもんだから、「そういえばそうだな」とそれを聞いた団員達がわらわらと集まってきた。
 取り囲まれたことで退路を断たれ、どうごまかそうか考えながら視線を泳がせる。
「……は、恥ずかしいからね」
「男同士なんだから、気にする必要ねぇだろ。なぁ?」
 同期が肩を抱いて無理やりに更衣室へ連れて行こうとし始めたので、「いや、本当に遠慮するよ」と言って抵抗するのだが、なかなかに逃げることができない。
 これはやばい、と思っていると、「エリオット=アリソン」と硬質な声が聞こえてきて、その場にいた全員が一斉に動きを止める。誰でも緊張させる低い声の持ち主は、知っている限り数えるほどしかいない。
 ゆっくりと振り返った先には、先ほど訓練教官をしていた副団長の姿があった。グレンと同じで、あまり笑ったことがないと思われる硬い表情がまっすぐにフィオナへと向けられていた。
「は、はいッ……」
 あまり好意的ではない目で見られているので、反射的に背筋を伸ばして返事をすると、相手はフィオナよりも頭一個分の高さから見下ろしてきた。
 フィオナは女性としては身長は高いほうなのだが、そのフィオナが見上げるくらい高いのだから副団長は長身だと言っても間違いではない。その副団長よりも、グレンは少し高いはずだ。二人が並んだ時は、グレンが少し高いように見えるから。
 ――そう考えると、団長って結構大きいんだなぁ……
 無表情で見下ろされた時の威圧感は半端ないが、長い手足で繰り出される剣術は舞っているかのように優雅だ。剣を振るう姿にしても、ただ歩いているだけの姿にしても、本当にすべての動きが洗練されているようで、初めて見た時は目を奪われて――――
「団長があなたに話があるそうです。着替えた後、執務室に来るようにと」
 副団長の声で我に返った。はっと意識が現実に引き戻されて、一瞬、何を言われたのか理解できなかったフィオナは、黙って見下ろしてくる副団長と目が合ったことで彼の言葉の意味をやっと理解した。
「わかりました……」
 ――私、今、何考えてた……?
 そう思った瞬間、頬が上気して顔が赤くなりそうになった。それに気づかれないように俯く。
 また呼び出しだ。ここ一週間ほどは何もなかったから気を抜いていた。そろそろではないかと思ってはいたのだが。
「私は確かに伝えましたからね」
「はい」
 俯いたまま返事をすると、それを聞き届けた副団長は踵を返して去って行く。歩く姿すら颯爽としていて、そこがまたグレンと非常によく似ている。
 居合わせた一人が、「あの団長にして、あの副団長ありだよな」とつぶやいたのを聞いて、その場にいた全員がこくりとうなずいた。
 あの二人は、血もつながっていないのによく似ている。
 ――類は友を呼ぶんだね……
 変わり者の周囲には似た者が集まるのが、世の習わしらしい。



 自分の部屋に戻って着替え、すぐにグレンの執務室へと向かう。さほど離れていないから、すぐに着けるだろう。
 しかし、待たせるわけにもいかず、走るまではいかないけれど自然と早歩きになる。
「――とっ」
 角を曲がったところで、突然現れた女性とぶつかりそうになった。慌てて足を止めると、よそ見をしていた相手もやっとフィオナの存在に気づいたようで、驚いた表情でこちらを見た。
「気をつけなさい!」
「すみません」
 よそ見していたそっちも悪いと思うけど、とは思ったものの口には出さず、謝罪してから相手の顔を見て、あ、と声を上げそうになった。
 ――この人……
 少し目元がつり上がった印象的な美人。この顔は忘れたくても忘れられない。この目でものすごくにらまれたのは記憶に新しい。喉まで出かかった言葉を飲み込み、驚きで何も言えずにいると、彼女はやっとフィオナの顔へ視線を向けた。
 何かに気づいたらしく、「あら?」とじろじろと見てくる。それから、頭のてっぺんから爪先までをじっくりと眺め、「……男?」とつぶやいてから、もう一度、今度は見下すような目つきでフィオナを見る。身長差で見上げられているはずなのに、何故か見下されているような気がしてならない。
「あなた、姉か妹がいるのかしら?」
「双子の姉がおりますが」
「双子? どおりで、こんなにそっくりなのね」
 納得したようなつぶやきに、ドキッとした。まずい。この人は一週間前のパーティーでベールを取られたフィオナの顔を覚えているようだ。どうにかしてこの場から逃げ出さなくては。
「名前はなんとおっしゃるのかしら?」
 フィオナが動き出すよりも早く相手が口を開き、立ち去る機会を逃す。
「いえ……。お教えするほどの名前ではありませんよ」
 そう答えると、相手は片眉をぴくりと動かした。
「このわたくしが直々に名前を聞いて差し上げているのよ。ここはありがたく素直に答えるべきではないのかしら? まぁ、自分の家名がわたくしの耳汚しになるとわかっているなんて、そこだけは褒めてあげるわ」
「……」
 明らかに、こちらを見下した言い方だ。確かに、伯爵位と公爵位では身分に差はあるが、ここまで言われると少しだけ腹が立つ。
 それを押し隠し、にこりと笑って訊ねる。
「あなたはどうしてここに?」
 関係者以外立ち入り禁止というわけではないが、騎士団専用の敷地に女性が立ち入るのはとても珍しいことだ。そういう意味を込めて訊ねたのだが、相手は「まぁ」と口元に手を当てて目を瞠った。
「あなた、わたくしの耳汚しになる家名なのに質問をするの? 教育がなってないわね。親の顔が見てみたいわ。大した教育をさせなかったのでしょうね」
「……」
 もしかして、この人は階級主義者だろうか。父親の爵位である公爵とその上である王族以外は人間として認めないとか、そんな人なんだろうか。
 頬が僅かに引き攣る。自分のことを馬鹿にされるのはまだ許せるが、家族のことを悪く言われるのは許せない。
「あの女の弟だとしたら、この躾のなさも頷けるものね。ところで、あなたの姉は一週間前に我が家のパーティーに出席していなかったかしら?」
「……いえ、そんなことは聞いておりませんが」
「そう。まぁ、これだけそっくりなんだから、間違いはないでしょうね。あなたの姉に言っておきなさい。わたくしの邪魔をしないように、と。これ以上邪魔をするつもりなら容赦はしない。一語一句間違えることなく、そう伝えなさい。いいわね?」
「……」
 言いたいことを言って満足したのか、颯爽と歩き去って行く後ろ姿を見送り、圧倒されてばっかりだったフィオナは、嵐が去ってから少し冷静になったところで、沸々と怒りがわき起こってくる。
 ――なんなの、あの人……!
 あんな人との縁談話が持ち上がっているなんて、グレンがかわいそうだ。あんな人と結婚したら、絶対にグレンは苦労する。彼が嫌がって当たり前だ。
「苦手って言ってたもんなぁ……」
 グレンの執務室へ向かいながら、ため息をつく。グレンは下級貴族の子息だろうが上級貴族の子息だろうが、みんな平等に扱う。あの女性のように、相手の家柄で人を判断したりはしない。
 彼はそんな人だから、あの人に苦手意識を感じるのだろう。
 ――あんな人は団長にふさわしくない……
 グレンは自分が望んだ相手と結婚したいと言っていた。あんな人は、彼が命を賭けて愛するべき人ではない。
 ――だからって、私がふさわしいかどうかも疑問だけど……
 そんなことを考えている間にグレンの執務室へ到着し、フィオナは重厚なドアをノックした。
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