文字数 8,938文字

 ダリモア公爵家が主催するパーティーまでの三日間は、あっという間だった。
 騎士団の仲間達が「お前の姉を見たぞ」とか「そっくりだった」とか「さすが双子」とか言ってからかってくるのを、内心ドキドキしながら笑って受け流し、その日も外出届を出して屋敷へ戻った。
 そこからいつも身の回りの世話をしてくれる侍女と数人のメイドの手を借りて、フィオナは今まで以上に念入りに化粧をした。
「……本当に大丈夫なのか?」
 不安そうな声音で訊ねてくる父親を見ると、その後ろで同じく不安そうな母親の姿があった。
「大丈夫だから」
 安心させるように笑顔で答えながら、首にブルーダイヤモンドのネックレスを下げる。
「こんなものを買ってもらっといて、今さら行けませんって言うわけにはいかないじゃない」
「それもそうだが……」
 国内一の品質で知られるジュエリーショップからブルーダイヤモンドのネックレスとサファイアのイヤリングが届けられた時、驚いた両親はすぐに連絡を寄越してきた。
 そういえば何も言ってなかった、と思ったフィオナはすぐに両親に事情を説明する手紙を送り、大切に保管していてほしいと頼んだ。
 グレンの求婚が破談になった時は、ジュエリーは返却しようと思っている。ドレスはフィオナの体型に合わせて作られているので返すのは難しいが、宝石の中でも高価なブルーダイヤモンドのネックレスなんて、はっきりいってもらっても付けて行くところなんてない。
 ただ、返そうとしても受け取ってくれない可能性はかなり高そうだ。
 淡い水色のドレスはフィオナの身体にぴったりと合い、グレンが注文をつけたのか若干のアレンジが施されていた。それでも胸元があまり露出していないのは、やはり彼のこだわりらしい。
 侍女の手によって、サファイアのイヤリングが耳に付けられる。
「もう後には引けないわ。絶対にバレないようにするから」
「……わかった」
 侍女が準備が終わった合図として一歩下がって頭を下げたのと同時に、部屋に入ってきた執事が迎えの馬車が来たことを告げた。



「やはり、お似合いですね。いつも美しいあなたが、今日は一段と輝いて見えます」
 少し日が落ち、辺りは薄暗くなってきている。
 王族の紋章が描かれた馬車で迎えに来たグレンは、フィオナの姿を見て嬉しそうに笑った後、何か心配になったらしく表情を暗くした。
「この姿を見て、俺以外にあなたに恋情を抱く男が現れなければいいのですが……」
「……何の心配をしているんですか? そんなこと、絶対にありえませんから」
「あなたはご自分の魅力に気づいていないのですか? では、俺だけがあなたの魅力を知っているってことになりますね」
「……」
 本当に、何を言っても手応えを感じない。諦めてため息をついたフィオナは、グレンの手を借りて外付け階段を登って馬車へと乗り込んだ。
 赤い滑らかな手触りの一級品だと思われる布が使われた座席に座ると、後から乗ってきたグレンが向かい側に座る。御者によってドアが閉められ、馬車が出発した。御者はいつもの青年だったので、彼はグレン専属の使用人なのだろう。
「これを」
 馬車が動き出してしばらくして、グレンはフィオナに少し厚手のベールを差し出した。
 それを受け取って理由を訊ねるように見ると、彼は「名前だけを伏せても顔を見られてしまえば、それを元に素性を探る者がいるかもしれませんからね」と言う。
 確かに、グレンも名前と容姿だけを頼りにフィオナを探し出したし、貴族もそんなに数が多いわけじゃないから容姿だけで探し当てることもできるだろう。
 ありがたい申し出だったので、フィオナは素直に礼を言った。馬車が到着する時にかぶればいい。
「今日はありがとうございます、フィオナ嬢。では、よろしくお願いしますね」
「私が恥をかかせることがあるかもしれませんが……」
「大丈夫ですよ。あなたがどんな失敗をしたとしても、俺がうまくフォローしますから。何も心配いりません」
「……わかりました」
 正直、貴族の交流の場に出席するのは初めてのことだ。マナーなどは一通り学んではいるが、至らないことがあってグレンの顔に泥を塗るかもしれないと不安だったので、そう言われると少しだけ肩の力が抜けた。
 元々、貴族街は庶民街に比べて規模が小さい。出発してからそれほど時間もかからずに、御者が到着したことを告げた。
 フィオナは渡されたベールをかぶり、一回だけ深呼吸して覚悟を決めた。



 グレンがパーティー会場である大きな広間に入ると、すぐに騒然となって視線が集まった。あまりこういう場には出席しない彼が現れたことに驚いているようだ。
 その視線が流れるようにエスコートされているフィオナへと移る。ベール越しに周りを見てみると、こちらを見ながらひそひそと話している参加者の姿が見受けられる。
「大丈夫ですよ」
 フィオナの覚悟が折れてしまいそうな気配を察したのか、グレンが小さく励ましてくれたのでなんとか持ち直すことができた。
 背筋を伸ばして一緒に歩いていると、奥のほうから四十代後半くらいの男性が近づいてきた。
「これはこれは、グレン様。よくぞお越し下さいました」
 けれど、その笑顔は隣りにいるフィオナを見て少しだけ凍り付く。
「……そちらの方は?」
「理由があって顔と名は明かせないが、今日のパートナーとして連れてきた」
 王宮での無表情なグレンに戻っている。相手はそんな彼を見慣れているようで、特に変わった反応はしなかった。フィオナは流れるような動きで挨拶をする。
「そうですか……。グレン様がお連れしたということは、身元はしっかりした方なのでしょう。今日は存分にパーティーをお楽しみください」
「ああ」
 男性が頭を下げて離れていく。頭を上げた時、一瞬だけ忌々しそうな目で見られたのは気のせいだろうか。
「彼が、ダリモア公爵ですよ」
 ということは、今回のパーティーを主催し、グレンに娘を嫁がせたい人なのだろう。
 あの男性からは歓迎されていないのはよくわかった。それもそうだろう。やっぱり何があっても断ればよかったかな、などと考えていると、グレンから「こちらへ」と連れられて歩くと、途中で様々な人に声をかけられた。
 ほとんどグレンが応対するのだが、フィオナに対して興味津々なのが伝わってくる。しかし、グレンはこちらへ矛先が向かないように会話をうまく誘導してくれるため、フィオナは一回も口を開かないでいられた。本当に顔と名前を明かさないでくれるつもりらしい。
 彼らもグレンにうまく誘導されていることに、フィオナが気になりつつも訊ねることができずにいるようで、ちらちらとこちらを見ては何か言いたげな表情をする。グレンはそのことにあえて触れず、そのうち諦めて挨拶もそこそこに離れていく。
 やはりみんな無表情のグレンを見慣れているのか、冷たい対応を取られてもあまり気にしていないようだ。
 ずっと挨拶されているグレンの隣りに立っていたフィオナは誰かに見られている気配を感じて、きょろきょろと辺りを見回す。
 視線の主はすぐに見つけることができて、一人の女性だった。歳の頃は、フィオナより三歳くらい上だろうか。人目を引くほどの美人だが、少し目元がつり上がっていてきつめな印象を受ける。そんな目で鋭くにらまれているため、なんとなく怖くなって身体が硬直する。
 ――なんでにらまれているんだろう……?
 理由がわからず、慌てて視線を逸らす。けれど、まだ見られている気配は伝わってくる。
 気づかれないように盗み見ると、その女性にダリモア公爵が近づいていく。女性はこちらを指差してその人を怒鳴り始めたが、離れているので声までは聞こえない。
 当主は女性を落ち着かせようと、困った顔で宥めている様子が窺える。
 フィオナの視線の先にグレンが気づき、貴族達の挨拶が途切れたところで彼らの視線を向けて「あぁ」と言った。
「彼女は、ダリモア家の令嬢ですよ。俺と縁談が持ち上がっている女性です」
 なるほど。
 グレンのパートナーになれると思っていたのに、フィオナのせいでそれができなかったから怒っているのだろう。
 ――やっぱり、何がなんでも断ればよかった……
 今さら後悔しても遅いのだが、そう思わずにはいられなかった。
 顔と名前は明かしていないとはいえ、強い権力を持つダリモア公爵家に目をつけられてしまったかもしれない。
 女性は憤慨したまま、もう一度フィオナをにらみつけ、そのままどこかへ行ってしまった。
 それにほっと息を吐いていると、一部始終を見ていたこの状況を作り出した張本人であるグレンは、「あの方は少し苦手なんです」と苦笑いをする。
「苦手……?」
 思わずつぶやいて、自分だけに向けられる笑顔を見上げる。
 常にどんな相手でも無表情のまま冷たくあしらっているグレンに、苦手と思う感情があったのかとそちらのほうに驚いた。
 彼は無表情で何を考えているかわからない人だが、ちゃんと感情がある人だったらしい。それがわかって安心した。やはり、この人は人形ではないのだ。
「俺にだって、苦手な人間くらいいますよ」
 フィオナの様子で、何を考えているのかを察したのだろう。苦笑しながら片目を瞑ったグレンに、様子を見ていた周囲はかなり驚いたようだ。ざわっ、と騒がしくなる。
 ずっと挨拶してくる貴族達を氷のような冷たい無表情で相手していたグレンが、フィオナにだけ笑いかけ、そのうえ片目まで瞑ったのだ。
 あの女性は誰だ、と周囲の視線が集まってきたのを感じて、非常に居心地が悪い。
 その時、グレンの元に騎士団で補佐をしている副団長が近づいてきて、フィオナにも聞こえないくらいの声で耳打ちをする。グレンはそれを真剣な表情で聞き、目を合わせてうなずいた。
「わかった。すぐ行く」
 それからフィオナに向かって微笑みながら、「申し訳ございません」と謝ってくる。
「ダリモアの当主と話をしなくてはなりません。その間は一人にしてしまいますが、大丈夫ですか?」
 そう言われて脳裡をよぎったのは、とてつもなく怒っていたダリモア公爵の娘だった。何かされるのではないかと思ったが、こんな衆人環視の中では何もできないはずだ。
 それに、グレンの仕事を邪魔してはいけない。彼は大事な仕事を父親である国王から頼まれているのだ。自分なんかのせいでその仕事がうまくいかなかったら怒られるだろうし、そうなったらどう責任を取ればいいかわからない。
 フィオナはベールの中で笑顔を作って、グレンから少しだけ離れた。
「大丈夫ですよ。その間、一人でパーティーを楽しんでいますから」
「わかりました」
 グレンはうなずき、フィオナの耳元に口を寄せる。びっくりしたフィオナが全身を硬直させていると、「絶対に、俺以外とは踊らないでくださいね」と囁かれた。
 その甘い熱をはらんだ声に背筋が震え、フィオナは真っ赤になって声が出せずに、代わりに何度もこくこくとうなずく。
 それを見て満足したのか、グレンはフィオナの頭を優しく撫でて副団長を連れて離れていく。
 やっとほっと息をついたフィオナは、そこでやっと周囲の注目をさらに集めてしまっていることに気づき、慌ててその場から歩き出す。
 しかし、どこへ行っても興味深げに見られる。みんな、興味はあるもののグレンの態度を気にして声をかけられないでいるらしい。逆鱗に触れるとでも思っているのかもしれない
 それをありがたく思いながら、会場内を一人で彷徨っていると、まったく人がいないバルコニーを見つけることができた。
 パーティー会場だけではなく、その左右にある何部屋かのバルコニーと一体化しているかなり広いその場所を独り占めして、手すりに寄りかかって顔を上げると満月が見えた。
 会場から響くオーケストラの楽器の音色も少し遠く聞こえ、静かだった。そよ風に頬を撫でられ、やっと解放されたような気分になる。
「はぁ……」
 大きく息を吐いて、ぼんやりと月を眺める。
 知らない場所で一人きりにされて、心細くないと言ったら噓になる。けれど、グレンとずっと一緒にいると全然気が休まらないし、周りには注目されるし、主催者の娘からはにらまれる。
 早く帰りたい、と思っていると、後ろに人の気配を感じた。
「……?」
 誰か来たのだろうかと思って振り返ると、数人の男性がニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見ていた。
 嫌な空気を感じ取り、早くこの場から離れようと男性達の脇を通ってバルコニーから出ようとする。会場に戻るのは正直嫌だが、この状況から逃れるためなら仕方ない。
 急ぎ足で通り過ぎようとすると、ぐいっと二の腕を掴まれて引き止められた。
「……っ」
 驚いて思わず相手を見上げると、男達はフィオナが逃げられないように取り囲み、意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「今、一人なんだろ? 少し相手してくれよ。なぁ?」
 月明かりだけでは判断しづらいが、少し頬が赤らんでいるように見える。もしかしたら、酒に酔っているのかもしれない。
「――離してください」
 はっきりと拒絶して振り払おうとしたが、男の手は離れなかった。
「あの氷雪の王子を笑わせる女性が現れたって話で持ち切りなんだよ。お前のことだろ? この会場内でこれをかぶっているのは、お前一人だけだからな」
「……」
 答えないでいると、相手はチッと舌打ちをして無造作にベールへと手を伸ばした。
「やめてください!」
 それに気づいて抵抗すると、伸ばした手首を別の男に掴まれる。
「顔くらい拝ませてくれよ」
 とうとうベールを奪われてしまい、一番さらしたくない顔を露にされてしまう。
 驚きで目を瞠っていると、ガッと強い力で顎を掴まれ、目の前の男のほうを向かされる。
「ふぅん。結構可愛いじゃねぇか。これが、あの王子が惚れた女か」
 顔が近づき、酒臭い息がかかる。背中がぞくりと粟立ち、離れようにも左は二の腕を、右は手首を掴まれていて身動きもままならない。
「どんな手管を使ってあの王子に取り入ったか、俺達にも教えてくれないか?」
「あっちの部屋に行こうぜ」
 ぐいっと二の腕を引っ張られて、体勢が崩れて転びそうになる。
「離して……ッ!」
 バルコニーは横に長く、会場へ続く出入り口と両隣の部屋へ続く出入り口があり、男達は明かりが点いていない部屋へ連れて行こうとする。それに気づいて、恐怖心がわき起こった。
 明かりが漏れる会場からこちらを見ている人の気配に気づいて視線を向けると、そこには一人の女性の姿があった。
 この状況を見て助けを呼んでくれるかも、と一瞬だけ期待したが、それは見事に砕け散った。
 こちらを見て暗い笑みを浮かべていたのは、ダリモア公爵の娘だった。
 すぐに、この状況を仕組んだのが彼女であると理解できた。
 なんとかしないと、と思っていると、フィオナの二の腕を引っ張る男が口を開く。

「あの澄ました王子の悔しがる顔が見られると思うと、笑いが止まんねぇぜ」

 数人の男達が、フィオナを引っ張りながら大声で笑う。
 その言葉に、はっとした。
 ――このままだと、団長に迷惑がかかるんじゃ……?
 グレンのパートナーとして来ているのに、こんな男達と一緒にいる姿を見られてしまうと、もしかしたら彼の顔に泥を塗るとか、そんなことになってしまうのでは……?
 それだけは避けなくては、と思って掴まれている手を振り払おうとするが、男と女の力の差は歴然だった。
 どうしよう、と考えて思い出したのは、騎士団の訓練で拘束する相手から逃れる方法だった。
 ――試してみる価値はあるかも……
 フィオナは大きく足を振り上げて、二の腕を掴む男の足の甲を踏みつけた。少し高めのヒールを履いているので破壊力は抜群だ。
「ぐぁ……ッ!」
 フィオナの思わぬ攻撃に、男達は一瞬、何が起こったかわからなかったようだ。
 足の甲を踏まれた男が少し前屈みになったところで腹部へ思いっきり膝蹴りを入れると、くぐもった声を上げてその場に倒れて動かなくなる。
 その様子を見ていた男達は驚きで呆然としていたが、すぐに我を取り戻してフィオナを押え込もうとした。
「このっ……!」
 掴みかかろうとしてきた男の手首を掴み、その勢いを利用して身体を反転させて、一思いに背負い投げる。鈍い音が響き、背中を強かに打ち付けた男はうめき声を漏らす。
 もう一人は分が悪いことを悟ったのか、襲いかかるのを躊躇っている。
 その時、ざわめきが聞こえて見てみると、会場へ続く出入り口に人だかりができていた。
「……」
 もしかして、今のを見られてしまっただろうか。
 慌てて人々の集まりに顔を隠すように背中を向け、足元に落ちていたベールを拾ってかぶる。
 背負い投げられた男が、怒りで顔を真っ赤にして起き上がり、「この野郎―――ッ!」と拳を振り上げた。
 それにはっと気づいて振り返ったフィオナは、振り下ろされた拳を見て何をしても間に合わないことを悟り、痛みを覚悟してぎゅっと強く目を瞑った。
「――ッ」
 しかし、衝撃はやってこなかった。
 それを不思議に思って恐る恐る目を開けると、男が振り下ろしたはずの拳が間に割り込んできた誰かに掴まれていた。

「この方に手を上げるなど、俺を敵に回したいのか?」

 怒気を含んだ低い声音に、拳を掴まれた男は驚いた様子で目を見開く。
「で、殿下……っ!」
 グレンが手を離すと、男はよろよろと後ろに下がった。
「俺の見間違いならいいのだが……。貴様は、この方に手を上げようとしたのか?」
 無表情で、淡々と。それでいて深い憤りを滲ませる声音。
 男はそれに恐怖を感じたらしく、首を何度も横に振った。
「いえ! 滅相もありません! 失礼しました!」
 慌てて否定して、倒れていた男をもう一人の男と一緒に起き上がらせて去って行く。
 酒に酔っていたようだが、グレンの登場で酔いは一気に覚めたらしい。足取りはしっかりしている。
 グレンは男達が完全にバルコニーから消えたのを確認してから、フィオナへと向き直った。
「ご無事ですか?」
「あ、はい……」
 男を思いっきり投げ飛ばしたところを見られてしまっただろうか、と思いながら答えると、グレンはふわりと笑う。
「あなたがお強いのはわかりましたが、あのような状況ではすぐに助けを呼ぶべきです。ああいう輩は、か弱いと思っていた女性が反撃すると逆上しますから」
「……ご、ごめんなさい」
「あなたは何をするかわからないので、目を離すことができませんね。もうお一人にはさせませんから、ご安心ください」
「お仕事はもういいんですか?」
「大丈夫です。何も心配はいりません」
「そうですか……」
 グレンと一緒にいてもいなくても、結局は興味深げに見られてしまうのだ。さっきのこともあるし、彼と一緒にいたほうが安全かもしれない。
「フィオナ嬢」
「はい?」
 バルコニーを出ようとして歩き出したフィオナに、グレンが声をかけてくる。
「先ほどの投げ技は見事でした。どこで習ったのですか?」
 やっぱり見られていた。グレンの問いかけにドキッとしたフィオナは、視線を彷徨わせた後、引き攣った笑みを浮かべる。
「えっと……、ラ、ランスロット様の道場で習ったんです。実践したのは初めてでしたけど……。うまくいってよかったです!」
「そうでしたか。ランスロットは本当に、あなたへ様々なことを教えたのですね」
 フィオナの返答にグレンが不審を感じている様子はない。フィオナはうまくごまかせたことに安心して先にバルコニーを出ようとする自分の後ろ姿を、グレンが月明かりの下で黙って見つめていることには気づかなかった。
 会場内へ入ったフィオナは後ろからついてきていると思っていたグレンの姿がないことに気づき、踵を返してバルコニーへと戻る。
「だ……、グレン様?」
 団長と呼びかけたのを慌てて訂正して名前を呼びながらバルコニーを覗くと、いつの間にかグレンの他にもう一人の見慣れた男性がいた。いつもグレンの補佐をしている副団長だ。
 グレンは彼に何やら耳打ちをしている。グレンに向かってこくりとうなずいた副団長は、頭を下げてバルコニーを出て行くのだが、すれ違った時に一瞬だけ目が合った。
「では、参りましょうか。フィオナ嬢」
 グレンは微笑みながら近づいてきて、フィオナをエスコートして明るい会場内へと入る。
 その際、鋭い眼差しをどこかに向けた気がして、不思議に思ってそちらを見てみるとそこには誰もいなかった。
「?」
 何を見たのだろうとグレンにもう一度視線を向けると、目が合った彼は微笑んで「一曲踊っていただけますか?」と腰を折って手を差し出してきた。
 また注目を集めてしまうかもしれないと思ったが今さらだろうと思い直し、「喜んで」と答える。グレンが差し出した手を取ってオーケストラの曲に合わせて広間の中央で踊り始めると、やはり予想どおり注目された。視線が集まっているのを感じて、少々落ち着かない。
 視界の隅に、憎い相手を見るかのような眼差しのダリモア公爵の娘と、側近らしき男に何やら命じている父親の姿が映ったが、少し不安げな表情をしているのがベール越しでもわかったのか、グレンが「大丈夫ですよ」と言ってきたのでほっと身体の力を抜き、ダンスのほうに集中する。これだけ視線が集まっている中でヘマしたら、笑い者になってしまう。
 根拠はないのだが、彼が大丈夫だと言うと、本当に大丈夫のような気がしてくる。
 ――それくらいには、団長のことを信頼してるってことなのかな……?
 フィオナはそう思いながら、グレンの巧みなリードで一曲どころか三曲以上も踊り続けた。
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