文字数 8,836文字

 あの歴史あるアリソン伯爵家の当主は、贋作を本物と偽って他国へ売っていた。そのことによってシンクレア王国の名に傷をつけたとして、一部の貴族達が爵位の剥奪を求めている。
 フィオナはその話を聞いた時、頭が真っ白になった。足元がガラガラと崩れ落ちていくような感覚に立っていられなくなり、その場に座り込みそうになったところをグレンに支えられた。
 父は自分の仕事に誇りを持っていて、そんなことは絶対にしない。ありえないとつぶやく。
 呆然としたつぶやきに、近くにいたグレンが「わかっていますよ」と言ってくれた。
「あなたの父親なのですから、そんなことをするはずないとわかっています。大丈夫ですよ。信じていますから」
 その言葉にどれだけ励まされたことか。
 少なくとも彼は味方でいてくれる。それだけでとても心強い。
 フィオナの父親に会いたいという言葉を聞いて、グレンは一つの提案をしてくれた。フィオナは迷うことなく、その提案を呑む。
 結果、王宮で働く使用人の格好をしたフィオナは両手に食事が載ったお盆を持ち、グレンと共に地下牢へ続く石階段を下りていた。やはり地下なので薄暗いが、オイルランプのおかげで最低限の明るさはあった。
 降り切ると、すぐ目の前に一つの牢屋が現れる。
 かなり広いそこにはベッドやテーブルなどが置かれており、牢屋にしては設備が整っているため、身分の高い人間を入れるための場所であるのはすぐにわかった。
 憔悴した顔でベッドに腰掛けていた男性は、フィオナ達の存在に気づき、はっと顔を上げた。
 最初にグレンを見て、それからフィオナに視線を移す。
「お父さん!」
「フィ、フィオナか……?」
 使用人姿のせいで本人なのか確信できなかったらしく、戸惑った様子で名前を呼ばれる。
 鉄格子に近づき、持っていた食事を足元に置いている間に、父親が近づいてきた。
「お前……、何故そんな格好を……?」
「グレン様がこの格好なら誰にも不審に思われずにお父さんに会うことができるって言うから……」
「だからって、貴族の娘が使用人の格好をするなど――――」
「――そんなことはどうでもいいの」
 父親の言葉を遮るように、きっぱりと言い切る。
 そう。フィオナにとっては、使用人の格好をすることなんて瑣末なことなのだ。父親が置かれている状況に比べれば。
「……お父さんは本物だと偽って贋作を売ってないよね?」
 確認するように問いかけると、父親は力強くうなずいた。
「祖先の魂に誓って、そんなことはしていない」
 それだけで安心できた。やはり、この人は自分が知っている父親だ。自分の信念を曲げない頑固者。だからこそ、エリオットと衝突した。でも、その頑固さに今はホッとした。
「うん。わかった。お父さんのその言葉を信じるから」
「ああ。すぐに私が無実だとわかってもらえるはずだ」
「うん。お母さんと二人で待ってる」
「フィオナ嬢。申し訳ありません。時間です」
「……はい」
 グレンに言われて、足元に置いていた食事を小さなドアから中へ入れる。
「お父さん。信じているからね」
 そう言うと、グレンに続いて石階段を登り始める。
「殿下」
 グレンに向かって父親が声をかけたので、フィオナは驚いて足を止めた。まさか、父親が彼に声をかけるとは思わなかった。グレンが立ち止まって自分を見たのを確認してから、父親が口を開く。
「私にもしものことがあれば、フィオナをよろしくお願いします」
「……お父さん?」
 もしものこととは、なんだろう?
 意味がわからないせいで不安になったフィオナが前方にいるグレンを見ると、彼は真剣な眼差しを父親に向けてこくりとうなずいた。
「安心しろ。あなたにもしものことはない」
 その返答にあふれている自信はどこからくるのか。
 それを聞いて安心したのか、父親は「はい」と小さく返事した。
 グレンが何事もなかったかのように歩き始めたので、フィオナも続くしかない。グレンの後ろ姿を追いかけながら、フィオナは何度も振り返る。少しずつ小さくなっていく父親が小さく、「すまない」とつぶやいたのがわかった。



 数日後。
 アリソン伯爵の詮議が行われることになった。
 広間には十数人の貴族と王族が集まり、数十段ほど高い位置から国王が見下ろす中、後ろ手を縛られたアリソン伯爵は人々の中心で膝を突いていた。
「これより、詮議を行う」
 国王が声高々に宣言し、詮議が始まった。
 今回の事件の告発を行った他国の美術商が連れてこられ、アリソン伯爵の名前で売りに出された絵画が本物だと言うから買ったのだが、実は贋作で騙されたのだと訴える。
「違う! お父さんはそんなことしない!」
 様子を見守っていたフィオナが思わず声を上げると、その場にいた全員の視線がフィオナへと向けられた。
 一斉に集まった視線に少しだけ怖くなった。明らかに敵意が混じるものがあったからだ。アリソン家が爵位を失えばいいと思っている人がいる。その敵意が、フィオナの足を竦ませた。
 それを察したのか、隣りにいたグレンが肩を抱いてくれた。それだけで恐怖感が和らぎ、身体中から力が抜ける。
「国の名に傷をつけるなど、貴族の人間としてもっとも恥ずべき行為です。アリソン伯爵には、爵位の剥奪と国外追放が妥当だと思われます」
「……国外追放?」
 相手が何を言っているのか、一瞬、理解が追いつかなかった。
 驚きで目を瞠ってそんな発言をした相手を見ると、その人物はダリモア公爵だった。こちらを眉をひそめて見ており、その視線だけでフィオナの存在を快く思っていないのがわかる。
 民の見本として清廉潔白が求められる貴族だが、まだ容疑が確定しているわけではないのに、彼はアリソン伯爵がやったのだと決めつけて国王に処分を求めている。
 それが信じられなかった。こちらはやっていないと訴えているのだから、もう少しまともに詮議してくれてもいいのではないか。一方的に決めつけて、一方的に処分するなど横暴すぎる。
 ちらりとこちらを見てきたダリモア公爵の目には、隠そうともしない敵意を感じ取ることができた。彼も、アリソン家が爵位を失えばいいと思っているのだ。
 ――あの目は……
 知っている。彼の娘から同じ目をむけられたことがある。侮蔑と敵意が混ざったような目。
 ――あの人は、お父さんが爵位を剥奪されればいいと思ってるんだ……
 歴史だけを見れば、アリソン家とダリモア家は肩を並べることができる。しかし、生活の豊かさや領地の広さは天と地ほどの差がある。
 アリソン家は議会で強い権力を持たないために、どこの家とも対立することはなかった。だから、フィオナはこんなにあからさまな敵意を向けられることはなかった。それゆえに、怖くて足が竦んでしまう。
「処罰はアリソン伯爵だけではなく、黙認していた家族も含めるのが妥当かと」
 ダリモア公爵は言葉を続ける。
 国外追放の処罰に家族も含めるということは、父親だけではなく母親や跡取りであるエリオット、そしてフィオナも入る。
 ――国外追放なんてされたら……
「そんな――――っ!」
 こんな濡れ衣で、長く続いたアリソン家が終わるというのか。女性の命とまで言われている髪まで切って弟のふりをして、そこまでして守りたかったものが守れないというのか。
 ダリモア公爵は、元々強い権力を持つ。フィオナの周囲にいる貴族達は、その言葉に追従する動きを見せた。
 賛成の証である拍手が、広間にうるさいくらいに響き渡る。
 その様子を呆然と見つめるフィオナ達の味方は誰一人としていない。みんな、アリソン家が終わればいいと思っているのだ。仲が良かった貴族さえも、ダリモア公爵の意見を支持している。強い権力を持つということは、こういうことなのか。
 ――結局……、私は何も守れないんだ……
 家名も、父親の名誉も、弟が帰るべき場所も。
 何も守れずに、すべてを奪われて、愛するこの国を追い出されるのだ。
 何もしていないのに。父親は詐欺なんてしていないと言った。どうして、その言葉を誰も信じてくれないのだ。どうして、ダリモア公爵の言葉を一方的に信じるのか。
 こちらに弁解する余地すら与えず、歴史あるアリソン家を終わらせようとしている。
 ――私はそれを黙って見ていることしかできないの……?
 自分は何もできないのか。
 剣を習うことを文句を言いながらも最後は黙認してくれた父親のために、何かできることはないのか。
 必死に考えたけれど何も思いつかず、自分の無力さを思い知っただけだった。
 国王が右手を小さく挙げたことで、拍手は止まる。
「――では、処罰を言い渡す」
 国王の凛とした声が広間に響いた。
 彼は、国王として自分達の法案を議会で通すために、ダリモア公爵といらぬ軋轢を作ることは避けるだろう。ダリモア公爵が求めるように爵位を剥奪するか、もしくはそれに準じた処罰を与えるつもりだろう。
「私は――――」
 ぽつり、とつぶやく。その小さなつぶやきに反応したのは、隣りにいるグレンだけだった。真剣な瞳が、フィオナを見下ろす。
「ただ守りたかっただけなのに――――」
 一粒の涙が、頬を伝う。
 ごめんね。エリオット。
 お姉ちゃん、エリオットの居場所を守れない。
 あまりにも無力すぎる自分に、嫌気が差す。いくら早く剣が振れても、いくら大男を投げ飛ばすことができても、この場で発言すら許されないフィオナはあまりにも無力すぎた。
「こんな濡れ衣で全部を失うくらいだったら、最初から悪あがきなんてしなかったのに……」
 髪も切らなかったし、騎士団に入ることもしなかった。
 そしたら、グレンに出会うこともなかったし、カードゲームに負けて女装することもなかったし、それを見られてグレンに一目惚れされて求婚されることもなかった。
 グレンから求婚されなければ、ダリモア公爵から敵視されることもなかった。そしたら、平穏な日々が続いていたかもしれない。
「……全部、なかったことになればいいのに――――」
 そしたら、こんなことにならなかったかもしれないのに。
 グレンに出会わなかったら、こんなことにならなかった。侮蔑と敵意がこもった目で、すべてを奪われることなんてなかったかもしれない。
 小さく掠れた声でつぶやくと、フィオナの肩を抱いているグレンの手に力がこもった。
 それで、はっと我に返る。
 自分は何を言った?
 痛くはないけれど、強く掴まれている右肩の感触に、フィオナは左側にいるグレンを見上げた。
 一瞬、恐ろしいくらいの何も感じさせない無表情がそこにあった。しかし、フィオナの視線を感じてなのかこちらを見て、目が合うとすぐにとろけるような甘い笑みになる。
「あなたは何も心配しなくていい」
 低い声で優しく囁く。

「あなたが守りたいものを、俺にも守らせてください」

 処分を言い渡そうとする国王が口を開きかけた時、グレンはフィオナから離れ、群衆から一歩飛び出した。
 そのことによって、国王は口を閉ざす。
 それに構わず、グレンはうなだれて黙って処罰を待つアリソン伯爵の傍に立った。
 誰も予想していなかったことに、広間はしんと静まり返る。
「……殿下?」
 ダリモア公爵が訝しげな声で、グレンを呼ぶ。けれど、グレンはそんな彼にも一瞥もくれることなく、まっすぐに壇上の国王を見上げた。
「ダリモア公爵が求める処罰に異議を唱えます」
 はっきりと言い切った言葉に、広間は爆発するかのように騒がしくなった。
 国王は大きく目を見開いて驚いており、ダリモア公爵は頬が引き攣っている。まさか、グレンが異議を唱えるとは思っていなかったのだろう。
「グレン……。お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
 国王の声が響き、辺りは静まり返る。
 彼は言外に「ダリモア公爵の不興を買うな」と言っているのだ。議会で法案を通し、何十万、何千万という民を救うために、一つの貴族の家を犠牲にすることを国王は選んだ。
 フィオナもその選択を責めるつもりはない。もしも本当に父親が罪を犯していたら、甘んじて処罰を受けるつもりだ。
 しかし、父親は無実だと訴えている。アリソン伯爵家は、そんな都合で切り捨てられる程度の存在だったのかと、この国に不信を抱きそうになってしまう。
 グレンはきっとそれに気づいている。だからこそ、フィオナにこの国に対して絶望してほしくないと思ったのかもしれない。
 グレンは国王が何を言いたいのかを察しているのだろうが、引き下がることはなかった。
「新しい証人を連れてきています。アリソン伯爵の処罰は、その証人の証言を聞いてからにしてもらえますか?」
「殿下……。申し訳ございませんが、アリソン伯爵への容疑は確定しております。今さら新しい証人など――――」
 冷たい眼差しが、ダリモア公爵へと向けられた。言いかけていた彼が、ぐっと言葉を詰まらせる。見る者の背筋を凍らせるほどの冷たい目。
「俺は充分な嫌疑が行われているように感じない。売人の証言を一方的に信じて、アリソン伯爵の訴えを無視して弾劾しようとしているようにしか見えないのだが。あなた方はたった一人の証言を鵜呑みにして、歴史あるアリソン家を終わらせようとしているのか?」
「しかし、アリソン伯爵が詐欺行為を行い、この国の名に傷をつけたのは事実です」
「それを本当にアリソン伯爵が行ったのならばな」
 グレンの言葉に、ダリモア公爵は大きく目を瞠る。
「――俺が連れてきた証人をここへ」
 広間のドアが開き、副団長が一人の青年を連れて入ってきた。歳の頃はグレンよりも少し高い二十五歳前後だろうか。アリソン伯爵と同じく憔悴している様子だったが、フィオナはその人に見覚えがあった。
 ――あの人は……
 それはアリソン伯爵も同じだったようで、驚いた様子で「君は……」とつぶやく。
 青年は呆然としているアリソン伯爵の前で、両膝を突き、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい!」
 心からの謝罪だったが、この場にいる全員はその謝罪の意味がわからない。
 しかし、一人だけ違う反応を見せた者がいた。
「なんで、お前が――――ッ!」
 ダリモア公爵が何かを言いかけ、グレンに視線を向けられて口を噤む。明らかに動揺している彼は、下唇を悔しそうに噛んだ。
 青年は国王へ身体を向け、再び頭を深々と下げた。
「全部、僕がしました! アリソン伯爵は無実です!」
 その宣言に、全員が息を呑む。この状況を理解できているのは、青年を連れてきたグレンと副団長だけだ。
 ――どういうことなの……?
 黙って見守っていると、青年は自分が犯した罪を告白した。
 絵を描く仕事がしたかったこと。そのために、才能ある若者に支援を惜しまないというアリソン伯爵から資金援助をしてもらおうと思ったが、才能がないと言われて援助してもらえなかったこと。アリソン伯爵に才能がないと言われると画家としての道が閉ざされたも同然なのだが、それでもどうしても諦めきれず、伯爵邸にあった画家の卵達が練習で描いた贋作を持ち出し、アリソン伯爵の名前を出して本物として売り、お金を得て絵を描く勉強を続けたこと。
 青年はすべてを語り終えてから、国王に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!」
「ふむ……」
 国王は顎をさすり、グレンを見た。
「彼の証言に間違いはないか?」
「売人にも確認させましたが、贋作を本物として売ったのは彼で間違いないようです」
 グレンの言葉に、ダリモア公爵が自分の近くにいる売人を見た。にらまれるように見られた売人は肩を竦ませる。ダリモア公爵が、悔しそうに奥歯を噛む。
「今回のことは、彼がやったことで間違いありません。ですが、俺は減刑を求めます。彼は絵が描きたかっただけです。国の名に傷をつけようとか、そういうことを思ってやったことではない。反省もしているし、処罰の軽減をお願いします」
 国王はしばらく顎をさすりながら考えた後、何もかもを諦めるようなため息をついて、青年に一年間の社会奉仕をするように命じた。
「アリソン伯爵が無実であれば、処罰する必要はない。無実放免で釈放する。アリソン伯爵の名を騙って今回の事件を起こした彼には、一年間の社会奉仕を命ずる。一年間、しっかりと勤めを果たした暁には、ヘヴィア美術大学への入学を許そう」
「え……」
 青年が驚きに目を丸くした。
 ヘヴィア美術大学は、シンクレア王国で一番名門の美術に関する大学だ。しかし、授業料や入学費が高額なため、裕福な家の人間か、アリソン伯爵のような人物から金銭的に援助を受けている者しか入学することができない。
「ヘヴィア美術大学へ入学し、無事に卒業できたら画家の仲間入りだ。けれど、卒業できなかったら才能がなかったということ。それできっぱりと諦めることだ。いいな?」
 チャンスすら与えられずに諦める者も多い中、青年はチャンスを与えられた。
 入学できたとしても、無事に卒業できるのは三分の一しかいないと言われているヘヴィア美術大学を卒業できれば、彼は才能があることを証明できる。画家の仲間入りを果たし、絵を描く仕事ができる。
 しかし、卒業できなければ画家への道は閉ざされる。それでも彼はヘヴィア美術大学への入学を選んだ。
 国王に向かって深々と頭を下げた彼の隣りで、アリソン伯爵も深々と頭を下げていた。
 国王が解散を告げると、貴族達は納得している者としてない者に分かれていたが、特に何も言うことなく広間を出て行った。
 アリソン伯爵の両腕の拘束が解かれ、フィオナは父親へと駆け寄った。
「お父さん!」
「フィオナ!」
 ぎゅっと抱き合っていると、父親が近づいてきていたグレンに気づき、フィオナから離れると深々と頭を下げた。
「グレン殿下。本当にありがとうございました」
 つられるように、フィオナも頭を下げる。
 そんな二人を見てグレンはにこりと笑い、「フィオナ嬢の悲しんでいる顔を見たくなかっただけですよ。この方の笑顔を守れるなら、俺はどんなことだってやってみせます」と言いながら、フィオナの前に立つ。

「だから、改めてフィオナ嬢への求婚を許してはもらえませんか?」

 フィオナは顔を上げ、目の前にあるグレンの端整な顔を見つめた。
 まっすぐに自分を見つめてくる瞳に、フィオナの心臓が大きく高鳴る。赤くなりそうになった顔を隠すように俯くと、そっと頬をグレンの手のひらに包まれ上を向かされた。
「あなたが何度断ろうと、俺は何度でもあなたへ求婚します。あなたが受け入れてくれるまで、何度でも」
「……」
 その声音にグレンの本気を感じ取って、何も言えなくなってしまう。
 断らないといけないのに。エリオットとの入れ替わりがバレないために。なのに、心のどこかで嬉しいと感じてしまっている自分に気づいて、フィオナは強く下唇を噛んだ。
 それを見たグレンの指が伸びてきて、フィオナの噛んでいた下唇を親指の腹で優しく撫でる。
「そんな顔をしないでください。あなたは笑っている顔が一番魅力的なんですから。ですから、そんな顔をせずに笑ってもらえませんか? 俺はあなたの笑った顔が大好きです。あなたが笑ってくれるなら、どんなことだってやってみせますから」
 だから、笑ってください。
 その言葉を聞いて、フィオナは笑う。いつもの頬が引き攣ったような笑みではなく、心の底からの感謝の気持ちを込めて。
 それを見てグレンがふっと笑い、フィオナの両頬を包み込むように手を置いた。
「やっぱり、あなたはとても綺麗だ」
「……そんなことを言うのは、グレン様だけですよ」
「いえ。あなたは美しい。今まであなたに求婚してきた男達は見る目がなかったのでしょう」
「……」
 恥ずかしくなって俯く。
 すると、副団長がグレンを呼ぶ声がし、彼が「では、俺はこれで失礼します。アリソン伯爵はそのまま帰られても大丈夫ですよ」と言って離れていった。
 やっと心臓が落ち着いたフィオナは父親へと向き直り、「よかったね。お父さん」と言うと、父親は「お前にはもったいないくらいの相手だな」と答えた。
「グレン殿下はいい方だ。私の無実を証明するために、寝る間も惜しんで奔走してくださったと聞いた。それはすべてお前のためだろう。あの方は、本当に心の底からお前が好きらしい。だから、エリオットのことがなければ、喜んでお前を嫁に行かせられるんだが……」
「やめてよ、お父さん。こんなところでエリオットの話はしないで。誰が聞いてるかわからないんだから」
「フィオナ。あんないい方には二度と巡り会えないかもしれない。エリオットのことはお父さんがなんとか解決してみせるから、殿下とのことを前向きに考えてくれないか?」
 今回のことで、父親が相当グレンに感謝しているのだと感じ、フィオナは口を閉ざした。
 しばらくして、「……私にはもったいない方よ」と言って歩き出す。
「フィオナ!」
 後ろから父親が名前を呼んで追いかけてきたが、足は止めなかった。
 頬が熱い。顔が赤くなっているかもしれない。
 ――エリオットのことがなかったら……
 もし弟のことがなかったら、自分は団長の求婚にうなずけただろうか。
 最初は彼の求婚を迷惑に思っていた。しかし、今はドキドキばかりしていて最初の頃より迷惑だなんて思えなくなってしまった。
 その変化に気づいてしまうと、自分の中でグレンへの気持ちが変化していることを自覚せざるをえなかった。
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