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文字数 8,547文字
翌日から、グレンの姿を見かけなくなった。
同期達からの話によれば何やら忙しいらしく、騎士団は副団長に任せているようだ。
顔を合わせるのは気まずいから、少し助かったと思ってしまった自分が嫌になったフィオナは、副団長のかけ声に合わせて一心不乱に剣を振るった。
実技が終わって汗を流し、着替えをすませて同期達が待っているであろう共有部屋へ移動している途中、フィオナは廊下の先でグレンの姿を見つけてしまい、反射的に身を潜めてしまう。
――今はエリオットなんだから、隠れなくてよかったのに……
そう思ったのだが、遅かった。今から出て行けば、隠れたのがわかってしまう。このまま、やりすごすしかない。
グレンは副団長と何やら話をしながら、フィオナが隠れた廊下の角を通り過ぎて行く。何を言っているかはわからなかったが、声音的にすごく大事な話をしていると思われる。
声が聞こえなくなってから廊下の向こうを窺い見ると、グレンの姿はもうなくなっていた。
それにほっと安堵の息を吐いた時、ぽんと肩を叩かれて飛び上がるくらいに驚く。
心臓をバクバクさせながら振り返ると、そこには同期の姿があった。
「何してんだ、お前……?」
「び、びっくりさせないでよ」
「お? 悪ぃな。そんなに驚くとは思わなかった。んで? 何見てたんだ?」
「別に。なんでもないよ」
一気に高鳴った心臓を一生懸命落ち着かせ、フィオナはもう一度だけちらりとグレンが消えた廊下を見やる。
彼を切り捨てたくせに、未練がましいったらありゃしない。
そんな自分に嫌気が差してくる。
「行こう」
同期を連れてその場を離れる。
もう振り返るのはやめよう。自分が選んだ道なのだから、後悔しないようにしなければ。
その場を離れたフィオナは、後ろ姿を見つめている視線があることには気づかなかった。
舞踏会当日、どうしても家の用事で帰らなければならないと騎士団の仕事を休み、フィオナは実家へと戻っていた。噓ではないが、罪悪感はある。
迎えが来るまで時間はない。
急いで支度をし、フィオナは時間どおりに迎えに来た馬車に乗り込んだ。
当たり前だがグレンの姿はなかった。騎士団が警備を担当するのだから、その責任者である彼が迎えに来られるはずがない。わかってはいる。それにあんな選択をした自分を、グレンが笑って迎えてくれるわけがない。
いつも向かい側にあったグレンの姿を、今はとても懐かしいと思ってしまった。彼がコンタクトを取ってくれなければ接点もないことに、今さら気付かされた。
馬車が王宮へ着くと、周りにはたくさんの令嬢の姿があった。みんな舞踏会へ呼ばれたのだろう。
御者の手を借りて馬車を降り、その人の波に乗って王宮内にある舞踏会が開かれる広間へと向かう。
何人かがフィオナを見てひそひそと話をしている姿が視界の端に映り、げんなりとした気分になる。
――団長に関してのことだと思うけど……
あからさまにこちらを見て内緒話をされるのは、気分がいいとは言えない。グレンが求婚してきたことを、いつかは知られてしまうとは思っていた。
彼に意中の相手がいるという噂は王宮では知らぬ者はいないし、そういう話に敏感な貴族令嬢は、その相手がフィオナであるということもかぎつけているはずだ。
少し気分が沈んだせいか、足取りも重くなる。
それでもなんとか広間に入ろうと王宮の廊下を歩いていると、目の前に立ちはだかるように一人の令嬢が立った。
道を塞ぐように立ったその人物に視線を向けると、フィオナは声を上げそうになったのを寸前で飲み込む。
「あら。こんなところで会うなんて奇遇ですわね」
そう言ったのは、ダリモア公爵令嬢だった。つり上がった目が、挑戦的な光を宿している。
フィオナを正面からにらみつけ、片手を腰に当ててこちらを見下すような目つきで見てくる。
「……何か御用ですか?」
「これで、あなたの顔を見るのが最後だと思うとせいせいするわ」
相手は唇の端をつり上げて、「ご存知?」と訊ねてくる。
「今日の舞踏会は、グレン殿下のお相手を決めるために開かれるの。わたくしはみんなの前でグレン殿下に求婚される予定なのよ」
「……」
その言葉に、フィオナは大きく目を見開く。こちらの反応に気を良くしたのか、「だから、今日であなたの顔を見るのもこれが最後ってわけなの。誰が見たって、あなたよりわたくしのほうがあの方にふさわしいのだから」と言って、フィオナへ背を向ける。
「あなたは今のうちに、色々と覚悟しておいた方がいいわよ」
颯爽と歩き去って行く相手の背中を見送り、フィオナはのろのろと彼女と同じ道を歩き始める。目的地が同じなのだから、同じ道を歩くしかない。
――団長……、あの人を選ぶんだ……
当たり前だ。フィオナは彼を切り捨てたのだから。
家柄の釣り合いも、何もかもあの人のほうがふさわしいと思う。
でも、こんなにも悲しい。
――これで最後。フィオナとして団長に会うのは、これが最後なんだから……
あとは心を殺してエリオットとして接すればいい。そうすれば、いつかは団長のことを忘れることができる。
……この気持ちも、いつかは消えてなくなるはずだから。
数日前にグレンが言った「これが最後」とは、そういう意味だったのかもしれない。
フィオナは立ち止まり、目を瞑ってから大きく息を吐いて心を落ち着かせ、瞼を上げて歩き出す。
――大丈夫、大丈夫……
そう自分に言い聞かせ、舞踏会が行われる広間へと入る。
ダンスを申し込んでくる男性が何人かいたものの、丁重にお断りし続けて壁の花になる。
舞踏会に来ている令嬢達の中心には必ずグレンの姿があり、フィオナはたくさんの女性に囲まれている彼を遠くから眺めていることしかできない。
グレンはこちらを見ようとしないので、目が合うこともない。
――なんか、あの人と一緒にいた時間が夢みたいに思えてくる……
グレンが自分に惚れるという長い夢を見ていて、まったく関わらない今が夢から覚めた現実であるかのような、そんな気がしてくる。
王宮の使用人から飲み物や食べ物を勧められるが、そんな気分でもないので断り続ける。
目はずっとグレンを追っていて、未練がましい自分が嫌になる。
本当の事情を話せば、彼ならなんとかしてくれたのでは。
そんなことを思ってしまうくらいに、いつの間にか彼を信用していたようだ。自分が抱える秘密を話していれば、こんなことにはならなかったのではないか。そんな気がしてならない。
でも、後の祭りだ。
もうあの人は取り戻せないところへ行ってしまった。これが自分がやったことに対する結果なのだから、受け入れるしかない。
――それに……
切り捨てて傷つけた自分を許してくれるはずもない。都合のいい期待をすれば、それだけ傷つくのは自分なのだから。
思考の中に耽っていると、周りがざわついている気がして我に返る。
どうしたのだろうと思って周囲を見回すと、右手側にダリモア公爵令嬢の姿があった。少し頬が紅潮しているように見えるのは、もしかしたらアルコールを口にしたのかもしれない。
つり上がった目でこちらをにらみつけたまま、「気に食わないわ」と忌々しそうにつぶやく。
「目障りなのよ。あなたは未練がましく殿下を気にしているし、殿下があなたを気にしているのも丸わかりで、気分が悪いわ」
「……え?」
――あの人が、私を気にしてる……?
その言葉に少しだけ心が温かくなった気がしたが、次の言葉で背筋が凍った。
「だから、あなたが何をしている愚か者なのかを、わたくしが皆に教えて差し上げるわ」
ツカツカと歩み寄ってきた相手は、乱暴な動きでフィオナのウィッグを掴んだ。それにハッとする。この人が何をしようとしているのか、わかってしまったからだ。
「やっ、やめて――――ッ!」
抵抗しようとしたが、それよりも早くウィッグを取られてしまう。
フィオナは大きく目を見開いて、奪われたウィッグを見つめた。取り返そうと手を伸ばすが、それはもう手が届かない場所にあった。
呆然としていると、相手がウィッグを足下へ放り投げてきて、フィオナは何も言えずにそれを見つめる。
「あぁ、思ったとおり醜いわね」
悪意が込められた言葉が刃となって、フィオナの心に深々と突き刺さる。
呼吸を忘れ、周囲から向けられる目を全身で感じた。異質なものを見るかのようなこの視線には覚えがある。昔、こういう目で見られたことがあるからだ。
好きでこんな髪になったわけじゃない。でも、この姿は自分が望んでやったことだから、醜いと言われても反論できない。
「女のくせに髪を男の子のように短くするなんて、正気の沙汰じゃないわ」
「……」
「弟のふりをして騎士団に入って、グレン殿下に取り入ろうとしたの? なんて浅ましい女なのかしら」
その発言に、ざわり、と周囲が騒がしくなる。
「あなた、剣を習っていたんですってね? そんなことして、女性として恥ずかしくないの?」
「ち、違う……」
どうして、女性だからって生き方を制限されなければならないのだ。やりたいことをやりたいようにできない人生の何が楽しいというだ。
反論しようにも、身体が震える。言葉が喉でつかえて出てこない。
フィオナは、震える足で一歩後ろへ下がった。その距離を詰めるように、向かい合った相手が一歩進んでくる。
「野蛮ね。女として生まれたのに剣を習うなんて、まったく野蛮だわ。しかも、弟のふりをして習っていたのでしょう? だから今回も弟のふりをしてグレン殿下に近づいたのよね? だから、教えてあげる。あなたがどんな重罪を犯したのか」
「――――」
「弟のふりをして騎士団に入ったってことは、国を欺いたってことよ。間違いなく重罪ね。よくて国外追放ってところかしら。場合によっては、家族と一緒に処刑ね」
バレた時のことは覚悟していた。もしもの時は、自分一人だけ責任を負うつもりでいた。
「……これは私の一存でやったことだから、家族は関係ないわ」
だから、その言葉はすんなりと出た。しかし、相手はフィオナの言葉を鼻で笑って一蹴する。
「両親だってこのことは知っているのでしょう? だったら同罪よ」
「私が無理やり黙認させたの。責任は全部私にあるから、処刑するなら私だけにして」
懇願するように言うと、相手が目を細めて見下すような目で見てきた。
「あぁ、見苦しいし愚かね。そんなことできるはずないじゃない。国を欺いたのよ? あなた一人の命で許されるわけないわ。ねぇ、国王陛下」
最後の大きな声は広間中に響き、さらに注目を集めてしまった。
いつの間にそこにいたのか、少し離れたところに国王陛下の姿があった。どうやら、彼が近くにいるのを知っていながら、フィオナのウィッグを取ったらしい。計画的だったのだ。
その存在にやっと気づいてハッと息を呑んだフィオナは、国王からの突き刺さるような視線を一身に浴びて身体を竦ませる。
もう終わった。
そう思った。これで、何もかもが終わったのだと。
「フィオナ=アリソン。彼女の話は本当なのか?」
驚きを含みながらも、少し怒気が混じる声音。騙されていたのだから、当然かもしれない。
「わ、私は……」
事情を話せば許してもらえるだろうか。いや、そんなわけがない。どんな事情があったにしろ、欺いていたのは事実なのだから。
「私は――――」
せめて、家族には迷惑をかけないように。そうしなければ、今までやってきたことに意味がなくなってしまう。
すべてを一人で背負う覚悟を決めて、フィオナが国王を見返すと、二人の間に割って入る人物がいた。
「父上。俺から話します」
――え……?
フィオナは驚愕して、大きく目を見開く。
「だんちょ……う……?」
小さくつぶやいてしまってから、しまったと我に返って口を噤む。
そんなフィオナを肩越しに振り返ってから、小さく笑ったグレンは再び国王に向き直った。
「フィオナ嬢は、俺からの求婚を断ろうと髪を切ってしまったのです」
「グレン殿下っ? 何をおっしゃっているの……っ?」
突然のグレンの登場に、慌てているのはダリモア公爵令嬢だ。まさか、グレンが割って入ってくるとは思っていなかったのだろう。
「自分は俺にふさわしくない、俺にはもっとふさわしい人がいると思い詰めて、身を引くために髪を切ってしまい、このような姿になってしまいました」
「それは事実なのか?」
困惑した様子の国王から訊ねられ、フィオナはどう答えていいか迷って視線を彷徨わせる。
庇ってくれているグレンに迷惑をかけたくないけれど、これ以上、嘘をついてしまっていいのか。
迷っていると、グレンが隣りに立って肩に手を回して抱き寄せ、短い髪に触れてくる。
「美しくて綺麗な髪だったので残念ですが、時間が経てばまた伸びます。それに、彼女の魅力は髪を切ったくらいでは失われません」
指で弄んでいたフィオナの短い髪に口づけを落とし、グレンは自分の父親を見る。
「それに、俺は彼女の外見に心を奪われたわけではないのです。この人の心に惹かれたのです。ですから、この気持ちは髪を切ったぐらいで色褪せるわけがありません」
その声音にはっきりとした本気を感じ取ることができた。恥ずかしさにフィオナの頬にわずかに赤みが差し、心臓が高鳴り始める。
「それに加え、フィオナ嬢は国を欺いてなどいませんよ」
「なっ……! グレン殿下、何を申されるのですかッ! その者が弟のふりをして騎士団に入っていた調べはついていますわ!」
「――だったら、その調べは間違っている」
グレンはきっぱりと言い切り、少し離れていた場所に控えていた副団長へと視線を向けた。副団長は小さくこくりとうなずき、人ごみの中に消える。
いつもどおりの無表情になったグレンは、ダリモア公爵令嬢を見やった。
「エリオット=アリソンは、間違いなくノーブル騎士団に在籍している」
「ですから、それはその娘が行方不明の弟のふりをしていたのですわ」
「エリオット=アリソンが行方不明? ……そんなはずはない。彼は現在もこの舞踏会の警備の任に就いているのだからな」
「……え?」
驚きの声を上げたのは、フィオナだったのかダリモア令嬢だったのか。
違う。そんなはずはない。
フィオナは言いかけた言葉を飲み込んだ。
エリオットはまだ見つかっていない。だから、この場にいるはずがないのに。
「団長」
副団長の硬質な声が、グレンを呼んだ。
「エリオット=アリソンを連れて参りました」
「彼には、この広間の警備をお願いしていました」
副団長の影から現れた姿は、俯いているがフィオナにわからないはずがなかった。生まれた時から一緒に過ごしていたのだ。見間違えるわけがない。
「……エリオット……?」
呆然とつぶやくと、彼はびくりと肩を震わせた後、ゆっくりと顔を上げてフィオナを見た。
「姉さん……」
男女の双子なのに、顔がとてもよく似ていると言われていた。今の自分にとても似ている顔立ちの彼は、間違いなくエリオットだ。
――なんで、エリオットがここに……?
意味がわからない。あんなに探しても見つからなかったのに。
一同が注目する中、グレンの言葉が続く。
「彼は最初から騎士団に在籍していました。お疑いなら、団員達からも話を聞かれるといい。彼らも俺と同じ答えをするはずですよ」
そんなバカな。
ありえない。
いくら顔が似ていたとしても、入れ替われば絶対にわかる。
一体、どういうことなのか。
驚いたままグレンを見上げれば、彼はフィオナを見つめて優しく笑う。
それでわかってしまった。
グレンは知っているのだ。フィオナが抱えていたすべてを。知った上で、エリオットを探し出してくれた。
涙があふれてきそうになって、必死に堪える。
グレンはフィオナの前に跪いて、片手を取った。それからもう一度、あの時と同じ言葉を口にする。
「あの日の出会いからあなたのことが忘れられず、気づいたらあなたのことばかり考えてしまうのです」
そう。すべては、あの日から始まった。
カードゲームに負けて、女装して、仲間達から笑われた帰り、グレンにその姿を見られた。
それがすべてのはじまり。
「どうやら、俺はあなたに一目惚れをしてしまったようなのです」
だから、とグレンは言葉を切る。
「あなたが好きです。心の底から愛しています。だから――俺と結婚していただけませんか?」
どきり、と心臓が大きく跳ねる。
誰かにこんなに想われることが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
誰かをこんなに想うことが、こんなに苦しいことだとは知らなかった。
「私は変わり者で、グレン様には――――」
「――いいえ」
言いかけたフィオナの言葉を遮り、グレンは首を横に振った。
「ふさわしい、ふさわしくないの問題ではないのです。俺の心があなたを求めている。俺にはあなただけが必要です。生涯、あなた一人しか欲しくない。この場であなたが断ったとしても、俺はあなたが受け入れてくれるまで、何度でも求婚します。だから、あなたはこの場で受け入れるしかありませんし、それ以外に選択肢はありません」
「私は……」
「――わたくしは認めませんわっ!」
フィオナが返事をしようとした声にかぶせるように、ずっと様子を見ていたダリモア公爵令嬢が声を上げる。
グレンの眼差しが息を呑むほど鋭いものになり、それを声を上げた相手へと向ける。
相手は一瞬、怯んだ様子を見せる。その隙に、グレンは立ち上がって口を開いた。
「あなた方はフィオナ嬢のことを調べたみたいだが、こちらもあなたのことを少々調べさせてもらった」
「……え?」
驚きの声を上げた令嬢は、冷たい眼差しを向けるグレンを見上げ続ける。
「巧妙に隠していたみたいだが、俺の目をごまかすことはできない。……少し悪い方々と付き合いがあるみたいだな。それは、父親公認なのか? もしそうだとしたら、ダリモア公爵にも話を聞かなくてはならない。ご存知かと思われるが、この国では賊などと関わりを持つと、何者であろうと爵位を剥奪される」
「……」
令嬢の顔色が真っ青になり、何かを恐れるようにガクガクと震え始める。どうやら、事実であるようだ。
「階級主義者であるあなたは、公爵令嬢であることがなによりの誇りだ。そんなあなたのせいで父親が爵位を失うと、あなたは自分が一番嫌いな身分を持たない人間となる。それでもいいのであれば、あなたの言い分を聞かせてもらおう。ただし、俺の愛する人を侮辱するんだ。それなりの覚悟はしてもらおうか。では、もう一度聞く。俺がフィオナ嬢に求婚するにあたって異論はあるか?」
「……いえ、何もありません」
「だそうです、父上」
「グレン……。お前は末恐ろしい子だったんだな」
国王は息子の本来の性格の一端を目の当たりにしてから、フィオナに目を向けた。
「それで、君はグレンの求婚を受け入れるのか? この舞踏会は、グレンの花嫁を選ぶつもりで開いた。グレンがどんな子を選ぼうが、私は反対しないつもりでいる。グレンから君に別れを告げられたと聞いて、新しい恋でもすればいいと言ってこの舞踏会を花嫁を選ぶ場にしたが、どうやらグレンは最初から君以外を選ぶつもりはないらしい」
フィオナはグレンへと視線を向け、小さく訊ねる。
「……本当に私でいいんですか?」
「あなたじゃないとダメです」
きっぱりと言い切った言葉を聞いて、フィオナは心を決めた。
「わ、私もグレン様が好きです。一緒にいたいです……」
「では、俺の求婚を受け入れてくれるんですね?」
その言葉に、フィオナはこくりとうなずいた――次の瞬間には、抱き締められていた。壊れ物を扱うかのように優しく、だが逃がさないと言っているかのように力強く。
グレンの体温を全身で感じた。その温かさは、フィオナに安心感を与えてくれる 。
「ありがとうございます。一生、大事にします」
国王の拍手によって、周囲もそれに習って拍手をし始めた。
ダリモア公爵令嬢も悔しそうな顔でフィオナをにらみつけていたが、周りの雰囲気に負けて拍手をしている。
フィオナはグレンの胸の中で、嬉し涙を流し、それに気づいたグレンが指先で拭ってくれた。
見つめ合うと、グレンが優しく微笑んだ。
「フィオナ。生涯、あなただけを愛すると誓います」
今までの人生の中で何か一つが欠けていたら、きっとこんな幸せを手にいれることはできなかった。
きっと、これまでの人生はグレンに出会うためにあったのだ。
フィオナは、そう思わずにはいられなかった。
同期達からの話によれば何やら忙しいらしく、騎士団は副団長に任せているようだ。
顔を合わせるのは気まずいから、少し助かったと思ってしまった自分が嫌になったフィオナは、副団長のかけ声に合わせて一心不乱に剣を振るった。
実技が終わって汗を流し、着替えをすませて同期達が待っているであろう共有部屋へ移動している途中、フィオナは廊下の先でグレンの姿を見つけてしまい、反射的に身を潜めてしまう。
――今はエリオットなんだから、隠れなくてよかったのに……
そう思ったのだが、遅かった。今から出て行けば、隠れたのがわかってしまう。このまま、やりすごすしかない。
グレンは副団長と何やら話をしながら、フィオナが隠れた廊下の角を通り過ぎて行く。何を言っているかはわからなかったが、声音的にすごく大事な話をしていると思われる。
声が聞こえなくなってから廊下の向こうを窺い見ると、グレンの姿はもうなくなっていた。
それにほっと安堵の息を吐いた時、ぽんと肩を叩かれて飛び上がるくらいに驚く。
心臓をバクバクさせながら振り返ると、そこには同期の姿があった。
「何してんだ、お前……?」
「び、びっくりさせないでよ」
「お? 悪ぃな。そんなに驚くとは思わなかった。んで? 何見てたんだ?」
「別に。なんでもないよ」
一気に高鳴った心臓を一生懸命落ち着かせ、フィオナはもう一度だけちらりとグレンが消えた廊下を見やる。
彼を切り捨てたくせに、未練がましいったらありゃしない。
そんな自分に嫌気が差してくる。
「行こう」
同期を連れてその場を離れる。
もう振り返るのはやめよう。自分が選んだ道なのだから、後悔しないようにしなければ。
その場を離れたフィオナは、後ろ姿を見つめている視線があることには気づかなかった。
舞踏会当日、どうしても家の用事で帰らなければならないと騎士団の仕事を休み、フィオナは実家へと戻っていた。噓ではないが、罪悪感はある。
迎えが来るまで時間はない。
急いで支度をし、フィオナは時間どおりに迎えに来た馬車に乗り込んだ。
当たり前だがグレンの姿はなかった。騎士団が警備を担当するのだから、その責任者である彼が迎えに来られるはずがない。わかってはいる。それにあんな選択をした自分を、グレンが笑って迎えてくれるわけがない。
いつも向かい側にあったグレンの姿を、今はとても懐かしいと思ってしまった。彼がコンタクトを取ってくれなければ接点もないことに、今さら気付かされた。
馬車が王宮へ着くと、周りにはたくさんの令嬢の姿があった。みんな舞踏会へ呼ばれたのだろう。
御者の手を借りて馬車を降り、その人の波に乗って王宮内にある舞踏会が開かれる広間へと向かう。
何人かがフィオナを見てひそひそと話をしている姿が視界の端に映り、げんなりとした気分になる。
――団長に関してのことだと思うけど……
あからさまにこちらを見て内緒話をされるのは、気分がいいとは言えない。グレンが求婚してきたことを、いつかは知られてしまうとは思っていた。
彼に意中の相手がいるという噂は王宮では知らぬ者はいないし、そういう話に敏感な貴族令嬢は、その相手がフィオナであるということもかぎつけているはずだ。
少し気分が沈んだせいか、足取りも重くなる。
それでもなんとか広間に入ろうと王宮の廊下を歩いていると、目の前に立ちはだかるように一人の令嬢が立った。
道を塞ぐように立ったその人物に視線を向けると、フィオナは声を上げそうになったのを寸前で飲み込む。
「あら。こんなところで会うなんて奇遇ですわね」
そう言ったのは、ダリモア公爵令嬢だった。つり上がった目が、挑戦的な光を宿している。
フィオナを正面からにらみつけ、片手を腰に当ててこちらを見下すような目つきで見てくる。
「……何か御用ですか?」
「これで、あなたの顔を見るのが最後だと思うとせいせいするわ」
相手は唇の端をつり上げて、「ご存知?」と訊ねてくる。
「今日の舞踏会は、グレン殿下のお相手を決めるために開かれるの。わたくしはみんなの前でグレン殿下に求婚される予定なのよ」
「……」
その言葉に、フィオナは大きく目を見開く。こちらの反応に気を良くしたのか、「だから、今日であなたの顔を見るのもこれが最後ってわけなの。誰が見たって、あなたよりわたくしのほうがあの方にふさわしいのだから」と言って、フィオナへ背を向ける。
「あなたは今のうちに、色々と覚悟しておいた方がいいわよ」
颯爽と歩き去って行く相手の背中を見送り、フィオナはのろのろと彼女と同じ道を歩き始める。目的地が同じなのだから、同じ道を歩くしかない。
――団長……、あの人を選ぶんだ……
当たり前だ。フィオナは彼を切り捨てたのだから。
家柄の釣り合いも、何もかもあの人のほうがふさわしいと思う。
でも、こんなにも悲しい。
――これで最後。フィオナとして団長に会うのは、これが最後なんだから……
あとは心を殺してエリオットとして接すればいい。そうすれば、いつかは団長のことを忘れることができる。
……この気持ちも、いつかは消えてなくなるはずだから。
数日前にグレンが言った「これが最後」とは、そういう意味だったのかもしれない。
フィオナは立ち止まり、目を瞑ってから大きく息を吐いて心を落ち着かせ、瞼を上げて歩き出す。
――大丈夫、大丈夫……
そう自分に言い聞かせ、舞踏会が行われる広間へと入る。
ダンスを申し込んでくる男性が何人かいたものの、丁重にお断りし続けて壁の花になる。
舞踏会に来ている令嬢達の中心には必ずグレンの姿があり、フィオナはたくさんの女性に囲まれている彼を遠くから眺めていることしかできない。
グレンはこちらを見ようとしないので、目が合うこともない。
――なんか、あの人と一緒にいた時間が夢みたいに思えてくる……
グレンが自分に惚れるという長い夢を見ていて、まったく関わらない今が夢から覚めた現実であるかのような、そんな気がしてくる。
王宮の使用人から飲み物や食べ物を勧められるが、そんな気分でもないので断り続ける。
目はずっとグレンを追っていて、未練がましい自分が嫌になる。
本当の事情を話せば、彼ならなんとかしてくれたのでは。
そんなことを思ってしまうくらいに、いつの間にか彼を信用していたようだ。自分が抱える秘密を話していれば、こんなことにはならなかったのではないか。そんな気がしてならない。
でも、後の祭りだ。
もうあの人は取り戻せないところへ行ってしまった。これが自分がやったことに対する結果なのだから、受け入れるしかない。
――それに……
切り捨てて傷つけた自分を許してくれるはずもない。都合のいい期待をすれば、それだけ傷つくのは自分なのだから。
思考の中に耽っていると、周りがざわついている気がして我に返る。
どうしたのだろうと思って周囲を見回すと、右手側にダリモア公爵令嬢の姿があった。少し頬が紅潮しているように見えるのは、もしかしたらアルコールを口にしたのかもしれない。
つり上がった目でこちらをにらみつけたまま、「気に食わないわ」と忌々しそうにつぶやく。
「目障りなのよ。あなたは未練がましく殿下を気にしているし、殿下があなたを気にしているのも丸わかりで、気分が悪いわ」
「……え?」
――あの人が、私を気にしてる……?
その言葉に少しだけ心が温かくなった気がしたが、次の言葉で背筋が凍った。
「だから、あなたが何をしている愚か者なのかを、わたくしが皆に教えて差し上げるわ」
ツカツカと歩み寄ってきた相手は、乱暴な動きでフィオナのウィッグを掴んだ。それにハッとする。この人が何をしようとしているのか、わかってしまったからだ。
「やっ、やめて――――ッ!」
抵抗しようとしたが、それよりも早くウィッグを取られてしまう。
フィオナは大きく目を見開いて、奪われたウィッグを見つめた。取り返そうと手を伸ばすが、それはもう手が届かない場所にあった。
呆然としていると、相手がウィッグを足下へ放り投げてきて、フィオナは何も言えずにそれを見つめる。
「あぁ、思ったとおり醜いわね」
悪意が込められた言葉が刃となって、フィオナの心に深々と突き刺さる。
呼吸を忘れ、周囲から向けられる目を全身で感じた。異質なものを見るかのようなこの視線には覚えがある。昔、こういう目で見られたことがあるからだ。
好きでこんな髪になったわけじゃない。でも、この姿は自分が望んでやったことだから、醜いと言われても反論できない。
「女のくせに髪を男の子のように短くするなんて、正気の沙汰じゃないわ」
「……」
「弟のふりをして騎士団に入って、グレン殿下に取り入ろうとしたの? なんて浅ましい女なのかしら」
その発言に、ざわり、と周囲が騒がしくなる。
「あなた、剣を習っていたんですってね? そんなことして、女性として恥ずかしくないの?」
「ち、違う……」
どうして、女性だからって生き方を制限されなければならないのだ。やりたいことをやりたいようにできない人生の何が楽しいというだ。
反論しようにも、身体が震える。言葉が喉でつかえて出てこない。
フィオナは、震える足で一歩後ろへ下がった。その距離を詰めるように、向かい合った相手が一歩進んでくる。
「野蛮ね。女として生まれたのに剣を習うなんて、まったく野蛮だわ。しかも、弟のふりをして習っていたのでしょう? だから今回も弟のふりをしてグレン殿下に近づいたのよね? だから、教えてあげる。あなたがどんな重罪を犯したのか」
「――――」
「弟のふりをして騎士団に入ったってことは、国を欺いたってことよ。間違いなく重罪ね。よくて国外追放ってところかしら。場合によっては、家族と一緒に処刑ね」
バレた時のことは覚悟していた。もしもの時は、自分一人だけ責任を負うつもりでいた。
「……これは私の一存でやったことだから、家族は関係ないわ」
だから、その言葉はすんなりと出た。しかし、相手はフィオナの言葉を鼻で笑って一蹴する。
「両親だってこのことは知っているのでしょう? だったら同罪よ」
「私が無理やり黙認させたの。責任は全部私にあるから、処刑するなら私だけにして」
懇願するように言うと、相手が目を細めて見下すような目で見てきた。
「あぁ、見苦しいし愚かね。そんなことできるはずないじゃない。国を欺いたのよ? あなた一人の命で許されるわけないわ。ねぇ、国王陛下」
最後の大きな声は広間中に響き、さらに注目を集めてしまった。
いつの間にそこにいたのか、少し離れたところに国王陛下の姿があった。どうやら、彼が近くにいるのを知っていながら、フィオナのウィッグを取ったらしい。計画的だったのだ。
その存在にやっと気づいてハッと息を呑んだフィオナは、国王からの突き刺さるような視線を一身に浴びて身体を竦ませる。
もう終わった。
そう思った。これで、何もかもが終わったのだと。
「フィオナ=アリソン。彼女の話は本当なのか?」
驚きを含みながらも、少し怒気が混じる声音。騙されていたのだから、当然かもしれない。
「わ、私は……」
事情を話せば許してもらえるだろうか。いや、そんなわけがない。どんな事情があったにしろ、欺いていたのは事実なのだから。
「私は――――」
せめて、家族には迷惑をかけないように。そうしなければ、今までやってきたことに意味がなくなってしまう。
すべてを一人で背負う覚悟を決めて、フィオナが国王を見返すと、二人の間に割って入る人物がいた。
「父上。俺から話します」
――え……?
フィオナは驚愕して、大きく目を見開く。
「だんちょ……う……?」
小さくつぶやいてしまってから、しまったと我に返って口を噤む。
そんなフィオナを肩越しに振り返ってから、小さく笑ったグレンは再び国王に向き直った。
「フィオナ嬢は、俺からの求婚を断ろうと髪を切ってしまったのです」
「グレン殿下っ? 何をおっしゃっているの……っ?」
突然のグレンの登場に、慌てているのはダリモア公爵令嬢だ。まさか、グレンが割って入ってくるとは思っていなかったのだろう。
「自分は俺にふさわしくない、俺にはもっとふさわしい人がいると思い詰めて、身を引くために髪を切ってしまい、このような姿になってしまいました」
「それは事実なのか?」
困惑した様子の国王から訊ねられ、フィオナはどう答えていいか迷って視線を彷徨わせる。
庇ってくれているグレンに迷惑をかけたくないけれど、これ以上、嘘をついてしまっていいのか。
迷っていると、グレンが隣りに立って肩に手を回して抱き寄せ、短い髪に触れてくる。
「美しくて綺麗な髪だったので残念ですが、時間が経てばまた伸びます。それに、彼女の魅力は髪を切ったくらいでは失われません」
指で弄んでいたフィオナの短い髪に口づけを落とし、グレンは自分の父親を見る。
「それに、俺は彼女の外見に心を奪われたわけではないのです。この人の心に惹かれたのです。ですから、この気持ちは髪を切ったぐらいで色褪せるわけがありません」
その声音にはっきりとした本気を感じ取ることができた。恥ずかしさにフィオナの頬にわずかに赤みが差し、心臓が高鳴り始める。
「それに加え、フィオナ嬢は国を欺いてなどいませんよ」
「なっ……! グレン殿下、何を申されるのですかッ! その者が弟のふりをして騎士団に入っていた調べはついていますわ!」
「――だったら、その調べは間違っている」
グレンはきっぱりと言い切り、少し離れていた場所に控えていた副団長へと視線を向けた。副団長は小さくこくりとうなずき、人ごみの中に消える。
いつもどおりの無表情になったグレンは、ダリモア公爵令嬢を見やった。
「エリオット=アリソンは、間違いなくノーブル騎士団に在籍している」
「ですから、それはその娘が行方不明の弟のふりをしていたのですわ」
「エリオット=アリソンが行方不明? ……そんなはずはない。彼は現在もこの舞踏会の警備の任に就いているのだからな」
「……え?」
驚きの声を上げたのは、フィオナだったのかダリモア令嬢だったのか。
違う。そんなはずはない。
フィオナは言いかけた言葉を飲み込んだ。
エリオットはまだ見つかっていない。だから、この場にいるはずがないのに。
「団長」
副団長の硬質な声が、グレンを呼んだ。
「エリオット=アリソンを連れて参りました」
「彼には、この広間の警備をお願いしていました」
副団長の影から現れた姿は、俯いているがフィオナにわからないはずがなかった。生まれた時から一緒に過ごしていたのだ。見間違えるわけがない。
「……エリオット……?」
呆然とつぶやくと、彼はびくりと肩を震わせた後、ゆっくりと顔を上げてフィオナを見た。
「姉さん……」
男女の双子なのに、顔がとてもよく似ていると言われていた。今の自分にとても似ている顔立ちの彼は、間違いなくエリオットだ。
――なんで、エリオットがここに……?
意味がわからない。あんなに探しても見つからなかったのに。
一同が注目する中、グレンの言葉が続く。
「彼は最初から騎士団に在籍していました。お疑いなら、団員達からも話を聞かれるといい。彼らも俺と同じ答えをするはずですよ」
そんなバカな。
ありえない。
いくら顔が似ていたとしても、入れ替われば絶対にわかる。
一体、どういうことなのか。
驚いたままグレンを見上げれば、彼はフィオナを見つめて優しく笑う。
それでわかってしまった。
グレンは知っているのだ。フィオナが抱えていたすべてを。知った上で、エリオットを探し出してくれた。
涙があふれてきそうになって、必死に堪える。
グレンはフィオナの前に跪いて、片手を取った。それからもう一度、あの時と同じ言葉を口にする。
「あの日の出会いからあなたのことが忘れられず、気づいたらあなたのことばかり考えてしまうのです」
そう。すべては、あの日から始まった。
カードゲームに負けて、女装して、仲間達から笑われた帰り、グレンにその姿を見られた。
それがすべてのはじまり。
「どうやら、俺はあなたに一目惚れをしてしまったようなのです」
だから、とグレンは言葉を切る。
「あなたが好きです。心の底から愛しています。だから――俺と結婚していただけませんか?」
どきり、と心臓が大きく跳ねる。
誰かにこんなに想われることが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
誰かをこんなに想うことが、こんなに苦しいことだとは知らなかった。
「私は変わり者で、グレン様には――――」
「――いいえ」
言いかけたフィオナの言葉を遮り、グレンは首を横に振った。
「ふさわしい、ふさわしくないの問題ではないのです。俺の心があなたを求めている。俺にはあなただけが必要です。生涯、あなた一人しか欲しくない。この場であなたが断ったとしても、俺はあなたが受け入れてくれるまで、何度でも求婚します。だから、あなたはこの場で受け入れるしかありませんし、それ以外に選択肢はありません」
「私は……」
「――わたくしは認めませんわっ!」
フィオナが返事をしようとした声にかぶせるように、ずっと様子を見ていたダリモア公爵令嬢が声を上げる。
グレンの眼差しが息を呑むほど鋭いものになり、それを声を上げた相手へと向ける。
相手は一瞬、怯んだ様子を見せる。その隙に、グレンは立ち上がって口を開いた。
「あなた方はフィオナ嬢のことを調べたみたいだが、こちらもあなたのことを少々調べさせてもらった」
「……え?」
驚きの声を上げた令嬢は、冷たい眼差しを向けるグレンを見上げ続ける。
「巧妙に隠していたみたいだが、俺の目をごまかすことはできない。……少し悪い方々と付き合いがあるみたいだな。それは、父親公認なのか? もしそうだとしたら、ダリモア公爵にも話を聞かなくてはならない。ご存知かと思われるが、この国では賊などと関わりを持つと、何者であろうと爵位を剥奪される」
「……」
令嬢の顔色が真っ青になり、何かを恐れるようにガクガクと震え始める。どうやら、事実であるようだ。
「階級主義者であるあなたは、公爵令嬢であることがなによりの誇りだ。そんなあなたのせいで父親が爵位を失うと、あなたは自分が一番嫌いな身分を持たない人間となる。それでもいいのであれば、あなたの言い分を聞かせてもらおう。ただし、俺の愛する人を侮辱するんだ。それなりの覚悟はしてもらおうか。では、もう一度聞く。俺がフィオナ嬢に求婚するにあたって異論はあるか?」
「……いえ、何もありません」
「だそうです、父上」
「グレン……。お前は末恐ろしい子だったんだな」
国王は息子の本来の性格の一端を目の当たりにしてから、フィオナに目を向けた。
「それで、君はグレンの求婚を受け入れるのか? この舞踏会は、グレンの花嫁を選ぶつもりで開いた。グレンがどんな子を選ぼうが、私は反対しないつもりでいる。グレンから君に別れを告げられたと聞いて、新しい恋でもすればいいと言ってこの舞踏会を花嫁を選ぶ場にしたが、どうやらグレンは最初から君以外を選ぶつもりはないらしい」
フィオナはグレンへと視線を向け、小さく訊ねる。
「……本当に私でいいんですか?」
「あなたじゃないとダメです」
きっぱりと言い切った言葉を聞いて、フィオナは心を決めた。
「わ、私もグレン様が好きです。一緒にいたいです……」
「では、俺の求婚を受け入れてくれるんですね?」
その言葉に、フィオナはこくりとうなずいた――次の瞬間には、抱き締められていた。壊れ物を扱うかのように優しく、だが逃がさないと言っているかのように力強く。
グレンの体温を全身で感じた。その温かさは、フィオナに安心感を与えてくれる 。
「ありがとうございます。一生、大事にします」
国王の拍手によって、周囲もそれに習って拍手をし始めた。
ダリモア公爵令嬢も悔しそうな顔でフィオナをにらみつけていたが、周りの雰囲気に負けて拍手をしている。
フィオナはグレンの胸の中で、嬉し涙を流し、それに気づいたグレンが指先で拭ってくれた。
見つめ合うと、グレンが優しく微笑んだ。
「フィオナ。生涯、あなただけを愛すると誓います」
今までの人生の中で何か一つが欠けていたら、きっとこんな幸せを手にいれることはできなかった。
きっと、これまでの人生はグレンに出会うためにあったのだ。
フィオナは、そう思わずにはいられなかった。