文字数 3,626文字

「エリオット=アリソン。肩に力が入っている。脇をもっと締めろ」
「はい!」
 グレンに言われてそのとおりにしたつもりなのだが、うまくできていなかったらしく、彼が腕に触れて直々に「こうするんだ」と言って直してくれた。
「ありがとうございます」
 礼を言うと、グレンはふっと小さく笑い、頭をぽんぽんと叩いてから他の訓練生の元へ向かっていく。
 僅かながらに感じたグレンの温もりに少しだけ頬が赤くなったものの、今は訓練中だと思い直し、副団長のかけ声に合わせて剣を振る。
 終わるまでの間、何度かグレンから注意を受けた。その度に仲間達から視線を向けられている気がしてならなかったのだが、その理由を訓練が終わった後の休憩時間で知ることとなる。

「なぁ。お前と団長ってなんかあったの?」

 不思議そうに訊ねてきた同期の言葉に、フィオナは飲んでいたお茶を喉に引っ掛けて思いっきりむせた。息苦しさに、目尻に涙が浮かぶ。
「おいおい、大丈夫かよ」
 心配してくれた何人かが背中をさすってくれ、落ち着いてから礼を言い、涙を拭ってから質問してきた同期を見る。
「な、なんかって何……?」
 色々と心当たりが多すぎて、どれのことを指しているのかがわからない。しかし、こちらが抱えている事情を彼らに言うこともできずに、どうごまかそうか頭を働かせる。
「いや……、ここ最近、お前に対する団長の態度が柔らかいっていうかなんていうか……、なぁ?」
 最後のほうは、周辺にいる仲間に同意を求めるような問いかけだった。
 それを聞いて、何人かがうなずく。
「あの団長がお前だけに笑うんだぞ。初めて見た時は、天変地異でも起こるのかと思った」
「前にお前の姉に笑いかけているのを見たって聞いて冗談だろって思ってたんだが、実際に団長が笑ってるのを見て本当だったんだなって思ったくらいだからな」
「俺らにはあいかわらずなのに、お前に対してだけは笑うからなんかあったのかと思ってさ。お前、この前実家で用事があるって四日ぐらいいなかっただろ? その間になんかあったんじゃないかって、俺らの間で噂になってるんだけど。実際どうなの?」
 それは父親が詐欺容疑で捕まってバタバタしていた頃だ。噂が本格的に広がる前に処理されたので、彼らの耳にあの騒動の話は入っていないらしい。箝口令が敷かれたものの、人の口を完全に塞ぐことはできない。そのうち耳に入るだろう。
「き、気のせいじゃないかな……? 僕と団長の間には何もないよ」
「じゃあ、姉との間には何かあったのか?」
「……」
 鋭い質問にフィオナはなんと答えていいかわからずに口を閉ざし、目を泳がせる。それで仲間達は何かあったのだろうと察したようだ。顔を見合わせて、一人がぽんと手を叩いた。
「あ。もしかして、団長の意中の相手ってお前の姉じゃ――――」
 やばい。ガタッと勢いよく椅子から立ち上がる。同期の言葉が途切れるのと同時に、同じ部屋にいた他の仲間達の視線も集まった。視線を集めたフィオナは、言いかけていた同期の両肩をガシッと掴む。
「そ、そうだ! 団長から美味しいお茶をもらったんだけど、飲んでみない? もちろん飲むよね?」
 にっこりと笑ったまま、有無を言わせない口調で言うと、これ以上訊いてはならないと相手は思ったらしく、「お、おう……」と返事して訊き出すのを諦めたようだ。
 それにホッと安堵し、共有部屋の茶葉が置かれているスペースに行き、用意されていたお湯でお茶を淹れる。団長からもらって以来一人で飲んでいたのだが、こんな美味しいお茶を一人で飲むのはもったいないと思ってここに置いているのに、誰も手をつけていないようだ。まぁ、自分で淹れて飲もうなんてするような奴らではないので、当たり前と言えば当たり前か。
「すっごく甘くて美味しいんだよ」
 そう言いながら仲のいい同期達にカップを手渡して、飲むように勧める。
「なんか、甘い匂いがするな」
 彼らは少し躊躇いながら口をつけた後、思いっきり顔をしかめた。
「なんだ、こりゃ。まっず」
 よく見てみれば、お茶を飲んだ全員が眉を寄せ、それ以上口をつけようとしない。
「……え?」
 予想外の反応に少し驚いて、自分の分を飲んでみる。淹れ方がおかしかっただろうか、と思ったが、いつもと同じ味だ。
「いつもどおりで美味しいけど……」
 フィオナの反応を見て、同期達が顔を突き合わせて何やらこそこそと話し始める。
「なぁ、この茶葉ってあれじゃないか?」
「え? あれって本当に存在してたの……?」
 ちらり、と視線を向けられる。
「どうしたの?」
 声をかけると同期達は一斉にこちらに身体を向けて、「なんでもない!」「このお茶、俺の口には合わないかな」「せっかく淹れてくれたのに悪いな」と言ってカップを置き、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
「……?」
 意味がわからないフィオナは、とりあえず飲みかけのお茶が入っているカップを控えていた使用人に洗うように頼んでいると、そこへグレンが現れた。
「エリオット=アリソンはいるか?」
「あ、はい!」
 条件反射的に背筋を伸ばして返事をすると、まだ部屋の中にいた他の仲間達が道を空け、慌てて都合の悪いものを隠し始めた。さすがにあれ以来共有の場でカードゲームに興じることはないが、見られたら困るようなものを広げていたらしい。一人が両腕で必死にかき集め、二人掛かりで隠すように立つ。
 それを一瞥したグレンは気づいているだろうに、何も言わなかった。どうやら黙認してくれるらしい。フィオナの手の中にあるカップを見て、「あれを飲んでいるのか?」と訊ねてきた。
「はい。美味しいので」
「それはよかった」
 ふわり、とグレンが微笑み、その場にいた笑った本人とフィオナ以外が息を呑む。
 グレンの微笑みに呆気に取られた様子の仲間達を尻目に、フィオナは「何か御用でしたか? 言ってくだされば、こちらからお伺いしましたよ」と言うと、彼は「構わない」と頭を横に振った。
「ちょうどいい。団員達にも話がある。何人か足りないようだが、おおかた揃っているな。この場にいない者には、伝えてほしい」
 部屋の中にいる団員達を見回した後、グレンは十日後に王宮で舞踏会が行われることになったと声高々に告げた。
「ついては、その警備をノーブル騎士団が担当することになった」
 訓練や座学などはやってきたが、フィオナが騎士団に入ってしっかりと活動するのは今回が初めてかもしれない。
「今回は訓練ではないから、気を引き締めてやるように。いいな?」
「はい!」
「この場にいない者には、今日のうちに伝えるように」
 仲間達は早くこの場から去りたかったらしく、「今すぐに伝えに行きます!」と言いながらバタバタと部屋を出て行ってしまった。
 残されたのは、立つタイミングを逃して椅子に座ったままのフィオナと、そのフィオナを静かに見下ろすグレンだけだ。
 それが用事だったのだろうか、とグレンを見上げていたフィオナは、彼から「姉君へ伝言を頼めるか?」と問われて、ハッと我に返る。
「あ……、はいっ」
 流れ的に、先ほどの舞踏会へ参加してほしいという話かもしれない。
 覚悟を決めると、「フィオナ嬢に舞踏会へ参加してほしいと伝えてくれ。後日、招待状を持って行くから、その時に新しいドレスや宝石を買いに出るつもりでいてほしいと」と言われた。
 フィオナはきょとんとして、「それなら、この前に買ってもらいましたけど……」と脳裡にブルーダイヤモンドのネックレスを思い浮かべる。あのパーティーの後は身につける機会もなく、箱に入ったままフィオナの部屋に置かれている。
 そんなフィオナの頭を、グレンはぽんぽんと叩く。
「フィオナ嬢を着飾らせて、周りに見せびらかしたいだけだ。彼女の美しさに横恋慕する男が現れるかもしれないのが、唯一の懸案事項だがな」
「……そんなことを思うのは、団長だけですよ」
 呆れるようにため息をつきながら言うと、グレンは優しく笑って頭を軽く撫でてくる。
「そんなことはない。フィオナ嬢は本当に魅力的な方だ。それに本人が気づいていないのは残念なことだが」
「今まで、そんなことを言う人はいませんでしたよ……。とりあえず、伝えておきますね」
「頼んだぞ」
「はい」
 グレンはさらに何かを言おうと口を開いたが、そこへ副団長が姿を現し、「例の件についてご報告があります」と小さく告げる。それを聞いたグレンはにこやかだった表情を変えて「わかった。すぐに行く」と答えて、部屋をあとにする。
 グレンが去り、一人取り残され、フィオナはため息をつく。
「どうやって騎士団の仕事を休もうかな……」
 ぽつりとつぶやいてから、重たくなった気を少しでも軽くしようと、冷たくなってしまった残りのお茶を飲んだ。
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