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何故、こんなに笑われなくてはならないのか……。
 自分を指差して大爆笑する仲間達を見て、フィオナは引きつった笑みを浮かべながら拳を力強く握り締めた。



 最初は、カードゲームに誘われただけだったはずだ。本当は禁止されていることなのだが、団長に隠れてこそこそとお金を賭けてカードゲームをする風習があるという話は聞いていた。
 しかし、賭け事が嫌いなフィオナはそういう誘いが来ても一切を断っていた。そんなものは好きな者同士がやればいい。そう思っていたのに、今回は何も賭けないで純粋にお前とカードゲームを楽しみたいだけだ、と言われると断りにくくて仕方なく付き合うことにした。
 カードゲームに興じている間に、何故か一番成績が悪かった者は女装する、という話になり、それならやめさせてもらうと言ったら、どうしても参加してくれと拝み倒され、だったら悪い成績にならなければいいと思って続けていたら、こっちの手札が見透かされているかのように次々と負けが嵩み、気づけば仲間内で一番成績が悪い状態になっていた。
 はい、と満面の笑みで渡された女装道具を見て確信した。自分にちょうど良い大きさのドレスに、自分の髪と同じ色をしたウィッグ。これを見て、気づかないわけがない。
 それでも約束を覆すわけにはいかないと着替えて戻れば、大爆笑される。「やっぱり」と言う言葉が聞こえた瞬間に、自分が負け続けた理由を悟った。
「……イカサマしたな?」
 拳を握り締めて、怒りを滲ませる声でつぶやくと、仲間達が大爆笑しながら「してない、してない」と言うが、この様子を見る限り、最初からフィオナの負けは決まっていたらしい。
「初めて見た時から、お前は絶対に女の格好が似合うはずだと思ってたんだよ」
 負けは負けだし、イカサマを見抜けなかったこっちにも非はあると思って大人しく淡い色のドレスと黒いウィッグを別室で着て戻ってきたのだが、こんなに笑われるとは思わなかった。
 ――似合うも何も、私は女なんだけどな……
 弟の代わりに騎士団に入団して二ヶ月が経ったが、幸いなことに周囲には女であることは知られずにすんでいる。女装したらバレるかもと危惧したが、この反応を見る限り、フィオナの本当の性別に気づいている者はいないようだ。
 けれど、性別どおりの格好をして大爆笑されるのは、仕方ないのだが納得いかない。
「もう! 笑うなよ! もう二度と、お前達とはカードゲームなんてしないからな!」
 そう叫んでも、笑い続ける仲間達は嫌いにはなれない。みんながみんな、気のいい奴らばかりで、本当に貴族の跡取りなのかと疑ってしまうような性格をしている。
 目に涙を浮かべながら爆笑する仲間達は、互いに一仕事やり遂げたかのように肩を叩き合っている。
「いやぁ、いいもの見させてもらったな。なぁ」
「そうだな。こんなに似合うとは思わなかったぜ」
「入団式の時から、エリオットは女顔だとは思ってたけど」
「たまにはそういう格好してくれよ。騎士団は男ばっかりで華が足りないからさ」
「……お前ら……っ!」
 フィオナは弟のふりをして騎士団に入団しているため、エリオットと呼ばれている。
「伝統あるノーブル騎士団が、こんな馬鹿の集まりだとは思わなかった……!」
 歴史ある大国、シンクレア王国。
 無数の国が存在する大陸の中で最大の国土を誇るシンクレア王国には、ある伝統が存在していた。
 将来、父親の爵位を継ぐ子息を王宮に預けるというものだ。
 元々は、戦乱の時代に戦場での指揮官を育てるために貴族の男児を王宮が預かって教育していたのだが、平和な時代が訪れた今では同年代の跡継ぎ同士のつながりを作るために王宮が交流の場を設けるという名目で、形だけの伝統が残った。
 だからこそ、賭けのゲームとかある程度の悪ふざけは黙認されている。
 どんな人達が集まっているのだろうかと不安を抱きながら入団したフィオナだが、入団式の後でその不安は見事に吹き飛んだ。
 とにかく、貴族の子息なのかと思うくらいに気のいい奴らで、付き合いやすい上に、まったくフィオナの正体に気づかない鈍感ばかりだったのだ。
 だからこそ楽しい毎日を過ごすことができているのだが、こればかりは怒りを隠しきれない。
「……今回のこれを提案した者は名乗り出ろ」
 フィオナの言葉に、笑いがぴたりと止まった。
 にっこりと満面の笑みを浮かべているフィオナから漂う気配に、やっと本気で怒っていることに気づいたようだ。
 少し慌てた様子で、「あいつ」「こいつ」「そいつ」と責任をなすり付け合い始める。
「あいつだよ、あいつ」
「噓つけ。お前だろ」
「エリオット。断じて俺じゃない」
「おれは巻き込まれだけで、まったくの無関係だからな」
 ……とにかく、みんなで楽しく計画したことだけはよくわかった。
「今度同じことをしたら、お前らの日頃の行いを団長に包み隠さず報告してやるからな」
「……あ、それは本気で勘弁してください」
 ノーブル騎士団の入団時期は、十五歳から十八歳の間だと決められているが、退団の時期は決められていない。騎士団を預かる団長から、一人前だと認められたら退団することが許されるため、人によっては一年でいなくなる者もいるし、逆に五年経っても残っている者もいる。噂では、最長で十年も在籍していた人がいたらしいとか。
 普段の悪ふざけが団長の耳に入ると、在籍期間が長くなる可能性がある。この騎士団を早く退団することで箔を付けたい彼らにとって、フィオナの脅しは効果覿面だったらしい。
 みんな、もうしません、としょんぼりした様子で頭を下げる。
 その様子を見ていると、もう怒り続ける気にもなれず、フィオナは片手を腰に当ててため息をついた。
「今回は特別に許してやる。二度目はないからな。僕はもう着替えてくる。訓練時間も近づいてきていることだし」
「え?」
 一人が顔をあげてポケットに入れていた懐中時計の蓋を開く。そこでやっと午後の訓練時間が迫っていることに気づいたらしく、慌てて訓練用の服に着替えようと脱ぎ出す。
「ちょっと! いきなり脱ぐなよ!」
「男同士なんだからいいじゃないか。その格好でそんな反応をすると、本当に女の子に見えるぞ」
「……」
 そのまま構わずに着替え始めた一団に背を向け、「遅れるなよ」と言ってからフィオナは部屋を出る。
「あ~、バレなくてよかった」
 小さくつぶやいて、着替えに使った部屋に戻ろうと歩き出す。王宮は白いレンガで造られており、国内外では白亜王宮と呼ばれている。中庭に面した廊下を歩いていると、前から見慣れた姿が見えてどきりとした。
 どうしよう……。思わず立ち止まる。
 ここはノーブル騎士団のためだけに存在する区画だが、関係者以外の立ち入りを禁じているわけではない。しかし、基本的に男しかいないこの場所でこんな格好をしている者が不審に思われるのは確実だ。
 しかし、相手の視線は目の前にある資料に向けられており、こちらに気づいている様子はない。その間にどこかに隠れようにも一直線の廊下で駆け込める部屋もなく、何食わぬ顔でやり過ごすしかない。
 あの馬鹿達は気づかなかったが、かなり優秀であると噂されている彼にはバレてしまう可能性はものすごく高い。
 少し俯き気味になって、早く歩いてすれ違おうとする。
 ちらり、と視線を向けると、ちょうど向こうもこちらの存在に気づいたらしく――目が合った。
 バッと目を逸らして、ぺこりと頭を下げて素早く立ち去ろうとすると、「待ちなさい」と声をかけられた。
「すいません。失礼します!」
 バレた? もしかして、バレちゃった?
 すれ違った直後、がしっと二の腕を掴まれてそれ以上先へ行くことができなくなる。
「!」
 引き止められたことに大きく目を見開き、驚いて相手を見てしまう。意外と近くにあった端正な顔が、フィオナと同じような表情でこちらを見下ろしていた。
 ――この人、こんな顔するんだ……
 思わず、そんなことを思ってしまった。
 表情がまったく変わらないことで有名な、超絶クールなノーブル騎士団団長様がフィオナを見て驚愕の表情を浮かべているのだ。
「あの……」
 腕を離してほしくて戸惑いながら声をかけると、騎士団の団長であるグレンははっとした様子で「すまない」と言いながら、フィオナの二の腕を掴んでいる手を離した。
 それから澄んだ空を思わせる空色の瞳をまっすぐにフィオナに向けて問いかける。
「よろしければ、名前を教えてもらえませんか?」
「……」
 まさか名前を聞かれるとは思わず、すぐに言葉を返すことができなかった。
 しかし、ここで素直に「エリオットです」と答えたら、不審に思われる可能性が出てくるし、適当に偽名でも名乗ってやり過ごすほうがいいだろうか。
 色々と頭の中でぐるぐると考えて沈黙していると、ふっとグレンが笑った。
 ――わ、笑った……!
 この人が笑うところなんて初めて見た。
 びっくりしている間に、グレンはフィオナがかぶっているウィッグの髪を一房手に取り、素然な動作で口づける。

「美しい人。どうか、この俺に美しいあなたの名前を教えてはもらえませんか?」

「――――ッ!」
 こんなことを言う人だとは思っていなかったので、フィオナは驚きで息を呑む。
 美しいと言われた経験もなく、恥ずかしくなって心臓が大きく高鳴り、顔が赤くなってしまう。真正面からグレンの整った顔に見つめられ、目を合わせることができずにつっと逸らす。
「あなたの名前を知りたいのです。どうか、この哀れな俺にあなたの名前をお聞かせください」
 にこり、とグレンが笑う。その笑みは、甘さを含んでいるように見えた。
 笑えばもっと魅力的な男性なのに、どうしてこの人は普段から笑わないのだろう。もったいない。そんなことを思ってしまった。
 けれど、教えるまで解放してくれない雰囲気だ。
 グレンが笑ったという驚くべき現実と、この姿を見られて正体がバレるのではないかという不安で、頭がごちゃ混ぜになっていたフィオナは――――
「……フィオナ」
 と、素直に自分の名前を口にしてしまう。
 グレンは再びとろけるような笑みを浮かべて、「フィオナですね? 見た目どおり、美しい名前です」と言ってくる。
 それでやっとフィオナは自分が本当の名前を口にしてしまったことに気づいて、口を右手で押さえる。
 ――しまった……!
 大きく目を見開いてグレンを見ていると、彼が大きな手をフィオナの顔に向かって伸ばしているところだった。
「もう少し俺と話をしてもらえませんか?」
 ダメだ。
 これ以上はダメだ。
 そう思ったフィオナは、バッとグレンの手から逃れるように後ろへ身を引いた。
「ごめんなさい!」
 そのまま身体を反転させ、廊下を走り出す。背後から「お待ちください」とグレンが言っているのが聞こえたが、足を止めることなく走り続けた。
 ばたん、と着替えに使っていた部屋に入り、扉に背中を預けて大きく息を吐く。
「どうしよう……」
 もしかしたら、気づかれたかもしれない。
 そしたら今までやってきたことが、全部水の泡になってしまう。

「大丈夫だよ、エリオット。お姉ちゃんが絶対に守ってあげるから」

 自分に言い聞かせるようにつぶやき、フィオナは自分の両頬を軽く叩く。
 大丈夫。団長の反応を見る限り、バレている様子はなかった。だから大丈夫。
 その時、午後の訓練が近づいている鐘が鳴り、フィオナは慌てて着替えに取りかかった。
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