文字数 4,466文字

 二日後、グレンはアリソン伯爵邸を訪れた。
 アリソン伯爵夫妻はグレンの訪問を喜んで手厚く迎えようとしたのだが、グレンはそれを丁重に断ってからフィオナと共に街へと繰り出す。
 馬車に乗って目的地へと向かう途中、フィオナは何気なく「今日は遅かったですね?」と訊ねる。いつも屋敷に訪れる時は日が高く昇る前に来ていたのだが、今日はいつもと違って日が傾き始めてからやってきたのだ。なので、少し不思議に思って訊ねたのだが、グレンはクスッと笑って「俺が来るのが待ち遠しかったですか?」と問い返してきた。
 それで、ハッと目を見開く。確かに、そう捉えられてもおかしくないような発言だったかもしれない。一気に顔が赤くなる。
「――そっ、そういうわけじゃないですからッ!」
 真っ赤になりながら慌てて否定すると、グレンは何が面白いのかクスクスと笑ったまま「残念です」と言って、熱がこもった視線を向けてくる。
「早くあなたに会いたくて準備していたのですが、直前で気になる報告を受けたので、それに対しての対処を講じていたら遅くなってしまいました」
「……そうなんですか」
 元々、グレンは忙しい人なのだ。フィオナとこんな風に会うことすら難しいほどに。
 三人の兄達が面倒な仕事をグレンに丸投げしているという噂を聞くし、忙しい合間をぬってこんな風に会おうとしてくれる。本当にこの人は自分に対して本気なのだと思わざるをえない。
「大丈夫ですよ。あなたに危険が及ぶことはありませんから、心配はいりません」
「?」
 それは一体どういう意味なのだろうか。首を傾げた時に、御者が目的地に着いたことを告げ、ゆっくりと馬車が速度を落として停止した。
「では、参りましょう。あなたをどんな風に着飾らせようか、ずっと考えていました。お付き合いください」
「……わかりました」
 先に降りたグレンの手を借りながら、フィオナは馬車を降りた。



「……ほ、本当にいいんですか?」
 買い物が終わった帰り道、心配になったフィオナは不安を滲ませる声音で訊ねると、グレンはきょとんとした顔で「何がですか?」と問い返してくる。
「この前だって高い買い物だったのに、今回もかなりの金額になったんじゃ……?」
「あなたが気にするようなことはありませんよ。俺が好きでしていることですから」
「……そうですか」
 最高級の生地を使ったオーダーメイドのドレスだけでも気が引けたのに、グレンは前と同じ宝石店に入り、色々と見た結果、迷うことなく高そうなジュエリーを買った。値段を聞いていないので詳しくはわからないが、相当な金額であることは確実だ。
 ――レッドダイヤモンドって、普通のダイヤモンドより稀少だって聞いたことあるし……
 今日の買い物の合計金額を聞いたら、卒倒してしまうかもしれない。正直、そんな高い贈り物をされても腰が引けてしまって、身につけるのに勇気がいる。でも、グレンが楽しそうだし嬉しそうだからいいのだと思うことにする。
 自分にはそんな高級品をもらうような価値はないのに。甘い視線を送ってくるグレンから逃れるように窓の向こうを流れる景色を見つめた。
 日は完全に暮れ、あちこちでガス灯が頼りなさげな明かりで道を照らしていた。道を歩く人の姿はなく、フィオナ達が乗っている馬車の走る音だけが響いている。
 ドレスや宝石を選んでいる時のグレンはとても楽しそうだったし、これ以上金額を気にするのは失礼かもしれないと思って、フィオナは訊ねるのをやめることにした。
 今はとりあえず受け取っておいて、後で返そう。そうしよう。
 フィオナが小さく息を吐いた時、ガタッと馬車が急停止した。突然のことで座席からずり落ちそうになったフィオナの身体を支えたグレンは、御者に対して「どうした?」と短く訊ねる。
「申し訳ありません。囲まれました」
 小さく聞こえてきた声に、フィオナは大きく目を見開く。囲まれた……?
 辺境では貴族の馬車を襲う輩が多いと聞くが、王都の中心でそんなのは聞いたことがない。
「馬車から出ないでください」
 グレンはそう言って、素早く馬車を降りる。窓から外を確認すると、確かに五人くらいの男達が馬車の行く手を遮るように立っていた。後方を見ると、さらに三人ほどの姿がある。
 腰の鞘から剣を抜いたグレンは、相手に何者かと誰何したが答えはなかった。
 彼らは何も言うことなく、グレンに斬りかかってくる。金属がぶつかり合う甲高い音が響く。
「グレン様!」
 驚いて思わず名前を呼ぶと、グレンがちらりとこちらを見て、「馬車から出ないで!」と叫んだ。その声に、ドアを開けようとした手を止める。
 助けに行ったほうがいいのだろうか。しかし、今の自分は丸腰だからできることなんてたかが知れている。そう迷っている間に、誰かが外側からドアを開けた。あっと思った瞬間には首を掴まれ、馬車から引きずり出される。
 容赦ない強い力で首を掴まれているため、呼吸もままならない。
 男達と対峙していたグレンはフィオナの状況に気づいたようで、こちらを見て驚いた表情を見せる。
 こちらに気を取られているせいでグレンが劣勢になったのを見て、フィオナは自分の首を掴む腕を握り締めた。何のためにランスロットの元で剣術を学んだのかと思い出したからだ。この状況で、グレンの足を引っ張るのだけは絶対に嫌だ。
 短く息を吐き、上体を沈み込ませると相手が体勢を崩し、身体を反転させて一気に投げ飛ばす。ずぅん、と鈍い音が響き渡った。
 男の手が首から離れ、呼吸ができるようになったものの、喉がひりひりして酸欠でふらふらする。思わずよろけたところで、傍らにいたもう一人が剣を振り上げた。
 振り下ろされた剣を見て、フィオナは体勢を崩したまま避けようと後ろへ下がるが――左腕に猛烈な熱を感じて思わず右手で押さえると、生温かい感触がした。
 切られた、と思った瞬間には、男が目の前で二回目の攻撃を仕掛けてくるところだった。
 ――殺される……!
 覚悟を決めて強く目を瞑ると、何かがどさりと倒れる音がした。いつまでも衝撃はやってこず、恐る恐る目を開けると、先ほどまで目の前で剣を振り上げていた男が足元で倒れていた。死んだのかと思ったが、息はしているので気を失っているだけのようだ。
「……っ」
 強い殺気を感じて少しだけ右側に視線を移す。
 先が血に濡れた剣を持ったグレンが、恐ろしいくらいの無表情で倒れた男を見下ろしていた。
「――この人に手を出さなければ、手加減してやったものを……」
 小さなつぶやきは、あふれんばかりの憤怒にまみれていた。近くにいたフィオナの背筋が震えてしまうほどに。
 びゅっ、と死神隊長の剣が空気を切る。石畳の道に、剣先についていた血が飛び散った。
 端整な顔に、剣呑な輝きを秘める瞳。フィオナはその横顔を見て、ごくりと唾を飲み込む。
 綺麗だと思った。
 こんな時にとは思ったものの、そう思わずにはいられなかった。
 月明かりを受ける横顔は、昔読んだ絵本の騎士を彷彿とさせる。大事な者を守るために剣を握って戦った、あの騎士を。お姫様が自分を守って戦う騎士をどんな気持ちで見つめていたのか、今ならわかる気がする。
 心臓が高鳴るのを止められない。この状況でグレンを憧れの騎士と重ねてしまうのは、まさに今の状況があの絵本の内容と重なるからだ。――愛する人を守るために戦う姿が。
 こんな人を支えたいと思った。自分が愛する人と共に剣を手に取り、互いを守るために戦いたいと。
「今から向かってくるやつは、死ぬつもりで来い。手加減はしないからな」
 その言葉に、襲撃者達はグレンの気迫に呑まれたらしく、一様に襲うことに躊躇いを見せ、そのうち不利だと悟ったのか倒れた仲間を連れて逃げて行く。
 グレンはそれを見送り、相手の姿が完全に見えなくなったのを確認してから剣を鞘に納めた。
 それからフィオナへと駆け寄り、傷の具合を確かめる。
「痛みますか?」
 その声音は先ほどまでの憤りは見られず、ただただ心の底からフィオナの怪我の心配をしている響きだった。
「大丈夫です……」
 緊張している間はただ熱を感じているだけだったが、ほっと安堵した途端に痛み始め、その激痛に歯を食いしばる。出血の量から考えて、少し深いかもしれない。
「手当てをしましょう。近くに知り合いの医者がいます。とりあえずはそこへ」
「……はい」
 フィオナはグレンの手を借りて、馬車へと乗り込んだ。



 グレンの知り合いらしい医者は、彼の突然の訪問に驚いた顔をしたものの、怪我をしたフィオナを見るとすぐに表情を変えて手際良く手当てしてくれた。
 痛みを和らげる薬の影響で頭がぼんやりとするフィオナは、視界に飛び込んで来た整った顔が心配そうに歪んでいるのを見て、思わず笑みをこぼす。
 王宮では怖いくらいに表情が変わらないのに、自分の前だけこんなにも感情豊かだ。それを見ると、この人は本当にこんな自分のことが好きなのだろう。疑いようがない。
 最初は何かの間違いであってほしいと思っていたが、彼から向けられる純粋な感情が今では拒否できなくなっている。
 エリオットのことがなければ、出会うことすらなかったかもしれないのに。
「……心配しなくても大丈夫ですよ」
 少し舌足らずな物言いをすると、グレンはさらに顔を歪めた。そんな顔をしなくていいのに。これは自分が弱かったからできた傷なのだ。グレンの責任ではない。
「申し訳ありません。あなたを守ることができずに、怪我をさせてしまいました」
 フィオナの手をギュッと握り締めて、彼は謝罪の言葉を口にする。
 そんなに思い詰めなくていい。そんな気持ちを込めて、フィオナは小さく笑う。
「傷物になったので、本格的に誰ももらってくれませんね……」
 元々、こんな自分をもらってくれる人などいないのだ。これは本気で、一人で生きていくことを考えないといけない。
 ――でも、団長がもらってくれるんだっけ……?
 いや、それはダメだ。エリオットとの入れ替わりがバレないようにしないといけないから、お断りしないといけない。だから、誰ももらってくれる人はいない。
 頭に霞がかかってきて、考えがまとまらなくなる。
 薬が効いてきたのか、瞼が重くて目を開けていられない。
 身体中が鉛のように重たくて、指一本すら満足に動かすことができない。
 目を閉じて、微睡みに身を委ねた時、どこか遠くから微かに声が聞こえた。

「何があっても、あなたは俺がもらい受けます。何も心配はいりません」

 愛おしそうに。慈しむように。
 そんな響きの声が耳朶を打つ。優しい響きに心が温かくなった。
 残念なのは、そう告げた相手の顔を見ることができなかったことだ。
 意識が途切れる直前に、誰かが頭を優しく撫でてくれたような気がした。
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