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それから数日は何事もなく過ぎた。
「一本!」
 審判のその声に、フィオナは荒くなった呼吸を整えようと大きく息を吐いた。
 目の前には、尻餅を突いてこちらを見上げている青年の姿がある。彼は騎士団に入って二年目なのだが、座学は得意でも剣術がからっきしで、団長から退団のお許しをもらうことができずにいるらしい。
「さっすが!」
「気持ちよかったぞ、エリオット!」
 同じ時期に入団した同期達が口々に言い、フィオナは相手の喉元に突きつけていた模造剣を引いた。それで、相手がほっと息を吐く。
 手を伸ばして立ち上がるのを手助けすると、「エリオットには敵わないね」と人のよさそうな笑みを浮かべる。
「僕の取り柄は剣術だけですから。座学だったら、先輩の足元にも及びませんよ」
「人には得手不得手があるってことかな?」
「そうですね。今度の座学の試験の時はお願いしますよ、先輩。色々と教えてください」
「わかった。その時は言ってくれ。協力するよ」
 フィオナは座学が苦手で、試験を受けた時も下から数えたほうが早い。その代わり剣術は得意で、騎士団に入ってからめきめきと上達した。
 頭がよかった弟と足して二で割ったらちょうどよかったのに、と母親がため息をついているのを聞いたことがあるが、こればかりはどうしようもない。せめて弟と性格が逆だったら、両親はがっかりせずにすんだかもしれないのだが。
 同期の仲間達の元へ戻ると、背中を痛いくらいにバンバンと叩かれた。
「惚れ惚れするような剣さばきだったぜ」
「ホントに、こんなにちっこくて細い身体のどこにそんな力があるのか不思議だな」
「……ちっこくて細いは余計だよ」
 確かに、女性としては平均より少し高いくらいの身長なのだが、男性から見ると低い部類に入るかもしれない。
 ――エリオットは私より少し高かったはず……
 それでも、エリオットの身長は男性の平均には足りなかっただろう。まだ十六歳だし、これからの成長も見込めるかもしれないが。
 フィオナは力強く叩かれた背中に痺れに似た痛みを感じながら、自分が手にしていた模造剣を同期の一人に手渡す。
「ほら。次はアランの番だろ。早く行かないと団長がにらんでるよ」
「うえっ。行ってきます」
「健闘を祈る」
 審判役は団長自らが行っており、まだやって来ないアランをにらみつけている。
 その眼差しは、北国にあると言われている万年雪も裸足で逃げ出すくらいの冷ややかなものだった。
 本当に、あの時の笑顔は幻ではなかったのかと思うくらいに、笑うどころか表情すら変えない。淡々と抑揚のない声で話し、はっきりいって顔が整った人形がしゃべっているのではないかと思うほどだ。
 そんな無表情で冷たい眼差しを向けられると、背筋が凍るくらいに怖い。基本的に何を考えているかもわからないのだ。
 それを考えると、まだ表情が豊かでわかりやすい仲間達のほうが付き合いやすい。
 あの時のグレンの姿を、仲間達には言うことができずにいる。言っても信じてもらえるかどうかすら怪しい。それ以前に、女装した姿を美しいと言われましたなんて言ったら、さらに笑われるのが目に見えている。絶対に言えない。
「そう言えば、聞いたか?」
 アランが手合わせしているのを見ながら、一人が口を開く。
「団長に縁談が持ち上がっているらしいぞ」
「え、それ本当に?」
 思わず反応してしまったフィオナに、言い出した仲間はうんうんとうなずく。
「噓じゃないって。なんでも、あのダリモア公爵家の一人娘とだって」
「あー、ダリモア公爵家か。古い家柄で名門らしいけど、おれはあんまりあそこの家は好きじゃないんだよな。ほかの家を見下しているっていうか……」
「それに、ちらほらと悪い噂を聞くしな」
「そうなの?」
 首を傾げて問いかけると、「お前はそういう話、興味なさそうだよな」と言われてしまう。
 確かに噂とかにはあんまり興味がなくてそんなに詳しくはないのだが、王宮はたくさんの人が出入りする場所なので、騎士団に入ってからは自然と耳に入るようになった――といっても、仲間達が話しているのを聞くくらいなのだが。
「当主がうちの娘をぜひ妃に、って勧めているらしいよ」
「あの人、権力欲ありそうだよなぁ。王族と縁続きになりたいのかもしれないな」
「団長はその話を受けるの?」
 そういうことに疎いフィオナだが、王族と婚姻関係を結んだ家に何かしらの利益があるのはなんとなくわかる。しかも、貴族の中でも最上位の公爵の位を持っているのに、さらに王族と縁続きになったらすごい権力を持ちそうな気がする。
「そりゃ、受けないだろうよ。これも噂だけど団長には意中の女性がいて、今その女性を探してるって話だ」
 その場が騒然となる。
「……あの団長に意中の相手?」
 超絶クールで感情があるのかすら怪しんでしまうほどの団長が恋をしている、という事実が信じられない。あの人には一番縁遠そうな話である気がする。
「それってホントなの?」
 疑うような視線を向けると、相手は肩をすくめた。
「まぁ、噓かホントかは今のところわかんねぇ。ただ、団長と副団長がそんな話をしているところを聞いたってやつから教えてもらっただけだからな。おれが直接その話を耳にしたってわけじゃないし」
「へぇ。団長も人間だったってわけか」
 一人が感心したように言い、それにみんなが苦笑いを浮かべる。
「そりゃ、人間だろうよ。団長は現国王陛下の御子で、第四王子だからな。人間じゃないはずがない」
「安心した。団長、全然表情変わんないし、何が起こっても冷静沈着だし、動く人形なんじゃないかなと疑ってたから」
「言えてる」
 どっ、と笑いが起こった瞬間、底冷えするような低い声が響いた。

「――お前達、楽しそうだな?」

 ぴたり、と笑い声が止まった。
 全員が大きく目を見開いて、ゆっくりと振り返る。
 背後でブリザードが吹き荒れているのが見えるくらいの、とてつもなく冷たい目でこちらを見下ろしている団長様の姿があった。
 どうやら、いつの間にか背後に来ていて、話を聞いていたらしい。
 輝くような金色の髪に、澄んだ空色の瞳。ノーブル騎士団の団長の証である黒い軍服に身を包み、腰には実用性の高い剣を下げている。
 いつもどおりの無表情で腕を組んでいるだけなのに、とてつもなく恐ろしい気配が漂ってくる。
「俺に関しての話だったみたいだが、そんなに楽しい話なのか? ぜひとも、俺にも聞かせてほしいものだな」
「あ、いや……、その、なんていうか……」
 グレンのことを動く人形だと言ってそれに同意して笑っていた後ろめたさから、みんなが視線を彷徨わせている。なんというか、今のグレンは絶対に真正面から見てはならない。目を合わせて標的にされないように、全員が全力で視線を逸らしている。
 無表情で、淡々とした抑揚のないしゃべり方。なのに、他者を圧倒させるほどの存在感があり、自然と向かい合った相手をひれ伏させてしまうような迫力がある。
 いつもこんな様子のグレンしか見ていなかったのだから、数日前にフィオナに見せたあの微笑みは幻ではないかと疑ってもおかしくはないはず。
「やっぱり、あれは夢だったのかなぁ……」
 思わずぽつりとつぶやくと、それが聞こえたのかグレンの視線がフィオナへと向けられる。
「エリオット=アリソン。剣術の成績はいいみたいだが、座学はもっと努力しろ。これではまだまだ退団の許可は出せないな」
「は、はい!」
 矛先を向けられ背筋をぴんと伸ばして返事をすると、グレンは少しだけ目を細めてフィオナを見たが、すぐに背を向けた。
「訓練中に雑談ができるくらいに余裕があるんだったら、お前達だけ俺が直々に相手してやる。エリオット=アリソン。お前から来い」
「えぇー……」
 ――死神団長直々に手合わせとか、絶対死ぬ……
 常に黒い軍服を身に着け、騎士団の団員達を容赦なくしごき、その上まったく表情を変えないグレンのことを、いつからか団員達は『死神団長』と呼ぶようになった。本人もその呼び名は耳に入っていると思うのだが、否定も訂正もしないのでそのまま団員達の間で受け継がれるようになったと聞いている。
 フィオナも入団してすぐにその呼び名を耳にし、最初は抵抗があったものの、今では仲間内での会話では自然と口にするようになるまでになった。さすがに本人の前では言わないが。
 結局、フィオナを含め数人の団員はへとへとになるまでグレンにしごかれた。荒い呼吸を繰り返しながら地面に座り込むフィオナ達を、グレンは「だらしがない」と息一つ乱すことなく見下ろし、「次は座学だ。真剣に取り組め」と言って去って行ってしまった。
「……もはや、死神を通り越して怪物だよ」
 思わずフィオナがそうつぶやくと、仲間達が「同感」と答えて、どさりと地面に倒れた。



 その後、騎士団の先輩達からもグレンが一人の女性を捜しているという話を聞かされ、フィオナは本当の話だったんだなぁ、と思いながら寮に戻るための道を歩いていた。
 王宮と同じ白いレンガで建てられた騎士団員専用の寮は、貴族の跡取りを預かるということもあって立派な造りになっている。団員には個室が与えられ、それなりの広さと設備が整えられており、望めば屋敷から従者を連れてくることもできる。
 団員のほとんどは一人か二人の従者を連れてきているが、フィオナは女であるために男性の従者に身の回りのことをしてもらうのに抵抗があり、結局、誰も連れて来ずに一人でやってきた。なので、掃除洗濯などは自分で行っている。
 周りはそれが珍しいらしく最初は不思議がられていたが、今では何も言われなくなった。
 部屋のドアを開けて中に入ろうとした時、「エリオット様!」と声をかけられて振り返る。
 そこには顔見知りの使用人の姿があった。男所帯の騎士団の細々とした雑用をこなしてくれる十三歳の少年は、元々は王都の孤児院にいたところをグレンが引き取ったのだと聞いたことがある。今では仕事の合間を見つけては教育を受けているらしく、それに多大な恩を感じて、ずっとグレンの元で働きたいと言っている健気な子だ。
「どうしたの?」
 急いで来たらしく、少年はフィオナの前に来ると膝に手を突いて荒い呼吸を繰り返す。少しして落ち着いてきたのか、「申し訳ありません」と言ってから一通の封書を差し出してきた。
「ご実家から手紙が届いています」
「?」
 実家から手紙が届くなんて初めてのことだ。不思議に思いながら受け取る。
「ありがと」
「では、ぼくはこれで失礼します」
 ぺこり、と頭を下げて走って行く少年の後ろ姿を見送ってから、フィオナは部屋の中に入った。静かにドアを締めてから、窓辺の近くにある椅子に腰掛ける。
 季節は初夏にさしかかろうとしているところで、朝はまだ冷えるが、昼間は窓を開けているくらいがちょうどいい。フィオナも朝起きると窓を開けてから訓練に向かうので、まだ日が高い今の時間は窓辺にいると涼しい風が頬を撫でる。
 テーブルの上に置いてあるペーパーナイフを手にして、封筒を開ける。封蝋は確かにアリソン家の家紋で、父親が出したもので間違いない。
「エリオットが見つかったのかな?」
 淡い期待を抱いて二つに折られた便箋を取り出して読んでみると、予想外な内容が書いてあって、すぐに戻ってこいとのことだった。

「な、なんで……?」
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