文字数 1,924文字

「またお会いしたい」

 グレンからそう言われたのは、ランスロットの剣術道場へ一緒に行った二日後のことだった。
 少し早くないか、と思いながらも、断るわけにもいかずに了承し、一旦屋敷へ戻る。
 貴族の屋敷が密集している貴族街は、王宮を取り囲むように広がっている。その貴族街を囲むように庶民街が広がっており、庶民街に住んでいる者達は基本的に貴族街に足を踏み入れることはない。
 アリソン伯爵家の屋敷は、さほど大きくはない。貧乏というわけではなく、代々の当主が身の丈に合ったサイズを好んでいるためだ。
 フィオナの父親は代々続いている美術品関係の会社を経営しており、特に絵画に対する真贋は自国のみならず他国の王族からも信頼されている。
 そのため、屋敷には昔からたくさんの画家が出入りしていた。父親は自分が見込んだ画家の卵に支援することを好み、そのこともあってエリオットは自然と絵を描き始めるようになった。
「やはり、父さんが全部悪いんだろうか……」
 自分を責めるようにそうつぶやいた父親に、フィオナは鏡越しに視線を向ける。背後では、侍女がウィッグをかぶせて外れないように固定してくれているところだった。
 これだけ探しても見つからないことで、エリオットの本気の怒りを感じ取ったのだろう。いつもはきっちりとしている髪の毛も若干乱れ気味で、こんなに憔悴している父親は初めて見た。
「……それは否定しないけど、あの子も悪いのよ。自分の気持ちを言わずに出て行くんだから。絵を書き続けたいなら書き続けたいって、ちゃんとお父さんに訴えればよかったのよ」
「あの子に絵の才能はない。だから、早くやめさせていつでも跡を継がせられるように勉強させようと思っただけだ」
 椅子に座り、少し前屈みになって片手で顔を覆っている。本当に追いつめられているのがわかった。この調子では、エリオットが見つかる前に父親が倒れてしまいそうだ。
 その姿を少し哀れに思いながらも、フィオナは父親とエリオットの気持ちも理解していた。
 才能のない絵を書き続けるより、早く歴史あるアリソン伯爵家の次期当主としての自覚を持ってもらいたかった。だからこそ、ノーブル騎士団への入団をエリオットに相談することなく決めた。
 でも、そのためにエリオットが大事にしていた画材道具のすべてを勝手に捨てていいというわけではない。
 今までは親に逆らうことのない大人しい子だったから、それで諦めて素直に従うと思っていたのだろう。しかし、エリオットは激昂し、父親を鋭い眼差しでにらみつけた。そんな目を父親に向けるところなど、これまで一度もなかったことだ。
 そして次の日の朝、エリオットの姿は屋敷から消えてしまっていた。
 ノーブル騎士団の入団式が始まる三日前のことだった。
 それから二日間は必死になって行方を探したが見つからなかった。明日には入団式が始まる。けれど、入団を嫌がって行方不明になりました、なんて言えるはずもない。そんなことを言ってしまえば、父親もエリオットも笑い者だ。
 エリオットの短絡的な行動の結果として、フィオナは女性の命と言われている髪を切った。
「絵の才能がないから絵を描くなっていうのは、あまりにも酷だと私は思う。才能がなくても、書き続けることを許してあげればよかったのよ。エリオットにとって、絵を描くってことはとても大事なことだった。それを取り上げたお父さんが悪い。でも、やりたいことをやりたいって訴えることもせずに出て行ったエリオットも悪い。言葉にしなきゃ、何も伝わらないのよ。たとえ親子であっても、相手の心の中まで読み取ることはできないんだから」
「……才能がないなら、描く意味がない」
「お父さん、問題はそこじゃないのよ。絵は才能がある人しか書いちゃいけないの? そうじゃないでしょ? 絵は書きたい人が描けばいいのよ。才能がなくても、絵は描けるんだから。絵を描くって行為自体は自由なの。才能のあるなしで、その自由を奪う権利は誰にもないのよ」
「……」
 がっくりと肩を落とす父親の姿は、正直見ていられない。しかし、父親にもわかってもらわなくてはならないのだ。エリオットの悲しみと怒りを。大人しい子供にも感情があることを。
 ――大丈夫だよ、エリオット……
 お姉ちゃんが守ってあげるから。
 どんな時でも味方でいてくれたエリオットのためになら、なんでもやってみせるから。
「お父さんは早く、エリオットを見つけて仲直りして」
 そこまで言うと、侍女が準備が終わったことを短く告げた。フィオナは決意を込めた瞳で、鏡越しに自分を見つめ、立ち上がる。
「私はそれだけで充分だから」
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