文字数 4,606文字

 慌てて外出届を出して二ヶ月ぶりに王都の貴族街にある屋敷へ戻ったフィオナは、すぐに侍女の手を借りて持っている中で一番上等なドレスに着替えて、用意されていた自分と同じ黒髪のウィッグをかぶった。
 それから客間に行くと、そこには見慣れた青年の姿があった。
 気まずそうに沈黙している父親と無表情で向き合っていたその人は、フィオナが現れた途端にとろけるような笑みを浮かべる。
「あぁ、やっぱりあなたがあの時のフィオナ嬢でしたか」
 ゆっくりと椅子から立ち上がり、近づいてくる。
「あの、だ……、グレン様が私に何か御用ですか?」
 まさかこの人が屋敷を訪れてくるとは思っていなかったため、驚きを隠せない。弟の代わりに騎士団に入ったことがバレて咎められるのかと思ったが、そんな雰囲気ではない。では、何故にここを訪れたのか。
 入り口で立ち尽くすフィオナをエスコートし、グレンは自分が座っていた椅子の隣りに座らせる。
「もう一度、あなたにお会いしたかったのです」
 雰囲気や話し方も、普段より柔らかくなっている。
「私に……?」
「数日前に、王宮で一度お会いしたのを覚えていますか?」
「覚えています」
 忘れるはずがない。あの時、初めてグレンの笑った顔を見たのだ。女である自分が女の格好をして仲間達に大爆笑された屈辱的な日でもあったし。
「あの後、すぐに名前と容姿を頼りにあなたを探したのです。もう一度、お会いしたかったものですから」
「……そうですか」
 フィオナは、どうして自分を探したのか理由がわからなかった。グレンは怪訝そうな表情を浮かべて隣りに座るフィオナを見てから、向かい側に座る父親へと視線を向ける。
「ということで、この話を了承していただけますか?」
「普通なら喜ばしい話ですが、うちのフィオナはとても変わっている娘で、グレン様にふさわしくは――――」
 物事をはっきりと言う父親が、珍しく言葉に迷っているようだ。フィオナがここに来るまでの間に、何かしらの話をしていたらしい。
 その話の内容がわからないフィオナが首を傾げる。
「お話ってなんですか?」
「こういうことは、最初は父親の許可を得るのが通例だと伺ったのでこうして参ったのですが、色よい返事をいただけなくて困っております」
 苦笑しながら言うグレンは、王宮で見る雰囲気とはまったく違う。本当に同一人物なのかと疑ってしまうほど、柔らかい態度と表情だ。実は双子の弟でしたみたいな展開じゃないよね、と怪しんでしまう。
「あの日の出会いからあなたのことが忘れられず、気づいたらあなたのことばかり考えてしまうのです」
「……え?」
 待って。それではまるで――――
 嫌な予感が脳裡をよぎる。いや、まさか、この人に限ってそんなことあるはずがない。
「どうやら、俺はあなたに一目惚れをしてしまったようなのです」
「……」
 やっぱり――――ッ!
 思わず、フィオナの頬が引きつる。こんな自分に求婚してくる人が現れるとは。しかもそれが第四王子で、王宮で死神団長と呼ばれている上司だとは予想もしていなかった。
 普通なら、父親の言うとおり喜ばしい話だろう。貴族だったら、誰でも王族とは縁続きになりたいだろうし、二つ返事で受けるはずだ。
 ――でも、私は……
 受ければ、弟の代わりに騎士団にいることが露見してしまう可能性が高くなる。
 どうやって断る方向へ持っていこうかと考えて、助けを求めるように父親を見ると、相手もすがるような視線をフィオナへと向けていた。どうしようか迷っているらしい。フィオナは父親からグレンへと視線を戻す。
 噂になっていたグレンが探している意中の女性が自分であったことにも驚きを隠せないが、たった一度会っただけで惚れられて求婚までされるとは思わなかった。
 ここできっぱりと断りたいところだが、波風を立ててしまうと王族との間にいらぬ軋轢を生んでしまうかもしれないし、そうしないためにはどうしたらいいのか。
 こうなったら――――
「あ、あのグレン様……」
「はい」
「私達、今で会うのが二回目ですよね?」
「そうですね」
「あなたは私のことをよく知らないと思いますし、私もあなたのことをよく知りません。返事はお互いのことをよく知ってからでもいいですか?」
 返事はノーで決まっているのだが、とりあえず自然とお断りの方向に持って行けばいいのだ。
 そうだ。そうしよう。
 理想は、グレンに嫌われて、向こうから「やっぱりなかったことに」と断らせるようにすること。
 ――こうなったら、完璧に嫌われてやる……!
 元々、フィオナは変わり者として親族間では有名なのだ。素の自分を見れば、グレンは絶対にこんな子と結婚なんてしたくないと思うはず。
 あと何回か会って、断ってもらうように持っていこう。
 そう決意して言ったフィオナの言葉に、グレンは目元を緩ませるように笑った。どうやら、きっぱりと断られなかったのが嬉しいらしい。
「わかりました。あなたにも俺を知ってもらいたいです。俺としては、あなたが自分の意志で俺の元へ嫁いできてほしいと思っていますから、無理強いをするつもりはありません」
 グレンは立ち上がり、フィオナの前に片足を突いて跪き、右手を取って手の甲に軽く口づけを落とす。
「俺は、絶対にあなたから了承の返事を頂きたいと思っています」
 見上げてくる眼差しは、愛しい者を見るかのように甘い。
 ――どうしよう……、本気だ……
 気の迷いとか勘違いではないかと思ったが、グレンは本当にフィオナに惚れているらしい。
 昔から両親に嫁の貰い手がないだろうと嘆かれていたフィオナに訪れたまたとない縁談話だが、弟のことがあって手放しでは喜べない。こんな話は二度とないかもしれないが、どうにかしてお断りの方向へ持って行こう。
 フィオナはそう決意し、さりげなくグレンに握られている手を離した。



 帰って行くグレンを見送ってから、フィオナは屋敷の中へ戻り、真っ青になっている父親に向かって断言した。
「王族と軋轢を作るわけにはいかないわ」
「しかし、こんないい縁談は二度とないかもしれないぞ」
「お父さん、忘れたの? 私、ノーブル騎士団にエリオットとして入団しているのよ」
 ずっとかぶっていたウィッグを外して短い髪を見せつけると、父親はぐっと言葉を詰まらせる。忘れているわけではないのだが、結婚できないだろうと思っていた変わり者の娘に降って湧いたこの上なくいい縁談話を失いたくない気持ちもあるのだろう。それは理解できる。
「他の王族の人だったらよかったのかもしれないけど、相手はノーブル騎士団団長のグレン=ノエル=シンクレア様なのよ。何度も会っていれば、エリオットとして入団していることに気づかれる可能性だって高くなる。私だってこんないい縁談は二度とこないってわかってるけど……」
 でも、とフィオナは言葉を切る。
「フィオナ=アリソンと騎士団のエリオット=アリソンが同一人物だって知られるわけにはいかないの。ここはどうにかして破談の方向に持って行くわ」
 フィオナの決意が固いことを悟って、父親は何も言わなくなった。弟の代わりに入団することを決めた時に、女の命と言われている髪を躊躇いもなく切るほどに、フィオナが弟を守ろうとしているのを知っているから、何を言っても無駄だと思ったのだろう。
「いい? 私は団長から徹底的に嫌われるわ。素の私を見れば、大抵の男性は断ってくるはずなんだから。お父さんは早くエリオットを見つけ出して仲直りして」
「……わかった」
 父親の返事を聞いてから、フィオナは自室に戻る。侍女に手伝ってもらってドレスを脱ぎ、騎士団の服に着替えて王宮へ戻る。
 集まって遊んでいた仲間達に「どこ行ってたんだ?」と聞かれ、「お父さんに呼ばれて野暮用」と答える。
 その頃には日が暮れかけており、部屋の中が燃えるような色になっていた。
 困ったことになった、と思いながら、少し冷たくなった風を遮るために窓を閉めていると、こんこん、と誰かがドアをノックした。
「はい」
 ドアを開けると、そこには先ほどまで会っていた人物がいて、思わず息を呑む。
「……だ、団長。何の御用ですか?」
 団長であるグレン自ら団員の部屋を訪れるなんて珍しいことだ。さっそくバレたか、と背中に冷や汗が流れるのを感じながら、必死に笑顔を作って問いかけると、求婚してきた時の表情が幻だったのではと思うほどの無表情でグレンが見下ろしてくる。
「少し調べさせてもらったんだが、エリオットとフィオナ嬢は双子の姉弟らしいな?」
「……そうです」
 どこまで調べたのかはわからないが、まだフィオナのやっていることは気づかれていないようで安心する。
「少し聞きたいのだが、フィオナ嬢には親が決めた婚約者か付き合っている男性、もしくは好いている相手がいたりするのか?」
「……」
 それは求婚する前に確認することではないだろうか。そんなことを思って返事が遅れると、グレンは氷のような眼差しをさらに細める。

「――いるのか?」

「い、いません! 全然いません!」
 抑揚のない声に恐ろしい気配が滲んでいて、怖くなって思わず正直に答えてしまう。
 すぐにしまった、と口を閉ざすが、もう遅い。フィオナの返答に、グレンが少しだけほっとした息を吐いた。
「そうか。それを聞いて安心した。求婚に関してフィオナ嬢に良い返事がもらえなかったから、そういう相手がいるのかと心配したのだが、いないのなら何も問題はないな」
 ここでいるって言ったら、自然にお断りの方向へ持っていけたかもしれないのに。今更そんなことを思っても後の祭りだ。
 しかし、この様子ではまた会いに屋敷へ行ってしまうかもしれない。その時にいちいち待たせていたら、不審に思われる可能性がある。それは回避しなければ。
「その、団長……」
「なんだ?」
「団長から姉への橋渡しを僕にさせてもらえませんか? 僕なら気心が知れているから姉も色々と相談しやすいですし、姉への連絡も取りやすいでしょうから」
「……」
 グレンが少し考え込むような様子を見せる。腕を組んで顎に手を置いているだけなのだが、顔が整っている分、かなり絵になる光景だ。
「そうだな。俺がいきなり屋敷へお邪魔してかなり驚いていたようだし、弟のエリオットならフィオナ嬢への連絡もしやすいだろうしな。すまないが、そうしてもらえるか? フィオナ嬢に会う時は、お前に連絡を入れてもらうとしよう」
 頼む、と言ってグレンは去って行った。
 見送ってからドアを閉めて、大きく息を吐く。
 ――し、心臓に悪い……
 けれど、これでグレンが直接屋敷を訪れることはない。前もってこちらに言ってもらえるみたいだし、そうしたら自分で屋敷のほうへ手紙を出して外出の許可をもらって帰ればいい。
 とにかく、何がなんでも弟の代わりをしていることをバレないようにするのだ。
 そこまで考えてから、大きく息を吐く。
 あの時、カードゲームなんてしなければこんなことにはならなかったかもしれないのに。
 イカサマを見抜けなかった自分もだが、見事にハメてくれた仲間達を怨まずにはいられなかった。
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