文字数 3,923文字

「……ここですか?」
 思わず確認するように訊ねてしまったのは、フィオナが一度も利用したことがない王室御用達の超高級仕立て屋だったからだ。
 グレンの手を借りて馬車から降り、店の看板を見上げたフィオナはグレンが本気であることを感じ取った。
 ――本当に後に引けなくなっちゃった……
 そう思いながら店の中へ入ると、待ち構えていたらしい店の人達に大歓迎され、その後は着せ替え人形のごとく、何着ものドレスを着せられた。既製品を買うつもりなのかと思ったら、その後に採寸をされ、グレンが選んだドレスと同じものをフィオナの体型に合わせて特注で作るらしい。
 ――この店でオーダーメイドっていくらくらいするんだろう……?
 たぶん、相当な金額になるはずだ。生地は一級品で、職人は一流だろうし。
 結局、グレンが選んだのは淡い水色の全体的にふんわりとしたドレスだった。胸元の露出が控えめなのは、「あなたの魅力に気づいて横恋慕してくる者が現れるかもしれませんから」という危惧を感じたせいらしい。
 そんなことは絶対にないと思うけど、と言いかけた言葉は飲み込み、フィオナは元のドレス姿へと戻る。
 今度は宝石を見に行くことになったのだが、また王室御用達なんじゃ……、と不安がよぎる。
 そして到着した店を見て、その予感は的中した。
 創業当時から高い品質で知られ、百年以上前から王室御用達の看板を掲げる、国外でも名を知られているような有名なジュエリーショップだった。もちろんだが、フィオナは一度も足を運んだことはない。
「……」
 呆然と建物を見上げていると、「こちらですよ」とグレンにエスコートされて中へ入る。
 ここでも先触れがあったのか、店主や店員達から恭しく出迎えられた。
「フィオナ嬢は、どういったものがお好みですか?」
 そんなことを聞かれても宝石なんて今まで身につけたことなんてないし、どんなものがあるのかすら知らない。キラキラした店内で、どうすればいいかわからずにオロオロする。
「……いえ、私は宝石とかはよくわからないので」
「では、俺が選んでも?」
「お、お願いします……」
 あまり高いものだと身につけるのに躊躇ってしまいそうだ。そう伝えると、「慎み深いのですね」と言われてしまった。そういうつもりではないのだが……。
 店の中にあるソファで座って待っていると、グレンと店主がいくつかのジュエリーを持ってやってきた。
 ふんだんに宝石が使われた高価そうなネックレスに、きらきらと輝く二連のブレスレット、大きなパールが揺れるピアスなど、いくつかが目の前のテーブルに置かれた。
 それが店主の手によって直接首筋や手首、耳に当てられる。その姿を真正面から見ていたグレンは、真剣な表情で悩んでいた。
「やはり、ドレスが淡い水色だから宝石は青色に統一したほうがいいかもしれないな」
 そうつぶやき、持ってきたジュエリーをすべて片付けさせ、今度は青色の宝石が使われたジュエリーを持ってこさせる。
 それを一つ一つフィオナの身体に当てて、納得できるものが見つかったらしい。
 大きなブルーダイヤモンドが使われたネックレスに、サファイヤのイヤリングを選んでいた。
 ――ブルーダイヤモンドって、ものすごく高いんじゃ……
 宝石に関する知識はそれほど多くないが、ブルーダイヤモンドがものすごく稀少で高価であることはなんとなく知っている。
 グレンは今日選んだジュエリーを後日、アリソン伯爵家に届けるように店主に言いつけ請求を自分のところへ回すように言うと、店を後にした。
 馬車に乗って戻る道すがら、フィオナは窓から街の様子を見ていた。
 広場にさしかかった時、思わず「あっ」と声を上げる。それを聞いたグレンが少し驚いた顔でフィオナを見てきて、「どうかしましたか?」と訊ねてくる。
「いえ。あ、あの……。ちょっと止めてもらってもいいですか?」
 少し迷いながらお願いすると、グレンはすぐに御者に命じて馬車を止めてくれた。
「ありがとうございます」
 一人でドアを開けて馬車を降りると、先ほど見かけた後ろ姿を追いかける。
「リディア!」
 名前を呼ぶと相手は聞こえたらしく、くるっと振り返り、すぐにこちらを見つけてくれた。
「フィオナじゃない! 久しぶり!」
「久しぶりー」
「その格好を見ると、本当に貴族の娘だったのねって感じがするわね」
「……まぁ、一応は。あんまり、こんな格好は好きじゃないけど。それよりも、リディア。抱いているのってリディアの子供?」
 フィオナの数少ない理解者である友人のリディアは、鍛冶職人の夫を持つ五歳年上の庶民だ。結婚式に参加してからは、たまに近況を報告し合う手紙のやり取りしかしていないから、顔を合わせるのは実に三年ぶりくらいかもしれない。
 今のリディアの腕の中には、産着に包まれた赤ん坊の姿がある。
 フィオナの問いかけに、リディアが幸せいっぱいの顔で笑った。
「そうなの。二ヶ月前に産まれたのよ」
 前の手紙でそろそろ産まれそうと書かれていたが、とうとう産まれたらしい。フィオナが騎士団に入ってからすぐに産まれたようだ。
 フィオナは自分のことのように嬉しくなって、「おめでとー!」と祝福した。
 そこでリディアはフィオナの後ろにいるグレンの姿に気づいたらしく、不思議そうな視線を彼へと向けた。
「フィオナ。そちらはどちら様?」
「えっと……、グレン様って言うの。……一応、私に求婚してきている人なんだけどね……」
「まぁ! ホントに!」
 リディアは驚きの表情を浮かべ、グレンを見た。
「初めまして、グレン様。フィオナの友達のリディアと申します。本当は貴族のフィオナとは口もきけないような身分なんですが……」
「グレンだ」
「……」
 グレンは王宮で見かけるような無表情で名前だけを名乗る。それを見たリディアは少しだけ呆気に取られたようだ。呆然とした様子でグレンを見ている。
 本当に自分以外には笑いかけないのだとわかり、ますますグレンの本気を思い知らされてしまう。
「フィオナ……」
 グレンを見ていたリディアが、困ったような視線を向けてきた。その表情だけで、言いたいことはわかった。最初は誰だってこうなる。
「ご、ごめんね、リディア。この人、これが普通なの。王宮でもこんな感じだから」
「グレン様は、王宮で働いている方なの?」
「まぁね。一応は身分あるお人だから」
「そうなの……」
 何も訊かないで、というフィオナの雰囲気を察したらしく、リディアはそれ以上何も言わなかった。微妙な空気が流れ始めたのを感じ、フィオナは話題を変えることにした。
「今度、お祝いに何か贈るね。家の場所は変わってないでしょ?」
「ええ、変わってないわ」
「じゃあ、楽しみにしてて。本当におめでとう、リディア」
「ありがとう」
 その後、フィオナはリディアに別れを告げてずっと待っていた馬車へと戻った。
 乗り込むと馬車が動き出し、ふとグレンが訊ねてきた。
「彼女は庶民の方でしたが、フィオナ嬢にはそのような友人が多いのですか?」
「え? あぁ……。先ほども言いましたけど、私は他の貴族の方とはあまり交流がありませんでしたし。下町の娘のような格好で一人で外に出ることも多かったので、自然とそちらの方々との交流が多かったです。リディアもその一人です」
「そうですか」
「貴族の娘らしくないと思われたでしょう? 自分でもわかっているんですけどね。でも、生まれた家柄で付き合う人間を決めるのは変ではありませんか? 貴族の家に生まれたら貴族の人間としか交流してはいけないとか、そんなの自分の世界が狭くなるだけじゃないですか。私はどちらかといえば気質が庶民の方々と合うみたいですし、彼らと話すほうが断然楽しいんです」
 変な娘だと思ったよね、と思ってちらりと盗み見ると、グレンはこちらを見つめていたようでばっちりと目が合ってしまう。はっとして、慌てて逸らす。
「そういう考えには賛成です。この国の大半は身分を持たない者達ですから。屋敷からほとんど出ない貴族の女性達と比べれば、庶民の方々のほうがよほど広い世界を知っているでしょう。そんな彼らとの交流は、自分の世界を広げることにつながるというのは賛同しますね」
 グレンはフィオナの考え方を肯定ばかりする。本当にそう思っているのだろうかと疑いを抱いてしまうが、彼の雰囲気や表情で、心の底からそう思っているのだと伝わってくる。
 向かい側から膝の上に乗せていた手を取られ、グレンのほうを見ると、彼は極上の笑みを浮かべていた。
「俺はあなたがお持ちの考え方は好きですよ。あなたと一緒にいると、いかに自分が狭い世界を生きてきたのか思い知らされます」
 そのままフィオナの手がグレンの口元へ寄せられ、指先へキスされる。自然な流れだったので、された後に我に返ってさりげなさを装ってグレンから離れる。
 心臓がドキドキして、頬が僅かに熱い。
 ここまで自分の考え方を肯定してくれる人には初めて会った。これから先、こんな人に出会うのは難しいかもしれない。
 ――エリオットのことがなかったら、普通に好きになれたかもしれない……
 しかし、弟のために嫌われなくてはならないのだ。しかし、それがあまりにも難しいことはここ何回か会ってて実感している。
 どうやったら嫌われて、求婚話を取り下げることができるのだろうか。
 けれどフィオナは、自分の中でそれを少しだけ残念に思っている気持ちがあることには、まだ気づいていない。
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