恋遍路28.恋まみれ

文字数 1,394文字

「わかったよ。オレは、この世に生きる価値ナシだ。価値!なんてのに、囚われている… もうダメさ。論理的な思考能力がない。いまだに、分数もできない。何の取柄もない、ガラクタさ。生まれた時から知ってたよ。この世に、世界の流れに、オレは乗れない、って。
 何のために、生まれてきたんだろう。わからないことばかりだよ。そうして、逃げていることも知ってるよ。オレは、

とでしか、書いていない。生き方だってそうさ。どうしようもない、どうしようもないで、逃げてきたのさ。何も、真正面から、取り組んだことなんか無かったよ。責任なんか取りたくなかったし、なんなんだろう、なんなんだろう、でずっと来たわけだ」
 荒れている。表面は、穏やかだ。が、彼は、いつものように自分がイヤになっているらしい。

「そうだ、生きている人間を、描きたいんだよ。死にゆく人間じゃない。生き生きと、せいせいと、生きている人間を、描きたいんだよ。ところが、オレにはわからない、人間ってのが。
 かろうじて分かるのは、… いや、分からん。分かってるのかもしれん。でも、分かるってことが分からないんだ。ぜんぶ、どっかへ消えていく気がする。今、わかったところで、どうだってんだ。時の流れの前に、人間は無力だよ。何も、無いんだよ…」
 キョムッている。
「何かあると思うのは、すべて幻影だ。そう思いたいという、わけのわからない欲求の為せる幻影だ。みんな…みんなかどうか知らないが…幻影、残存、記憶のごみのなかに生きてるんだ…何だってんだ一体、この世が、何だってんだ…」
 彼が、荒れているのだけは、わたしは知ることができる。彼であるところのわたしが、こんな手法でしか書けないことも、ヤラセみたいで、イヤになっているようだ。
 あの戦争が起こって以来、ダメダメだ。ほかに、書くことなんか、無いのだ。

「弱いんだよ。だからって、強くなろうとも思わない。オレは、オレでしかないんだ。かよわい、お坊ちゃんさ。死への準備しかできない人間に、生き生きと生きている人間の、描写なんかできやしないのさ。できないことをする、もう、ダメだったんだよ、すでに。でもオレ、平和な世界のつくりかた、知ってるよ」
 彼は、狂気のように呟いている。
「教育さ!人間は、人間をつくった。人間をつくった人間が、さらに、人間の道筋をつくれないわけがない。戦争をしない。争いを、しない。これだけ。これだけでいいんだよ、あとのことは、ぜんぶナシ。ナッシング、無、絶無皆無、何もなかった!でも、ムリなんだな。どうしたって、競争、しちゃうんだな。絶対対立、対立、敵対、しないわけがない。そして絶対が無いところまで、誰一人、行けやしないのだ」
 あっけない。終わったらしい。そう、こいつ、吐けたからだ。心情吐露、したからだ。ばかげた吐露!自分のことしか、考えちゃいない。
 わたしは知っている、こいつは、いつも、こうなのだ。一気に下降し、また一気に上昇する。中庸を、保つことを知らないのだ。そうして『愛』だの何だのに甘え、自己憐憫、お得意の、自己愛にまみれてさ。何が『恋まみれ』だ。
 ま、いっか。生きてりゃ、いいわ。10年、一緒に暮らせば、もう、わかったことよ。
 もっと、ばかになろうよね。ばかになったもん勝ちだよ。勝ちかどうかなんか、知らないけどさ。一緒にいると、楽しいよ。ひとりよりは… ひとりよりは、ね。
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