恋遍路19.彼の場合

文字数 1,127文字

 ぼくは、恋人と一緒に暮らしている。でも、彼女は寝たきりだ。
 去年の夏、突然彼女はそうなった。医者に連れて行こうとしたけれど、彼女はひどく首を振った。「病院は、病気をつくるから」「医者なんて大キライ」と。
 で、ぼくは布団を敷いて、彼女をやすませた。
 それ以来、ずっと寝たきりなんだ。ものを、しゃべれない。自分で、物を食べれない。もちろんトイレにも行けない。ぼくがぜんぶ、世話をしている。

 一緒に暮らし始めて、今年で8年になる。大学の、舞踏サークルで出会ったんだ。初めて一緒に踊った時、とても波長が合って、同じリズムで呼吸しているようだった。すぐ恋人になって、一緒に暮らし始めたんだ。
 明るい、素敵な娘だったよ。きりっとしているんだけど、やわらかそうで、微笑む口元が素敵だった。
「愛してる」とか「好きだ」とか、そんな言葉も要らなかった。ポチャッと、ふたり、恋の池に落ちちゃった。

 ふたりして、よく抱き合ったものさ。若い男と女がやることなんて、みんな同じだからね。でも、もう何もないよ。会話もない。ぼくはただ、朝、昼、晩と、ご飯をつくって、彼女に食べてもらう。スプーンを口に当てると、開いてくれる。ぼくはそっと、口に入れる。彼女が咀嚼する。美味しいとも不味いとも言わない。でも、ぼくには分かるんだ、美味しかったか、不味かったかが。
 彼女が、今どんな音楽を聴きたいかも、どんな話を聞きたいかも分かる。そのたびに、ぼくはそのCDをかけてあげたり、さっきノラ猫が日向ぼっこしていたよ、と聞かせてあげるんだ。

 お風呂は、ぼくが担いで、入れてあげる。(よこしま)な心もわかないよ、生きていてくれて、ありがとう、としか思えない。だから、ほんとうに愛しい気持ちで、そっと肩を抱きしめたりする。
 おしゃべりしなくても、笑い合わなくても、いいんだよ。だって、好きになったふたりどうしで、一緒に暮らすことができているんだから。
 でも、世間の常識は通用しないらしい。「なんで医者にみせない」って言ってくる。そういう友人知人とは、縁を切ったよ。親ともね。

 一日一日、ぼくら、精一杯、生きているのさ。初めてだよ、こんなふうに生きてるの。外で車椅子を押していると、近所の図々しいおばさんが「まだ若いのに」なんて言ってくるけど、歳の取り方なんて、一人一人違うよね。彼女は突然、100歳くらいになったんだ。ぼくは彼女と、ずっと一緒にいるよ。
 うん、バイトにも行かないし、介護者を雇うこともない。貯金がなくなったら、それまでのことさ。残された時間、ぼくら、ずっとこのまま暮らすのさ。残された時間── 生きている以上、みんな、残された時間を生きてるんだろうけれど。ぼくら、死ぬまで、ほんとに一緒なんだよ。
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