恋遍路7.ある女の話

文字数 2,109文字

 わたしのどこが好きなの?って彼に聞いてみたんだけど、「全部」とか「そのままの君」なんて言葉しか返ってこないものだから、ずいぶん難しいところを好きになる人なんだなぁ、って思ったの。

 全部。そのままの君。

 わたしには、全然わからない。
 そのままのわたしなんて、彼の前では、あり得ない。
 彼の前では、彼のことを意識する。
 彼に嫌われないように振る舞ったり、気まずくならないために、明るい話題選んだり、けっこう気を使ってくたくたになったりしてるのよ。

 そのままの自分、ありのままの自分なんて、誰か人のいる前では、できっこない。

 そのままっていうのはね、手つかずの朝の空気、生まれたばかりの赤ン坊、上から下へ流れる川、自転する地球、上る月、沈む太陽。
 無心。無心、無心であることが、そのまんまってことなのよ。
 わたしが無心でいられるとしたら、痴呆状態になるしかない。

 わたしは、確証が欲しいのよ。確かなもの、確かなものは、きっと永遠性、普遍性、ずっとずーっと続くもの、そんなものを、わたしは彼に求めてる。

「全部。君の、全部が好き」
 全部だなんて、全部っていうからには、限界があるわ。
 そんなこと言われたら、わたし宇宙になった気になる。
 あぁこれがわたしの果てかな、とか、あらこんなところに星もいたのね、って。
 わたしはわたしの全部も知らないのに、彼にそれを知られるなんて、癪に障るわ。

 むかしテレビで「あたしのどこが好き?」って男に聞いて、男がぶっきらぼうに「カラダ」って答えた後、女友達に、「ねぇ、あたしの彼ねぇ、あたしのカラダ、好きなんだってぇ」って自慢げに話す、エステのコマーシャルやってたけれども、そうよねぇ、体だけ好き、って言ってくれたら、わたしも体を目的に生きれるってもんよ。
 そのまま、全部、なんて、わたし、何もしなくて済んじゃうじゃない。

 若年性アルツハイマーになったわたしの体を求めて、夜ごと病院に見舞い、夫婦という社会認可のもと、避妊用具つけてイトナミやって、彼がふと、「おれは、こいつの体だけ求めてる。いけない、こんなんじゃ」なんて反省し始めたら、しめたものよ。
 彼、自分の中でバランス保つために、「精神的にも、こいつを愛さなくちゃ」って本気で考え始めると思うの。
 そうして初めて、白痴で無心のわたしを、ただそこにいるだけのそのままのわたしを、彼は好きになってくれると思うの。

 彼は、こいつの体だけ求める自分は何なんだって葛藤し、悶え苦しみながら、ずっとずーっとわたしのことを愛し続けるの。
 これが、わたしの求める、愛の姿。
 愛? 愛、愛もよくわからない。
 ただ「好き」なだけなのに、それじゃあまりにも幼稚だ、何かいい額縁はないか、おおー、あった、愛だ、愛、って狂った化学者みたいな人が、「好き」を「愛」にあてはめただけなんじゃないかしら。
 責任? 責任もよくわからない。
 こないだ育児カウンセリングの先生からね、「あなたは親としての責任を果たしていますか」って聞かれて、「あの、責任って、何でしょう」って聞き返したの。
 そんなこともわからんのか、って感じであきれた顔されちゃった。

 親としての責任を果たしていますか。こんなこと聞かれて、「ハイ、果たしています」なんて答えられる人って、どんな人なのかしら。
 わたしは、そんな人、信じない。
 仕事で何かミスして、「どう責任とってくれるんだ、ええッ」って、ハゲたアブラ男が部下を怒鳴りつける場面、テレビで見たことあるけれど、あれも単なる男のヒステリーよね。
 責任なんてたいそうな言葉使って、自分の思い通りにならなかった腹いせに、ただ部下に当たってるだけ。

 愛だとか責任だとか、ちゃんちゃらおかしい。

「人に迷惑をかけるな」
 親が子どもに当然のように言い聞かせている。これもとんでもない要求よねぇ。
「おまえは死ね」って言ってるのと、同じことよ。
 人に迷惑かけないで生きるなんて、どうやったらできるのよ。
 わたしの子どもの通う学校の玄関に、「明るく、ねばり強い、元気な子ども」って校訓みたいなのが書かれてあって、わたし、これを見た時、泣きそうになったわ。
 暗く、あきらめやすく、病気がちな子どもが、わたし、急にいとしくなった。

 あいさつ運動、明るく元気な職場にしよう、なんて垂れ幕が、わたしの勤めてた職場にもあったわ。
 明るく、元気なことばかり美化して、わたし、そんな人ばかりがこの世にあふれ出したら、気が狂いそう。

 マトモもわからない。常識も知らない。
 でも、ほんとは知ってるの。
 人には、幻想が必要だということよ。

 わたし、彼にとって、特別な存在であり続けたいの。
 この世でたったひとりだけ、わたしだけを、ほかのやつらとは違う、特別な存在として見ていてほしいの。
 でも彼ったらね、友達とか誰かからの電話では嬉々としてしゃべってるくせに、わたしの前では、いつも気難しい顔してるのよ。
 なんでわたしと結婚したの、って聞いたら、「好きだったから」
 そして、わたしのどこが好きなの、って聞いたら、「全部。そのままの君」だって。精一杯そうに言う。
 まったく、つまらない。
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