恋遍路15.花火の時間

文字数 1,003文字

 彼は、自分勝手な男だった。彼女も、自分勝手な女だった。
 彼は今日、定刻通りに職場から帰宅し、「これから花火があがる」と言った。近くの山で、花火が。ふたりの住む家の二階から、その花火はよく見えるのだ。
 彼女は、「あ、そうなんだ」と言って、焼いていた餃子を蒸す段階に入った。チャーハンも作り、わかめスープも暖めた。
「二階に行ってるね」と彼は言った。彼女は、うん、と応えた。
 できあがった料理を、食卓に置く。だが、彼はずっと降りてこない。
「できたよー」階段下から、彼女は彼を呼んだ。「はーい」と声がした。

 何してんだ、まったく… 彼女はひとり不平を言った。数分、待ったが、一向に降りて来る気配がない。業を煮やし、彼女は二階に上がった。
 真っ暗だった。「何してんの、冷めちゃうよ」いらいらしながら、言った。
 彼は、窓辺に立って、花火のあがる方向を見ている。「うん… 年に、一回だからさ」

 彼女は、しょんぼりしながら階段を下りた。湯気のたったスープ、餃子が冷めていく。構うものか、構うものか。自分の部屋のフスマを閉め、閉じこもった。泣きそうだった。
 ドン、ドン、と花火のあがる音がする。コロナの影響もあって、例年は30分あがる花火が、今年は5分ほどで終わった。
 彼が階段から降りてきて、「いただきまーす」とフスマに声をかけた。「はーい」と彼女の声が応えた。
 もう、冷め切っているだろう。私が悪いのだ。花火のことなんかより、自分の料理に夢中になった、私が悪いのだ。

 彼は彼で、せっかく彼女が、自分の帰宅時間に合わせて作ってくれた料理より、花火を見たい自分を優先させたことに、責任を感じている。
 彼女は彼女で「自分が悪いのだ」と思い、彼は彼で「自分が悪かった」と思っている。
 そして時間が、もし戻ったとしても、彼女は自分が料理に熱中していただろうことを思う。
 彼は彼で、もし時間が戻っても、花火を見たい自分を抑え切れなかっただろうと思う。

 彼は、ひとり食べ終えた食器を洗った。彼女は、引きこもったままである。もともと、寝室は別々だった。夜になり、「おやすみ」と言い、彼女は彼女の寝室へ。彼も、自然そうに「おやすみ」を言った。「餃子、美味しかった」を付け加えて。
 彼らには、「ごめんなさい」「いいよいいよ」の会話もなかった。これからも、この身勝手な自分自身とつきあい、ふたりで生活をして行くだろうことを知っていたから。 
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