恋遍路6.彼の場合

文字数 1,414文字

 ひねくれた人間もある。それも、こちらの思い通りにならないから、「ひねくれている」、あるいは「普通は」という、れいの常識を持ってきて、したり顔にマウントをとる、わたしがいるからだ。
 こういった手合いには、生来の性質にかてて加えて、その親との関係、ベタな言い方をすれば「厳しい、厳格な親」のもとに育った経歴の持ち主が、わたしの出逢ってきた異性には多く見られる。素直に、その親と対峙した者は、まだ歪んでいないが、その親に内心で憎悪にも似た感情を抱き、その屈折したままに成長した場合、素直な率直さがあさっての方向へ向かう人間を、少ない人生経験のあいだによく見てきた。
 しかもその親の「威厳」たるや、またみみっちいもので、立派な家を建てたとか、どこぞの地区の都市開発の重責な現場統括者であったとか、単なる個人史をひけらかす類いのものを背景に置き、たまたまそこにおさまったショットを後生大事に遺影にしているだけである。
 そのような親に、本質的に本質を見抜く直観力を備えた子どもが、反発するのは、ある意味健気な、正しい反発ではある。だが、その反発心が、自分自身に向かう場合、そのとばっちりを受けるのは周囲の、しかも近しくなればなるだけ、その手榴弾をこまめに浴びることになる。

 このような相手の場合、外でつきあう程度で済ませ、けっして家に、心の内にも、あがらせてはならない。こちらが戸惑うばかりで、大変なことになる。外側でつきあうぶんには、ちょうどいい。むしろ、悪くない。
 わたしは、この手のタイプとも交流を保っているが、何かとスレ違いが多い。こちらが思っている、感じていることの100%、逆の捉え方をしている。「逆で、違っていて当然だろう」とまで言う。「ひとりひとり、違うんだから」と。
 ここまで開き直られると、(しかも、どこまでもそれが

だろう、と開き直る意識さえなく)もう、お手上げである。歩み寄れない。だが、そこまで突っ走られると、逆にこちらが、自制が利いて妙に

となれる。まことに思い込みの激しい人間は、思い込んでいる自分にすら気づかない。その無自覚さが、こちらに、そちらへ入り込むはじめの一歩さえ奪うのだ。
 だからわたしは彼を外におく。そこで、ダンスを踊る。彼に合わせ、彼のステップで、愛好を崩し、お酒でもあればさらによい。

 この彼が先日、わたしを好きだと言ってきた。わたしは彼を、内に入れない。だから彼と会っている時、ふたりでいながら、あからさまにわたしは「ひとり」だ。孤独なもの同士、と、彼はわたしの心情を判断した。ひとりどうしだから、恋をしよう。ふたりになれる、絶好のチャンス。わたしは彼の、強い意志を感じた。ああ、意志とは思い込みである! そして恋は誤解なのだということも、わたしはその一瞬に感知した。
 もちろん、わたしは彼を愛している。彼の誤解も思い込みも、わたしは許しているからだ。
「いいじゃないの、もう、わたしはあなたを愛してるんだから」
「いや、うん、でも、あの…」彼は眩しそうにわたしを見る。その眼のふちには、憎しみもこもっている。うっすら、涙さえ溜めている。
 何が問題だというのだろう! 問題など、問題にしなければ何の問題にもならないのに。苦しみを、自分でつくって、せっせと愛玩して、自分で育てて大輪の花でも咲かせようというのかしら。くだらないと思う。そのくだらなさに、真剣になっている彼を、わたしは好きだ。
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