あとがき

文字数 2,788文字

   あとがき

 この作品は「フィクションの抑止力」を積極的に利用しようとの意図を持って執筆しました。現実社会に見られるさまざまな負の兆候を強調しつつ、それらが至る最悪ケースを架空の世界として描いてみました。この悪夢の物語を読まれた皆さんの中で、そんな事態を抑止して避けようとする方々が、少しは増えていただきたいと考えた方針でした。
 執筆に当たって、小説という形式を選んだのには理由がありました。通常の経済書形式では、項目ごとの章立て構成とならざるをえません。すると破綻のダイナミズムを描くためには、表現が静的すぎて、迫力が出ないという問題を強く感じました。
 日本の財政破綻は、日本経済というあまりにも巨大で有機的なシステムの崩壊であり、歴史上ただ一回の現象です。しかもいまだ起こっていないため、一種の「未来学」の対象だと考えました。未来学の主要で強力な表現法は、小松左京氏の『日本沈没』や、堺屋太一氏の『油断!』に類比する小説形式だと考えました。
 流行り言葉を使えば、「メタバース」という仮想空間的な表現法ともいえるでしょう。「参加性」や「没入感」を強く感じていただけますので、書籍分野でも今後の有望な表現手法です。マーシャル・マクルーハンによるメディア論まで遡るなら、メタバースは「クール」だと位置づけられます。
 表には出しませんでしたが、この作品の底流には、ノーベル経済学賞学者ケネス・アローの一つの定理があるつもりです。「民主的な決定によって、最悪の結論が導かれることがある」というのがその定理です。難解な数学によって証明されています。
 人類は民主的決定によって、戦争に突入してしまうことがあります。国の借金も「そのぐらいは大丈夫だろう」と積み重ねるうちに、戻れぬ隘路へと迷い込みます。私はこの重要な数学理論を「破綻の定理」と呼んでもよいほどだと思います。
 そんな本作品を、私の過去作品から補足させていただきますと、採用した枠組みは、二〇一五年に刊行した逢沢明名義『金融パニック』(かんき出版)で提案したものでした。どんな形で採り入れたかをここで書くと、あとがきだけを先に読む方へのネタバレになりますので、ご興味のある方は両書を比較なさってみてください。
 さらに第七章で素材にした「正味のGDP」も既出で、翌年の逢沢明名義『21世紀の経済学』(かんき出版)にそのグラフを掲載しています。二〇一五年に推算したものでした。
 またご注意申し上げておきますと、本文中で「対偶」に言及した部分が一箇所あります。ほとんどの方は読み過ごされたでしょうが、対偶の表現が少々変でした。それは論理学に付随する困った問題のせいでした。
 例として、「叱られないと、勉強しない」の対偶を求めましょう。初歩の論理学では「勉強すると、叱られる」になってしまい、常識とかけ離れた結果となってしまいます。
 原因は、伝統的な論理学には「時間」という概念が入っていないからだとされています。時間的には「叱られる」が先で、「勉強する」が後です。しかし単純に対偶を作成すると、時間の前後関係が崩れてしまうのです。
 対策としては、やや変則的な対偶表現を用いるのが適切だということになります。「勉強するのは、叱られるからだ」といった表現です。
 一九八〇年代、日本では「第五世代コンピュータ」という国家プロジェクトが推進され、初期の目標予算額は一千億円級の巨大計画でした。しかしうまくいかず、最終的に五百七十億円で終わりました。
 そのプロジェクトでは「自動推論マシン」の開発がメインテーマにされました。しかしこれしきの対偶問題にさえ対処できない仕組みにすぎませんでした。そのまま推論を進めれば、論理がたちまち破綻するのが必定でした。当時から日本の国家政策は、ボタンの掛け違いがかなり多くなっていたようです。
 対するに、「チャットGPT(ChatGPT)」という、自動応答で文章生成を行う人工知能をウェブ上で試用されてみれば、皆さんは驚かれることでしょう。日本語で応答してくれますし、現在は無料です。
 この原稿を書いている時点では、すでに千億円以上の予算が投じられましたが、まだ内部の知識データベースが不足していて開発段階です。しかし私はその文章力をとっくに「司法試験の合格者レベル」と評価しています。東大・京大の合格者よりもかなり上でしょう。
 そのチャットGPTで、先ほどの対偶問題をさまざまな観点から尋ねてみると、対偶に付随する難点を避けて回答し続けます。完全に正しい答えにまでは至りませんが、論理破綻を必死で回避しますから、開発者たちは只者でないようです。
 その資金を主に拠出しているのはマイクロソフト社です。やがて一兆円を上回る開発費を投入するものと想定されています。グーグルなども対抗するシステムで競っています。
 おそらく二〇三〇年までには、高い創造性を求めない頭脳労働なら、その多くが代替可能になることでしょう。弁護士業などの法曹業界まで含みそうです。もし医師の国家試験で満点を取ったりすれば、社会に激震が走るはずです。計り知れないほどの経済効果を生み出しそうですが、大変な失業問題もまた発生する恐れがあります。
 しかし海外で急速に進んでいる新たな技術革命に比して、日本政府は相変わらず「二位じゃ駄目のスパコン」程度の発想しか持ててこなかったようです。それでは一九七〇年代のテーマと同レベルです。借金まみれの日本の前途は、旧態依然のままが続いています。
 振り返りますと、私が最初に「日本危機」に警鐘を発する書籍を刊行したのは、バブル経済の頂点である一九九〇年初頭でした(光文社カッパ・サイエンス刊)。その後、日本政府は「失われた数十年」を無為に繰り返してきて、いまだに目が覚めぬ政治状況を嘆かわしく感じる限りです。
 なおこの作品では、最後は世界規模の非常に大きなパラダイム転換――そんな可能性に触れつつ終えてみました。伏線を張ったり、どんでん返しを多用したりと、通常の小説スタイルを取りましたが、エピローグまでお読みいただければ、文明小説としていろいろ重要なメッセージを盛り込んだ、とみなしていただけるかもしれません。
 末筆ながら、どんでん返しや逆転の発想のために用いた「弁証法」に関しては、長年の畏友、平賀章三氏の明快かつ重要な数々のご教示に感謝しています。彼は弁証法の名人です。
 も
し読者の皆さんがこの小説をきっかけに、いろいろ将来のことなどをお考えいただけましたら幸いに存じます。私ごときよりも、遥かに素晴らしいことを思いついてくださる方々が、きっと若い皆さんにもたくさんおられるものと期待しています。

   二〇二三年六月
                                    永生未来
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