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文字数 2,487文字

 しかも塚本の自信をさらに萎ませる事件が、マスコミを急に賑わすことになった。財務省での会議が行われる前日で、素人の彼にとって、それは日本国債を破綻させる重大な引き金になるのでは、と予期したくなるほど不安を掻き立てるニュースだった。
「岐阜のきらめき銀行だ。取り付け騒ぎが起こってるそうだぞ!」
 研究室へ戻ってきた虎谷が、どこで聞きつけたのか、開口一番、塚本に向かって叫んだのだ。
「えっ、取り付け騒ぎですか!」
「いよいよ日本経済が破綻するんじゃないのか?」
 虎谷の言は、塚本と同様に拙い素人考えにすぎなかろうが、同じ研究室のメンバーたちも不安げに彼の方を振り返った。
「そんなに簡単には破綻しないでしょう」
 塚本は眉を八の字に歪めつつも、努めて平静を装った見方を返した。そう答えた理由はごく単純だった。彼自身がまだ日本政府の財政状況などほとんど理解していなかったからだ。ここで破綻の議論に巻き込まれようものなら、彼の無知蒙昧ぶりがこの研究室でさらけ出されかねない。ごくごく個人的な詰まらぬ理由で議論を避けようとしただけだった。
「あんまり心配しないでいいか。ま、そういうとこかもしれんな」
 虎谷は普段から楽天家的な傾向が強いから、あっさりと心配無用に流れてしまった。塚本はほっと息をつきながら言った。
「きらめき銀行ですか。ちょっと早昼をして調べてきますよ。食堂に行けば、テレビがありますし」
 もし真に危機的なら、今にも財務省から緊急招集がかかって、彼は財務省内に缶詰めにされかねない。委員を気軽に引き受けたつもりが、全くの予定外ではないか。
 まだ人の少ない職員食堂で、彼は簡単なカレーライスを注文して、テレビの見える席に着いた。午前のワイドショー番組をやっていたが、芸能人ニュースにすぎなかった。
 彼のスマホは、ワンセグテレビ放送の受信機能が付いているという希少機種だったから、各局をスキャンしてみた。しかし特にそれらしい放送をしている局はない。
「きらめき銀行……か」
 検索してみると、主に岐阜県を地盤とする地方銀行である。取り付け騒動の報道はまだないが、最近、外国債券の運用で身の丈に合わない損失を出したという記事があった。自己資本比率が金融庁の規定に抵触しかねないとの臆測が書かれていた。経営不安がやや大きな地銀の一つのようだ。
「外債か……。アメリカの連続利上げで、外債が値下がり……ねえ」
 ところがここで塚本自身はチンプンカンプンになった。彼は経済系の人間ではないし、利上げで外債が値下がりという因果関係がまずわからない。
 ちょっと調べてみれば、簡単な話にすぎなかった。利上げ後の新発債券は、過去に発行された債券よりも利息を余分に貰える。過去の債券は受取利息の面で不利になり、利息の差額だけ値下がりするというのが理由だった。
「だから経営不安か……」
 きらめき銀行が倒産するかもしれない――。おそらくそんな観測がインターネットで出回り始め、突然、取り付け騒ぎに発展したということだろう。
 では本当に倒産するかどうかは、塚本ごときには判断のしようもない。考え込んでいるうちに、テレビのワイドショーでその騒ぎの映像が流され始めた。
「今朝ほどから岐阜県内のきらめき銀行で、取り付け騒ぎの起こっている一部支店があるとの情報が伝えられています。金融庁では急ぎ正確な状況を調査しているところです」
 映像ではきらめき銀行の入り口に長蛇の列ができている光景が映し出された。確かにその様子はかなり異常に見えるが、個人情報に配慮するせいか、顔つきがわからないように背後からのアングルだ。
「いやあ、大変そうですね。皆さん、ご心配でしょう。預金は全額保護されるのでしょうか。阿佐谷(あさがや)財務大臣がまもなく記者会見するという情報が届いています」
 メインキャスターに促され、時間繋ぎのためだろうか、コメンテーターたちがきらめき銀行の経営状況などについて語り始めた。彼らが事情通なのか、テレビ局が用意したコメントを述べさせられているだけかはわからないが、外債などの運用損失が膨らんだために、銀行経営が一部で不安視され始めたのではないかと述べている。
 インターネットで過去記事を調べたとおりだが、さらに本日の株式市場では、きらめき銀行はストップ安の売り商状だというコメントも流れた。正確な情報を周知させるため、すでに売買が一時的に停止されたとのことである。
「おそらく大丈夫でしょう」
 とコメンテーターの一人が述べ、他のコメンテーターたちもそれに賛同を示した。こういうときに彼らは「極めて危ない」などとけっして言わない。無用な不安を煽ることはテレビ局にとっては重大なタブーなのだ。
 程なく阿佐谷大臣の記者会見の映像が映し出された。彼はいつも口元を歪めているが、その表情は自信たっぷりで、不安感を微塵も感じさせるものではなかった。この老獪な大臣の発言を要約すれば、それはたった一言で済ませられるものだった。
「預金は全額保護される――ということですな」
 彼は幾つか質問を受けたが、該当行の経営状況については調査中であるが、救済策はいろいろあり、心配は全くないと言明した。ただし具体策は検討中だと触れなかった。
 コメンテーターたちは番組中で、政府が行いうる方策について、幾つかの可能性に言及した。預金保険機構を利用すれば、一人当たり一千万円までとその利息しか保護されないが、「全額保護」と財務大臣が断言したために、その可能性はひとまず排除された。
「政府による『公的資金注入』か、他行による『救済合併』の可能性が高いということでしょう。預金者は全く心配に及ばないと考えられます」
 塚本もその意見をおおよそ理解できた。急な取り付け騒動だったが、どうやら金融業界における大事件には発展しないらしかった。だから研究室に戻って虎谷たちにも〝大山鳴動〟クラスではないと報告できた。
 それで一安心のつもりだったが、その夜、さらなる不安を掻き立てるニュースが、この騒ぎの周辺で湧き起こっていた。それは塚本自身も予想していなかったものだった。
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