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文字数 4,219文字

 続いて近藤は地上の星たちに簡単な自己紹介を求めた。メンバーリストは五十音順になっていて、席順もそのとおりだった。すぐには名前を覚えられそうにないが、どんな人たちが来ているかには興味をそそられた。
 ところが急拵えの寄り合い所帯とは困ったもので、二人ほどまだ来ていない。会議として最初から前途多難そうである。世話係の女性が取り繕うことには、農水研の藤川氏はもうすぐ到着するはずとのことだが、最初に挨拶すべき国土研の赤沢氏は何も連絡がないままだった。
 そんな訳で二番目となる男性が立ち上がった。色白で頬がうっすらと赤く、やや肥満気味の少年のような風貌だった。髪型も少年そのままといった感じで、おそらくこの場では最年少だ。ただ物腰からしてそれなりに育ちのよさそうな印象を与えていた。
「厚生労働省、社会保障問題研究所の井手(いで)路也(みちや)です」
 滑舌がよくて、響きのある高音だった。合唱団でテノールでもやっていたのかと思いたくなるように、発声の呼吸法がいいのだ。若いけれども、しっかりした人のようである。
「特に年金問題など社会保障の今後について心配しています。お年寄りの社会保障を削れば、若い世代が将来、自分が高齢者となったときにも、少ない社会保障しか受けられません。そんな困った問題などを中心に議論していきたいと思います」
 年寄りの社会保障が若い世代の重い負担になっていて、そこに世代間闘争といった潜在的な問題が起こっている。しかし年寄りの福祉を削れば、それは将来的に若者が自分の首を絞める行為として跳ね返ってくるというのだ。なかなか難しい問題を考えているものである。
 近藤座長がコメントするには、〝本店〟の審議会では常に社会保障が第一の槍玉に挙げられているとのことだ。しかし霞が関側は削りたいが、永田町の政治家たちは「それでは選挙に負ける」と、けっして首を縦に振りたがらない。
「この先でいろいろ検討していきましょう」
 近藤座長はどんどん自己紹介を促した。
「では、続きまして、岩淵(いわぶち)修司(しゅうじ)と申します。独法の経済産業研究所から来ました。かつてのアメリカの大恐慌や、国内の中小企業問題などに興味を持っています」
 独法とは独立行政法人のことで、彼の所属する研究所は経産省の所管である。四十過ぎぐらいだろうか、坊主頭なのが珍しく、性格がいかにも謹厳実直という感じだ。経産省は大恐慌当時のアメリカの状況などを知る人物を送り込んできたようだ。
 彼が雇用問題などに触れかけたところで、遅刻者が飛び込んできて、農水研の藤川だと名乗った。岩淵の話はちょっとうやむや気味になったが、キーワードだけは理解できた。
 席の並びからいうと、次の精悍な風貌の人物の前にはネームプレートがなかった。近藤はその人物を飛ばして、さらに隣の側に自己紹介を促した。年季の入った五十代かという小柄気味の男性だった。
「私だけは日本橋から来ました。日銀の金融政策研究所に属する全田(ぜんだ)寛治(かんじ)です。日銀がいかにしてこの日本の金融、経済、国民生活などを守るかという点を中心に、これから議論していきたい所存です」
 なるほどこのプロジェクトに日銀の意見が反映されないことには片手落ちだから、こういう人が参加してくれるべきだろう。
 オクノミクスの「三つの的」という目標は、その第一が「大胆な金融政策」であり、日銀が一手に取り仕切っているものである。ヨクノミクスやアクノミクス、そしてゼニノミクスなどと批判されつつ、長らく株価バブルの様相を呈してきたのだから、その意見をぜひ傾聴したいものである。
 全田氏は近藤座長とは旧知の間柄であるらしく、「またよろしく」といった二、三のやり取りがあった。
 そして塚本は自身の番が回ってきたので、緊張気味に立ち上がった。あがりやすい性分でややはにかんだ表情を見せていた。
「隣の文部科学省、科学政策研究所の塚本悠生です。財政問題は素人でして、行動科学といいますか、人間がどう行動するかを先読みしようという研究をしています。相手がこう来たら、自分はこう対抗するなど、将棋などのゲームとも精神は同じです。ただ現実の社会では大多数の参加者が泥沼にはまることがありまして、それをどう切り抜けるかを考えなければなりません」
 そう述べたところで近藤から質問が来た。
「参加者が泥沼にはまる、とはどういう意味でしょうか?」
「はい」と塚本は即座に返した。
「相手から悪口を言われたら、言い返すほうが、我慢するより自分の得点が高いといった考え方です。そんな言い合いをしているうちに、殴ってやるほうが得点が高いと考える。やがては相手を殺したほうがましだとなって、殺し合いにまで発展する。それが泥沼の展開でして、国同士でもたまに起こります」
「なるほど、戦争が始まるんですな」
「はい、国の借金の場合も同様でして、このぐらいは数年のうちに返せるから、今は借金を増やして使おうと考える。しかし数年先にも借金を返さなくて、じゃ、それは次の政権に回して、今はさらに借金を積み増して大盤振る舞いをしよう。そうすれば政権の支持率が上がるじゃないか。そんな繰り返しが破綻するまで続きかねません」
「それを止めることはできますかね?」
「止める方法がなくはないだろうと思います。それをこれから議論していくつもりです」
 そう言葉にした途端、塚本は心の中では「しまった!」とひどく後悔していた。緊張して口走ったにすぎなかったのだが、「止める方法」など彼にはまだ全く成算がないままだったのだ。やがて大恥を掻くかを危ぶみつつも、彼ははにかみ気味の表情を座に返して着席した。
 そこで次の女性参加者が立ち上がった。口角を上げた笑顔のつくり方が上手で、まだ若そうだった。喋るのが得意なようで、声はごく聞き取りやすかった。
「内閣府の経済社会研究所から来ました。真須美と呼んでください。フルネームを言っても、名前が真須美だってよく間違えられるんです」
 ちょっとあっけに取られたが、ネームリストを見ると、「名和(なわ)真須美(ますみ)」と載っている。どうやら「名は真須美」だと聞き違えられるらしい。
「夫婦別姓の時代が来たら、名和だって名乗れるんですけど、女はまだ下の名前で一生通すほうがよさそうなんです。そんな社会がどう変わっていきそうか、いくべきかっていう社会変化を研究テーマにしています」
 印象としては、もし宝塚歌劇なら娘役でも男役でもこなせそうというか、いや、むしろ女剣士だという雰囲気ぐらいが強いのかもしれない。ここの委員で女性は彼女だけだが、かなりユニークな人のようだ。しかもたった一人であっても、一瞬にしてこの会議の場を、男女平等をホームポジションとする位置にシフトさせてしまいかねないような、しごく元気さを感じる人だった。
 個性が豊かそうな女性による自己紹介があって、座がやや和んだところで、顎の張った男性が交代した。年齢は四十前ぐらいかもしれないが、年を経るにつれて古狸になっていきそうな容貌だった。
「農水政策研究所の藤川(ふじかわ)善隆(よしたか)でございます。ご存じのように、食料安全保障という問題はわが国で最優先となるべき生命線でございます。特に為替問題が重要でして、農産物の内外価格差などを含めまして、この場でいろいろ考えていきたいと存じます」
 農業人口は大きく減少したのに、いまだに地方選出の伝統的な農林族議員が多くて、かつ幅を利かせている。「最優先」という言葉を入れ込んだところに、藤川の陰の意図を予感しないでもなかったが、そのような視点がこの場に持ち込まれないことには、日本の財政破綻危機をまともに論じえないことも感じられた。
 実際、やがて起こる破綻危機は、食料安全保障問題を核心にして、思いがけないきっかけで惹起されることになるのだ。しかし塚本も今はまだその微かな予兆や、ましてや破綻危機が襲う思いがけないルートさえ感得することができなかった。
 座のメンバーをほぼ一巡したところで、近藤座長がさらに付け加えた。
「今回の検討では、防衛省からオブザーバーをお一人加えさせていただいています。議論には加わっていただきませんが、自己紹介だけをお願いします」
 先ほど一人だけ飛ばされた人物が、座ったままで軽く会釈をした。
「防衛省の清水(しみず)です」
 たったそれだけで挨拶は終わったようだった。メンバーリストに名前の記載はない。坊主頭の岩淵がやや怪訝そうな顔をして尋ね返した。
「防衛省のどちらの部署でしょう?」
「防衛省を代表してオブザーバー参加させていただいているとお考えください」
 背筋がまっすぐ伸びて精悍というべき体型の清水は、それ以上は皆目述べるつもりがない様子だった。
 塚本は彼と一瞬、目が合った。ありふれた比喩だが、鷹を思わせるような視線だった。塚本自身はなにがしかの不安を感じて、テーブルの下でそっとスマホを取り出し、位置情報を追跡するGPSの設定をオフに切り替えた。
 清水は防衛研究所の研究員などではなさそうな印象だった。後で防衛省の組織図を見たところでは、もしや情報本部といった組織の所属かもしれなかった。
 情報本部という名称はごく素っ気ないが、人員が二千人近くて、わが国最大の情報機関と豪語している部署である。英語名が「国防諜報司令部」とも翻訳できるから、とんでもない秘密機関だ。性質上、公安警察程度の比ではないのである。
 もしや彼はそんな諜報機関から来たのか? 力関係で誰かがここに押し込めたのだろうか? 研究所は強い立場にはないのだが、この会議自体は監視すべき程度に重要性を認識されているのだろうか?
 そんな不安を抱いたとき、塚本はスマホにメールが二件届いていることにも気づいた。
 真須美さんからはごく短い文面だった。
「メール開通しました。LINESのお友だちにご招待します」
 同じく井手君からも似たような短いメールだった。
「よろしくお願いします。LINESも開通いただけたら幸いです」
 いずれも表示されたリンクをタップして、友だちに追加した。LINESで連絡し合うと、無料でビデオ通話まで利用できるから便利だ。
 その間に近藤座長はもう一人の女性に自己紹介を促していた。
「この会のお世話をさせていただく補佐員の長田(ながた)祐子(ゆうこ)です。よろしくお願いします」
 四十代だろうか、背が高くて誠実そうな女性だった。おそらく非正規職員だろうが、この研究所で長く働いてきたかと推測された。

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