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文字数 6,708文字

 定例の会議室を訪れて、塚本はさすがに驚いた。元はスペースが余り気味だったが、壁際三方には、テーブル付きの折り畳み椅子がずらりと並び、オブザーバーと思しき官僚たちがすでに何人も座っていた。細々と運営されてきた会議が、〝本店〟に認められるや、こんな変貌を遂げるらしい。
 正面では真須美が開会を待ち受けていた。普段の彼女は自由な感じの服装が多いのだが、今日は飛び切りの真紅のスーツに身を包み、その鮮やかさが目に染み入らんばかりではないか。
 近藤は素知らぬ顔で準備中だが、真須美に発表させるのは彼の人選だった。真須美もまた塚本を一顧だにしない。厳正かつ〝本店〟並みの会議を装っているのだ。
 さらに驚いたのは、国交省の赤沢が塚本に続いて入ってきたことだった。いつも欠席だらけだったが、今日は常連のような顔をして、見知ったオブザーバーたちにも目礼を送っている。
 全員が揃った会議になりそうだった。清水もまた、それが既得権益というべきか、普段どおり会議のメンバーたちと同じく席を並べていた。
 真須美の今日のテーマは「構造変革の検証とその可能性」と題されたものだった。近藤の助言を受けて選んだ研究である。
 構造変革といえば、ほぼ二十年前の今泉政権を思い浮かべるが、真須美の行う発表はその検証が中心となっていた。
 意外なことにも、「財政健全化を推進したら、景気が良くなった」というパラドックスめいた発表なのだ。今泉改革はその後どんどん忘却の彼方に置き去りにされ、真逆の政策ばかりが主体となったが、今一度振り返ってみようという意図である。
 現実のデータに裏付けられた発表であるし、多数の省庁からのオブザーバーたちにとっても無難な内容である。ほぼ順風の数時間が保証されていた。
 しかし実のところ、座学という穏やかな形式は、ついにこの日が最後になってしまう。そこから未知の領域へと一気に突き進むのだ。ただそんな事態の本質というべき予想不能性ゆえに、誰もその間近さを小指の先ほども予知できなかったのだ。
 開会とともに、近藤座長はかなり詳しく、これまでこの会議を運営してきた経緯や、今年度の会議の経過などを説明した。彼が述べた過去の経緯は、第一回の会議で聞いた内容とかなり重複していた。各省庁の関係者に配慮するためか、議論の内容に深入りすることはなく、その大要を説明するに留めていた。
 聞いていて、塚本はふと学校の授業参観日を思い浮かべずにいられなかった。参観者がいるがゆえに、教師もよそ行きの言葉遣いに終始する。問題児も叱られず、皆が良い子の扱いを受けていた。それは快適にも思えたが、真の教育の日々ではなかったのだ。
 真須美は化けるのが上手だろうが、猫をかぶるほどではなかった。明瞭で早口という口調で喋り始めた。よその会議で、年寄りたちの緩慢な話しぶりに辟易しているに違いないオブザーバーたちだ。それを相手に若い委員の清新さを印象づけよう、という魂胆かと思われた。彼女というキャスティングは冒頭から成功である。
「二〇〇〇年代に入って成立した今泉政権では、『禁域なき構造変革』を提唱しました。今日を耐えて、明日を良くしようが基本精神でした。今日のコメを食べ尽くさず、将来世代のために回せば、やがて一粒万倍日が来る、との考え方でした」
 真須美は、今泉政策には成功もあれば、失敗も含まれるとの断りを入れた。ここでは成功の部分だけを取り上げる。なかなか洒落たイラスト入りのディスプレイ表示を用いながら、要領よく説明していく。
「今泉総理は、わが国の財政健全化の達成期限を二〇一一年度に設定しました。覚えておられる方もいると存じます。それが最終のタイムリミットであり、そこを逃せば、財政破綻の懸念がますます高まります。ところが以降の政権ではそのリミットが先延ばしにされ続け、年ごとにうやむやにされました。そして今に至ったのが現状です」
 ディスプレイには国の借金状況がグラフ表示される。彼女は細かいことは言わない。ここが今泉時代ですと、ポインターで指し示せば十分だ。その期間のみ国の借金が大幅に抑制されているのだ。
「今泉政権の時代以外に、国債の増加が抑えられた期間があります。ご覧のとおり一九八〇年代後半です。見渡してその二回のみですが、一九八〇年代後半とは、皆様もご記憶のバブル経済時代でした。すなわち安定成長期以降でありながら、極めて景気が良かったと認識されていた時代です」
 真須美はGDPなど各種経済データを表示する。バブル経済期といえども、高度成長時代ほどは成長率が大きくないが、実質GDPで七パーセント成長近くになった年もあった。
 この長期データを見ると、リーマンショックと新型感染症の影響での景気悪化が鮮明である。しかしながら二十一世紀以降も、全体の傾向では緩やかな成長が続いてきたとみられた。
 ひとしきり景気の経過を説明した後、彼女は大きな文字で「上げ底経済」と書かれた表示を映し出した。
「皆さんにお考えいただきたいのですが、景気が上向きだったとしても、政府が借金して、経済対策と称してばらまいた分は、いったいどんな影響を与えていたのでしょうか。その分だけ日本経済が上げ底になっていたと思いませんか?」
「思います」と井手が即座に答え、塚本もそれに賛同した。しかし真須美は澄ましたままで、次の表示に切り替えた。「正味のGDP」と大きく書かれていた。
「正味のGDPのグラフをお見せしましょう。ご覧のとおりです。名目GDPから、新規国債発行額を差し引いています。オクノミクス以前を表示していますが、バブル崩壊以降、実は長く経済の停滞が続いてきました。本来の正味GDPは四百兆円台後半です。全く成長できていません。しかし今泉政権で新規債務を大幅に圧縮させた期間をご覧ください、正味GDPが五百兆円を上回ったのです」
 グラフには新規債務のグラフも併記してあるが、それが減少するともに、正味の名目GDPが目に見えて成長しているのだ。
「このデータをさらに数学的に処理してみました。次のグラフをご覧ください。横軸が新規債務額で、縦軸が正味の名目GDPの成長率です。明らかな傾向が見られます」
 そのグラフには各年の値が点となってちりばめられていたが、その傾向を代表する赤い直線が一本通っていた。それは明瞭に右肩下がりである。すなわち新規国債の発行額を増やすほど、正味の経済成長率が低下しているのだ。
 グラフを詳しく見ると、多くの国債を発行した年ほど、正味の成長率がマイナス圏の年だらけである。しかし国債発行を抑えた年ほど、正味の成長率が高い。六パーセント成長以上にもなっているのだ。
 特殊ケースが二年あって、かつてのリーマンショックの影響をもろに受けた時期だった。正味GDPが七パーセント以上も減少した。悲惨な二年間であるが、新民党政権時代であり、グラフの状況から見ると、政策対応が大幅不足だったかと推認された。
「今泉政権ですが、正味の成長率は『七・二九パーセント』や『六・一七パーセント』という高い値を達成しています。国債発行を増やさない方針を貫いたら、高度成長期に準じるほどの成長性を、この二十一世紀にまだ達成できたのです」
 今泉総理より以前、政府・自治体債務の純増額は「六十四兆円」にも膨張していた。しかし彼はそれを「三兆円弱」にまで圧縮するのに成功した。その時点で退任したが、翌年度は債務が僅かながらも「純減」にまでなったのだ。
 すなわち「国が借金をしなければ、日本経済は成長する」という事実が、実データによって立証されたという訳である。従来の政権の「カネをどんどんばらまけ」という固陋な常識と比べると、全く真逆の見解ではないか。
 続いて真須美は奥野政権の経済政策の概要を述べたが、彼女は常々から明確に奥野嫌いである。自分で分析すると、主観が入るといけないと意識的に避け、世の中で公表されているデータや評価を引用するに留めた。その点では発表の態度は誠実だった。
 奥野政権の十年間では、実質値で「年率〇・五パーセント」程度という低成長しか達成できていない。十年がかりで「三百兆円」も注ぎ込んだ上げ底経済を続けても、累計でほんの五パーセントしか成長していないのだ。しかも新型感染症の流行が始まった年には、なんと百兆円以上の新規国債を発行した。〝借金マニア〟のごとき政治家なのである。
 質疑応答の時間に入ったところで、日銀の全田がまず質問した。
「オクノミクスでは、三つの的として成長戦略が重要政策として盛り込まれていますが、世間ではそれができていないとの批判が多いです。成長戦略の政策立案に難点があるということでしょうか?」
 ありふれた答え方ができないではないが、難点の核心を見抜こうとしたら相当大変だ。真須美が何を言うか心配したが、ごく平静な顔をして返答した。
「それは皆様で議論していただきたい問題ですが、私からは『傾斜生産』という言葉を述べさせていただきます。戦後まもなく、産業復興のために採用されました。最も重要な産業に重点的に投資するという政策です。それが高度成長時代を導きました。ところが近年は、軒先が傾いたところに重点投資する『逆傾斜方式』かもしれませんわね」
 重要産業に集中投資をすれば、経済は大幅な右肩上がりになりうる。しかし奥野政権は右肩下がりの産業と傷口を舐め合っている関係かもしれないのだ。ありふれた表現だが、〝ゾンビ企業〟ばかりを生き残らせているのである。
 すると、「そんな業界から重点的に政治献金が来るから、献金額を右肩上がりにするのが、政治家の方針ではないか」と乱暴な意見も出た。ここは霞が関の縄張り内で、永田町の政治家たちにオブザーバーはいない。この種の発言は霞が関では十分にセーフらしい。
 さらに、ほとんど出席していなかった国交省の赤沢が、今日は活発に発言し始めた。自分の存在を売り込んでおきたいようである。
「国債を減らすべき、と大変立派な意見を頂戴しました。国交省の公共事業もまた従来から目の敵にされてきたのですが、もはや新規建設費よりも既存設備の維持管理費が上回るほどです。そこで省内でも鋭意、検討を進めてきまして、国の予算に頼らない維持管理方式をようやく決定しました。それをご紹介したいと思います」
「ほう。じゃ、財務省は来年から楽になる訳ですな」
 近藤座長は愉快そうに笑いつつ問い返した。それには軽々しくイエスと答えず、会議の場で特に伝えるべき内容だけを語り始めた。
「高速道路の通行料金ですが、従来は有料の年限を二〇六五年までとしていました。このほどそれを五十年間延長して、二一一五年とさせていただきました。値上げではありませんので、国民の皆様に負担感を感じていただくことなく、維持管理費を確保できたと存じます。財務省の皆様にご迷惑をおかけせず、公共事業関係費の大幅増まではお願いしないように最大限の努力をしているところです」
 大幅増までは願わないということで、増額要求は今後もあるということらしい。そもそも通行料は道路完成以降ずっと徴収してきたものであり、毎年度の予算措置と合わせて、それらでやっと施設を維持できてきたのだ、と座の理解を求める。
「で、通行料の総額はどの程度になるのですか。税外収入ですから、財務省の管轄外ですが、教えていただけますかな」
 近藤の問いに赤沢は胸を張るように答えた。
「年間でほぼ『三兆円』です。五十年間で『百五十兆円』を確保いたしました。国の債務削減に、国交省はこれほど巨額の貢献をさせていただけるという訳です」
「ほおっ!」とオブザーバーたちを含めてどよめきがあちこちから起こった。百五十兆円なら、国の債務総額の一割を上回る。国交省は〝カネ食い省〟であるからこそ、見かけ上は軽微な決定だけでも、思いも及ばぬほどの資金を捻出できるのだ。
 ただ、そのトリックめいた方策に、井手が異議を問いかけた。実質的には値上げ策にすぎないからだ。
「結局のところ、国民負担は百五十兆円も激増したということですね。しかも二〇六五年以降だから、将来世代へのツケ回しです。他の方法はありえないのですか?」
 こういうときに役人たちは〝たらい回し論法〟や〝責任転嫁論法〟をよく用いる。赤沢は眉根に皺を寄せながら、井手の矛先を別方向へ向けようとした。
「これ以外の方法はありませんでした。厳密に受益者負担の原則に基づいています。国の借金に頼るのでは、かえってモラルハザード状態だと厳しく非難されます。そもそも公共事業費は約『六兆円』です。今や防衛費『九兆円』のほうが遥かに上回ります。これ以上の債務削減策は、筋として防衛省にお願いすべきところでしょう」
 問題視すべき省庁を防衛省側に振ってしまった。防衛省の清水はオブザーバーという立場だから、発言権は全くなく、彼は日頃から表情さえ動かさずに座視しているのみだ。しかも予算権限がない〝保養所〟での議論だから、口出しする必然性さえなかったのだ。
 すると農水省の藤川が、防衛省を弁護するような発言を始めた。農水業は新自党の重要地盤である。新自党が防衛費重視となれば、それに同調気味になるようである。
「最近は防衛費を増額する財源で揉めていましたが、増税を極力避けようとする方々が新自党におられます。『国債の六十年償還』ルールを『八十年』に延長しようという案などです。これで『四兆円』程度を捻出できると計算されます。もしその案が近々採用されなくても、いつか復活することがありえます。辛い増税をなくせますから、いかがでしょうか」
 国債には「償還ルール」があって、実は政府から少しずつ返済し続けているのである。国債の大部分は満期ごとに「借換債」に置き換えられるものの、毎年度の国債残高の「六十分の一」が現金で償還される。そのための予算が「国債償還費」として計上されており、それは年間およそ「十七兆円」である。
 その十七兆円を「八十年ルール」に先延ばしにすれば、「四兆円」の防衛費増額は易々と生み出せるという考え方だ。六十年という年数は、道路の耐用年数を基準にして導入された。国交省との深い関わりを否定できないのだ。
 しかしそれに対して、近藤が異論を唱えた。表情がことさら厳しい。
「財務省はその案に強い懸念を表明してますな。六十年の約束を反故にすれば、わが国への信認が揺らいで、日本国債が格下げされる恐れが強い。見せかけだけを装っても、その方法では国の借金を増やすだけです。しかも世界的に利上げが続いていますから、近いうちに『利払い費』の予算を『四兆五千億円』も増額する必要性をすでに公表しました。防衛費の増額どころではありません。永田町もそこを真剣に考えていただかんと、国政の責任を果たせんのじゃないですか」
 防衛費増額には、「震災復興税」を期間延長して、その一部を回す方針がすでに決定されてしまった。さらに国債償還の周辺でも策謀が渦巻き続けている。防衛費新法で「歳出削減」と記載されているが、単に国債償還費を先延ばしにするだけかもしれないのだ。
 本日はオブザーバーが多数であり、しかも財務省関係者が多い。近藤がここで強く釘を刺しておかないと、無責任な議論だらけになりかねない。自分の取りまとめ能力にまで疑問符が付きかねないと危惧したろう。
 日銀の全田と経産省の岩淵も、近藤の側で発言した。赤沢もしかりである。国交省は確固たる税外収入の裏付けがあるが、新自党案は小手先で借金を先送りしているにすぎない。日本を破綻させかねない。愚策中の愚策だというのである。
 塚本自身はその種の政治問題に口出しするには、政治的素養が不足し過ぎるため、心の中で考えるぐらいしかできなかった。新自党から不健全な奇策が出ることが多いようだが、おそらく便利に使われている政治家がいるのだろう。全うな政治家としての品格を伴わないなら、国民的支持も得にくい。それでは将来の宰相の器になりにくいと思われた。
 今泉総理が構造変革の半ばで職を退いた理由についても質問が出された。「息子に選挙地盤を譲るため」と、真須美は残念そうに答えた。彼女は息子には興味がないらしく、ウィキペディアでも見よと言うに留めた。
 会議後、真須美はオブザーバーたちのスター同然と化したに違いなく、取り巻かれて山ほど名刺交換を受け、好意的な談笑の渦に包まれた。これなら今夜は彼女に拉致される恐れがなさそうだと、塚本は会議室からそっとと姿を消した。
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