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文字数 1,775文字

 参加者たちが多量の配布資料をめくっているうちに、程なく定刻が来て、近藤洋忠氏の挨拶が始まった。声は濁っているが、早口で要領よく話す人物だった。
「省内では財政制度審議会が中心的な議論の場ですが、財政健全化目標の堅持といったお題目的な議論しかなされません。やっと建議が出てきても、庶民の負担増を求めて、国の無駄遣いにはほとんど触れませんな」
 だから〝本店〟には任せておけないと強引に主張して、研究所で考えてみたいと提案したら、財政問題を憂慮する官僚が多いゆえに、継続的にやらせてもらえたそうだ。しかし近藤はすぐに失敗談を述べた。
「最初は経済界を含めた有識者を集めるという普通の流儀でやったのですが、〝本店〟の審議会と似たような状況になりました。有識者扱いの皆さんは、その場の思いつき程度のことしか述べないんです。しかもたいていがマスコミで言い古しているような話の受け売りでした」
 そこで専門分野の学識経験者を中心にしてみたが、ネームバリューのある人たちはあちこちの会議に招ばれていて、口数は多いが、皮相な話にしかならない。しかも専門的な学者だと、自分が調べた狭い話ばかりが多すぎる。細部については詳しいが、日本の窮状に対しては、こう言っては申し訳ないが、どうも稚拙な提言しかできない。
「万事窮しまして、だったら近辺のあちこちの研究所に声をかけて、普通の研究員の皆さんに考えてもらおうということにしてみました。普通と言ったら失礼ですが、皆さんこそがおそらく本物の『地上の星』だと思います。万一のXデーに立ち向かい、草の根からの素晴らしい提案をぜひしていただきたいのです」
 かつて「X」を付けてさまざまな挑戦的プロジェクトを紹介するテレビ番組があり、「地上の星」というテーマ曲が流れていた。それを安直に連想させる物言いではあったが、塚本はその表現に素直な好感を抱いた。近藤が組織しているのはまさに小さな「Xデープロジェクト」らしいという訳だ。
「それで今日は、昨日から地銀の取り付け騒ぎが起こった、という妙な日になったのですが、予め申し上げておきます。そんな対策は金融庁や〝本店〟に任せておけばよい。きらめき銀行に対して、おそらく岐阜共立銀行あたりが救済合併といった案で決着するでしょう。この会議のテーマではありません」
 近藤座長の言葉で塚本は拍子抜けした思いがした。きらめき銀行からゆうちょ銀行へと取り付け騒ぎが波及しそうで、その難問こそ今日は大激論になるだろうと予想していたのに、問題外の扱いにされたのだ。
 チラリと周囲を見回したが、誰しも無表情のままである。塚本も無感情を装って、座長の次の言葉を待った。外見は老けて見える座長だが、彼は眼差しだけは澄みきっていて、その理由を簡潔に述べた。
「対処法を明確に立案でき、しかもそれが実施可能な場合には、危機は必ず速やかに回避可能です。もし日本経済が破綻するなら、対策案を誰も立案できず、先行きもわからず、徒手空拳のまま、成り行きを後追いするしかなくなった事態が、最も危険だろうと予想しています。今回程度の取り付け騒動はその範疇には入らんのです」
 彼はそんな危機の実例として、二〇〇八年のリーマンショックという大事件を挙げた。アメリカで信用度の低い住宅ローンが行き詰まった際、その債務があまりにも多くの金融商品に組み込まれていたため、影響がどこまで波及するか誰もわからないという苦境に陥った。結果、世界中の株価が半値程度に暴落して、世界が大不況に見舞われたのである。
 ユニークな指摘だが、塚本にも納得できるところがあった。こちらの自家薬籠中の手で攻めてきても、反撃は造作ない。地銀の取り付け騒ぎ程度なら、〝本店〟ではとっくに方策を用意済みだったろう。しかしゆうちょ銀行までが、誤情報とはいえ、巻き込まれかけている。それは大丈夫なのだろうか?
「ゆうちょ銀行も心配無用です。今日の同行の株価は上げてますな。大手証券の一社が、やや唐突ながらも、株価見通しを引き上げました。金融市場では、同行は安定していると評価されたようです」
 なんとそんなお手軽な方法で、早くも凌いでいたのか。金融業界は政府や日銀を旗艦とする〝大護送船団〟同然である。インターネット上のあやふやな情報程度では、滅多なことでは崩壊しそうにないらしい。
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