第7話

文字数 1,866文字

調査 五日目


 今日は土曜日で休日のため、和田少年は朝から自室にこもっていた。祖母のお見舞いに行こうとしたが「土日くらいはゆっくりしなさい」と、祖母本人から断られてしまったからだ。目明し堂にも「家族以外と連絡を取らなければ、休日は自由にしていい」と言われていたので、今こうしてベッドへ寝そべっている。平日の緊張感から解放され、教師にも友人にも会うことのない自分だけの狭い世界は、とても穏やかであった。

「このまま月曜が来なければいいのに……」

 到底叶うことのない願いを、ため息とともに吐き出す。そして、こんなことになってしまった理由をぼんやりと思い出していた。自分の秘めた思いを行動に移したわけでもなく、誰かに迷惑をかけたわけでもない。いつもの美術室で、いつものように絵を描き、いつものように少しの間だけ窓から外を眺める。ただ、それだけであった。

『それなのに――!』

 先ほどまで穏やかだった感情が、急速に不安と恐怖に塗りつぶされ始める。

『僕は失敗した! 失敗したんだ!!』

 あの日、和田少年はいつもと違う行動をとった。よく晴れた空、穏やかな朝、美術室には和田少年一人。だからこそ、魔が差したのかもしれない。いつもの美術室で、いつものように絵を描き、いつものように少しの間だけ窓から外を眺める。そして――写真を撮ってしまった。たった一枚。

『僕だけの秘密だ』

 思い出すだけで目眩に襲われる。和田少年は思いを伝えるつもりはなく、見るだけで良かったのだ。おばの日記にもダザイ様と話し、ダザイ様を見守るだけで十分だと、この上なく控えめな思いが綴られていた。だが、おばはそれすら叶えられなかったのである。ささやかな願いを「あの男」によって踏みにじられ、命まで落とした。

 和田少年はベッドから起き上がり、机の引き出しに隠していたモノを取り出す。目明かし堂が指摘した、おばのもう一冊の「日記」だ。これにはおばの最後の思いが、決意が綴られていた。


 自分と『おば』は、似すぎている。
 自分もいつか『おば』のようになるのだろうか。
 答えはでない。

「僕はダザイが恐ろしい」

 目明かし堂から連絡は――ない。



『帰宅 未定
 食事はいらないです(朝食も)』

 ボクが帰宅すると返事はなく、代わりに三毛柄の猫型付箋メモがダイニングテーブルへ貼られていた。シンプルなメッセージの下には、今日の日付とメモを書いた時間、あとは若宮と署名されている。どうやらボクが出勤したあと、すぐ家を出たようだ。昨日、最終電車で帰ってきた若宮さんは、ぐったりとしていた。あの人は体力がないので心配だ。せめて駅かバス停まで送ればよかったと後悔しながら、もう一度メモへ目をやる。

「やっぱり、いびつな字だな」

 そこには独特の字が羅列されている。ボクは習字を習っていたが、誰にでも読める字を目指していたため、特徴のない、味気ない、つまらない形に仕上がってしまった。だから独特でいびつな形をした若宮さんの字を、ボクは結構気に入っている。メモを剥がし、それを手にしたまま二階へ上がると、扉が明け放れた若宮さんの部屋を覗く。予告通り住人が不在なのを確認し、安堵した。なぜなら……あれはボクらが、一緒に住み始めたときのことだ。

 夜遅くにに帰宅したボクは「ただいま帰りました」と、玄関であいさつをした。「おかえり」と、二階から小さな声が聞こえたのをいいことに、いつも通りの生活を送ってしまい、若宮さんが自室で倒れていたのに気がつかなかったのだ。あわてて若宮さんを確認すると意識はあり、体に痣はあったが骨は折れていなかった。

 若宮さんが言うには、階段から落ちてしまったので病院へ行き、検査に次ぐ検査で疲れはて、ベッドにたどりつけず床で寝てしまったのだという。大事はなかったとはいえ、それに気づかなかった自分のふがいなさが許せず、ボクは若宮さんに謝った。若宮さんは笑いながら「君は何も悪くないだろ。それに、僕は生きてるよ」と、慰めてくれたのを覚えている。

 ボクはあの日からメモの有無に関係なく、若宮さんの姿が見えなければ、若宮さんの部屋を確認するようにしている。若宮さんの部屋を通り過ぎ、若宮さんと同じように扉が明け放れたままの自室へ入ると、鞄を置きベッドの前で膝をつく。ベッドの下を覗き込み、年季の入った木製の四角い救急箱を取り出し蓋を開ける。中にはいびつな字を乗せたメモが重なり合って入っている。そしていつものように、手にしたメモを一番上へ乗せ、そっと蓋を閉じた。この箱のことは誰も知らない、ボクだけの秘密だ。
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登場人物紹介

若宮カイ(41)

目明し堂を営む張本人

人嫌いで、大のめんどくさがり屋/なまめかしい雰囲気を漂わせている/いつも寝癖がついている/受けた依頼は、世羅くんを振り回してきっちり解決する、やればできる人

世羅宏(30)

若宮の助手兼、運転手、本業は医師

善良な人間(若宮談)/料理を含む、家事全般が得意/彼女が途切れない/いつも若宮に振り回されてる、ちょっとかわいそうな人

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